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第十二話




「……死にたく無いなら、自分の身を守る算段はつけた方がいいぞ」

 黙していたシェハが溜め息を吐き出し、目元を拭うと、険しい表情でカスティの杖を睨んだ。

 怪訝な顔で視線を向ければ、少年は杖を見つめたまま言葉を続ける。

「カスティがアンタを殺さないから、別の手段を用意し始めている。オレはそれを伝えに来たんだ」

「別の、手段……?」

「内容は分からない。でも、何か厄介な事だろうな。オレはカスティに何かあったんじゃねぇかって……、……おい、カスティ、おい」

 思わずシェハの両頬を手で包み、異常がないか確認し始めたカスティに、シェハは眉を寄せて名を呼んだ。あの不審な雇い主のことだ、カスティの術者であるシェハに、何事もないとは限らない。

 触れるだけでは分からないが、肌も暖かく、カスティが預けた心臓の鼓動も正常に動いて、異常はない。身体に怪我もなさそうだった。

「シェハ、どこか具合が悪いところは?」

「今、オレの話を遮っているおまえに腹立つ以外に、悪いところはない」

 額に青筋を浮かべながら、半目でこちらを睨んでくるが、育て子が心配なのは親の(さが)だ。触れていた頬から片手を離し、前髪を指先で後ろへすいて、改めてシェハの顔を見る。

 血色の良い肌だ。暫く離れていた為、ずいぶん久しぶりに触れたように感じる。

 カスティは身を乗り出していた椅子から改めて立ち上がると、シェハを腕に掻き抱いて目蓋を閉じた。

「……まだ本調子ではないあなたを置いて、ごめんなさい。……無事でよかった」

「…………アレの目を盗んで、創造主に連れてきてもらっただけだ」

 いつもは羞恥が勝り抵抗するシェハが、今日は大人しく腕の中に収まっている。背中に回った片手でカスティのマントを握り、幼い子供のような細い声で呟いた。

 ここへ辿り着くまで、どれほど不安で、心配をかけていただろう。自分の不甲斐なさが嫌になる。

 背中を数回、優しく叩いてから、身を離したカスティは、我に返って慌ててエゼキエルに向き直った。彼は少しだけ羨ましそうな瞳を細め、シェハを見つめていた顔を上げる。

 彼の両親を奪った自分が、我が子との再会を喜んでいる場合ではない。けれどもエゼキエルは、心底喜ばしいといった表情で、曇りなく笑った。

 カスティは一瞬、表情を歪めた後、陰鬱とする思考を振り払い、真剣な顔で口を開く。

「雇い主がどう動いているか、定かではありません。わたしとシェハも標的になっている可能性は、十分にあります。ですので、………………あなたに、雇い主の事を、教えます」

「カスティ、いいのか?」

 シェハが不安に揺れる声を溢した。それにゆっくりと頷き、一度杖を見る。特に変化も感じられなければ、眼球を開く様子も見受けられない。

 シェハが掴んだ情報を鑑みれば、共有しないまま行動するのは、かえって双方にとって危険だろう。雇い主はそういう相手なのだ。

「わたしは王子と約束しましたから。……わたしの見えないところで死なれては困ります。あなたを殺すのは雇い主ではなく、わたしなのですから」

 更にギョッとした顔で見上げてくるシェハと、苦笑まじりに真っ向から見つめてくるエゼキエルに頷き、カスティは大きく呼吸すると、緩やかに声をひそめた。

「雇い主の名前は分かりません。彼は名乗らなかった。ただ彼は、エゼキエル王子、──黒髪と褐色の肌の、あなたと同じ顔をした男でした」


 それはまるで、同じ人間であるかのように。

 

 瞬間、エゼキエルの顔から色がなくなった。

「っそんなはずはない、何かの間違いじゃないのか!?」

 突然様子が変わり、激しい剣幕でカスティに掴み掛かったエゼキエルに、気押されそうになりながら半歩身を引く。流石に予想外の反応で、困惑気味に眉を下げた。

「い、いえ、確かです。……そうよね、シェハ」

 同意を求めれば、シェハもエゼキエルの豹変に動揺しているものの、何度も頷いて見せた。

 エゼキエルはカスティの腕を放し、よろよろと後ずさってベッドにぶつかり、腰を下ろす。

「そんな、……そんな、はずは……」

「やっぱり知り合いなのか?」

 唾を飲み込んで話しかけるシェハに、彼は片手で口を覆い、体を震わせていた。そして暫く、焦点の定らない目に床を映した後、真っ青な顔をこちらに向ける。

「……本当に間違いないのなら、……いや、間違いであってほしいが……、……それが本当なら、私の、兄だ」

「兄……?」

 反復した言葉に、エゼキエルは頷いて眉間の皺を深めた。

「これは、城でも一部の者しか知らない。父と母から聞いた話だ。血筋を重んじる我が国の王族は、黒髪に褐色肌の赤ん坊は遺伝子的に存在しない。そこへ突然変異で誕生したのが兄だった。……だが兄は病気になり、生まれて間もなく亡くなったと聞いている」

