第1話 廃嫡と森流し
アークライト王国王太子、ゼス・アークライトが前世の記憶を取り戻したのは、十二歳の時だった。
神々から職業とスキルを授かる神託の儀の最中、視界に表示されるステータスを見て、「まるでゲームみたいだ」と思ったのがきっかけ。
それから一気に、前世の記憶が蘇ってきた。
思い出したのは、自分が日本という国で生きるごく平凡な若者だったということ。
そして、事故で亡くなった両親が営んでいたクリーニング屋を、一人で切り盛りしていたことだった。
そんな彼の前世の記憶は、暴走した車が店内に突っ込んできたところで終わっている。
死の間際の彼は、溢れ出る赤黒い血を眺めながら、「この汚れを落とすのは大変そうだ」なんて場違いな感慨を抱いていた。
――そんな前世を思い出したものだから、【洗浄屋】という職業を授かったことにはある種の納得があった。
だが、【洗浄屋】という職業を授かったゼスに対する失望の目は強かった。
職業がその者の生き方を示すと考えられているこの世界で、【洗浄屋】はまるで使用人のような職業だと揶揄される。
次第に王侯貴族たちからの風当たりは強まっていった。
神託の儀から三年が経ち、ゼスは王城内ですっかり冷遇される立場となっていた。
それでも最低限の王太子としての教育は続けられている。
この日も授業を終え、城内を歩きながらふと周りが慌ただしいことに気がついた。
「……そういえば、今日は弟のバウマンの神託の儀があったな」
第二王子、バウマン・アークライト。
彼は今日十二歳となり、三年前のゼスと同じように神託の儀に臨むことになっている。
城内が騒々しいのはその儀式に向けて人が出入りしているからだろう。
人目を避けるように勝手知ったる通路を抜け、裏庭へ続く柱廊を進む。
そこではメイドたちが忙しなく洗濯をしていた。
「あ、ゼス様!」
ゼスが現れたことに気づいたメイドが声を上げると、彼女たちの視線が一斉に向く。
メイドたちは一様に明るい顔で駆け寄ってきた。
「ゼス様、この間教えていただいた洗浄方法を試してみたら、汚れが落ちやすくなったんです!」
「それはよかったよ」
「ゼス様ゼス様、見てください! ここに夕食のソースがかかったんですけど、綺麗に落ちてるでしょう?」
「うん、言われてもわからないね」
「ゼス様、私は――!」
メイドたちが口々に自身の功績を誇る中、彼女たちの後ろから女性の鋭い声が飛んできた。
「お前たち! あまりゼス様を困らせるんじゃないよ! 迷惑だろ!」
「メイド長」
この場にいるメイドたちのまとめ役であるメイド長の一喝に、ゼスの前に集っていたメイドたちが慌てて仕事に戻っていく。
「ゼス様もあまり甘やかさないでください。あの子たちはすぐ調子に乗るんだから」
「あはは、まあいいじゃない。みんなが楽しいなら」
「まったく、あなたというお方は……」
メイド長は呆れ半分、親愛半分といった苦笑を浮かべる。
そんな彼女の下に、遠くから現れたメイドが駆け寄ってくる。
「メイド長!」
「どうしたんだい、ララ。そんなに慌てて」
「実は、午後の神託の儀でバウマン様がお召しになる礼服が……」
メイドが手持ちの服をメイド長へ差し出す。
ゼスにとっても見慣れた服だ。
何を隠そう、三年前の神託の儀で着たことがある。
だが、白を基調としたその礼服は墨汁で塗りたくられたかのように黒く染まっていた。
「どうしたんだい、これは」
「実は、バウマン様が先ほど試着の際にインクを振り撒きまして……」
「まったく、あの極悪王子。あたしたちが慌てふためく様を見て悦に浸ろうってのかい。――っと、ゼス様、これは」
すぐ近くに同じ王族であるゼスがいることを思いだし、メイド長は口を押さえる。
「俺は何も聞いてないよ。それよりも、見たところすぐにはとれなさそうな汚れだね」
「はい。……替えの礼服はあるのですが、綺麗にできなかったとなれば折檻されるのは間違いなく……」
涙目になるメイドに、ゼスは「大丈夫だよ」と笑いかける。
「ゼス様、まさか」
「しっ、静かに」
何かに気づいたメイド長を牽制しつつ、ゼスは礼服に手をかざした。
「――《洗浄》」
ゼスがスキルを行使する。
インクで塗れた礼服が泡のような光に包まれていく。
そしてその光が静まると、あれだけ汚れていた礼服が綺麗になっていた。
「ほら、これで問題ないだろ?」
「っ、あ、ありがとうございます!」
メイドは感激した様子で頭を下げると、元来た道を戻っていく。
その背中を見届けながら、ゼスはメイド長へ悪戯っぽく微笑んだ。
「王子の俺がみんなのためにスキルを使ったなんて知られたら怒られちゃうから、黙っててね」
「……まったく、本当にあなたというお方は」
メイド長が再び浮かべた苦笑は、先ほどとは違い、崇敬に満ちていた。
「裏庭でメイドの手伝いなんて、【洗浄屋】の兄さんにはお似合いだな」
