第4話 破滅のスキル
はあ、と大きな失望の声が室内に漂う。
父親の書斎に呼び出された俺の目の前には、あの証明書が広げられていた。
悔しそうにする父親は、両手を頭に手をやるとなんでだ、と嘆いて大きく左右に振った。
そんな父の仕草を見るのは辛かった。
「……『消去者』か。どうして『聖騎士』のギフトを授かったこの世代に、こんな破滅のギフトを授かったんだ。お前は‥‥‥」
「ごめんなさい、お父様」
と、しか俺には言えなかった。
それまで何の役にも立たないかもしれない息子が、本当に役立たずになってしまったと父は嘆いていた。
おまけにこのままでは、長兄の邪魔になるとも言いだした。
「あの、お父様。『消去者』とは、いったい‥‥‥?」
不安を口にする俺に、父は自分で調べてみろ、と書棚の一角を父親は指し示す。
その先に視線を移すと、そこには『技巧大辞典』と背表紙に描かれた、分厚い一冊の本が収められていた。
「技巧‥‥‥スキル、大辞典?」
「学院でなにを学んできたのだ、大馬鹿者が。兄たちの後ろ姿から何も得てはいないでないか」
「すいませんっ」
いつになく父親の口調が厳しくなり、そこには時を孕んでいた。
兄達の背中を見て何を学べというのだろう。
座っていた席を立ち自分の足で書棚へと向かう。
そこから抜き出した一冊の本。
それは十二歳でも俺の手のひらよりも分厚くて、顔よりも大きかった。
上半身を使ってどうにかその重さを受け止めると、ずっしりと重いそれは俺をふらつかせるには十分で、どれだけ鍛えても効果のなかった腹筋をこの時ほど恨んだ日はない。
えっちらおっちら運んでどうにかその辞書をテーブルの上にそれを置く。
しかしどこから探したものか。
これにはスキル‥‥‥ギフトによって覚醒した才能とは何が違うのか。そこが今一つ理解できなかった。
「なんだ、わからんのか」
「すいません‥‥‥」
「お前も属性については学んだだろう」
「はい、それは――光、闇、炎、氷、水、風、大地、時空の八つがあると、習いました」
「最近は学院でもそこまでしか教えないのか。まあいい、闇の属性の項目を開いてみろ。その中にある‥‥‥破壊の小項目の最後だ」
「破壊の項目?」
なぜだか意味不明の寒さが背筋を走った。
季節外れの北風が首筋をそっと撫でていくような、そんな不気味な感覚だった。
全身に鳥肌が立ち、憶えのない寒気が肉体を震わせる。
「ギフトとは才能であり、才能とは技巧だ。技巧とはよく言うスキルであり、それは八つの属性に大別される」
「属性から大別‥‥‥ではないのですか?」
父の言葉は謎かけのようだった。
しかし、違う、と言下に否定される。
「属性には様々な側面がある。お前が本日、ギフトを覚醒する儀式を受けた神殿が祀る神、大神ダーシェは雷の神だ。それだけでなく、破壊を、再生を、法の正義を司る。神々の王でもある。いろんな側面を持つ神が与えるそんなギフトだ。その技巧によっても、属する性質が違う。大まかにわかる内容で別れているが、たぶんそれだけではない」
「えっと‥‥‥。属性が異なる者と対峙した時には、それと反する属性と戦えと教えられましたが」
「全くなんて嘆かわしい」
王国騎士団長である父はそう言って、また首を振り嘆いていた。
火と相反するのは水ではないか。
どんな大きな猛火も、水をぶっかけたらそれで終わりだろう。
その時、まだスキルの持つ属性が変化するということに、俺は気づいていなかった。
「火に水を注げば、確かにそれは消える。だが、そこには猛烈な熱波が生まれる可能性がある。そうなったら大爆発を起こすこともあり得る。属性は変化するのだ。変化しないのはスキルの本質のみ。それを見抜けない奴は、戦場で露と消え果てる。覚えておくがいい‥‥‥もう、言葉を交わすこともないだろうがな」
「それって、どういう。お父様?」
破壊の最終項目。
話を聞きながらページをめくっていた俺は、そこに自分のスキルを見つける。
技巧名は【消去者】
俺が与えられた証明書にも、そう記されてある。
技巧の内容は一文だけの簡素なものだった。
【消去者。すべての技巧を無効化し、消去する】
理解するまで数秒かかった。
つまりこれを発動した場合、俺の周りに存在する全てのスキルが、消去される。
たとえ発動していても消去されて無効化され、この世から‥‥‥消滅する。
なるほど。
破滅のスキルとはそういうことかと、妙に腑に落ちた。
父親が最悪だと述べた感想も、また理解した。
「そうですか。僕がこの家にいて、兄上たちと関わっていたら――ダレン兄さんの『聖騎士』も、消えてしまう」
