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第7話 ラテン人たちとの会話



 ベルリンでは、一種の壮行会が開かれていた。アフリカへ投入予定の、主な部隊の指揮官たちに、ヒトラーが訓示を与えようというのである。ブラウヒッチュ元帥(陸軍総司令官)とハルダー上級大将(陸軍参謀総長)も同席していた。


「私が諸君にこれから訓示するのは、今次大戦におけるアフリカ戦線の政治的意義である。ただし私が諸君に与える指示は、すべて参謀本部によって具体化され、諸君に伝えられる。あくまで参謀本部が君たちに与える命令の範囲内において、政治的目標を尊重してもらいたい」


 モーデル中将(第3戦車師団長)は、おとなしく総統の話を聞いていた。総統はかなり参謀本部に気を使っている。大戦前から続いてきた総統と国防軍の緊張関係が緩む兆しだとすれば、喜ばしいことであった。ヒトラーは前の大戦に従軍したときは伍長止まりだったから、兵士の代表として将軍どもに物申す、といった下克上の気負いがあって、軍の将校団とはあまりうまく行っていなかったのである。


 モーデルは若い頃から、参謀本部と前線を行ったり来たりするエリートコースに乗っている。上司と喧嘩して前線勤務を志願し、数年間参謀本部に戻れないようなこともあったが、少将のころ参謀本部の部長職(海外兵備調査担当)も経験して、前線での指揮も参謀勤務もこなせる良将との評価を確立していた。ただし少々自意識の強いところがあって、一部の将軍からは嫌われている。


「イギリスの爆撃機は、ベルリンを含むドイツの多くの都市上空に侵入し、あまり効果的とは言えない散発的な爆撃を行っている。なぜだと思うか」


 ヒトラーは芝居がかって一同を見渡した。


「イギリスは今、切実に戦術的勝利を欲しがっている。国内の士気を維持し、アメリカの援助を引き出すため、いかなる規模であれ勝利と戦果を欲しているのである」


 リュットヴィッツ少将の指揮する第15戦車師団は、まだ編成されたぱかりである。もちろんリュットヴィッツは戦車師団の指揮など始めてで、期待と不安が胸中で交錯していた。


 1939年秋のポーランド戦当時6個しかなかったドイツの戦車師団は、1940年5月のフランス侵攻のときには10個となり、その活躍ぶりからさらに倍増することが決定されて、1940年8月から11月にかけて相次いで第11から第20までの戦車師団が編成されたところであった。もちろん戦車や各種兵器の生産がこんなハイペースに追いつけるわけがなく、歩兵師団を改組した第15戦車師団などは特に貧乏であった。


「一方我がドイツは、海空の戦力をグレート・ブリテン島及びその周辺に集中させ、あらゆる方法でイギリスに圧迫を加えている。従って当面、我が軍のリビアへの関心は副次的なものである。しかしながら、砂漠戦の特殊な条件を考え合わせると、私は諸君にひとつの政治的要請を伝えることが適当だと思う」


 ヒトラーは続けた。


 ロンメル中将は不満であった。


 彼は第1次大戦で超人的な移動と奇襲を成し遂げて当時の最高勲章を授与された人物で、モーデルと違って陸軍大学校や参謀本部教程での参謀教育もきちんと受けていないし、参謀勤務の経歴もごく短いものだった。モーデルが本社の秘蔵っ子とすれば、ロンメルは成績抜群の営業マン(ただし三流大学卒)である。


 ロンメルは大戦が始まったときはまだ大佐で、総統護衛の責任者であった。1940年の春になって、少将としてそのポストを離れるとき、ヒトラーは次の配属先の希望を尋ねた。「戦車師団長」というのがその答えであった。


 さすがの総統も答えに詰まったといわれている。師団長は古参の少将かなり立ての中将が務める職で、当時10個しかない戦車師団長のポストをロンメルが望んだのは明らかに無理な注文であった。しかもロンメルはそれまで、まったく戦車部隊の指揮をしたことがない。


 ロンメルは賭けに勝った。彼は新設の第7戦車師団をあてがわれ、フランス戦で(他の部隊とトラブルも起こしたが)印象的な快進撃を成功させた。ロンメルは一気に中将に昇進し、彼の感覚では………そろそろ軍団長(普通は3個師団で1個軍団を編成する)になるはずであった。ところが、彼の受けた辞令は、なんとイタリア軍の戦車師団を指揮しろというものであった!


