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第十話



「それでカスティ、彼は……?」

 宿に戻ってシェハを部屋に迎え入れると、エゼキエルは彼の風貌を興味深そうに眺めながら、カスティに声をかけてきた。対するシェハは仏頂面でエゼキエルを睨みつけている。

「彼はシェハ。わたしの術者であり、育て子です」

「なんと」

 驚愕に見開いた双眸でカスティを仰ぎ見た彼は、改めてシェハを見つめる。

 驚くのも無理はないだろう。まさか自分のような化け物が、人の子を育てているとは、誰が想像するだろうか。おまけにこんな若い術者に創り出されたとは、考えてもいなかっただろう。

 エゼキエルは身につけている装備を外し、グローブを両手から引き抜くと、穏やかな笑みでシェハに片手を差し出した。

「初めまして。私はエゼキエル。貴方のことはカスティから聞いています。とても優秀な術者なのだと」

 にこやかに話し始めるエゼキエルに、カスティは頭痛を抑えられず、片手の指先をこめかみに当てて息を吐き出す。

 本当にこの王子は、自分の立場を理解していない。

 自らの術者だと言うことは、エゼキエルの命を等しく狙っていると言うことだ。それなのに何故、こんなにも友好的な態度をとってしまうのだろうか。これでは今のシェハにとって、ただ火に油を注ぐようなものである。

