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まかずにはいられない種

作者: 灰雨りつ

 傾いた西日に目を細めていた。ふと肩の張りに気づき、気休め程度にトントン叩く。

 長袖がパタパタと邪魔くさい。

 軽く腕まくりして、再び切りのない作業を見据えた。

 ここは小さな植物栽培園(ナーセリー)

 ちょっとした興味だけで、アルバイトから始めたのがきっかけだ。

 見かけ以上に大変な仕事だったが、楽しさの方が何倍も上回っていた。土や植物に触れることから始まる、園芸に対する知識欲。それは尽きることがなく、意外な自分の側面を知ることとなった。

 ――――そうして数ヶ月、半年、一年と月日は流れ、この仕事から離れられないまま現在に至っている。


 閉店時間が訪れ、一通り片づけを済ました頃だった。

「明日、大事なお客様が来るの! 何でもいいから、適当な寄せ植えない? こう、ドーンとして、パッとする、豪華なカンジの」

 飛び込んできて早々、身振り手振りで忙しい女性は、最近の常連客である。毎度の事なので、言わんとしていることは大体わかる。

 ディスプレイしてあるものをさっと見て、一番華やかで見栄えのいいインパチェンスの寄せ植えを勧めてみる。

 八重咲きのスカーレット、ライトピンク、ローズオンホワイト、カメオホワイトの4株が、口径40cmの大鉢にこんもりと茂り、その花姿はミニバラのようで、いかにも女性好みだ。