 ヒトラーとムッソリーニの合意により、イタリアは新しくアウグスタ(アントニウスを追ってエジプトを征服したアウグスツス帝にちなんで名づけられています。)戦車師団を編成し、その装備は戦車からピストルに至るまですべてドイツが提供することになった。そしてロンメルはそのアウグスタ師団を指揮することになったのである。


「イタリア領リビアには、3つの良港がある。トリポリ、ベンガジ、そしてトブルクである」


 ヒトラーは西から順に地図上の都市を示した。


「この地域にはほとんど鉄道がない。道路の状態はエジプトとの国境に近づくほど悪くなる。従って、すでに確保された港湾の近くで戦えば、彼我の補給条件には大きな差がつく。これを最大限に活用して、敵の戦術的勝利を防ぎつつ、着実に戦果を重ねてもらいたい。戦術的勝利を切望するイギリス軍の企図を理解し、これをくじくことが私の要請である」


「質問があります」


 マンシュタイン大将が手を上げた。


 マンシュタイン大将は、実父が大将、養父(母方の義理の伯父)が中将という軍人一家の出身であった。当然のように少年のときから軍籍に入り、1913年に陸軍大学校に入ったとたん開戦となり、第1次大戦ではいろいろな司令部を若手参謀として渡り歩いた。そうして声価を得たマンシュタインは、敗戦後に参謀本部に迎えられる。その才幹はだれしも認めるところであるが、自説をはっきり主張するためしばしば前線でほとぼりをさます破目になり、それがまた手柄につながるという人物であった。フランス戦の劇的な勝利がマンシュタインの献策によることが知れ渡って、若手の将校の間では神のごとき存在となっている。


 アフリカでは、ドイツ・アフリカ軍団(DAK)とイタリア・リビア軍団(ITALYK)がそれぞれ2個戦車師団で編成されることが決まっていた。ITALYKはアウグスタ、アリエテの両戦車師団で編成され、イタリア軍のマレッティ大将が指揮を執る。DAKはドイツ第3、第15戦車師団から成り、マンシュタイン大将が統括する。そしてイタリア軍のグラツィアーニ元帥が枢軸リビア軍総司令官として、両者のほかいくつかのイタリア軍歩兵師団の総指揮に任じることになっていた。


「より大きな打撃を与えるため、戦術的退却は許可されるのですか」


「政治的な介入は可能な限り避けるつもりだが、もちろんこの点に関しては、イタリア政府は我々とは別の観点を持っている可能性がある。参謀本部が純粋に軍事的な判断を君たちに示せるよう、私としては努力する」


 ヒトラーの返答は要するにこういうことであった。イタリア政府の手前、あからさまに退却の許可を与えるわけにはいかないが、黙認する用意はある。ただし現場だけで判断せず、参謀本部と協議せよ。マンシュタインはうなずいた。


 ヒトラーは、末席近くにいる少佐に声をかけた。


「フォン=シュトラハヴィッツ少佐、従って貴官の任務は、ドイツ軍の戦備が整うまで、イギリス軍の攻勢を失敗させることである」


 シュトラハヴィッツが印象的な瞳をぎょろりとさせて、無言で一礼した。この人物の指揮する独立大隊は、他の部隊に先駆けてリビアに入るよう手配されている。


 現在、グラツィアーニ元帥指揮下のイタリア軍はエジプト国境を越え、100キロほど進軍してシディ・バラーニという町を占領していた。グラツィアーニはここまでの道路を整備し、水利の確保に努めるという、見ようによってはひどく気の長いことをやっていた。補給を確保するための車両などの機材をいっこうに本国が送ってくれないので、遠いリビアの本拠地から物資を運ぶ算段を、現地で考えなければならなかったのである。彼らに危機が迫っていることを、ヒトラーとムッソリーニは知っている。



----



「おお、もちろん、私たちの同情と友情がドウーチェ(ムッソリーニ統領のこと)とフューラー(ヒトラー総統のこと)に捧げられていることを、お疑いにならないでください」


 フランコはどこまでもムッソリーニに丁寧であった。


「しかし我が国の経済的窮境が、栄光ある枢軸の戦列に加わることを許さないのであります」


 ムッソリーニは、スペインのフランコ総統の訪問を受けていた。スペインは1930年代後半、ソビエトの支援を受けた人民戦線政府と、ドイツやイタリアに援助されたフランコ将軍の率いる軍の一部の間で、深刻な内戦を経験した。結局(ソビエトが途中で手を引いたこともあって)フランコが勝利し、独裁体制を敷いていた。だからスペインは枢軸寄りの国と見られていたし、実際参戦の要請はあったのである。スペインは、この他人の戦争に巻き込まれることをどうにか避けようと、懸命の外交交渉を続けていた。