「バウマン……」
裏庭を後にして柱廊に戻ったゼスに、年下の少年が話しかけてくる。
嫌みったらしい表情を浮かべているのは、先ほども話題に上がっていた第二王子、バウマンだった。
「俺は兄さんと違って王族らしい職業を授かるぜ。そうしたら兄さんも用済みだ」
哄笑とともに立ち去っていく弟を見届けながら、ゼスは肩を竦める。
(王位が欲しいならいくらでも譲るんだけどなぁ。王太子だから気軽に洗濯もできないわけだし)
ゼスは裏庭での一件を思い返す。
前世ではクリーニング屋として衣類の洗濯のプロを名乗っていた。
だが、今世で授かったスキルはそうしたプロの技を置き去りにする性能を誇る。
元々汚れているものを綺麗にすることが好きな性分のゼスは、スキルを自由に使えない今の暮らしにフラストレーションを抱えていた。
汚れているものを綺麗にする。
その喜びを、今世ではほとんど味わえていない。
せっかく最高のスキルを授かっても、それを活かす場面がないのでは宝の持ち腐れである。
(できるなら、どこかの田舎でのんびり暮らしながらこのスキルを思う存分使いたいなぁ)
そんなゼスの願いは、思わぬ形で実現することとなる。
◆ ◆ ◆
「王太子、ゼス・アークライト。貴様を廃嫡する」
「……え?」
その日の夕方。
王の間へ呼び出されたゼスは、玉座に座る実の父親ケイラスの言葉に耳を疑った。
国王の指示で広間に控えていた衛兵たちがゼスを取り囲み、床へ押さえ付ける。
衛兵たちに縄で縛り上げられながら、ゼスは叫んだ。
「待ってください、父上! この仕打ちはどういうことですか?!」
「二度と私を父と呼ぶな! この痴れ者が!」
ケイラスは苛立たしげに叫ぶ。
「【洗浄屋】などという職業を授かった貴様を今まで生かしておいたのは、ひとえに貴様にも価値があったからだ。だが、その塵のような価値もつい先ほど消し飛んだ」
ケイラスの言葉に呼応するように、玉座の後ろからバウマンが姿を現す。
「先ほど、我が息子バウマンが神託の儀を終え、【征服者】の職業を授かった。もはや貴様のような出来損ないを王族に据える意味もない。王家の安定を脅かした貴様は、国家反逆の罪として森流しの刑に処する!」
「な――っ」
アークライト王国が位置する中央大陸。その大陸中心部には、凶悪な魔物が巣くう大樹海が存在している。
呪われの森とも称されるその地は、その危険度と不毛さからどこの国家にも属していない。
そしてアークライト王国では、死刑のさらに上の刑罰として、そんな森へ咎人を送り込むというものがあった。
それが森流しの刑。王国における極刑だ。
広間に控えていた魔法使いが《転移》のスキルを唱え始める。
それを見て、ゼスは慌てて叫んだ。
「お、お待ちください! 森流しなんて、そんな」
「諦めなよ、兄さん」
「っ、バウマン」
「スペアとしての兄さんの役割はもう終わったんだ。いらなくなったら捨てる。それだけのことでしょ?」
バウマンの痛烈な物言いに言葉を失ううちに、《転移》のスキルが発動する。
「さらばだ、王国の歴史における最大の汚点よ」
意識が漂白される間際、ケイラスが呟く。
その呟きが耳の奥で木霊する中、全身を浮遊感が襲った。
上下が曖昧になり、光と空間の濁流の中へ放り込まれていく――。
次に目を覚ました時、ゼスは森の中に横たわっていた。
両手と両足を縛られているゼスは、横になったまま眼前の草花や周囲の木々を眺める。
「そりゃあ田舎でのんびりしたいって思ってたけど……これはないよ」
唐突な廃嫡。突然の追放。追い出された先は魔物はびこる危険な樹海。
のんびりとはほど遠い条件だ。
「……ていうか、服汚れたし……」
身をもごもごと芋虫のように動かしているうちに土塗れになった服を見下ろして、ため息を零す。
だが、ふと思いつく。
「――《洗浄》」
スキルの光に包まれ、土汚れが綺麗さっぱりなくなった。
その光景に言葉にできない快感が湧き上がってきたゼスは、もう一度地面を転がる。
「――《洗浄》!」
綺麗になる。
また地面を転がる。
「《洗浄》!!」
綺麗になった。
何度か同じことを繰り返し、ゼスは目をキラキラと輝かす。
ずっと我慢していたものから解放された気分だった。
「って、何やってるんだ俺は。どう考えてもこんなことをしてる場合じゃないだろ」
頭を振りながら我に返る。
手足を拘束され、危険な場所へ一人で放り投げられたのだ。
ひとまずこの拘束をなんとかしないと――と、思ったときだった。
「ギョァアアアアア――――ッッ!!」
すぐ頭上で、咆哮が轟く。
ゼスは体をよじって地面に仰向けになると、恐る恐る見上げた。
空を覆う枝葉の合間から、漆黒の両翼を羽ばたかせる竜の巨躯が姿をのぞかせる。
そしてその竜は、顎を広げてゼスへ向けて降下していた。
「うっそでしょぉ!?!?」