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第8話 土と血と雪と

 空はどんよりと曇り、風はほとんどないのに、大気は刺すように冷たい。ここルーマニアの首都ブカレストでは、ヒトラーを迎えて軍事パレードが行われていた。


 花輪と国旗で飾り立てられてパレードの先頭に立つのは、戦前に輸入された、フランスのルノー軽戦車。続いて大小2種類のチェコスロバキア製戦車、チェコスロバキアの牽引車に引かれたドイツ製の旧式野砲と続く。


 ヒトラーは何も言わず、ルーマニア軍の最新鋭兵器の数々を眺めていた。国力に見合わない過大な、そしてそれでも世界水準には達しない軍備であった。もし大戦に巻き込まれれば、この程度の軽装備はたちまち蹂躪されてしまうだろう。


 プロペラ音が近づいてきた。国産戦闘機IAR80のデモ飛行である。動員された群集がざわめく。ルーマニアは国営企業IARを国を挙げて育成し、ほぼ純国産の戦闘機を開発するまでにこぎつけたが、搭載する機銃の輸入が大戦で滞り、生産に影響が及び始めていた。ルーマニアは農業国で、いろいろなタイプの工業がバランスよく発達しているわけではないので、飛行機は自製できても機関銃はできなかったのである。


 ヒトラーの傍らで、背が高く柔道家のような体躯のミハイ国王は、にらみすえるように自分の-形式上のことであったとしても-軍隊を見詰めていた。その向こう側で、この国の事実上の支配者で「国民指導者」のアントネスク大将は、仏像のように静かに、そして微動だにせず、パレードを見送っていた。


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 ルーマニアのあたりは、古代にはローマ帝国の版図の東端に位置し、ダキアと呼ばれていた。モルダビアとワラキアというふたつの地方は、長らくトルコ、ときにロシアに属して、イスラム圏とキリスト教圏のいずれにとっても辺境を成してきた。


 フランス革命後、この地に民族運動が生まれた。その目指すところは、両地方を併合し、ローマ帝国の遺民たるラテン系民族を糾合した、新たな国。そのまだ見ぬ国を、志士たちはいつしかローマ帝国にちなんでルーマニアと呼び始めた。


 ロシアが南下政策を取り、トルコと対立を深めると、好機が訪れた。独立運動家たちは西欧の世論に訴え、ときにはロシア側について参戦しながら、まず両地方に統治者を立てて公国とし、その公に同一人物を推戴することでともかく統一国家の体裁を作り、段階的にトルコの宗主権やロシアの保護権を弱めて、ついに1878年になって列強から独立国として承認されるに至った。この時点をルーマニア建国のときと見なすなら、ルーマニアは明治日本より若い国である。


 国が生まれ、志士は去り、政治家が現れた。


 第1次大戦が始まると、ルーマニアは目の前の大きな獲物に、思い切って手を伸ばすことにした。オーストリア=ハンガリー帝国に属するトランシルバニア地方である。ハンガリーの主流であるマジャール人も何個所かにコロニーを作って混住しているが、どちらかというとルーマニア人(もはやこう呼ばれるようになっていた)が多い。オーストリア=ハンガリー帝国におけるルーマニア人の民族運動が、かなりの盛り上がりを見せていたことも、ルーマニアを誘惑した。


 ルーマニアは宣戦し、侵攻し、負けた。いったん単独で休戦協定を結ぶところまで追い込まれたが、ドイツ・オーストリアの敗勢が決定的になると、批准直前だった休戦協定を破棄して再びハンガリーに侵入した。


 戦後、ルーマニアの領土は倍増した。分捕ったトランシルバニアに加え、ロシアから数十年ぶりにベッサラビア地方を奪還したのである。ベッサラビアはもともとモルダビアの一部であったが、かつてロシアがトルコとの戦争に勝って、頭越しの交渉でトルコから割譲させた地方であった。


