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第六話




 長い沈黙の後に聞こえてきたのは、カスティのあまりに間の抜けた声だった。

「私は道半ばで野垂れ死にするわけにはいかない。だから、私に命乞いをさせて頂きたい」

「…………じょ、……状況を分かってる……?」

「無論だ」

 予想外の反応だったのか、カスティは呆気に取られて指先で頬を掻く。明らかに困惑しているのが見てとれた。

「私を殺すのは、願いの泉に国を再建を願ってからに、してくれないか」

 自身の胸に片手を当ててそう伝えれば、一拍置いた後に、吹き出したカスティの笑い声が空気を震わせる。

「一国の王になる方が、そんな噂を本当に信じてるの?」

「そうだ」

「馬鹿みたい。現実を見たら? そんな泉、どこにあるというの」

「それをいま探している」

「願いを叶える泉なんて、あるわけないでしょう!」

「それを決めるのは()()じゃない!!」

 嘲笑を激昂で遮る。気押された彼女は一歩身を引いた。

 その距離を詰めるように地面を蹴散らして近寄り、眼前に人差し指を突き立てた。

「泉があれば願って死のう。なければ現実を受け入れて死のう。あると信じて進むか否かを決めるのは私だ。自虐も絶望もそれしか見えないのなら独りでやれ。お前の感情に勝手に巻き込んで、私の希望を踏み躙るな!!」

 音もなく凪いでいたカスティの瞳が大きく揺れた。

 震えた唇が声も出ず開閉し、そのまま悔しげに強く噛み締める。杖の柄が青銅色の地面を引っ掻き、迷うように歪な線を描いた。

 彼女の心は疲弊している。そんな確信があった。

 どこに行けばいいのか分からず、誰を頼ればいいのかも分からない。砂漠をあてもなく彷徨い、時折見える蜃気楼に縋り付いて、そんな自分に嫌気がさしているように思えてならなかった。

 エゼキエルはカスティの片手を掴んで、自らの胸元に引き寄せる。驚きに身を竦ませ強張る皮膚の感触がしたが、構わず心臓の上に手のひらを押し当てた。

「私の命を絶ちたいなら、この命は貴女に渡そう」

「…………」

「誇りを失ったのなら、私の死を希望にすればいい」

「……王子」

「だから、私に命乞いをさせてほしい。生きる意味が終わる、その時まで」

 一陣の風が駆け抜ける。胸に当てたカスティの指先に力が戻り、胸ぐらを掴み上げるように、エゼキエルの衣服へ皺が寄った。

 なんの感情も浮かんでいなかった顔は、悔しさからか、悲しさからか、歯噛みし苦悶する表情へ変わっていく。

 強く噛み締めすぎた唇から、血液の代わりに砂の粒がこぼれ落ちていった。

 言葉は一言も違わず、カスティに届いている。それは彼女自身が、自ら思うような化け物でも、血も涙も渇いた非道でもないことを、エゼキエルと同じ痛みある存在なのだということを、如実に表していた。

 この優しい女性は、どんな思いで雇い主から命令を受けたのだろう。どんな思いでエゼキエルの故郷を滅ぼしたのだろう。

 どんな思いで、──希望を、踏み躙られたのだろう。

 迷い子は暫くこちらを睨みつけていると、長くため息を吐き出して、指から力を抜いた。そしてゆっくりと体を離し、片手で額を抑えて首を左右に振る。

「…………あなたの命乞いは、よく分かりました。いいでしょう。雇い主から、あなたを殺す期限も言われていませんでしたから」

 頭上で見開いていた眼が、徐々に光を失って閉じていく。エゼキエルは途端に体の緊張が解け、崩れ落ちそうな膝をなんとか持ち堪えた。

「ただし、わたしの目の届かないところで、死んでもらっては困ります。あなたの生きる意味が終わるまで、傍で見届けさせて頂きますから」

「無論だ」

「……あなたって、本当……」

 ため息混じりに言いかけたカスティは、視線を逸らして沈黙すると、再度大きく首を横に振った。

 そしてガラス扉の方を横目に一瞥し、砂で出来た髪を軽く払って顔を向ける。

「ヴァイド騎士団長。隠れてないでよろしいですよ。もう終わりましたから」

 え、と間抜けな声をあげ、エゼキエルが慌てて体を扉に向ければ、死角になる位置からヴァイドが姿を現した。そしてみずか背後を肩越しに見た後、一つ髭を撫でてから扉を指し示す。

「お二方。あまり夜風にあたりますと、体を冷やされますぞ」

 カスティの様子から、おそらく途中から話を聞いていたはずの彼は、何事もなかったように声をかけてきた。ここが城内だと抜け落ちていたエゼキエルは、どう言い訳しようかと、ヴァイドとカスティを交互に見やる。

