第4話 総統の革命
ドイツ空軍司令官、ヘルマン・ゲーリング国家元帥は、ヒトラーの招請を受けて重い腰を上げ、贅を尽くした大邸宅からベルリンへやってきた。
ゲーリングは軍人として特別な存在であり、ヒトラー政権と空軍に対する彼の貢献は絶大であった。最近、彼の空軍はイギリス上空の制空権を奪うことに失敗したが、なお彼の威勢も人気も十分に大きな物であった。
最近ゲーリングは会議に代理を送ることが増えていた。位人臣を極めた気のゆるみもあったし、イギリスでの失敗でヒトラーと顔を合わせづらくなっていることもあった。
今回は代理出席まかりならぬ、来ないのであればこちらから出向くぞ……というヒトラーのたっての要請で、どうしても彼がベルリンへ来なければいけなくなった。ゲーリングは政治家としての長年の勘から、何かいやな予感がしてしかたがないのだが、ベルリンにいる空軍の連絡将校たちはヒトラーの本音を引き出せずにいた。
すでにOKWから、ドイツ軍の重点を大きく移すような指示がいくつか飛んでいた。最新鋭の爆撃機であるユンカースJu88爆撃機のほとんどを大西洋岸へ回すこと、爆撃機部隊の新設を禁止し、戦闘機部隊の拡充を急ぐことなどで、その背景にある大方針の転換-ソビエト攻撃の中止-については連絡将校たちが伝えてきていた。
その大方針の転換を正式に協議するためだけに、自分は呼ばれてきたのだろうか? どうもヒトラーのいつものやり方ではない。ヒトラーはおよそ誰の同意も取り付けようとはしない。命令するか、何もしないか、どちらかである。ヒトラーがいったん腹を決めたとしたら、まず指示が来るのがいつもの手順である。逆にヒトラーが人を呼び付けるとしたら、ヒトラーはまだ最終的な判断を保留しているはずであった。とすれば具体的で体系的な総統指令が出始めている現状はおかしい。
ゲーリングは考えるのが面倒になったので、何か飲み物を持ってこさせることにした。ゲーリング専用列車には、ゲーリングを不愉快にさせないため考えられる限りのものが乗っている。とはいえ、だんだん出不精になるゲーリングがこの列車を使うことも、あまりなくなってきていた。
ゲーリングは第1次大戦のとき、伝説的な撃墜王”レッド・バロン”リヒトホーフェン男爵のもとで、パイロットとして戦っていた。大戦末期に英仏軍が優勢となり、戦闘機に迷彩を施す命令が出されたとき、これに反発したリヒトホーフェンが乗機を真紅に塗ったことが彼の渾名の由来だが、このときゲーリングも乗機を純白に塗らせている。彼のパイロットとしての実績はなかなかのもので、リヒトホーフェンが終戦直前に戦死するとその後任指揮官となったほどである。終戦後NSDAPに入党し、空の英雄としての声価と、組織者・政治家としての才能を党とヒトラーに提供した。
第1次大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約は、ドイツに空軍を持つことを禁じていたから、ドイツにおける空軍の器材や人員の確保は、あらゆる隠れみのを使わねばならなかった。ルフトハンザ航空には「連絡機」や「輸送機」が異常に数多く在籍し、青少年に基本的な航空機操縦を教えるためにグライダー競技が奨励された。やがてドイツ空軍の存在が公表されるや、それは迅速に組織を整え、列強にドイツとの軍事衝突をためらわせるほどの戦力となった。これらのプロセスにおいて、ゲーリングは自ら辣腕を振るっただけでなく、その勝ち取ったポストを旧友たちに分け与えて、新生ドイツ空軍の高官としたのである。高官たちが、自分たちを人がましくしてくれたゲーリングに頭が上がらないのは当然のことである。
ドイツ空軍はイギリスを屈服させるためには十分な戦力ではなかったが、ポーランドとフランスでは戦術空軍としていわゆる電撃戦の担い手となり、成功した。大規模な交戦の機会もないままに、いろいろなコンセプトが生まれては消えた戦間期にあって、ドイツ空軍の育成は十分に成功したと評価できる。国力を省みず、効果の現れるのが遅い戦略爆撃に傾斜などしていたら、ドイツ軍は1941年になってもフランス国境からほとんど進めずにいたかもしれない。
しかし、イギリスや大西洋でドイツ空軍に必要とされる能力は、従来有効であった能力とはまったく異なっている。過去はともかく、ドイツ空軍は変わらねばならなかった。