 言うまでもなく、講和をまとめた列強はハンガリーやソビエトに小さくなってほしかったのであり、ルーマニアに大きくなってほしかったわけではない。国力を超えて領土を急拡大させ、国内に少数民族を抱え込み、周囲の国の恨みを買ったルーマニアの課題は重かった。


 しかしこの重大な時期に、ルーマニアはあまり適切でない人物を国王に迎えてしまった。国王カロル(2世)である。彼は君主独裁の復活を企て、相次いで成立する政党内閣の足を引っ張り続け、ついに国民の広範な支持を得られる政党がなくなると、自分のロボットとしての首相を置いて事実上の親政を始めた。



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「先日の反乱分子の策動を制圧されたことについて、まずお祝いを申し述べます。反乱者たちがドイツ製の武器を持っていたそうですが、きわめて遺憾であります」


 パレードの後の国王謁見で、ヒトラーのアントネスクたちへの第一声は丁寧だったが、謝罪は含まれていなかった。まあ本当に知らないのだから仕方がない。どうやらヒトラーの内意を読み誤って、ヒムラーの親衛隊が武器を提供したようであった。


 ミハイ国王とアントネスク元帥は、表情をびくりとも動かさなかった。怒ることも微笑むことも立場が許さない、ということのようであった。


 ルーマニアには鉄衛団と呼ばれるファシスト組織があり、首相や閣僚の暗殺を何度も成功させていた。1940年9月6日に、長年の失政の挙げ句カロル国王が追われると、鉄衛団とアントネスク将軍の共同政権が成立した。外部から見たところ、鉄衛団が政権の中心であり、アントネスクは軍部をなだめるお飾りに見えた。


 しかし蓋を開けてみると、アントネスクが優秀な軍人で組織掌握に長けていたのに比べ、鉄衛団は既成秩序の破壊を唱えてテロを繰り返すばかりで、ドイツにとって頼りになるパートナーではなかった。次第に自分たちの影が薄れていく状況に焦った鉄衛団は、クーデターを敢行した。1941年1月21日のことである。


 困ったのはおっちゃんである。名前を知らなくても握手して談笑するくらいは出来るが、クーデターとなるとどちらかを支持しなければならない。ルーマニアの国情など知るわけもないのに、ナンヤラ将軍とカンヤラ団の争いをどうさばいたものか。


 ヒトラーはアントネスク将軍に会ったことがあった。11月にルーマニアが日独伊三国同盟に後追い加盟する調印式が行われたとき、ドイツにやってきたのである。ハンガリーと係争中の領土問題について、ヒトラーを前にして少しも臆せず、自国の立場をとうとうと述べ立てて去っていった。戦争のさ中には、ああいう人物を仲間にしたいと思わせる人物であった。


 ヒトラーは内心恐る恐る、ルーマニアに駐留するドイツ派遣軍に対し、アントネスクの要請があれば支援に回るよう訓令した。アントネスクは、ドイツ軍の支援を受けて、数日で鉄衛団のクーデターを退けたのであった。



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「反逆者どもを鎮定する間、総統閣下とその政府が私の政府に示してくださった友情は、何者にも代え難い価値ある物でした。まことに感謝に堪えません。ところで我が国は通商協定を誠実に遵守しておりますが」


