日本の戦前における植民地及び満洲について
日本の戦前の植民地及び満洲について書いた2年前の文章。
及び、戦前の中等学校野球大会に参加していた外地の学校について書かれた著作を読んだ際の感想です。
以下は、4年前に読んだ下記の図書についてフェイスブックに書いた文章が、「2年前の思い出」としてフェイスブックの画面に出てきた際に書いた文章です。
今の中国、韓国、北朝鮮の人たちにとっては、満洲という国家、日本に併合されていた三十五年間の朝鮮というのは、否定するべき負の歴史でしかないのでしょう(台湾の人は、総体的には台湾が日本であった五十年間を否定すべき歴史であるとは思われていないのかなと思いますが)。
でも、同時代人にとって、満洲という国家が、夢とロマンに溢れた新天地であり、満洲の人口増加の内訳は、移住してくる日本人よりも、流入してくる中国人のほうがはるかに多かったということ。
日帝三十五年間で、朝鮮の社会資本がどれだけ整備されたかということも、複眼的に考察の対象としてもらえたら、と思います。
西洋人にとって、植民地は、収奪の対象であったのでしょうが、世界史上、日本ほどその植民地に対して誠意を持って接し、民力の向上を図った国は無かったという評価もあります。
個人的な体験、許されるべきではない体験というのは、重く受けとめなければならないのは当然のことですが、歴史的評価というのは、世界史全体をみて、それこそ俯瞰的、総合的に評価されるべきこと、と思います。
以下は、川西玲子氏著「戦前外地の高校野球」を読んだ際の感想です。4年前にフェイスブックに書いた文章です。
2018-141
読んだ本、今は、備忘・記録保管目的で、「自分」のみ公開にしていますが、
「他の人にも知ってほしい本だな」
と思ったら「友達」公開にします。
戦前の甲子園には、台湾代表、朝鮮代表、満洲代表も各地の予選を経て出場していました(当時の大会名称は、中等学校優勝野球大会です)。
満洲(華北)代表、天津商業のエースとして、甲子園に二度出場した父を持つ著者が、戦前外地の野球史について描かれた自費出版の図書を読んだことを切っ掛けに執筆された本です。
夏の甲子園で準優勝した台湾代表、嘉義農林を描いた「KANO」という映画が、数年前公開されましたが、とても大きな話題になるということはなかったかなと思います(私も未見です)。
埋もれようとする歴史、見直されてほしいと思います。
この本には、ところどころ、当時の、鳴尾・甲子園界隈の様子も活写されています。
五日前に読み終わったのですが、父(戦前、満洲で暮らしていました)にも読んでもらいたいな、と思って、今は、父に渡しております。