 ドイツとイタリアがフランコを支援する方法には、お国柄が現れていた。ドイツはこの機会を新兵器・新戦術の実験場、ならびに兵員の訓練場と位置づけ、厳密なローテーションで常に一定数の兵員を送り込んだが、その部隊規模は多くの兵員が実戦経験を踏むための必要最小限度にとどめられていた。一方イタリアは、ドイツ軍よりも大規模な部隊を長期にわたってスペインに張り付け、武器の供与も盛んに行った。ここでイタリアが消費した莫大な戦費と機材は、1940年以降のイタリア軍の総合的な戦争能力に、少なからず影を落としていた。


 ともあれフランコとしては、ドイツには恩義はあっても、親近感より警戒感の方が先に立つのが正直なところであった。まだイタリアの方が恩も大きいしかわいげがある。そういうわけで、イタリアとスペインの関係は西ヨーロッパ政治の焦点だったのである。


 フランコは切々と説いた。スペインの大西洋沿岸は長い海岸線を持っており、防衛にはひどく資源がかかる。イギリスに対し敵対行動をとった場合、ドイツとイタリアからどのような武器の援助が期待できるのか。


「ドイツは、フランスとポーランドから大量の重砲を接収したと聞いております。それらはフランスの海岸と同様に、スペインの海岸を守るためにも提供されるでしょう」


 ムッソリーニは言った。


「率直なところ、イギリスの空軍と海軍は健在であります。しかしながら、陸軍はフランスでの壊滅的敗北から立ち上がるのに多くの年月を要するでしょうから、大規模な上陸の可能性などはおよそ考えられません」


「フューラーは、イギリスへの上陸作戦を実行なさるのでしょうか」


 フランコはうまく話題をそらしたつもりだったが、ムッソリーニに切り返された。


「それは枢軸の戦友だけが分かち持っている秘密です。私に言えるのは、もし将軍が枢軸への友情を具体化させるおつもりがあるなら、急いだ方が良いということです。中間的な解決のことを、お考えになったことはありますか」


「中間的な解決とは?」


「お国は本国の大西洋岸にもアフリカにも、多くの海軍基地をお持ちです。これらのいくつかを、Uボート基地としてドイツに租借させるのですよ。そう、例えば5年の間」


 フランコは叫び出したい衝動をこらえた。警告無しに民間船に魚雷を放つ無制限潜水艦作戦は、れっきとした国際法違反である。それに手を貸したとなれば、アメリカはスペインの海外資産を凍結するだろう。カリブ海のスペイン領を保障占領することすら考えられる。


「それは…その、検討に値するご提案ですな。しかしながら、我が国の港湾が潜水艦の整備と補給に適するかどうか、検討してみませんと」


 会談は結局、何の新たな合意も得られずに終わった。今まではイタリアとドイツの潜在的な不和につけこめば、両国を獲物の配分について争わせる間にスペインは虎口を脱することができたのだが、最近どうも両国の連携が妙に良いのがフランコの悩みの種であった。


----


 ジリリリリリン。


「もしもし。ローマです」


「こちらベルリンでおます。もうかりまっか」


「あきまへんわ。フランコのおっさん、狸や」


 ヒトラーとムッソリーニの官邸を結ぶホットラインは、先ごろ完成したばかりであった。


「脅すだけは脅してくれたか」


「ぼちぼち効いてるんちゃうか」


「ほな、そろそろリッペントロップに押さすわ」


 ドイツのリッペントロップ外務大臣は、スペインから労働者10万人をドイツの農業に迎え入れる計画を持って、マドリードに飛んだ。あわせて、「自動車用エンジン」工場をスペインに設立し、完成品-軍用以外にはまず使われない、マイバッハ社仕様の100馬力エンジン-の大半をドイツが引き取ることも提案する予定になっていた。


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 アウグスタ師団の装備のほとんどはまだイタリアに着いていなかったが、兵員の選抜は終わり、歩兵部隊の訓練が始まっていた。


「続けろ」


 ロンメル師団長は、障害物の乗り越え訓練をしている一団の兵士の敬礼を受けると、そのまま訓練を検分することにした。


 ロンメルはイタリア人の新しい副官を連れただけで、師団を構成する雑多な部隊を訪問して回っている。ただ威張るだけでなく、兵士の中に入っていって士気を鼓舞するようなことを言い残していくので、イタリア軍の兵士たちはこの指揮官に注目し始めていた。イタリア軍には-少なくとも将官には-いないタイプである。


 何人か、ロープの下がった木の壁を越えられない兵士がいた。3メートルくらいの高さがあるだろうか。師団長の見ている前なので、その場の最高位者である大尉が焦りの色を見せて、大声で落ちこぼれ兵士たちを叱った。


 ひとりで興奮していた大尉は、兵士たちの視線に気がついて振り返った。ロンメルがいたずらっぽく微笑みを浮かべて、コートを副官に渡している。まさか?