 若いミハイ王は初めて訪れた外交上の大一番に、どこか気負っている。


「お国からの武器がもっと多く届いておれば、先ほどのパレードももっと勇壮なものとなったでありましょう」


 アントネスクが咳払いをした。ルーマニアとドイツは石油と兵器の相互安定供給を約していたが、ドイツは国内軍備にかまけて武器輸出を滞らせがちであった。


「その問題について、いくつかの建設的な提案を携えて参ったことをお伝えするのは、私の欣快(きんかい)とするところです」


 おっちゃんはこうした言い回しにすっかり慣れて来ていた。


「後程リッベントロップ外務大臣より、陛下の大臣に詳細をお伝えいたしますが、その概略を今説明いたさせます」


 名指されたリッペントロップもさすがに慌てた顔をせず、予定通りであるかのようにすらすらと提案の要旨を暗唱する。


 提案とは、例によってプラント輸出であった。ドイツでは二線級扱いのチェコスロバキア製重機関銃の製造設備をルーマニアに輸出する。アメリカからの部品が途絶えてラインが止まったままのルーマニア唯一のトラック工場を改装し、ドイツからエンジンなどの部品を供給してドイツ仕様のトラックを生産させる、などなど。自軍の装備にも困っているドイツの台所事情のツケを押し付けているともいえるが、工業製品の国産化を熱望するルーマニアの意図に沿った部分もある。


 リッペントロップが概要を説明すると、国王は鷹揚に微笑した。


「ルーマニアの工業化はわが王家の悲願であり、今日はまことに良き日であります」


 王家の悲願? そう。父王カロルが莫大な国費を投じて推進した工業化政策の過程で、どれほどの金額がカロルと側近の懐に入ったか、計り知れない。アントネスクは何のコメントもしなかった。


 時流に乗って領土を拡大したルーマニアには、地方自治の歴史がない。不在地主も都市部に集中していたから、農村部を適切に代表する政治勢力は欠けたままであった。国王はこの状況を改善できず、農民の生活改善は常に後回しにされ、内政でじわじわと失点は重なってきていた。


 しかしもし大戦下にあって、中立を保ちつつすべての領土を保全できれば、カロル王が失脚を免れる見込みはあった。そして大戦初期には、それはかなり有望であった。英仏は争うようにルーマニアの機嫌を取ってきたし、独伊もそれに対抗した。1940年の中頃には、ルーマニア空軍は英仏独伊の機体をごちゃまぜに運用するようになっていた。いずれも、有利な条件でそれぞれの国から購入したものである。


 1940年5月のフランス崩壊は、ルーマニア外交に大きな打撃を与えた。ルーマニアはあたふたと国際連盟から脱退し、ドイツに急接近したが、真の危機は東からやってきた。ソビエトは西でのドイツの大成功を見て、東で中立の代償を受け取る好機と考えたのである。


 6月、ソビエトはルーマニアに対し、第1次大戦で獲得したベッサラビア地方に加えて、スラブ系住民の多い北ブコビナ地方の割譲を要求する最後通牒を発した。じつはベッサラビア地方は、ポーランドに侵攻する直前に結んだ独ソ不可侵条約の秘密条項で、ドイツがソビエトの勢力範囲として認めていたのである。ルーマニアはドイツの支持が受けられず、要求を呑むことにした。


 このルーマニアの態度を見て、同じく前大戦で苦杯をなめたハンガリーと、前大戦のそのまた前のバルカン戦争でルーマニアに領土を取られたブルガリアが、領土要求を突き付けてきた。ドイツにしてみれば、足元で潜在的同盟国の間に起こったいさかいである。調停しなければならない。石油と小麦の大輸出国であるルーマニアは確かに大事だが、ハンガリーは旧支配層がしっかりしていて親ナチス政党がなかなか支持を伸ばせず、おまけにスロバキアへの領土要求(スロバキアは前大戦までハンガリー領だった)をくすぶらせ続けている。


 チェコスロバキアは、チェク人の住むオーストリア領ボヘミア・モラヴィアと、スロバク人の住むハンガリー領スロバキアを合わせて、前大戦後に作られた国家である。ドイツは今次大戦の始まる直前の1938年、スロバキアの独立運動を煽りたて、その混乱に乗じてボヘミア・モラヴィアを無血占領し、併合してしまった。スロバキアは「独立」してドイツの保護国となっているから、ここへの領土要求が先鋭化するとドイツはまことに不都合なのである。そうした事情で、ドイツの方に、ハンガリーとの絆を強化すべき理由があった。