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ヒトラーはゲーリングが到着すると、すぐに彼を閣議室に招じ入れた。総統官邸はもともと首相官邸であるから閣議を開くための会議室があるが、完成以来この目的に使われたことは一度もない。
ヒトラーが勉強家であることを、ゲーリングはよく知っていた。しかしさすがのヒトラーも航空関係については技術的な知識が追いつかず、陸軍に対するような細かい口出しは従来ほとんどなかった。
それが、である。
ヒトラーの提示する構想は詳細で、ゲーリングには付け入る隙がほとんどなかった。逆にゲーリングが、大型機や飛行艇に関する知識の不足を痛感する体たらくであった。しかしゲーリングは言わねばならない。この構想は空軍の既得権益を大きく侵している。空軍の分割に等しいではないか。
「それだけではないぞ、国家元帥」
ヒトラーはゲーリングの遠慮がちの反論にびくともしなかった。
「高射砲部隊も大幅に縮小する。理由はひとつにはイタリアへの援助のため、もうひとつには陸軍の対戦車能力強化のためだ。都市防空部隊と野戦高射砲部隊の両方を削る必要がある。そう、88ミリ砲が1000門ほど必要だ」
高射砲が爆撃機を撃墜することはあまりない。しかし良い位置での照準を妨げることはできるし、市民に「国が何かやってくれている」ことを実感させることの政治的意義は大きい。イタリアにも決して重高射砲がないわけではないのだが量産が進んでおらず、イギリス空軍の都市爆撃が少なからざる政治的失点を生み出していた。
それにしても1000門とは! この時点で空軍が保有している88ミリ砲は3800門、ほかに105ミリ砲が400門足らずあるが、その1/4を召し上げようというのである。ゲーリングは言葉を失い、ヒトラーをにらみつけた。
「私はこのような屈辱的な決定を、司令官としての国家元帥に押し付けることに忍びない」
ヒトラーの口調は静かだが、考え抜かれたものらしく、すらすらと言葉が出てきた。
「辞職せよ、と言うことでありますか」
ゲーリングの顔はもはや人間のそれではない。敵を前にしたブルドッグのそれであった。
「戦争は厳しい局面を迎えている。もしイギリスを屈服させることに失敗すれば、アメリカが参戦し、我々は破滅する。私は君の個人的な名誉に大いに関心を寄せているつもりだが」
ヒトラーの口調もわずかに甲高くなっている。ゲーリングの興奮に刺激を受けているのであろう。
「同時にもっと大きな物に対しても責任を負っているのだ」
「ミルヒだな!」
不意にゲーリングは気がつき、吠えた。これだけの詳細な計画を立案でき、しかもその事実をゲーリングに報告しない人物といえば、空軍省次官のミルヒ元帥しかいない。彼はユンカース社出身で航空機生産と開発に詳しく、ゲーリングの後継者と目されていたため、当のゲーリングからは強く警戒されていた。
「総統、奴に騙されてはいけません。奴は空軍の指揮のことなどまったく分かってはいないのです」
ゲーリングはまくしたてた。
「私は君の王国を取り上げるつもりだ、国家元帥」
ヒトラーの言葉は冷たく、ゲーリングをかえって冷静にさせるほどであった。
「王国は分割される。ミルヒはその一部分を受け取ることになっている。それは事実だ。しかし私が君の利害よりも彼の利害を重く見ているわけではない。状況はドイツに、すべての潜在能力を発揮することを要求している。すべてはそのための処置だ」
王国? そうか。総統はゲーリングの空軍総司令官としての職だけでなく、経済関係の閣僚の地位も奪うつもりなのだ。
「その危機を乗り切るために、総統は私を必要とされないのですか」
ゲーリングは涙声になっている。状況は悪かった。ゲーリングの予想をはるかに越えて悪かった。ヒトラーはすべての用意を整えており、ゲーリングは不意打ちを受けた。ゲーリングは懸命に出口を探していた。
「君には仕事がある。差し迫った仕事だ」
ヒトラーの口調は丁寧だったが、和らいだとはいえなかった。
「勝利者は、薬物に頼ったりはしないのだ」
