表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

父の池

作者: 桃園沙里

 人が夢を諦める理由は様々だと思います。でも、私が画家になる夢を諦めた理由、それを理解してくれる人が世の中にどれだけいるでしょうか。単に才能がなかったとか、運が悪かったとかそんなことではありません。

 私は自分の意地と引き換えに夢を捨てたのです。


 子供の頃から絵を描くのが好きでした。特に水彩の風景画が得意で、学校の絵画コンクールでは度々賞を取っていました。いつしか漠然と「絵を描いて食べていけることができたら」と思っていました。

 高校生になって、両親と進路について話したときのことです。美大に行きたいと私が言うと、父は猛烈に怒ったのです。

「美大なんかに行ってどうするつもりだ。画家にでもなるのか」

 今まで私が絵画で賞を取った時は喜んでくれたのに。

「芸術なんか、趣味でやるもんだ。それで食べていける人間はほんのひと握りだ。ちょっとくらい絵が上手いと煽てられて調子に乗るな」

 その時私は、今まで理解のあると思っていた父が、私と価値観が全く違う人だったと気付きました。人間の幸せは良い企業に勤め安定した生活を送ること、女性はそういう良い結婚相手を見つけ子供を産むのが一番幸せ、という考えの人だったのです。母は専業主婦でしたが、それも父が望んだことだったのかもしれません。

 私は、父が私にも自分の思い通りの人生を歩ませようとしているように感じました。

「普通の大学に行ってちゃんとした会社に勤めて趣味で絵を描くなら何も文句は言わない。どうしても美大に行きたいと言うんだったら、俺は一切金を出さない。自分の金で行け」

 思春期の危うい年頃だったこともあるのでしょう、私はそれまで好きだった父のことを全て否定するようになりました。

 それからの私は学業の合間にアルバイトをしてお金を貯めました。でも、美大の授業料には全然足らず、結局、父の勧めるように普通の文系の大学に進んだのです。


 私がそれで画家になる夢を諦めたかと言うとそうではありません。

 私は大学進学を機に私は実家を出て一人暮らしを始めました。理解のない父と離れたかったこともありますが、私なりに考えた計画があったからです。そのためにわざと自宅から通えない場所の大学を選びました。

 大学に入った私は、授業にはろくに出もせず、アルバイトに身を入れました。計画のためにお金を稼ぐ必要があったのです。扶養の範囲内に納めねばならなかったのが辛いところでしたが、それでも、高校時代に貯めたお金と合わせると、そこそこの金額が貯まったのです。

 私は父に内緒で大学を二年で中退して美術系の専門学校に入学しました。美大に四年間通うより金額がかからないので専門学校を選びました。それまで絵画塾に通ったこともなく、学校の部活動、美術部でしか学んだことがなかったので、絵画の基礎やデッサンをきちんと学びたかったのです。

 当然のことながら、大学を辞めたことを知った父は烈火の如く怒りました。

「学費も生活費も一切出さない。家の敷居を二度と跨ぐな」と電話口で怒鳴られ、私は勘当されました。想定内でした。そのためにお金を貯めていたのですから。


 専門学校を卒業した後の私は、美術系の創作作品を販売するインターネットサイトに登録しました。アルバイトで生活費を稼ぐ傍、水彩画を描いてはオンラインストアに出品しました。

 作品は全く売れませんでした。世の中はそんなに甘くありません。最初からわかっていましたから、それほど辛くありませんでした。アルバイトをしながら、いつか花開く時を夢見てコツコツ作品を制作し出品し続けました。


 父とは絶縁状態でしたが、母とは頻繁に連絡を取っていました。母は時々、米や野菜などの食糧を送ってくれ生活を支えてくれていました。

 サイトに登録してから二年余り経って、漸く作品が初めて売れました。サイトのシステム上、どこの誰が買ってくれたかはわかりません。金銭の遣り取りは運営会社が間に入っていましたし、お互い匿名で受け渡しできるシステムだったのです。

 私は大いに元気づけられました。

 この世界のどこかで誰かが私の作品を見て気に入ってくれた。誰かの心に自分の絵が突き刺さった。誰かを感動させられた。

 そう思うだけで幸福を感じられたのです。

 ひとつ売れたら勢いがついたようで、それからは作品を掲載する度に購入されました。私は徐々に手応えを感じて行きました。

 最初の頃は一枚三千円の値段をつけていましたが、少しずつサイズも大きくし値段を上げていくことができました。絵画一本で食べていけるほどではありませんでしたが、それでも私は幸せでした。

 貧しいながらも、好きな絵を思う存分描くことができる。誰かが私の絵を好んで買ってくれることが大きな力になっていました。


 そうしているうちに、個展を開いてみようかと言う考えが頭を擡げました。

 個展を開くには、作品が必要です。手元にあるのはオンラインストアで売るのを憚られたような駄作しかなかったので、個展用の作品を描き溜めねばなりません。そこでしばらくオンラインストアでの販売を休止して、個展用の作品創作に専念することにしました。

 そんな矢先、母から連絡があって、父が突然倒れたと言うのです。

 脳出血でした。私が病院に駆けつけたと同時に、父は息を引き取りました。


 葬儀が終わりしばらくして、実家で母と一緒に父の遺品整理をしている時、父の物置となっていた部屋に入りました。

 そこにはたくさんの、私が描いた絵画が置いてありました。そう、サイトを経由して販売していた私の作品です。今まで出品した作品全部がありました。

 母は言いました。

「貴女が絵を売ってることをお父さんに伝えたら、最初は知らん顔してたんだけど、こっそり購入してたの。貴女の生活費の足しになればって。口では反対していながらも、貴女のこと、とても心配してたのよ」