 1940年8月30日、ドイツの示した調停案を見て、交渉に当たったルーマニアの外務大臣は失神したと伝えられている。係争地トランシルバニアの北部をハンガリーに返すというものであった。すでにブルガリアの要求をルーマニアは受け入れることを決めていたが、人口面でも資源面でも北トランシルバニア返還の影響ははるかに大きい。


 結局ルーマニアは、一発の弾丸も撃つことなく、この調停案を受け入れた。ルーマニアの朝野は騒然となった。長いルーマニアの国境線を維持するため国民は貧困と負担に耐えてきたのに、その国境線を無抵抗で引き直させるとは何事か。難局を打開するため、カロルが最後の切り札として登用した実力首相が、アントネスク大将であった。参謀総長など要職を歴任しながら、親独派と目されていたため、投獄までされていた人物である。


 アントネスクは思い切った行動を取った-というより、国内情勢がもうそこまで来ていたと考えるべきであろう。アントネスクはその日のうちに、国王に退位を要求したのである。カロルは長男ミハイに譲位すると、大慌てで亡命していった。


 アントネスクはドイツ軍のルーマニアへの進駐を進んで要請した。これには3つの意味があった。ひとつは、ルーマニアがドイツの傘下に入ったことを内外に示し、ドイツを満足させること。もうひとつは、多くの人口を失い縮小されたルーマニア軍を守り立て、ソビエトとの国境を装備の良いドイツ軍で強化すること。最後に、ハンガリー国境で毎週のように頻発する武力紛争に、より多くのルーマニア軍を備えさせることであった。



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 国王との謁見が終わり、首脳会談のため別室への移動の途中、アントネスクがついとヒトラーに肩を並べた。ヒトラーは相手の言いたいことが分かっていたので機先を制した。


「国王は立派な統治者になられるであろう。我が国からの輸出については、私も気にかけているのだが」


「それを聞いて、アントネスクも安堵致しました」


 アントネスクには妙な癖があって、一人称を使わない。(はっきり理由を書いた文章を見たことはありませんが、カエサルの『ガリア戦記』が「カエサルは~した」と三人称で書かれているのを真似ているのかもしれません。)


「客人方にご不快を与えていなければよいのですが」


 アントネスクはついと離れていった。


 アントネスクは、ドイツの力を利用することが、ハンガリーとソビエトから領土を取り戻す唯一の方法だと考えていた。そして、軍人である彼にとって、領土の保全は当然にすべてに優先した。軍人としての目標を追求することによって、彼は親独派になった。というより、彼は親独派と呼ばれることを受け入れた、というべきであろう。


 おっちゃんはドイツのどの領土にも、ましてやドイツ国外のいかなる国や地域についても個人的に「領土欲」を持っていない。この戦争をそこそこの条件で和平に持っていければ、ドイツ国境がベルサイユ条約の範囲、あるいはそれ以下になってもかまわなかった。そして、他人の戦争としてこの戦争を見ているおっちゃんには、自分に対するアントネスクの姿勢の裏にあるものがかえってよく見えた。旧領奪還に人生を捧げているようなアントネスクに、おっちゃんはかけてやる言葉に困るのであった。


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 ヒトラーは、首脳会談を大過なくこなして、ベルリンに戻って来ていた。


「ジャガイモが不作なんですって?」


 エーファ・ブラウンは、チョコレートの小鉢と暖かい紅茶をヒトラーにすすめた。


「結婚した女性たちはその話で持ちきりよ」


 お茶の時間に、おっちゃんの感覚からすればもっと似つかわしいクッキーやサンドイッチでなく、チョコレートやキャンディーやケーキが並ぶのは、本来のヒトラーの嗜好であった。おっちゃんはそれを察していたが-ヒトラーの机のあちこちの引き出しからキャンディーが出てきたので、ヒトラーがかなりの甘党であることはおっちゃんにもわかっていた-何も言わずに、いや、何も言えずにいた。エーファがこの世で唯ひとりの愛する人を待っていたからといって、おっちゃんにそれが責められようか?