 ロンメルはやった。右、左、右、左。速くはないがリズミカルに、ロープをするすると登っていく。いや、今年の誕生日で50才になる男としては、十分に速い。壁に手をかけて這い上がる。やはりここでは、動作がどこか緩慢で、筋力の限界と戦っているのがはっきりわかる。訓練場は静まり返り、動いているのはロンメルだけである。


 まず右腕が壁の頂上を越える。つぎに左腕、そして胴体。ようよう乗り越えると、イタリア兵の間からざわめきがもれ、やがて拍手と喝采に変わった。


 ロンメルは壁を回って戻ってくると、大尉にちらりと視線を送った。まるで、お前もやってみろ、と言いかけて無駄だから止めたようなタイミングであった。こういうとき、ロンメルは下僚の面子を決して顧慮しない。しばし賞賛の喝采を楽しんだ後、ロンメルは兵士たちを身振りで静かにさせると、口を開いた。


「君たちが向かう戦場は、砂漠と呼ばれているが、実際には岩山がかなり多い砂っぽい荒れ地である。訓練によってまず守られるものは、君たちの生命である。真剣に取り組んでほしい」


 短いが要を得た演説であった。ロンメルが(さすがに息が上がったのでさりげなく呼吸を整えながら)去ろうと向けた背中に、兵士の声が浴びせられた。


 後に宣伝省が相当の人手を使って、このとき周囲にいた100人足らずのイタリア兵にインタビューしたのだが、ついにこの声の主はわからなかった。それどころか、ある兵士はオペラ歌手がアリアを歌うような朗々とした声だったと言い、別の兵士は野太く下品な胴間声だったと証言した。ある兵士などは、うっとりと言ったものである。あれは人の声ではなく、神の声だったと。


「ドン・エルヴィーノ!」


 数瞬の沈黙の後、イタリア兵たちはわいわいと唱和した。


「ドン・エルヴィーノ、ドン・エルヴィーノ!」


 エルヴィン・ロンメル中将は、新しい自分のあだ名に目をきょとんとさせていたが、やがて何事もなかったかのように次の視察場所に向かった。


----


 ジリリリリリン。


「ローマでおます」


「角のヒトラーやけど、けつねうろん(=きつねうどん)3つ」


「何やねんいきなり」


「ひとつ大盛り」


「ええかげんにせんかい。どないやフランスの方は」


「さっぱりわややな」


 ドイツでは開戦以来の動員によって、およそ260万人の労働力が職場から離れていた。この穴を埋めるため、ドイツはポーランドから盛んに労働者を徴用する一方、120万人の捕虜(大半がフランス兵、残りはイギリス兵)を釈放せずに労役につかせていた。


 ペタン元帥を国家主席とするヴィシー・フランス政府にとって、捕虜の早期釈放は最重要課題である。ドイツはこのカードをちらつかせつつ、フランスの戦争協力を迫っていた。


 フランスの場合、もともと先進工業国であり、敗戦から休戦協定に至る時期に多くの有力企業の株式がドイツの資本家の手に渡っている。だから有能な組織者がいれば、フランスを兵器・軍需品供給拠点として整備することは可能であり、シュペーア軍需大臣はまさにそれを行っていた。ここでもドイツの要求の本命は、ヴィシー政府がドイツの指定するフランスの工場に人手を確保することなのだが、交渉上は大西洋岸の港湾都市カサブランカへの進駐権獲得をまず目指すよう、ヒトラーの指示が出ていた。


 フランスのアフリカ植民地はデリケートな存在である。ドイツがこれらの地域に一度も踏み込まないうちに休戦協定が結ばれたため、戦前からの秩序と軍備がそのまま温存されていて、無理難題を持ち掛ければ敗戦処理政権であるヴィシー・フランス政府に反旗を翻し、イギリスに接近する可能性は十分にあった。カサブランカへのドイツ軍の進駐は、イギリスへの積極的な敵対行為であるにとどまらず、地中海側の港湾(例えばアルジェ)からの軍と補給物資の領内通過を必然的に伴うために、植民地の世論をヴィシー・フランスから引き離す引き金になりかねない。


 ヴィシー・フランスがドイツ側に立ってイギリスに宣戦してくれることが、もちろんいちばんドイツにとって望ましいのだが、おっちゃんはその可能性を考えさえしなかった。そのおっちゃんが値切りを見込んで吹っかけた要求が、カサブランカ進駐なのである。こんなところにUボート基地ができれば、わずかな数のUボートでイギリスとアジアを結ぶ航路をふさぐことができるし、哨戒機もイギリス本土から飛来する戦闘機をまったく心配する必要がない。