 その視線を受けたカスティが、目を細めてエゼキエルを見返した。

「……敵に情けをかけるのですか」

「貴女は敵じゃない」

「あなたのそう言うところ、とても腹立たしいですよ」

 ハッキリとした物言いとは裏腹に、そよ風が花を揺らすように、呆れた調子で穏やかに彼女は笑う。そのまま彼女は、杖でレンガを突きながら、ヴァイドの方へ歩き出した。

 迷い子の足取りは先ほどよりやや軽く、口角を上げたエゼキエルも足を踏み出す。

「明日は少し街を歩こう。獣人は気の良い方が多いと、女王陛下もおっしゃっていた」

「そうですか。……明日も晴れるといいですね」

 夜空に浮かぶ十六夜の月を横切るように、瞬いた星が一つ、流れていった。



 ◇ ◇ ◇



 マントを脱いだ軽装で、カスティは窓辺に置いた椅子に座り、ぼんやりと空を見上げる。

 すっかり寝静まった城内から響く音もなく、上下の喧騒も聞こえない静かな夜だ。

 隣の部屋で先に眠ったエゼキエルは、今ごろ完全に夢の中だろう。殺しにきたと白状した相手の傍で無防備に寝るなど、果たして気丈に振る舞っているだけなのか、あっぱれな神経の図太さなのか。

「カスティさま、よろしいかしら?」

 不意に、声だけがカスティの前で響く。椅子を僅かに引いて視線を上げると、白い雪のような光が落ちて、何もない空間からニーシャが姿を現した。

 彼女は緩やかに目蓋を開け、カスティより華やかなローズ色の瞳を覗かせる。

「ニーシャさま」

「眠れないようでしたので、コウチャをお持ちしましたわ」

 片手にもつトレーの上に、赤い花があしらわれた美しいソーサーとティーカップが乗っていた。カスティが眉を下げて口を開こうとすれば、ニーシャは片目を閉じてティーカップの中を見せる。

 そこには白く可愛らしい花がいくつも入っていて、安らぐ良い香りを漂わせていた。

「独自に加工したエディブルフラワーです。少し苦みがありますが、良い香茶ですわ。お召し上がりになって」

 迷いながら腕をあげ、ディーカップとソーサーを受け取る。口元に寄せ揺らめく香りを吸い込むと、霞む思考が鮮明になるような、新鮮な空気が流れるような錯覚がした。

「……ヴァイド騎士団長と一緒に、あなたもあの場にいましたね」

 口に入れた食用花を噛むと、微かな苦みが口内に広がる。

 何か言いたげにこちらを見ている白猫の貴婦人にそう言ってやれば、ニーシャは寧ろ安堵した様子で微笑んだ。

「……ツキモノが落ちたようで、よかった。少し元気になられたようですわね」

 思わず動きを止めて前を向けば、トレーを胸元に引き寄せつつ、ニーシャはエゼキエルが眠る隣室の方角へ目を向ける。

「わたしを恐ろしいと、思わないのですか」

 滑らかに喉を落ちる花を飲み込んだ。ただ空気が通り抜けるだけの体内に入ったそれは、刺激も音もなく降り積もる。

「恐ろしいですわ、とても」

「…………」

 ニーシャの瞳が再びカスティを映した。昼間、光の下だと細い瞳孔が、今は丸みを帯びて宝石のように輝いている。

 恐ろしいと口にするには酷く対照的な、優しい、優しい双眸だった。

「わたくしは店を持つ料理人で、わたくしの料理を好いてくださるお客様に対し、喜び以上の感情を持つことは慎もうと思っておりますの。……けれども、本能には逆らえません。わたくしは、今のあなたが恐ろしい」

 最後のエディブルフラワーが溶けて消える。カスティは窓枠にティーカップとソーサーを置き、何も返せず口を噤んだ。その様子を見た婦人は、労わるように金砂の髪を撫でる。

「けれどもあなたが過去、わたくしの大切な友人を戦禍から守り、救ってくださったことに、変わりはないのです」

「……」

「あなたに対する、信頼以上の不信感なんて、わたくしにはございませんわ」

 再びトレーにカップ類を乗せたニーシャは、満足げに笑ってフレアスカートを持ち上げる。

 踵を返そうとする彼女の腕を咄嗟に掴み、カスティは衝動に任せて口を開いた。

「あなたも、王子も、お人好しだわ……」

 化け物だと、恐ろしいのだと、そう言って離れてくれた方が楽なのだ。

 何も感じない、なんの意識もない、抜け殻のような自分を肯定してもらえたら、どれほど。

「……そうですよ。他者と関わるわたくしたちは、明日、死を思うだけでは生きられませんから」

 眉間に皺を寄せて項垂れるカスティに、彼女は再度笑いかけると、顔を近づけ額に頬を擦り寄せる。穏やかな脈拍を感じるニーシャの身体からは、雨上がりの月夜に似た、涼やかな香りが漂っていた。

「おやすみなさい、カスティさま」

 ニーシャが一つ鳴くと、光の粒へ溶けるように消えていく。

 カスティは彼女がいた場所を暫く見つめ、椅子から立ち上がった。

 先ほど食べた、エディブルフラワーの効果だろうか。眠気へ誘うように目の前が僅かに霞み、よろけそうになりながらベッドに腰を下ろす。

「……おやすみ、なさい」

 誰に言うわけでもなく呟いて、シーツの上に倒れ伏す。

 体重を支えてたわんだスプリングが、微かな音を立てただけだった。







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