 おっちゃんは、エーファ・ブラウンにはその正体を明かしていた。エーファにとってもまったく理不尽で理解できない事態だったが、エーファは誰よりも現在のヒトラーと以前のヒトラーの差を感じる根拠を持っていたから、程なく現状を受け入れた。


 さすがにおっちゃんも、他人の女を抱く気にはなれない。いや、そんなことを言い出すのが気恥ずかしくなるほど、エーファ・ブラウンはコケティッシュなところのない普通の女性であった。


 こんなに普通の女性なら、なぜヒトラーはもっと早くエーファと結婚しなかったのだろう? ヒトラーは自分でも間抜けた質問だと思いながら、シュペーアにその疑問をぶつけたことがあった。


「たぶんイメージですよ」


 シュペーアは苦笑混じりに言った。


「総統は国政にすべてを捧げているから世俗的な楽しみを犠牲にしている、というわけです。本人は違う理由を口にしてましたが、酒や煙草をやらなかったのもそのせいかもしれませんよ」


「迷惑なことだ」


 ヒトラーがぽつりと言ったのでシュペーアは大笑いした。


 ともあれ、ヒトラーはエーファ・ブラウンをそのまま、お抱え写真家の助手という触れ込みで官邸に住まわせておいた。長らく親戚や友人と切り離された日陰者の生活を続けているので、エーファにも他に行くところはなかった。今のところ、ヒトラーにとってのエーファは、文字通りの茶飲み友達であった。



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「もし私が、平和のためにドイツの領土を削る決定をしたとしたら、国民はどういう反応をすると思う」


 ヒトラーは湯気の立つティーカップを持ったまま、尋ねた。


「そう…わかりませんわ」


 エーファは政治には首を突っ込もうとしなかった。


「難しいことを聞いているのではないんだよ。普通の国民から私は…ああ、ヒトラーは、何を期待されているんだろう」


「そうねえ」


 エーファはカップを置いた。


「特に若い人たち以外は、あなたを選挙で選んだことを覚えているわ」


 エーファは使い慣れない外国語を話すときのように、単語のひとつひとつを選んでいた。


「絶対かなわないと分かっている願いって、あるでしょう。ほら、ちょっと恥ずかしくて口にできないような」


 ヒトラーは、曖昧にもごもごと肯定した。


「あのひとがやったことは、みんなそれよ。ドイツ人が心のどこかに持っている夢。もしそれが実現したら何が待っているかなんて、誰も真剣に考えないような夢。こんなに長く戦争が続くとわかっていたら、誰もそんなことは願わなかったでしょうね」


 ヒトラーは言った。


「私の公約というのは、いったい何だったんだろう」


「ゲッベルス博士に聞いてごらんなさい」


 エーファは言ってしまった後で肩をすくめた。ゲッベルス宣伝大臣は大不倫のあと結局離婚しなかったので、エーファは何となくゲッベルスを女の敵として嫌っていた。


「でもきっと誰も覚えていないと思うわ。あのひとの演説って、とてもはっきりしていて、とてもわかりにくいんですもの」


 矯激なセンテンスが多く含まれているが、全体として何を言っているのかわからないのである。


「でもそんなことは問題じゃないわ。みんな、あのひとだったら何かいいことをしてくれると思ったのよ」


「何かいいこと、か」


 言っても仕方のないことだが、おっちゃんとしては口に出すことがせめてもの気晴らしであった。


「あなたは自分のすることを自由に選んでいいと思うわ。平和は誰もが待ち望んでいるし、あなたはあのひとではないのだから」


 言ってしまってエーファは言葉を切ってうつむいた。ごめんなさい、と口には出さないが、その気持ちは伝わった。おっちゃんは黙って、窓の外を眺めていた。


 ベルリンを、粉雪が舞っていた。



ヒストリカル・ノート


 この年、ジャガイモは天候不順のため不作でした。

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