「そうそう、例のオールスターチームなあ」


 ムッソリーニは切り出した。枢軸リビア軍のことを、ヒトラーとムッソリーニは非公式にこう呼んでいる。


「マレッティ大将、使えんようになってしもた」


「なんでや」


「イギリスに捕まってしもた。シディ・バラーニで」


「あちゃあ」



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 イギリス第7自動車化旅団は、届いたぱかりの50両のマチルダ戦車を中心に、シディ・バラーニ近郊に展開していたイタリア軍の戦線を突破して、一方的に攻撃を加えていた。イタリア軍は対戦車砲も戦車も旧式で、重装甲で知られたマチルダ戦車に対して有効に反撃できない。重装備を捨て去っての壊走が続いている。戦果に驚いたイギリス軍は、大慌てで有力な歩兵部隊が先鋒に追従してくるところであった。


 イギリスの戦車部隊はエジプト全土を粗々に奪還し、国境の鉄条網を越えてリビア側の拠点バルディアをうかがう態勢である。当然バルディアには戦前から一定の防衛設備があるから、イギリス軍もうかつには手が出せない。


 バルディア周辺の地形は、日本で言うと神戸周辺(ただし南北が逆)に近い。バルディアは海岸の町で、その海岸線と並行するように道路がいくつか通っている。内陸部に向かってかなりの勾配があり、この高くなったあたりを占拠して砲兵のための観測所を置き、陸からの砲撃に艦砲射撃を合わせれば、時日を要せず落ちると思われた。


 イギリス第7自動車化旅団は、これを狙って急いでいた。すでに進撃コースは道路を外れ、舞い上がる砂に先行車両の影すら見失いかける中、簡単な地図とコンパスを頼りに隊列は進む。


 突然、1台のマチルダ戦車が被弾して砲塔を傾け、ハッチが中から吹き飛ばされて飛び散った。最初の着弾を、多くの車長は榴弾砲の間接砲撃(観測班からの連絡を頼りに、直接見えない位置から弓なりの弾道で射撃すること)だと思った。これだけの大口径砲で直接射撃をしてくるイタリア軍ではない。ああしかしドイツのあの兵器なら…いや、ドイツ軍がこのあたりに進出してきたとは聞いていない。ならばこのまま直進するに限る。停止すれば思うつぼである。


 2台目の戦車が炎上して、ようやくイギリス軍は異変に気づいた。これは直接射撃だ。自分たちは危険地帯へと進んでいる。停止命令、続いて転進命令が交錯する。その停止した車両が、3台目、4台目の標的となる。炎上した車両に後続車が乗り上げて誘爆する。運良く助かった戦車兵が車両を飛び出し、まだ無事な車両のフェンダーにしがみつく。


 方向転換を終えると、車長たちは申し合わせたようにハッチから身を乗り出し、この惨事を引き起こした砲弾の飛来方向を見た。3キロ近く向こうではないだろうか。高台の尾根に細長い砲身が、砂塵の影響をあまり受けない位置にいた車長にははっきりと見えた。


 イタリアは、ドイツから大量に供与された88ミリ高射砲を、わずかながらすでにリビアに運んでいたのであった。



----



 ジリリリリリン。


「ローマでおます」


「あっ、間違えました。すんまへん」


「ホットラインに間違い電話があるかい」


「スペインが洞ヶ峠しとる。フランスもや」


「やっぱりリビアの方が効いたかいな」


 リビア情勢は刻々と悪化していた。イタリア軍は砲を受け取っても、それを頻繁に配置替えできるだけの牽引車両が調達できない。ドイツ空軍はイギリス艦艇を海岸に近づけなかったのだが、位置を暴露した88ミリ砲が優勢なイギリス軍の砲撃で制圧されると、陸からの砲撃だけでバルディアはあっけなく陥落し、イギリス軍は要港トブルクに迫っていた。これを見たスペインとフランスは、対独協力の約束を先延ばししはじめたのである。


「スペインは、タイピストが病気やから議定書の送付が遅れる言うてきよった」


「そらまたえげつない。社長んとこの空軍はどうなっとるのや」


「送る算段はしとるんやけどな」


 ドイツは地中海方面に、とりあえず大小200機余りの航空機を派遣していた。それを統括する第2航空艦隊長官には、ケッセルリンク元帥に代えてイェショネク大将が補されている。前の空軍参謀総長で、仕事はできるが少々人望面で問題のある若手(大将としてはだが)成長株である。