ゲーリングは口を大きく開けたまま放心した。どこかの麻薬撲滅キャンペーンで使っていたこの殺し文句は、ヒトラーの狙いすました一撃であった。ヒトラーにも後はない。総統らしい断固たる表現のボキャブラリーがここまで涸れなかったのが不思議なほどである。
ゲーリングがモルヒネを常用していたことは現代ではよく知られている。といってもおっちゃんがそこまで知っていたわけではない。空物のプラ模型が好きで、空軍関係の本を読むことの多かったムッソリーニがかろうじて、ゲーリングが何かの薬物中毒であったことを覚えていたにすぎない。ヒトラーの秘密の質問を受けて、真相を漏らしたのは、やはりゲーリングのにらんだ通りのミルヒ元帥であった。
会議室を沈黙が支配した。何人かの佐官級の高級副官がふたりのそれぞれに相伴していたが、RPGのボス戦に巻き込まれた下級モンスターのように凍り付いたままであった。ヒトラーもゲーリングも、血中のアドレナリンを取り片付けることに忙しかった。
「君の名誉と収入については、私が責任を持つ」
やがてヒトラーが口を開いた。ゲーリングは経済関係の実権を握っていることを基礎として、産業界からかなりの個人献金を受けていた。それが今までのようには行かなくなることを含めて、ヒトラーはゲーリングには十分な金銭的補償をする決意であった。もはやゲーリングは、力なく肯くしかなかった。
今日の総統会議は、一方的な総統会見に近いものであることを、出席者は事前に知らされていた。議題は秘密であり、陸海空の総司令部ないし参謀本部には何の準備も指示されなかった。どうやら、7月に内命のあったソビエト攻撃計画が全面撤回されるらしいことは、薄々伝わっていた。しかしそれだけなのか?
昨日ベルリンに着いたはずのゲーリング国家元帥は公式の場に姿を現さない。陸空軍のスタッフから見ると、空軍の高官たちは大慌てで、しかしどこかこそこそと協議を続けていた。彼らはいつ見ても誰かと話しているか、でなければ電話を握っていた。
総統官邸に続く通りで、陸軍少将が知り合いの海軍大佐を見かけて呼び止めた。
「君のところも忙しいのかい」
「俺は砲術科だからな。潜水艦関係の連中は、急に忙しくなったみたいだぞ。みんな言い合わせたようにイタリア語の辞書を机の上に置いてやがる。Uボートを全部地中海に送るとでもいうんじゃないだろうな」
「逆かも知れんぞ」
陸軍少将は応じた。イタリアの潜水艦が大西洋の戦いに参加するためジブラルタル海峡をひそかに抜けて、じつに27隻がフランス西海岸の基地に進出していることは、よく宣伝の種にされていた。この数は、ドイツが当時保有していた外洋作戦可能なUボートの、約半分に相当する。
「あまりありがたくないが、上が現実を直視してくれるのは助かる」
海軍大佐は言った。ドイツ海軍は、1944年まで対イギリス戦争はないという前提で増強計画を進めていたため、1940年の時点では問題にならないほど戦力が不足している。Uボートは生産に2年もかかる代物だから、開戦時から急速に着工数が増えてはいるものの、いま作戦可能なUボートは驚くほどわずかな数にすぎない。開戦以降新規着工のほとんど止まった水上艦艇に至っては言わずもがなであった。
「今日、分かるさ」
陸軍少将は言った。ふたりとも自分が総統会議に出席できる身分ではなく、別室で待機するサポート要員であったが、今日の会議で何か重要なことがアナウンスされるという確信は持っていた。
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会議冒頭、ゲーリングの退任を告げるヒトラーの演説は短いものであった。すでに空軍関係者はこのことを知らされており、どよめいたのは陸海軍関係者であった。
問題はその後任と職掌分担であった。この件に関して空軍総司令部は一切相談に与れなかった。すべては総統とOKWが一方的に押し付けてくることになっており、その内容もまだ漏れてきていなかった。きわめて異常な事態である。
「ミルヒ元帥!」
ヒトラーは呼んだ。ミルヒは勢いよく立ち上がる。
ミルヒは有能で友人が少なく、成り上がりの多いヒトラー政権にあっても、権力を権力として愛することの強い男であった。父親がユダヤ人なのではないかという嫌疑をかけられたとき、母親に別のドイツ人との不倫を告白する書類を書かせて危機を乗り切ったといわれる。
