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第7話 不出来な後始末

 足元を高速で流れていく水流を眺めながら、俺は爺の魔法に導かれるままに、黒煙のなかを移動する。

 水路を越え巨大な岩石から切り出したような、分厚い石壁をすり抜けて、今は死んだと爺が言ったダンジョンのある階層へと飛び出した。


 炎の中にいて熱さや息苦しさをまったく感じないまま、目に見えたそれは俺の十数倍はあるだろう、巨大な魔獣の死骸だった。


 消し炭になりかけている物体の隣に、爺は静かに降り立ち俺を床に立たせてくれる。

 掴んでいた爺の腰から離れると、術を解除したのだろう。


 途端に、強烈な熱波とむせかえる様な息苦しさと、下水のなかに放り込まれたような酷い臭いに襲われて、俺は口元を抑えた。


「ああ、これはいかん」


 爺が慌てて腕を一振りすると、俺の周りに青白い光の輪が出現し、二回ほど回転してから消えていく。

 すると、俺の感覚は正常ないつものそれに戻っていた。

 熱気を感じることも、腐臭に鼻をつまむ必要もない。


「凄いね……」


 爺の魔法の腕に素直に称賛を述べると、爺はそれほどでもと言って頬を緩める。

 だが、その険しい顔つきと辺りを油断なく探る視線は、抜き身の刃のような鋭さを秘めていた。


「魔獣を焼いて黒煙を出した、か」


 爺は炎の正体をつぶさに見抜いて、俺の方を見る。まだ魔獣の種類には明るくない俺に、その言葉の意味を教えてくれた。


「イニス様。これはガーゴイルの一種ですな」

「ガーゴイル? 普段は石像で、迷宮と宝物庫とか、城の入り口を守るっていう、あの?」


 そうです、と爺は肯く。しかし、俺にはもうもうと黒い煙と真っ赤な炎をたぎらせている肉塊が、爺のいう魔獣のそれとどうにもイメージが結びつかない。


「ガーゴイルは何も石造りの魔獣に限りません。錬金術で精製した人工の血肉を持つ、生きた人工魔獣として創造されたものもなかにはおるのです。これはその一つ。古代帝国の遺物、というやつでしょうな」

「へえ……。でも、もう廃棄されたって言ってなかった?」

「地図にはその情報がありましたな。爺もそう聞いておりました。地下迷宮そのものは死んでも、眠ったまま目覚めることなく朽ち果てていくはずのモノたちを起こした不届き者がいる。そういうことでしょう。まだ、発見されていない階層があったのかもしれません」

「なるほど。でも、あの女の子はどこに……」


 女の子の叫び声。それは本当に存在したのだろうか?

 俺が魔獣の断末魔を聞き間違えたとか、そういう可能性だってある、と今になって俺は気づいた。


 その可能性を爺に伝え、俺は肩を落とす。自分の思い違いが、爺を余計な危険へと足を踏み込ませたかもしれないからだ。


 爺はそんなことはない、と笑っていた。

 どうやって魔獣が目覚めたのかはさておき、これほど巨大な魔獣を仕留めることのできるやつらは、それなりに強いらしい。


 あのまま何も知らずに夜を迎えていたら、寝ている間に死んでいた可能性だって十分にあったとはずだ。爺はそう言い、俺を励ましてくれた。よく、このトラブルに気づいてくれた、と。


「敵か味方かは分かりませんが、この階層には誰もいないようですな。索敵魔法でも感知できません。探知されないような魔導具を使っている可能性もありますが、それにしては――」

「後始末ができていない?」


 実家で、夕食時に兄たちが魔獣退治をしたときの話をよく聞かされた。

 魔獣退治のなかで、一番難しいのは、仕留めることでも、逃がさないことでもなく、後始末なのだ、と長兄ダレンが言っていたのを思い出した。


 聖騎士のスキルを持つ兄は、聖なる炎で魔獣の死骸を浄化するのを得意としていた。

 でも、目の前で燃え盛るあの炎は、どう見ても普通の猛火だ。聖なる雰囲気はまったくもって感じられない。

 ありとあらゆるものを燃やし尽くそうとする、そんな暴威だけはひしひしと感じられた。


「その通り。この炎では魔獣の死骸が残り、そこからは瘴気が漏れだし、さらなる魔獣を呼び寄せることにもなりかねません」


 二次、三次被害が予測される、と爺は俺に語った。

 炎の属性を持つ爺は、残り火に宿る火の精霊達からいろいろと情報を仕入れることに余念がなく、その合間、俺はここがどんな場所なのかをしっかりと目に焼き付けた。


 はるかな上。十メートルはあろうかという、そんな石の天井がそこにはある。

 見知らぬ天井だ。


 周囲は屋外で楽器のコンサートが行われるような、底の浅いボウル状の形状になっていて、俺たちはその中心にある一際高い壇上にいた。


 周囲を見渡すと、いくつかの高い天井をもつ通路がそこから放射線状に伸びている。

 おそらく、燃えている魔獣はそのうちの一つから入ってきて、ここで殺されたのだろう、と爺は言った。


 俺にもその言葉の意味が理解できた。

 爺があそこから、と指さした方向には、点々となにやら赤い煌めくものがここまで続いている。それが、生前のガーゴイルが流した血だまりの跡だと気づくまでそんなに時間はかからなかった。


「それで! どうなの、爺。女の子は?」

「静かに、イニス様。敵に気づかれますでな」

「敵? 敵ってどういうことさ?」

「やつらは一つ下の階に向かったと、精霊が教えてくれたのです」


 さあ、参りましょう。爺は俺に手を差し伸べてくれた。

 一つ下の階層にやつらがいる。


 連中に召喚され、魔獣を焼き尽くして消えようとしていた炎の精霊が教えてくれたそいつらは、人間の男女、四人組だということだった。

 高い魔法の能力と攻撃性を持ち、遊び半分でガーゴイルを焼き殺すように命じたという。


 精霊は召喚されたから仕方なくそうしたが、とても良い気持ちになれなかったらしい。ついでに、可哀想な眷属を救ってやってくれ、と爺は頼まれたと俺に言う。


「眷属って、何? 爺みたいな炎の属性ってこと?」

「いいえ、そこまでは詳しく語りませんでした。ですが――語るよりも」


 と、再び幻想の炎で身を包んだ爺は、床石の間を溶けるようにすり抜けていく。

 幻炎はこの世に存在しないものだから、それで身を覆うと、ほんの少しだけ世界の理から逸脱できるらしい。


 いつだつ? なんだそれ、と当時の俺には意味不明だったがとりあえず、転移魔法よりも確実に被害者の元へとたどり着けるものだと解釈して詳しくは触れなかった。


 俺たちが敵に見つからないように、階層の隅から下の階層へと移動を果たしたときだった。

 メシッ、と何かがきしむ音がしたのは。

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