「え?」

 カスティとシェハが同時に声を上げた。

 どういうことだ。確かに自分たちは雇い主と会話をし、こうしてシェハにロガモールの(心臓)を移した。種を埋め込まれた際も、顔に手が触れた事を覚えている。あの男は確かに実態のある存在のはずだ。

 顔を見合わせた二人は、状況について行けず動揺を隠せない。それはエゼキエルも同様のようだった。

「っふざけんな、そんなはずない! だってアイツの脅しのせいで、カスティはあんな事を……!」

 先に立ち直ったシェハが、絶叫じみた怒号を張り上げた。怒りに戦慄いた唇が切れて、口の端に血が滲む。

 遅れて肩を跳ねさせたカスティは、自らの片手を見下ろして目を見開いた。

 

 もし、彼の言葉が本当だとしたら。

 自分たちが出会って助けを求め、エゼキエルの故郷を滅ぼせと命じた、アレはいったい何だ。

 自分たちを追い込み、選択肢を破棄させ、多くの悪意なき民を殺させたアレは、なんだ?


 純粋な恐ろしさに体の芯が冷えて、カスティは力が入らず床に膝をついた。

「……真偽は分からないが……、いずれにせよ、私に敵意がある事は変わりない」

 額に浮かんだ冷や汗を腕で拭ったエゼキエルは、険しい顔で呟くと二人に視線を戻した。

「なぜ死んだ兄が現れ、故郷を滅ぼした理由も分からない。どちらにせよ今は、恐れ慄いている場合ではないな」

 自身の胸を数回、呼吸に合わせて叩き落ち着かせ、エゼキエルは立ち上がるとカスティに手を差し伸べる。

 それを見上げれば彼は、気丈に微笑んで首を傾けた。

「教えてくれて、ありがとう。カスティ」

「…………王子」

「今、この瞬間から、我々は運命共同体だ。シェハ、貴方も」

 シェハの片手を引いて椅子から立ち上がらせ、エゼキエルはカスティの手の甲に額を押し付ける。彼の皮膚に揺れる指先が熱を帯びると同時に、身体に清らかな風が舞い込んできた。

 脳裏を占領していた砂嵐が一斉に晴れ、カスティは息をのむ。

「我々は前に進む以外、道はないようだ。後ろへ振り返ってばかりでは、いつか足元をすくわれる。……共に生き抜こう」

 ああ、と。声にならない声が口から漏れた。

 馬鹿正直で愚直なまでに実直な、彼の為に。彼の全てを奪い去った自分ができることは、何だろうか。

 立ち上がったカスティの顔を見て、エゼキエルは表情を緩ませた。我に返ったシェハがエゼキエルの腕を振り解き、両腕を組んで外方(そっぽ)を向く。

「っ仕方がない。オレたちも安全とは限らないからな。だが忘れんな。アンタが死ねば、カスティに埋め込まれた種は消えるかもしれない。その可能性が消えていないことを」

「分かっている」

 仏頂面でつっけんどんな態度を崩さないシェハに、怒ることなく、力強い仲間を得たと言わんばかりに彼は笑った。

 カスティは安堵の息を吐き出すと同時に、己の胸に片手を置いて目蓋を閉じる。


 エゼキエルの傍にいれば、自分もいつか、思い出せるだろうか。

 今は遠くても、心なき化け物でも、輝く世界の歩み方を。


「まずは現状をどうにかしないといけないな」

 気を取り直しエゼキエルがシェハを見た。彼の向ける視線の意図が分からず、呆けた顔でエゼキエルを見つめ返す。カスティは目蓋を開け、小さく声を上げてから同じくシェハを見た。

 我が子は不穏な気配を感じ取ったのか、徐々に顔を引き攣らせる。

「な、何だよ、何なんだ……?」




 

 




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