「君を空軍大臣に任じる。空軍の技術局は、君の指揮下に置く」
ミルヒは雷に打たれたような顔をした。ヒトラーは続ける。
「君の空軍査閲総監の職を解き、ゲーリング国家元帥をその職につける」
空軍の高官たちが何人か、忍び笑いを漏らした。ミルヒは航空機の生産と開発に関するすべての権限を与えられたが、逆に作戦指揮からは完全に切り離されてしまったのである。査閲総監は企業で言うと監査役のようなもので、空軍全般に対して口が出せる便利な職である。これを取り上げられると、ミルヒは空軍総司令官に対して何の口出しもできなくなる。
「微力を尽くす所存です」
ミルヒの挨拶も自然と短くなる。
「シュペール元帥」
次に呼ばれたのは、第3航空艦隊長官、フーゴー・シュペール元帥であった。
「君を空軍総司令官に補す」
シュペール元帥は、陸海空軍を通じて、ゲーリングより腹回りの太い唯一の元帥である。その巨体の上に深刻な表情の顔が乗っかっている様は、どこかミスマッチであった。
「総統、大変光栄なのでありますが、私がその職にふさわしいかどうか自信がありません」
シュペールはドイツ空軍の古株で、1930年代にスペイン内乱に介入したドイツ空軍部隊の隊長をしていた人物である。フランスが降伏してから、第3航空艦隊はケッセルリンク元帥の第2航空艦隊と競うようにイギリス爆撃に出動したが、その間自分はパリのリュクサンブール宮殿を司令部にして、贅沢と賭博にうつつをぬかしていた。弱い人間ではあったが、自分の弱さを自覚するだけの聡明さはあった。
「シュペール元帥、これからドイツ航空部隊に課される使命は、これまでのものとは大きく異なっている」
ヒトラーが空軍でなく航空部隊と呼んだことに、どんな意味があるのか、出席者のほとんどはまだ理解できなかった。
「それを解決するには多くの若い才能が必要だ。それらすべての人材を代表して、君は総司令官となると理解してほしい」
「若い人材であれば」
例えばケッセルリンク元帥ではどうか、と言いかけたシュペールは、ヒトラーの意図を理解した。癖のある若い将軍たちのだれかひとりを総司令官に据えれば、それ以外の将軍たちの処遇が難しくなる。ゲーリング解任という激震を吸収する意味からも、ここは最年長のシュペールを中心に据えて、それぞれのセクションで若手を守り立てた方がうまく行くのである。それにしてもこれほど困難で損な役回りがあるだろうか。
「君は任務を果たせると期待している」
ヒトラーはシュペールの数秒の沈黙を黙認と取り、次の発表に移った。
「経済大臣はシュペーア軍需大臣が兼務する。4ヶ年計画担当大臣は廃止し、その権限は軍需大臣に帰するものとする」
シュペーアはにこりともせずに、新たな権限を受け取った。実際、シュペーアは新たな仕事を得たというより、別の人間に邪魔されることがなくなった、と言うべきであった。
「さて諸君、聞いてもらいたいことは、まだ始まってもいないのだ」
ヒトラーは語り掛けた。
「イギリスはドイツに長期にわたり抗戦する構えを見せている。これは私が想定していなかった事態である。ドイツのいかなる戦時計画も、このイギリスの態度によって引き起こされる長期戦に備えていない」
ヒトラーはあっさりと自らの責任を認めた。
「誤りは正さねばならない。それも早急にだ。それのみがイギリスの態度を改めさせ、戦争を早期に終結する道だからである」
ヒトラーの演説は威勢のみ良くて、何を言っているのかわからないことが常だったが、今日の演説はいつになく直接的である。
「イギリスを屈服させるためには、大西洋上及びイギリス上空において、イギリスに耐え難い消耗を強いることがまず必要である。さらに、イギリス本土上陸に耐えられるだけの船腹を用意する必要がある。単に上陸を成功させるだけではなく、ドイツ陸軍がスコットランドまで展開できるだけの補給能力を持つのだ」
ここまでは1940年に試みられ、そして失敗したストーリーである。
「イギリスを封鎖するために最も有効な兵器は潜水艦であるが、これを短期的に増産することは困難である。ゆえにその利用効率を高める補助的手段が必要となる」
空軍高官の顔色が変わった。ようやくヒトラーの意図が読めてきたのである。何ということだ!