 そのお勧めは好みのド真ん中だったらしい、幸いなことだ。ホッとしたところで、女性客に育て方のアドバイスをする。

「置き場所は半日陰が良いですね。玄関先ですか? 直射日光があたらなければ大丈夫ですよ。あと、水切れには注意してくださ……?」

 こちらの言葉を待たず、思い出したように女性は奇声をあげた。

 どうしたのかと尋ねれば、自転車で来たのだと言う。

 その後は「あらヤダ」、「意外と重いのネェ」、「タテをヨコにしたらいいかしら」となにやら思案中だ。

 縦を横にって……それ以上触らないでほしい。商品を落とされてはかなわない。

「ご来客は明日の何時頃ですか?」

「……昼過ぎの2時だけど」

「よろしければ、明日の朝からでも配達致します。午前中はご在宅でしょうか?」

 もう、女性客は満足した様子だった。伝票と共に笑顔も添えてみる。 

「ありがとうございました。またいらして下さい、お待ちしております」

 ここ一年で習得した営業スマイル。それは確かな確信へとを変化した。

 女性の頬がみるみる紅潮していく。

 この客も、か。

 恐るべし。あなどるなかれ、営業スマイル。

 溜め息をもらす女性客に、にっこりとお辞儀をして見送ったのだった。


「あの客はすぐ、枯らすんだよな。造花でちょうどいいんだよ、造花で」

 目深にかぶったキャップを脱いで、クセのついた長い髪を解放する。

 数分前、客の前で見せた笑顔は仏頂面にすりかわっていた。

 人前ではさらす事の出来ない、これが自分の本性だ。

 極端な話、あの客は雑草をも枯らす。

 あと一週間ほどしたら、また駆け込んでくるだろう。

 ひょっとしたら切花感覚なのかもしれない。だったら最初から切花にしとけばいいのにと思う。不本意だが店にとってはありがたい客なのだろう。

 でも、自分にとっては何か気に食わない人間だ。

 客じゃなかったら「お前もドライフラワーにしてやろうか」、くらい言ってやりたい。

 そもそも自分に接客って……。だから変な能力が開花するのか。

 思考を中断され、眉をひそめる。

 気に食わない人間の再来だった。

 後ろからあの声が耳に入ってくる。喉の奥で押し殺すようなあの声には、嫌になるくらい聞き覚えがある。

 きっと、あいつの前世は鳩だったに違いない。

 腹を抱えて店の奥から店外へ、ころがるようにして出てくる。

 日焼けした肌が薄闇にとけて、むき出しになった白い歯だけがやけに目立った。

「くっ、くくっ……もーダメ。あの、ウソくさい笑顔」

「――――こめだわらっ」

「ひどいなあ、米俵だなんて。米田原 宗(よねだはら そう)って名前があるのに。そうちゃん、って呼んでよ」

「米俵で充分似合ってるから、訂正しないで」

 返した言葉を聞くと、再び腹を抱えてころがった。

 許容範囲を超えた笑い上戸にキレそうになる。

「ちょっと、あんた」

「だって……あんな人当たりの良いイケメン店員が、本当は悪態つきまくりの女性だって知ったら、あの客どんな顔するんだろうね」

「向こうが勝手に思い込んでるダケです。責任なんてないからね。一体どこをどうやったら、男なんかに……」

「ほら、あんまりかわらない。僕が175cmだから、もうちょっとほしかったな。貴船さんはモデルみたいだね。格好いいし、間違われるわけだ」

 いつの間にか真横に肩が並んでいた。人好きのする顔が間近に迫っている。

 普段ではあり得ない距離に、隣の男をまじまじと見た。

 確かに、身の丈は変わらないが肩幅が違う。同じような痩せ型だが、筋肉の付き方だって全然違う。腕だってこんなに……。

 ――――――待て。ドコを見ているのか、自分。

 なにが楽しくて、大の大人が背比べしているのか分からない。さっさと店を閉めて帰りたいのに、米田原が邪魔だ。

「あ、あんた、このナーセリーの息子なんでしょ。従業員にまかせっきりでいいと思ってる? 跡取りなら、それらしくしたらどう」

「わー、キッツイなあ。――――でも、もっともだね。君がそう言うのなら、僕はそうするよ。……ところでさ」


 店内は静まり返って、人ひとりいない。

 チョロチョロ流れる水音がだけが響いている。

 苗の水遣りしたあと、キッチリ蛇口を閉めたっけ……。

 あやふやなまま温室を覗いてみると案の定、水が垂れ流しだ。

 蛇口を閉めようとしたが、びくともしない。

 工具箱を取りに行こう、と立ち上がった時。

「閉まったよ」

 キュッ、と音をたてて水は止まった。

「えぇー?」

「これ要領いるんだよ、閉めるとき」

 顔に似合わないゴツゴツとした手で、開け閉めして見せた。

 自分もやってみたが、要領以前の問題で握力が足りない。なんだか男女の差を見せつけられたようで、(しゃく)に障った。

「他の従業員が出来なかったら意味ないじゃない。ちゃんと修理しといてよ、オーナー」

「――――の息子だって」

「跡取りでしょ、同じじゃない」

「ところでさ」

「何を急に……」

「さっきの続きだよ。何でこの仕事をやろうと思ったの?」

 コンテナに腰掛けながら、米田原がこっちを見ている。ほの明るい中でも、その瞳の虹彩が淡褐色なのがわかった。

 別に……ちゃんとした理由なんてない。ただ単に、好きだからだ。

「教えない」

 おもむろにポット苗に触れると、そのひとつを持ち上げ、手の中に収める。

「こうやって、人の手で育てられる植物もあるけど、あっちのほうが自分は好きだな」

 コンクリートと建物のわずかな隙間、敷き詰められたレンガの目地を指差した。

 窮屈そうに顔を出した日々草。どうしてそんなところに根をおろしたのか知らないが、たくましくスクスクと育っている。

「あ、種が出来てる。こいつ、種を飛ばしたみたい」

 ツンツン尖ったサヤがはじけている。覗いた奥には小さい、小さい黒い種。

「不思議だと思わない? 砂粒みたいな小さな種が、すでに自分がどうするべきか決めているの。ドコが居心地いいのか、どうやって虫を誘うのか、どうやって種を運んでもらうのかって」

 今まで自分を見ていた米田原が、いきなり顔を伏せた。

「なんなの、ニヤニヤして」

「……いや、急に、可愛いなと思って」

 可愛い……? 格好いいとか、怖い、とかは聞き慣れているが、そんなことを言ったのはコイツが初めてだ。

「――――さっきの不思議」

「ハイ?」

「僕は、本能だと思うよ」

「また。どういう」

「んー。理屈とか抜きで、そうせずにはいられない、みたいな……」

 探し物の最中らしい。無計画にしゃべるのも、大概にしてもらいたい。

「そう! ヒトと似てる。」

 思った答えを導き出せたのか、瞳を子供のように輝かせる。

「例えば――――気になるコがいれば、話しかけて知りたいと思う。知れば知っただけ、触れずにはいられなくなる。それでは飽き足らずに、自分のものにしたいと切望するようになる。種を残すことが目的の、植物のシンプルさに比べれば、人間は貪欲だね。その先の欲求に果てがない」

 無邪気に語る男を尻目に、顔が熱くなるのを感じた。

 何が出てくるのかと思ったら……

「……下ネタ? セクハラですか」

「とんでもない。例えばの話。僕はいたって真面目に下ネタを……」

 頭の血管がブチリと音をたてて切れた。何でもいいから投げつけたくなって、代わりにぶつけたのは憎まれ口だった。

「あんたって人を苛立たせる天才よね」

 また笑われるだろうと思っていたのに、その目はどこか寂しげで、遠い。

 それを見て痛みだした胸は、まぎれもなく自分のものだ。何でも言って良い、と言うわけではない。

 あっけなく謝罪の言葉は出たが、追いかけるように重なった男の言葉はコレだった。

「君を見てると思い出すよ。発芽しないで何十年も、そのさき何百年も休眠する種のこと」

「…………」

 開いた口がふさがらないとは、この事なのかもしれない。私が、種ね。

「辛抱強いというか、意固地というか、どうやったら芽が出るのか知りたいよね」

 園芸オタクよろしく、発芽条件から休眠打破に至るまで延々と語りきった男に、怒りはもう失せた。

 そして、コイツ絶対彼女いないだろうと勝手に思う。

「僕の興味は目下この事ばかりなんだ。あの手この手で試行錯誤するのって、面白いから」

「何の種か知らないけど、ひとりで頑張って」

「君も協力してくれないと」

「なんでよ」

「ハイ、握手」

 差し出された手に、おずおずと触れると無遠慮に握り返された。

 その温もりの中で、自分はどこまでも無力だ。

 男の笑顔に、取り返しのつかないスイッチが入ってしまった気になる。


「……覚えてなさい」


 人をおちょくるだけ、おちょくって真意を探らせない。そのくせ知らない間にこっちの懐に潜り込もうとする図々しさ。

 この底意地の悪い男に、私はささやかな抵抗を試みる。




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