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第五話



 城の最上部付近に位置するそこは、美しい装飾の丸テーブルと椅子が置かれ、いくつかの植木鉢に植えられた観葉植物が、小ぶりな花をつけていた。見下ろせば城下の灯火が夜空の下で揺れ、穏やかな景色を形作っている。

 少し冷たい風が頬を撫でた。エゼキエルは静かな足取りでカスティに近寄ると、彼女も同じく緩慢な動作で振り返る。

 眉尻を下げた表情は、彼女のゆっくりとした呼吸を体現しているかのようだった。

「……席を外していまして、申し訳ございません、王子」

「いいえ。……」

 カスティの隣に立ち、街を眺める。少し夜も更けてきたが暮らしている獣人たちは、まだまだ活気に溢れて見えた。

「……昼間は、お見苦しいところをお見せしまして、大変失礼しました」

「いいえ。我々人間とは違う、力強い戦い方でした」

「化け物の片鱗に触れて、いかがでしたか」

 双眸を一つ瞬いて、エゼキエルは自分より少し長身なカスティを見上げる。彼女は相変わらず遠方を見つめたまま、口元に笑みすら浮かべていた。

 自虐的にすら見える横顔には疲労の色が見え、無意識に彼女の片手へそっと触れる。

 視線を向けてくるカスティを促し、丸テーブルへ向かい、椅子に腰を下ろさせた。カスティは遠慮がちにエゼキエルを見た後、杖を傍にある観葉植物に立てかけ、大人しく長身を丸めて座り込む。