「私は、空軍から有力な航空部隊を海軍に移管することを命じる。水上航空機および飛行艇のほか、哨戒に適する大型爆撃機、ビスケー湾(フランス西海岸)において哨戒機とUボートを保護するための双発戦闘機、および艦船攻撃に適する爆撃機がこれに含まれるべきである。ドイツおよびルーマニアの東部国境の防備は、これらの措置のため犠牲にされる」
海軍の高官たちは、突然の幸運が信じられないという顔をしていた。潜水艦隊司令官デーニッツ少将は、案に相違して険しい表情であった。その責任の重さを思うたのである。
これまではゲーリングの絶大な政治力に支えられて、空軍は航空兵力を独占してきた。その独占があっさり崩され、海軍航空隊が創設されることになったのである。
「シュペーア軍需大臣は私の内意を受けて、Uボートと小舟艇の生産効率と稼働率を引き上げるための措置を検討している。そのために主に東部戦線において、ドイツ陸軍は30個師団を削減する」
やっとソビエト攻撃中止の話が出たが、これだけ重大発表が続くと、色あせて見えた。攻撃計画では東部戦線に120個師団を配置することになっていたから、その1/4を削減したことになる。東部戦線での攻勢のための補充要員も相当数が召集を解かれることになるはずで、少なくとも60万人の青壮年が生産現場に戻ってくる算段であった。
「現在創設作業が続いている戦車師団については、器材の充足が遅れることを甘受しつつ、作業を続行するものとする」
1940年の8月から11月にかけて、ドイツは戦車師団の数を10個から20個に倍増させた。戦車連隊の戦車定数を20%削るなどの措置が取られてはいたが、戦車や車両の定数充足にはまだまだ時間がかかるはずであった。ヒトラーは、大西洋の状況を好転させるためなら、充足が遅れてもよいと言い切ったのである。小舟艇を大量に用意するとなれば、戦車生産は鋼板などいくつかの資源を舟艇生産と食い合うことが予想された。
「質問は」
やっと会議らしくなって、苦笑のさざなみが議場を渡った。ひとりの陸軍参謀-それでも少将である-が勇を振るって手を上げた。
「アフリカ戦線および地中海戦線についてお伺いしたい」
「アフリカ戦線の意義は主に政治的なものとなる」
ヒトラーは議場の最上段に広げられた、ヨーロッパの地図の下に自ら進み出た。
「現在イギリスとドイツの陸上部隊が直接衝突する可能性のある、唯一の戦場である。イギリスは現在、戦術的な勝利のニュースを何よりも欲している。それは当分の間、我が軍も同様となろう」
確かにイギリスに海空から圧力を掛け続ける間、印象的な戦果をあげることは難しいであろう。
「従って基本的に、地中海戦線における戦略目標は、最小の犠牲によってイギリスの攻勢をことごとく失敗させることである。しかしながら、将来の可能性を考えると」
ヒトラーは地図上の一点を指した。
「ここが攻防の焦点となるであろう」
ヒストリカル・ノート
ヒトラーがヨードルら一部の側近にソビエト攻撃の準備を命じたのは、1940年7月、つまりイギリス上陸成るか成らざるかも定かではない段階であったといわれます。この時期、イタリアとの連携がなかったことももちろんですが、ドイツ自身もスペイン経由のジブラルタル攻略など、複数の作戦の準備を同時進行させていました。
ヒトラーはイギリスとの戦争を短期戦か、あるいはまったく避けられる戦争とみなしており、これがドイツ国民に対する一種の公約となっていたようです。総力戦への国内の準備が整っていなかったのも、整えるのに時間がかかったのも、この政治的要因が影響していました。
1940年末頃の外洋型Uボート稼動数を直接示した資料は手元にありませんが、完成したUボートの引渡数と喪失記録から、60隻前後ではなかったかと思われます。また大西洋のイタリア潜水艦については、29隻と記した資料もあります。
じつは新作のリサーチをしていくうち、「逆なのではないか」と思ったところがあります。1937年にヒトラーは陸海軍の司令官などを集めて、「この先、オーストリアやチェコスロバキアでドイツの要求を実現させるうちに、英仏と戦争になるかもしれない」という演説をしました。ゲーリングは「まあ実際に戦争になることはないよ」と高をくくった態度でこれを受け(レーダー海軍総司令官の証言があります)、どうもヒトラーも気が付いて、ゲーリングがそうした類の相談からハブられた節があります。ここから先は何の証拠もないのですが、ゲーリングがハブられていることに気づいて、自分の態度のせいだと思わず、ミルヒの陰謀を疑ったのではないか……と思えるのです。ミルヒ自身は、1938年になって急速にゲーリングが冷たくなり、誰かがゲーリングに自分のことを「ざん言」したのではないかと思っていたようです。まあ本作ではこのまま消えてしまうので関係ないのですが。