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第四話




「ご厚意感謝致します。パクシフィリア女王陛下」

 エゼキエルはナイフとフォークを置くと、円形のテーブルを挟んだ向こうに座る、鳥類の獣人へ声をかける。彼女は長い睫毛で伏せ目がちに笑い、優美な所作で顔を上げた。柔らかな銀色の羽毛が、重力に従ってさらりと動く。

「よくてよ、ケシェト国の王子。遠方から良く参ったわね」

 ビロードの青く美しい衣装を纏う彼女は、獣人国を統治する女王だ。

 王族の私有地で黒豹の騎士団長と対峙した、エゼキエルとカスティは、途中で駆けつけたカスティの友人による計らいで、来城を許可されていた。

 エゼキエルが視線を向けると、大理石の扉が開かれ、次の料理を運んできた調理服姿の白猫が視界に入る。毛の短いスラリとした体躯の、美しい貴婦人だ。

 彼女は神秘的なローズ色の瞳を柔らかく細め、エゼキエルの前に皿を置き、片手でナプキンを添えながらクロッシュを開いた。ふわりと湯気がたち、食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐっていく。

「さぁ召し上がってくださいませね、王子様。彩り野菜と白身魚の蒸し焼きですよ」

「これは美味しそうだ……!」

「ニーシャは『白き森(シュヴェダーナ)』に店を構える料理人なのよ。時折、こうして我が城に来てくれるの。アタシとしてはぜひ、専属料理人になって欲しいのだけれど」

「わたくしはしがない料理人ですから、女王陛下」

 “白き森(シュヴェダーナ)”の話はエゼキエルも聞いた事があった。

 癒しを誘う月夜の晩に現れる、移動型幻影都市シュヴェダーナ。突如として現れ、街路樹には木の葉ひとつなく、生物の気配もしないのに、誰かの足跡が続く国なのだという。

「我が国が再建したら、ぜひいらしてください、ニーシャさん」

「まぁ光栄ですわ。もちろんですとも」

 パクシフィリアの前にも皿を置いた彼女は、少し離れた場所へ控えている、ヴァイドと紹介された黒豹の隣に立つ。二人は親しい間柄のようで、小声で何かを話しては、顔を見て笑い合っていた。

「…………ケシェト国のことは、風の便りに聞いたわ」

 メインディッシュにナイフを差し入れたパクシフィリアが、声音を僅かに低め呟く。エゼキエルは一度持ち上げたグラスを、静かにテーブル上へ置いた。

「砂の中に、沈んだのだとか」

「…………ええ」

「やはり、そうなの。……昔、前王にはとてもよくして頂いたから、残念だわ」

 パクシフィリアの相貌に影が落ちる。獣人国と交流があった事は知らなかったが、人望の厚かった父のことだ。良き関係を築けていたのだろう。

 死を悼む彼女の様子に、父を誇らしく思うのと同じく、鼻の奥がつんと痛んだ。

「あなたはお父君に、よく似ているわね」

「……よく、言われていました」

「あなたの父王は、為政者として立派な方だったわ。……願いが叶う泉を探しているのだったわね。私の部下に少し、情報を集めさせましょう。やみくもに探しては徒労になってしまうわ」

「……! 感謝致します、女王陛下」

 彼女の申し出に瞳を輝かせて頭を下げれば、パクシフィリアは嘴を翼で抑え、鈴を転がすような声で笑った。そしてニーシャに目を向け、白ワインの入ったグラスを、軽くフォークで叩いて澄んだ音を鳴らす。

「さ、今は食事を楽しみましょう。少しの間でしょうが、ゆっくりなさい」




 夕食中、カスティは一度も顔を見せなかった。

 王室の一角に用意された客間に戻っても見当たらず、エゼキエルは眉を下げて老化を見渡す。

「カスティさまでしたら、外へ行きましたわ」

 城内を探して回ろうかと踏み出した時、ニーシャが急足で近づいてきた。

「先ほどようやく見つけましたの。城の上階層に城下町を見下ろせる場所があるのですが、そこにいるようです」

「ありがとうございます」

「……王子様、あの……不躾で申し訳ございませんが、少し、よろしいでしょうか」

 周りに誰もいない事を確かめてから、ニーシャが問いかける。その声は何かを案じているように聞こえ、エゼキエルは彼女を連れ立って、客間に併設している応接室へ足を踏み入れた。

 白猫の婦人はソファーへ腰掛けるよう促してから、視線を下げつつ迷うように口を開閉させた後、顔を上げる。

「カスティさまのご様子が、以前と違いまして。道中、何事かございましたか?」

「様子が違う……?」

「確かに彼女は、あまり感情の起伏が激しい方ではありませんが、……わたくしとカスティさまは、彼女が我が店へ入店下さった事で知り合いまして、その時はもっと、……ごく自然に笑う方だったと思うのです」