 すでにドイツのヴュルツブルク型・フレイヤ型対空レーダーが何基かシチリア島に据え付けられ、遠くジブラルタルから時折飛来するイギリスの双発爆撃機や、イギリス本土からマルタ島に夜間に飛んでくる増援の大型機を幾度となく発見していた。第2航空艦隊の任務も、地中海中部の補給路確保とマルタ島制圧が主で、陸軍への戦術支援はお添え物である。それは主に増強されたイタリア空軍が行うことになっていたが、この増強がなかなか進んでいなかった。



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 バルディアやトブルクからはるか内陸に入ったガブル・サレフ。間道の三叉路にあたる重要拠点の集落であるが、現在の戦局の焦点からは遠く離れていた。それでも配置されたイギリス軍の小規模な守備隊が、遠くから近づいてくる砂塵を見つけて警戒態勢を取ったのは、さすがというべきであろう。


 近づくにつれ、その隊列がきわめて奇妙であることに、イギリス側は気づいた。先頭を進むのは10台ばかりのイギリス軍の兵員輸送車。それをドイツ軍の装甲車と兵員輸送車が追っている。イギリス軍の兵員輸送車の方は時折煙幕手榴弾を車外に放っている。ドイツの装甲車はすぐその煙幕を突き破って来るのだから、まったく無駄なことをしているようでもあり、はかない抵抗をしているようでもあった。


 車両群はどんどん迫ってくる。守備隊指揮官は決断しなければならなかった。そのときである。口ひげをたくわえた中年の美男子が、先頭の車両から立ち上がり手を振った。色のあせた軍服姿である。他のイギリス軍の車両からも男たちが身を起こす。いきなり後方の装甲車が発砲を始めた。


 指揮官はついに決断した。あれはイギリス軍で、ドイツ軍に追われているのだ。後方のドイツ軍車両に集中砲火を浴びせるよう、指揮官はありったけの機関銃座や迫撃砲陣地に命じた。


 もうイギリス軍車両は陣地まで50メートルのところまで来ている。目ざとい兵士が、イギリス軍車両に何の識別マークも付いていないことに気づいて警告を叫んだ。それと同時であった。さっきまでの男たちが一斉に頭を引っ込め、軽機関銃や短機関銃(ギャング映画でよく見かける、立ったままでもひとりで撃てる機関銃。反動を少なくするため小銃でなくピストルの弾を使うが、射程は数十メートルしかない)を構えたドイツ兵が顔を出した。


 勝負はあっけなく付いた。陣地をそのまま走り抜けたドイツ兵は、まったく白兵戦の準備の出来ていないイギリス兵に襲い掛かった。かなり残っていた重火器は、煙幕の中から現れた数両のドイツ戦車が片づけた。煙幕を張っていたのは、この戦車を隠すためだったのである。


 守備隊指揮官に取って腹立たしかったのは、捕虜となって会見したドイツ軍の指揮官が、さっきの口ひげの男だったことであった。


「フォン・シュトラハヴィッツ少佐だ。お会いできてうれしい」


「制服に階級章がないようだが」


「洗濯したら取れてしまってね」


 シュトラハヴィッツはしゃあしゃあといなした。彼のやったことは、実質的な国際法違反(国籍の詐称)である。


 シュトラハヴィッツの独立大隊は、特例で戦車5両を追加されているが、基本的には装甲車と兵員輸送車、そして歩兵から成る装甲偵察大隊である。ただ兵員輸送車の配備が一向に進まないため、フランス戦でイギリス大陸派遣軍から捕獲した兵員輸送車を半分あてがわれてしまった。そこからシュトラハヴィッツはこういうトリックを思い付いたのである。


 シュトラハヴィッツ家は、ブランデンブルグ選帝侯の時代から旧プロイセン王家に仕える典型的な、というより戯画的なまでに極端なユンカー(ドイツ東部の地主貴族で、高級軍人に多い)の血統である。当代の当主の持つ口ひげと印象的な瞳は「風と共に去りぬ」からレッド・バトラーが抜け出てきたような”地主の旦那様”の風貌を構成している。決して裕福な家系とはいえないが、その勇猛さと風貌から、パンツァー・グラーフ(戦車伯)の異名をかちえていた。


 シュトラハヴィッツ大隊は大急ぎで戦利品をかき集め、捕獲したトラックで捕虜を後送する算段をつけると、東へ向かった。目指すは国境の要衝、ハルファヤ峠。



----


 ジリリリリリン。


「ローマでおます」


「ピー、ピーロピロピロピロピロ」


「なんやねんそれ」


「FAXやがな」


「口で擬音言うてどないする。なんとかトブルクの方は保ちそうやな。イタリア空軍も動き出したで」


「頼りにしてるで」


「と言うても、なんせ主力が複葉機やさかいな」


 イタリアの当時の主力、CR42戦闘機は、複葉機であった。別に単葉機を作れなかったのではない。総合的な工業力に劣るイタリアは、大出力エンジンを開発し量産することに、遅れを取ってしまっていたのである。エンジンの出力が低いとなれば、運動性の良い複葉機にも利点は多い。