「お前は物分かりがいいのか、それとも愚かなのか。これまではっきりとしなかったが、愚かではないらしい。我が家の事情を理解したなら、どうすればいいかわかるな?」
「……」
言葉を交わすことはないというのは出て行けと言う意味で。
この家に俺が存在することそのものが、悪であるかのような物言いはとても辛くて。
うっすらと自分の頬に熱いものが伝わっていく。
それは俺だけではなくて。
父親もまた同じように涙を流していて。
親子であるということ以上に、家を守らなければならないその使命感が俺を邪魔者だと判断するのは、仕方のないことなのかもしれない。
「文官には‥‥‥」
「だめだ。王都から出て行け」
「どうして? いてもいいって言ってくれたじゃない。凄いスキルが出なくても、文官として働けばそれでいいって‥‥‥言ったじゃないか」
今から思えば父親を責めることは間違っていたかもしれない。
全てはこんなスキルを授かって生まれてきた俺が悪いのだから。
しかしその時は、家族に見捨てられたくないという、一縷の望みに託したい俺がいた。
どうすればこの家に残ることができるのかと、父親を問い詰める。
だが、父親は首を振るばかりだった。
「許してくれとは言わん。しかし、お前のスキルについては詳しいことが分かっていない。遥かな昔、大神ダーシェと戦争をしたという女神カイネがそれを生み出したとも言われている。いつかどこかも分からない場所で、歴史の片隅に埋もれた大戦争の最中に、それが使われたとも言われている」
「だったら。その範囲だって。発動した場合の効果範囲だって、わかるはず―ー」
「お前は何もわかっていない。全てのスキルを消去するから『消去者』なのだ。もしかしたら人の記憶すらも、奪い取るものかもしれん。だからこそそんな記述しか残っていない。そんなお前を我が家に置くことは到底できない。分かってくれ、イニス」
「では僕を地下にでも閉じ込めたらどうですか。封印の結界を張って、その中にでも閉じ込めればいい。そうしたら‥‥‥」
「それすらも打ち消してしまうから、『消去者』なのだ。理解しろ、お前も我が伯爵家の息子ならば。武人らしく、誇りを持ってこの家から出て行くがいい」
そんな誇りなんて、今となってはどっかにいってしまったけれど。
スラムのゴミ箱のどこかにでも放り込んだような気もする。
「騎士とは戦場でスキルを用いて正々堂々と戦うモノ。相手を無効化するそれは卑怯者の証だ! 卑怯者など、我が家には相応しくない! 追放だ!」
父親は真顔でそう言って、俺を追放した。
マジでやってられないと思ったよ。
とりあえずこの時の俺はこうやって実家を追放され、王都を後にした。
十二歳なんて子供でしかない。
生きるためには血反吐を吐いてでも、どんな汚いことに手を汚しても、明日の飯を手に入れなきゃならない。
あいにくと、何もかも奪って追放するような無慈悲さはこの父親にはなかった。
冒険者になれと、父親は言った。
スキルが発動することが無いようにと、実家に伝わる秘密の魔法も教えてもらった。
技巧じゃない。魔道具に魔術を込めて使う、それでもない。
魔法使いがまだ本物の魔法を使役していた頃に存在した、今では失われた秘儀がそこにはあった。
「これもまた厄介な魔法の一つだ。それを手に付けていればある程度の時期までは、スキルの効果を抑え込んでくれるだろう。多分な」
そう言って本当なら聖騎士の兄が持つべきそれを、父親は俺に託してくれた。
今思えば、あれが父親として追い出す息子にしてやれる、最大限のことだったんだろう。
左腕に腕輪をはめる。
母方の祖父母が暮らしていた王都からかなり離れた南の地。
魔王が住む北の魔都グレイスケーフにほど近いそこに、俺は翌日から向かうことになった。
家族から存在を忌み嫌われるということ。
この辛さは分かってくれる者は誰もいない。多分いないだろうと思っていた。
自分の新しい旅立ちにすっかり疲れ果ててしまった俺はエルメスのことなんて頭の中から抜け落ちてしまい。
一月近くの馬車での移動の合間、闇夜に浮かぶ巨大な金色の満月を見て、「あーあ‥‥‥残れたんだよね、君は」と逆に彼女のことを羨ましく思ってため息をつくことも何度もあった。
みんなが幸せに生きている中で俺だけがただ一人孤独に生きることを強いられる。
それってとんでもない皮肉だな、と自嘲しながら旅の終わるころには、俺の一人称は、気弱な僕から、世界にあるすべての優しさに報復を企てるような闇色の俺へと変じていたのだった。