 案の定、拍子抜けした顔で一拍置いたシェハによって、エゼキエルの片手は呆気なく叩き落とされた。

「ふざけんな!! アンタ、どう言うつもりでそんな態度してんだ!?」

「ふざけてなどいませんが」

「じゃあ自分の立場を分かってんのか!? オレはそこの腑抜けの代わりに、アンタを殺しにきたんだぞ!!」

「腑抜け? カスティは腑抜けなどでは、決してありません。撤回してください」

 まるで噛み合っていない会話に、カスティは内心呆れながら、片手で顔を覆う。

 シェハは確かにエゼキエルより年下の少年だが、ロガモール種を召喚した実力ある術者だ。その気になれば、この宿場ごと吹き飛ばすことなど造作もない。

 現にシェハの左手には、徐々に細かい砂が風を纏い、渦巻き始めている。

 短気な我が子が、怒り心頭に発しようとする過程を目の当たりにしていると、不意にエゼキエルが眉を下げてシェハに笑いかけた。

「そうか、貴方には希望があるのだな」

 空気を振動させて耳に届いた言葉に、シェハが息をのんで動きを止める。

「聞かせてほしい。カスティの体には、何があるのですか。貴方たちは雇い主に何をされ、私の元へきたのですか」

 真剣な表情になったエゼキエルが、二人に問いかけてくる。

 シェハは何か言いたそうに口を開くも、諦めたようで首を左右に振り、近くの椅子を引き寄せて腰を下ろした。

「……アンタ、見た目は同じでも、アレとは違うんだな」

「え?」

「その質問、今から殺す相手が答えると思ってんのか?」

「貴方が私を殺すことは、恐らくないでしょう」

 言い切った唇が、ただ穏やかな弧を描く。美しい流水の瞳は、厳かな静寂で満たされていた。

「オレをバカにしているのか……!?」

 シェハは神経を逆撫でされ、再び左手に砂を纏わせながら、エゼキエルを睨みつける。

 矜持の高い彼のことだ。言外に、自ら口にした言葉も実行できない子供だと言われたと、そう勘違いしたのだろう。

 だがカスティには、エゼキエルの伝えたいことが、ほんの少し理解できた。

 ただ状況に怒りを露わにしているだけで、シェハから相手の息の根を止めるという殺意が、微塵も感じられないのだ。

 何度目かも分からない溜め息を吐き出しつつ、音もなくシェハに近寄り、肩に手を置く。

「邪魔するなカスティ」

「いいえ、エゼキエル王子の言い分は正しいわ。やめなさい」

「カスティ!」

 名を呼び反発する我が子を黙殺し、肩を抱きながらカスティはエゼキエルと対峙すると、目蓋を閉じて頭を下げる。

「愚息が失礼を。申し訳ありません」

 困惑するシェハの声が聞こえる。しかしエゼキエルが察した通り、シェハではこの真っ直ぐな王子の心臓へ、剣を突き立てることなど出来ないのだ。

「……私はカスティを前にして、初めて死を意識しました」

 シェハとカスティから対角線上にあるベッドへ腰を下ろし、エゼキエルは自らの両手を見下ろして呟やく。

「あの時、本当に殺されるかと思った。……けれど、貴方からはそれを感じない」

「っ!」

 椅子を蹴って立ち上がろうとするシェハを押さえつけ、カスティは目を細めてエゼキエルを見つめる。視線の先にある両手の指先が、細かく震えているのが見えた。

「それは貴方の希望が、私の死ではないからだ」

「何、を」

「ただ私には、それ以外の事は分からない。だから教えてください。貴方たちを縛るものは何なのか。私は自分の希望を確かめた後に、潔くこの命を断ちます。だからそれまで、自分の為に、誰かの為に、抗わせてください」

 顔を上げて静かに問いかける声に、シェハがぐっと言葉に詰まる。視線を彷徨わせた顔は徐々に俯き、唇を噛んで押し黙った。

 カスティは微かに喉を震わせる。

 その一言だけをとっても、あの湖で悲しむジマの想いを聞き、未来を模索するエゼキエルと、初めから諦める自分との違いを、改めて突きつけられたような気さえした。

 

 自分は、自分たちは、いつの間にこれほど惨めになってしまったのか。


 目の前にいる相手は、シェハとカスティの仄暗い希望だ。胸を張って目指せるものでも、声高らかに宣言できるものでもない。

 そんな相手へ逆に情けをかけられている。力になりたいと、いっそ笑えるほどの実直さが、矮小な胸に刺さる。

 おそらく今、この瞬間、輝く世界の一欠片を拾い上げようと、手が伸ばされているのだろう。

 薄汚い希望に縋る貧しさを、苦しさを。その清浄な言の矢によって、暗闇の向こうまで射抜こうとしてくれているのだろう。

「……今からあなたに、同情を売ります、王子」

 捻くれた言い方なのは重々承知で、カスティは口を開いた。

 意図を掴み損ねたエゼキエルが、呆けた顔でこちらに視線を向けてくる。

「だから、エゼキエル王子。この同情を買ってください」

 化け物の自分には、これが精一杯の矜持だ。

 エゼキエルの人柄が見えてきても、本性は分からない。惑わされ、欺かれている可能性もある。消えない不安が脳裏を過り、自分自身も信頼できない。

 それでも、彼の甘言を感受してみても、良いのかもしれない。

 カスティはエゼキエルの、まっすぐに心へ届く言葉に対し、そう思った。

「……分かった。貴女たちの対価に見合う、働きをしよう」

 頷いた彼に、カスティは大きく深呼吸をすると、出来るだけ杖を遠ざけ、部屋の隅に置いた。音は拾わないとは言え、用心するに越したことはない。

 不安げに見上げるシェハの肩を一つ叩き、手近な椅子を引き寄せると、長身を屈めて窮屈なそれに腰を下ろした。

 エゼキエルが聞き入る体勢になった事を確かめ、カスティは床に視線を落とす。

「私たちは、仕えていた王を探して、放浪していました。そこで戦乱に巻き込まれたのです」

 旅の資金を調達するため、力を買われて某国の雇われ兵となった二人。そこで戦禍に見舞われた。

 攻防の末、意表を突かれ、シェハが深手を負ったのが事の始まりだった。

「このままでは危険と判断し、わたしは国から脱出しました。治療をしてくださる人を探していた中で、現在の雇い主と出会ったのです」

 二人を保護した雇い主は、怪我を負ったシェハを治療しようとした。しかし如何せん、体力の消耗が激しく、治療の負荷に耐えられない恐れがあった。

 我が子の死の予感を前に、気丈に振る舞えるほどカスティは強くない。

 どうしたら良いのかと縋るカスティに、雇い主は一つの提案をしたのだ。


 ──ロガモールであるカスティの心臓()を、シェハに移すのだ、と。








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