 いまアルファ・ロメオ社がドイツのダイムラー・ベンツ社のエンジンをライセンス生産しようと努力していたが、それすらなかなか量産が円滑に進まずにいた。



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 ハルファヤ峠のイギリス軍守備隊は、夜襲に十分に備えていた。小規模なシュトラハヴィッツの部隊ではどうしようもなかった。そうでないことをシュトラハヴィッツはもちろん期待していたが、この状況も考慮のほかというわけではなかった。兵士たちは、直接命令を受けない限り、午前3時になったら攻撃開始地点に戻るよう命じられていた。


 シュトラハヴィッツは、車両を隠した地点まで戻ると、通信機に向かった。


 彼は暗号化されない平文で、「ドイツ・アフリカ戦車集団司令部」に報告を送った。それによると、多大な犠牲を払ってハルファヤ峠は「第2戦車師団先遣隊」の制圧するところとなった。シュトラハヴィッツは、戦果を拡大するため「師団残余の急進と、第18戦車師団の速やかな増派」を要請し、「先遣隊」の損害は甚大だが「死すとも降らない」覚悟で後続を待つ、と続けた。


 シュトラハヴィッツが傍らの通信兵を指差すと、通信兵は大声で「なぜ暗号を使わない、馬鹿者」と叫びながら通信を切った。


「申し訳ありません、少佐どの」


「いや、いい演技だった」


 シュトラハヴィッツは兵員輸送車から伸び上がって戦況を見た。銃火はまばらだが広範囲から聞こえている。うまくいけば、どこか峠の一角が崩れたのかもしれない、とみんな思ってくれるだろう。


「やれるだけのことはやったな。さあ、我々も退き上げだ」


----


 シュトラハヴィッツの思惑通り、退路の遮断を恐れたイギリス軍は、トブルク正面に迫りながら、ハルファヤ峠に引き返してきた。ほどなく真相が知れ-追っ手がかかった。


 シュトラハヴィッツの部隊は疲れきっている上、夜襲で相当な損害を受けていた。足回りの弱いトラックなどがまず脱落する。イギリスの装甲車部隊の発砲で、兵員輸送車の薄い装甲は打ち抜かれ、天井のない兵員室から不吉な炎が吹き上がる。部隊の全滅は不可避かと思われた。


「こんなことなら、エジプト側に飛び込むんだったな」


 シュトラハヴィッツは普段ならそうしたであろうが、決定的な敗北をするな、というヒトラーの訓示が頭をよぎったので、帰ることにしたのである。


 シュトラハヴィッツは何気なく、肩の階級章を確かめた。今の服にはちゃんと階級章も国家章もついている。こんなときに気にすることがこんなことだとは、と自嘲の微笑を浮かべたシュトラハヴィッツは、同乗している若い兵士が尊敬のまなざしで自分を見詰めていることに気づいた。この状況で微笑することを、その兵士は豪胆さの表れと取っているのに違いなかった。


 そのとき、上空から救い主が現れた。イタリア軍よりもドイツ戦闘機部隊の指揮官の方がシュトラハヴィッツ隊の運命を心配していたから、トブルクから撤退するイギリス軍を追っていくらでも好機のあるところを、強行偵察の名目で滞空時間の長い双発戦闘機を数機派遣してくれたのである。機首の20ミリ機銃は装甲車を撃破するには十分な威力があり、数分でそのことは実証された。


「幸運でしたね」


 部下に言われたシュトラハヴィッツは、芝居がかって説教した。


「いいか…幸運というのは、それを当てにしている奴のところに来るんだ」


 開放的な笑い声が兵員輸送車を満たした。


 こうして、シュトラハヴィッツはまたひとつ伝説的な冒険行をその履歴に加えたのであった。



----



 ジリリリリリン。


「ローマでおます」


「ピー、ピーロピロピロピロピロ」


「同じネタを2度やったらあかんがな」


「今度はちゃうで」


「何がや」


「今度はFAXやのうて、パソコン通信や(執筆当時、電話回線を使ったナローバンド接続が主流でした。ですから通信していると市内のアクセスポイントへの電話代、人によっては市外料金がかかりました。ピロピロという通信音は最初だけ聞こえますが、FAXを送受信する音と似ていました。)」