「もし貴女の強さが化け物だと言うのなら、私より強き者は皆、化け物です」

 煉瓦に片膝をつき目線を下げつつ言えば、カスティは暫しエゼキエルの瞳を見つめ、小さく笑った。

 なんてことはない微笑みだが、脳裏にニーシャの言葉が浮かぶ。

「その強さは、時に貴女の心を蝕むかもしれない。けれど、化け物だと言葉にして、自らを傷つける必要などないのですよ」

 両手で彼女の片手を包み、グローブを外していた指先で撫でる。外気のせいか少し冷たい、人間の女性とさほど変わらない感覚を伝える、しなやかで長い指だ。

 ヴァイドの言う通り、彼女は核がないのかもしれない。痛みに鈍感なのかもしれない。けれどもそれは、彼女自身が化け物であるという謂れにはならないのだ。

「…………、…………わたしの腰くらいの、背丈の少女が、走り寄ってきたんです」

 沈黙する間、エゼキエルと自身の指に視線を落としていた彼女は、唐突に話を始める。エゼキエルは僅かに瞠目し、カスティを見上げた。

 困惑する様子を気にする事もなく、椅子に腰を下ろす彼女は、ぼんやりとした表情で顔を上げ、暗がりに見える遠くの山を見つめた。

 砂塵が風に乗って穏やかに頬を撫でる。

「美しい国でした。……緑と水に溢れた……、……砂漠に生まれたわたしにとっては、美しい異境の地でした」

 紡がれる声音は、どこか夢見心地だ。しかし朝焼けの瞳には暗く影がさし、エゼキエルが触れている片手は徐々にマントを握り、微かに力がこもっている。

 どうしたのかと問い掛けようとした矢先、彼女の双眸が再びエゼキエルを捉えた。

 灼熱の大地が凍える夜になるように、恐ろしいほど感情が凪いだ瞳に射抜かれる。

「……川のほとりには、城がありました。山からは風が吹きました。空を水に溶かし込んだ美しい髪の、王と王妃がいました」

 カスティの声に抑揚はない。

「今も、鮮明に覚えています。……美しい国を、人々を、──血が渇き、肉が崩れる、その、悲鳴を」

 衝動とはこのような感情を言うのだろうか。

 目を見開いたエゼキエルは弾かれて立ちあがり様、両腕を伸ばしてカスティの胸ぐらを掴み上げた。

 マントの襟が持ち上がり首が閉まっても、彼女は息苦しい様子を見せる事なく、酷く自虐的な口元で笑う。

「そうです王子。それが化け物に対する正しい反応です」

 静かな声に怒りが滲んだ。力を込めすぎた指先が、血の気を失っていく。体が急速に冷えていくのに、脈打つ心臓の音でこめかみが熱かった。

「本当は、初めて会った時から、ちゃんと気づいていたのでは、ありませんか?」

 彼女は眉尻を下げ、唇で弧を描きながら、嫌に静かな声で空気を震わせる。

「そうです。それは正しい。わたしが、あなたの故郷を滅ぼしました。……そしてあなたも、殺しにきたのです」

 鳥肌が、たった。

 咄嗟に胸元を掴んでいた手を離し、瞬時に地面を蹴ってカスティから距離をとる。

 体勢を低く保ったまま、腰のホルダーに押し込んでいたグローブを身につけた。弓矢と矢筒は客間に置いてきてしまったので、頼れるのは己の魔力だけである。

 カスティは薄らと笑ったまま、緩慢な動作で立ち上がった。

「な、なぜ、私を」

 緊張に声が上ずる。ヴァイドとの一戦を間近で見てエゼキエルも感じたが、彼女は訓練された騎士だ。魔法を発動させ強靭な力で薙ぎ払い、間合いに入られればその力強さを活かした体術で相手をいなす。

 エゼキエルのような、かろうじて護身用に機能する武術とは訳が違った。

「わたしは雇い主から、あなたの国と一族を根絶やしにするよう、命を受けました。……けれども、あの場にあなたはいなかった」

 カツン、と。

 カスティが片手にとった杖が地面を打った。

 瞬間、杖の頭上に巨大な一対の眼が現れ、その周囲を古代文字が取り囲む。ガラス玉に似た双眸は感情もなく、エゼキエルの顔を映し込んでいた。

 その眼球を通して誰かがこちらを見ているような、確かな殺意を覗かせているような。感覚は肌を粟立たせ、体の産毛が一斉に逆立つ。

「隣国に出ているなど、誤算でした……。おかげで二度手間ですね」

 どこからともなく、砂がカスティを取り巻き始めた。熱気が鼻先を撫で身が竦む。

「誰が貴女に、そんなことを」

 喉を上下させて唾を飲み込んだエゼキエルは、眉間に深い皺を刻みながら、震える声で無意識に問いかけていた。

 彼女は口元に指先を当て、わざとらしく考える仕草をした後、両の瞳をついと細める。

「……それを言うとでも」

「誇り高い騎士であるなら」

 間髪入れずに訴えれば、カスティの口から嘲笑にも似た吐息が溢れた。

「誇りなんて、あなたの故郷に捨ててきたわ」

 エゼキエルは胸の内で声が溢れる。

 あれは何もかも諦め、自暴自棄になった顔だ。

 エゼキエルは息を吸い込んだ後、倒していた上体を戻す。そして真っ直ぐにカスティを見つめながら、眉尻を下げた。

 突然雰囲気が変わったエゼキエルに狼狽えた様子で、彼女は何か仕掛けてくると思っているのか、杖を握りしめてこちらを睨んでいる。


 ──ごく自然に笑う方だったと思うのです。


 カスティの友人猫は、そう言った。

 エゼキエルの故郷を滅ぼしたその瞬間、彼女はきっと、言葉通り失ってしまったのだろう。彼女が目指した己の在り方と、偉大な王と共に駆け抜けた、輝く世界に生きる誇りを。

 胸に湧き上がる想いは、同情にあたるのだろうか。彼女を侮辱する事になってしまうのだろうか。

 誇りを失った戦士にかける言葉を知らない自分が、酷く恥ずかしい。父は、母は、なんと声をかけるのだろう。

「心を決めましたか」

 静かな声が問いかけてくる。

 殺されるなど冗談ではない。かと言って、相手を懐柔する常套句も浮かばない。

 これは試練だ。未熟な自分が未熟なりに活路を拓くための。

 エゼキエルは一度目を瞑り、大きく深呼吸をすると、快活明瞭な声を張り上げた。

「命乞いをさせて頂きたい!!」


「………………………………は?」




 



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