「……いえ、私が出会った時と、あまり変わりはないと思いますが……」

 カスティの様子を思い起こすが、以前の彼女を知らないため、変化があったという実感はない。先ほどヴァイドと一戦交えたこと以外で、衝撃を受けるような事象はなかったはずだ。

 そう考えながら答えると、ニーシャは尻尾を僅かに下げた後、気を取り直して笑顔を見せる。

「そうですか。それなら良いのです。ありがとうございました、王子様」

「いいえ」

「わたくしは暫し、この城へ滞在し、食事の用意をしておりますので、どうぞお気軽にお声がけください」

 ニーシャは品の良いフレアスカートの裾を持ち上げ、一礼して踵を返した。

 応接室に近寄り、両開きのドアノブへ肉球を押し当てた時、向こう側から扉が叩かれて瞳を瞬かせる。

 ゆっくり扉を開くと、オレンジ色の灯りが連なる廊下から、ヴァイドが顔を出した。

「まぁ、()()()

「ニーシャ、ここに居ったのか。……ふむ、若人と密会とは関心せんな」

「ふふふ、何をおっしゃっているの、おかしな人」

「おいぼれの戯れよ。女王陛下がお探しだ」

「そうでしたか、わかりました。……それではエゼキエル王子様、失礼したします」

 エゼキエルに向き直り再度一礼し、彼女の体は扉を潜るのと同時に、夜明けに揺蕩う霧のように空気へ溶けていく。

 それを唖然としながら見送ると、ヴァイドがひとつ咳払いをしてから、片手で扉を大きく開けて頭を下げた。

「昼間は無礼を働き、誠に申し訳ございませぬ」

「いいえ! こちらも商人に騙されたとはいえ、私有地に無断で入り、申し訳ありませんでした」

 慌てて立ち上がって近寄ると、彼はゆるりと体を起こす。

 改めて顔を合わせれば、髭を蓄え少し皺のある老豹だ。カスティから受けた打撃は大丈夫だったかと問えば、なんて事はないと笑う。

「ヴァイド騎士団長。街を見下ろせる場所があると聞いたのですが、城のどの辺りでしょうか」

「ああ、どうぞこちらへ。ご案内致しますぞ」

 歩き出したヴァイドに続き、柔らかな絨毯がひかれた廊下を歩き出す。窓の外を見ると十六夜の月が、細かな星と共に夜空へ浮かんでいた。



 エゼキエルとカスティが入り込んでしまった私有地は、城の裏側の土地だという。

 本来は隣国の辺境領との境目を見回る、鳥類の騎士がいるはずなのだが、ちょうど留守になったところを商人が目ざとく見つけ、迷い込ませたのではないかとヴァイドは憶測を述べた。

 暫し話をしていると、彼はやや声をひそめ呟く。

「カスティ殿は、少し変わったロガモールのようですな」

「そうなのですか」

「ロガモールの心臓にあたる、核がないように見受けられます。核がないのは危険だ。痛みに対する感覚が鈍りますからな。昼間一戦交えましたが、随分無鉄砲な戦い方だ。おまけに術者も側にいなく、単独で行動するのも珍しい」

 ヴァイドはそう言って、徐々に歩みを遅めて立ち止まる。エゼキエルの視界にもカスティの後ろ姿が目に入り、同じく立ち止まった。

 ガラスが嵌め込まれた扉の向こうで、彼女は砂で出来た長髪を風に吹かせ、城下を眺めているようだった。

 エゼキエルの脳裏に、昼間のカスティの姿がよぎる。癇癪を起こした子供のような、危うさを感じさせる様子であった。

「……カスティさんは、よく、ご自分を化け物だというのです」

 ポツリと。無識に溢れた言葉に一拍置いて、ヴァイドが微かに笑った気配がする。振り返ると、彼は髭を撫で付けつつカスティを見ていた。

「そう言われたら、私は生まれた時から『ばケモノ』ですぞ。……彼女は強き武人だが、痛みを顧みない。化け物と言うことで、自らを律しているのでしょう。そういうのは『バカモノ』と言うのです」

「ヴァイド騎士団長」

 言葉遊びを交えながら皮肉る黒豹を(たしな)めれば、彼は再び口元だけで笑って、失礼、と頭を下げる。

 そして目を細めてカスティを一瞥した後、踵を返した。

「あの武人は悩みがあるようですな。一人では抱えきれないのに、隠したい、何かが」

 それだけ言い残し、ヴァイドは踵を鳴らしながら廊下を戻っていく。

 後ろ姿を見送り、エゼキエルはバルコニーへ続く扉を押し開けた。

 

 








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