「…まあ、ええけどな」


「今朝急に、スペインのベルリン大使が駆け込んで来よってな。あとは順調に行きそうや」


「そらよかったな。ほな切るで」


「今回の課金時間は…(1980~90年代、NIFTY-Serveの通信切断時に出た表示。)」


「もうええわ」



ヒストリカル・ノート


 陸軍の編成は原則として、軍集団(または方面軍)>軍>軍団>師団>旅団>連隊>大隊>中隊>小隊>分隊>班です。この小説の扱うスケールの話では、師団というものが理解できないと筋がつかみづらいので、少し行数を割いて説明することにします。ここでの解説が当てはまらない特殊例(例えばドイツやソビエトの砲兵師団)もあることを最初にお断りしておきます。


 旅団以下の単位を専門店あるいは売り場とすると、師団は総合的な品揃えを持つスーパーマーケットです。まずどんな師団にも歩兵と砲兵がいます。大砲は強力な武器ですが、近距離で歩兵に襲われると無力なので、歩兵が作る戦線の後ろに守られています。対戦車砲や対空砲の部隊が砲兵から分かれている国もありますし、ごちゃまぜの国もあります。


 ほとんどの師団は、これに加えて偵察部隊を持っています。これは基本的には歩兵部隊ですが、事情の許す限りで兵員輸送車、トラック、オートバイ、馬車、自転車などの移動手段を多めにあてがわれていました。


 戦車師団はこれに加え、戦車部隊を持っています。戦車師団と自動車化師団は、この戦車部隊の規模によって区別されますが、厳密な境界線はありません。自動車化師団はたいてい戦車師団と同じ軍団に配属され、戦車師団が急進撃するとき側面を守ります。自動車化師団は戦車師団同様に、戦車の進撃速度に合わせて移動できるよう、所属する全部隊が(出来る限り)豊富な移動手段を与えられているからです。


 工兵は、橋を架けたり道路を補修したりするのが本来の仕事ですが、爆発物の専門家として、市街戦での建物の爆破や火炎放射器の操作にも携わり、しばしば多くの死傷者を出しました。


 以上のほか、通信、衛生(医療)、経理といった非戦闘部隊を加えて、ひとつの師団が出来上がります。第2次大戦当時の師団の編成定員は、9千人から1万5千人と言ったところでした。


 当時の常識では、1個歩兵大隊の防御する標準的な戦線の長さは1キロでした。大戦中に改編されたドイツの歩兵師団は6個歩兵大隊を持つのが普通でしたから、理想的な状態で6キロ、無理をした状態ではその倍程度までを担当します。こうした師団の戦区が切れ目なくつながって戦線が出来ます。


 師団の上の軍団には、独立した大隊、連隊、旅団がいくつか「軍団予備」あるいは「軍団直轄部隊」として与えられます。重要な目標に向かう師団や、消耗した師団は、軍団司令部から軍団直轄部隊を一時的に指揮下に加えられます。典型的な軍団直轄部隊は、軍団砲兵と総称される砲兵部隊で、しばしば師団の砲兵よりも大きくて射程の長い大砲を持っています。


 さて、この回に紹介されたドイツのアフリカへの派遣部隊は、史実より大きいのでしょうか、小さいのでしょうか。陸軍だけを取ると「わずかに大きい」というのが答えです。


 史実での1941年当時の派遣兵力と、作中の派遣部隊を対照してみましょう。


史実          作中

第5軽機械化師団   第3戦車師団

第15戦車師団     第15戦車師団

第90アフリカ軽師団  アウグスタ戦車師団

アリエテ戦車師団   アリエテ戦車師団

           トリエステ自動車化師団



 第5軽機械化師団は、じつは第3戦車師団から割愛させた部隊を中核として編成されています。それが丸ごとやってくるわけで、ここで半個師団ほど差がつきます。第90アフリカ軽師団は歩兵と砲兵しかない変則師団ですから、ざっと半個師団の戦闘力しかありません。アウグスタ師団は完全編成のドイツ戦車師団と同兵力ですから、トリエステ師団と第90師団を合わせた程度の戦闘力があるでしょう。ただし、トブルクが陥落しなかったことで、イタリアのイギリスへの捕虜は史実より約10万人少なかったはずですが、これらは「再編のため」イタリアに送り返されたものとします。


 これに対し、イギリス側はギリシアに兵力を送らずにすんだので、エジプトに史実より3個師団程度多い(1個戦車旅団を含む)戦力を持っています。ドイツ軍に決定的な勝利を収める力はない、とヒトラーが力説するのはこのためです。


 リュットヴィッツという将軍はふたり実在しますが、この時点ではまだどちらも中佐です。ここでのリュットヴィッツは架空の新米将軍。結局のところ、ほとんど出番はありません。



 自動車を国際分業する場合、実際にはエンジンは最も高度な技術を要し、最後まで技術移転されない部品のひとつです。この作品ではわかりやすさを優先してエンジンを取り上げました。


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