 私は全身の力が抜けました。母の言葉は頭の外側をふわふわ漂っているだけでした。


 母は、葬儀に来てくれた親戚や知人たちにこの話をして回りました。皆さん「いい話だね」とおっしゃいました。

「画家になるのを反対しておきながら、作品を買って陰で娘を支えていたなんて」

 私は絶望に打ちのめされながら、それらの言葉を聞きました。

「お父さんは絵を買うことで貴女に仕送りをしてる気になってたのよ」

 そう言う母の言葉に私は屈辱で体が震えました。

 母はそんな私を見て、感涙にむせていると思ったようでしたが、全くの勘違いでした。

 

 父が私の作品を全て買い占めたせいで、世に出るはずだった作品たちが誰の手にも触れられず埋れていったのです。

 父が買わなかったら、生活の足しになる程には売れなかったかもしれない。それでも、もしかしたら酔狂な誰かの目に留まり、購入され、誰かの玄関、リビング、あるいはトイレの壁だって構わない、誰かの生活を彩り、誰かの目を楽しませることができたかもしれなかった。

 でもその可能性の一切を父が奪ったのです。父が買った作品たちは、日の目を見ずに物置の奥で朽ち果てていったのです。画家として、その作品が人の目に触れる機会を奪われるほど悔しいことはありません。

「そこにあるたくさんの作品をまた販売すればいい」という方もいます。

 ええ、人の言うように再び出品したら、もしかしたら何枚かは売れるかもしれません。でもそれは私にとって閉店在庫処分みたいなものです。

 私はもう新作を描く気力が萎えてしまった。もう絵を描かないと思う私が、絵を売る必要があるでしょうか。今まで私の絵が誰かの心に感動を与えていると思っていたから描けたんです。その気持ちが、ポッキリと折れてしまったんです。

 マラソンランナーが、三十五キロを過ぎて、走っていればいつかゴールにたどり着く、苦しいけれど頑張ろう、と思っているところへ、君はコースを間違えている、スタート地点からやり直しだ、と言われた時、もう一度走る気持ちを保てるでしょうか。


 もう絵を描くのはやめる、と言ったら母は、せっかくお父さんが応援してくれていたのに、と言いました。

 応援とはなんでしょう。実際のところ父が本心から応援してくれていたのかどうか、今となってはわかりません。でも、ひとつ言えることは、それは本当は私のためにならない、父のやり方は間違っていた、ということだけです。

 人間、悪意がないのが一番始末が悪いと言いますが、本当にそう感じます。父に明らかに悪意を感じられていれば、私は父のことを責め、父の非道を周りの人たちに訴えることもでき、その怒りを創作のエネルギーに変えることもできました。でも、悪意なのか善意なのかわからない。少なくとも母や父の友人は父の善意の応援だと言う。そう言われたら、もう私は何も言えなくなっちゃうじゃないですか。

 結局私は、ずっと父の庇護下で暮らしていた。そのことに気付かず絵が売れた、個展を開く、なんていい気になって芸術家気取りでいたのです。

 もし私が絵画の値段を値上げして十万円、二十万円と値をつけていったら、父はどうしていたでしょうか。それまでは月に数枚、合計で十万円程度で済みましたが、もっと高額になったら父はどうしていたでしょう。それを思うとゾッとします。そうなる前に終わってよかったのかもしれません。私も勘違いに早々に気付くことができて。


 葬儀の後、父の友人が現れ、自分が経営している会社に就職するよう言ってくれました。父が生前、酔っぱらう度にそう頼んでいたそうなのです。それで私はアパートを引き払って実家に戻り、芸術とは全く関係のないその会社で事務の仕事をすることにしました。この先の母や私の生活を考えると拒むことはできません。

 一方で、母も他の知人も「お父さんは君が絵を描き続けることを望んでると思うよ」と言います。

 私が二度と絵を描かないと言ったのは、絵を描く気力をなくしたとかそんなことではありません。

 もしこの先何かの拍子で私の絵が認められ、私が画家になれたとしたら、そしたら美談になってしまうじゃないですか。

 母たちはきっと、父が支援してくれていたおかげで私は画家になれた、と、父を誉めそやすに違いありません。たとえ私が、心をへし折った父の所業を乗り越えて一人前の画家になっても、父の手柄のように言われてしまうでしょう。私の画家としての成功には、父の影がずっとつきまうのです。そんなことは絶対我慢なりませんもの。


 私は子供の頃から海の向こうの大陸を見たいと思っていたとします。大人になって、小舟を作り海に浮かべ、夢を叶える機会に恵まれました。毎日オールを漕いで小舟を進め、腕の痛みも苦にならず、ひと漕ぎひと漕ぎその度に少しずつ新大陸に近づいているのだと期待に胸を膨らませ進んでいます。ところがある日、私の小舟がいるのは外海ではなく、父が家の庭に作った池の中なのだということを知ります。小舟は父が作った安全な池の中をぐるぐると回っていただけ。いくらオールを漕いでも舟を進めても、憧れの未知の大陸へは永久にたどり着けないのです。

 今はただ、干からびた池を目の前に、小舟を抱えてただ立ち尽くしている私がいるだけなのです。(了)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 親心とはまさにこれで、個人の成長と親とは本当に相反する者だと思います。親の視点では暖かく、個人の視点では共感できる作品だと思います。 [気になる点] 特にマイナス点はありません。 [一言]…
2022/07/08 12:11 退会済み
管理
[良い点] とても、深い作品だと感じました。 父の偉大さも感じながら、父の存在ってどういうものなんだろうかと考えながら読んでしまいました。
[良い点] 色々と考えさせられる物語でした。 引き込まれて、一気読みしました。 [一言] 良質な作品をありがとうございました!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