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第3話 ツッコミはアルプスを越えて


 ヒトラーは最近、以前に比べれば早寝早起きになり、人並みに朝食を摂るようになった。新聞を読む時間も朝食前になった。


 今日はいくつかの新聞に、特別分厚い別刷りが挟み込まれている。先ごろ辞職したトート軍需大臣とトート機関をたたえる内容の特集であった。内容が似通っているのは致し方ない-すべてヒトラーの内命で、宣伝省新聞局の提供した原稿だからである。


 トートは成り上がりの多いヒトラー政権にあって、決して政治能力が低い方ではなかったが、根は技術屋であって、果てしない政治交渉を嫌っていた。一方シュペーアは、トートを押しのけてドイツ戦時経済の実権を握ることに、やはり躊躇を覚えていた。トートは年上だし、仲も悪くなかったからである。


 両者の言い分を聞いてみると、トートが100万人近い人員を抱える建設者集団「トート機関」の経営に専念し、若く野心いっぱいのシュペーアが政争を担当するというのが、やはり適材適所のように思えた。そこでヒトラーは、トートに様々な名誉と恩典を与えて更迭の印象を消すことを前提に、史実より1年半早く(しかもトートは生きたままで)シュペーアを軍需大臣に任じたのであった。


 トートはその肩書きにもかかわらず、その領域において絶対者というわけではなかった。4ヶ年計画担当大臣としてのゲーリング、OKWの軍需局、さらには運輸省といった様々な勢力と、限られた資源を処分する主導権を争っているのが実態であった。


 それを改めるための最も重要な措置は、すでにヒトラーの心中に形を取り始めていたが、とりあえず今日のヒトラーには色々とすることがあった。重要な会議が、しかもふたつ。


----



 OKW(ドイツ軍総司令部)作戦部国防課長、ヴァーリモント大佐は、総統官邸での会議を終えて、官邸を出ようとしていた。彼のオフィスは、ここから車で1時間ほどのところにある。


「ヴァーリモント大佐?」


 ヒトラーの女性秘書が呼び止めた。


「お渡ししたいものがあるのですが」


 言われるままについてゆくと、秘書はどんどん官邸の奥まで-ヴァーリモントが入ったことがない区域まで-入っていく。見ると、廊下に何気なくもたれかかっていた屈強な護衛が、こちらを見て歩み寄ってくるではないか。秘書がうなずくと、護衛は脇の小部屋のドアを開け、入れ、と身振りでヴァーリモントを促した。


 ごくりと唾を飲み込んで、ヴァーリモントはドアをくぐった。幽閉される理由は思い当たらなかったが、ゲシュタポはそういったものをいつも必要としているわけではない。


「やあ」


 中にいたヒトラーは、ヴァーリモントに椅子を勧めた。


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 ヴァーリモントは、このとき秘書が出した紅茶の味がどうしても思い出せなかった。数年考えた挙げ句、緊張していて紅茶に手をつけなかったことを思い出したのだが、それは後日のことである。


 ヒトラーは世間話のように国防課の様子を尋ねた後、本題に入った。


「ヨードル大将とは、緊密に連絡を取っているかね」


「毎日、報告を提出しております」


「彼は、君たちの意見を聞くかね」


 ヴァーリモントは口ごもった。


 かっきり2秒後、ヒトラーはうなずいて立ち上がった。


「ありがとう」


 ヒトラーの爆発を予期していたヴァーリモントは、立ち上がりながらも頭の中が空白になる感覚を味わった。帰ろうとするヴァーリモントに、ヒトラーは何気なく尋ねた。

 

「今日の新しい総統指令をどう思う」


「倣岸な発言と聞こえなければよろしいのですが、総統」


 ヴァーリモントは愉快そうに言った。


「私どもでも秘密裏に同様の方針を検討しておりました」


「よい草案を期待できそうだ」


 OKWの発する総統指令は、陸海空3軍の司令部以下の行動を定める一般的な指示である。ヒトラーは最初、今回の指令をカイテル幕僚総監とヨードル作戦部長に諮った。カイテルは何の意見も挟まず、ヨードルはいろいろ意見を述べたが議論がひどく大雑把で、すべてヨードル自身の考えであるようだった。どうも下のスタッフとうまくいっていないな、と感じて、作戦課長を交えた会議を設定してみたのだが、やはり推測は当たっていたらしい。ヒトラーはこの件を頭の中の、後日手をつける改善点の長い長いリストに書き加えた。



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 翌日、ヒムラーがヒトラーに面会を求めてきた。招じ入れられたヒムラーは交通犯罪の記録綴りをヒトラーに示した。OKW作戦部長・ヨードル大将のまたいとこが、先週スピード違反を見つかったというのである。


「法に従って処理すればよかろう」


 ヒムラーはヒトラーの耳元に口を寄せた。


「25キロオーバーですぞ」


「それがどうした」


 ヒトラーは思わず苛立ちを口調ににじませた。ヒムラーは恐縮して帰っていった。


 最近ヒムラーは党の-つまりヒムラーの-陸軍である戦闘親衛隊を拡張しようと一連の動きを見せていて、ヨードルらOKW首脳と陸軍総司令部首脳の一致した反対に遭っていた。昨日ヒトラーが密かにヨードルの部下と会ったことを親衛隊のボディーガードから聞き知り、ヨードルが寵を失いつつある印と見て、追い落としを図ったのであろう。


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 ヨードルはその封筒の表と裏を何度も不思議そうに見直したが、それでその不可解な手紙の謎が解けるわけでもなかった。差出人はヨードルの面識のないまたいとこ-と名乗る人物-で、交通違反をして運転免許を取り上げられそうになって困っているので、ヨードルが「適切な政治力を行使」してくれることを期待していた。手紙をもらったことすらないから筆跡の真偽も分からない。


 ヨードルは封筒と中身をごみ箱に捨てると、大事な客人をヒトラーとともに迎えるために、執務室を後にした。


 ヒトラーは来客を待つ間、テンペルホーフ飛行場の貴賓室で、ヨードルからイタリア軍に関する最新の現状報告を受けた。9月にエジプトに侵入したイタリア軍は、国境から100キロ入ったシディ・バラーニで補給物資を待つため停止している。アルバニア(当時はイタリア保護領)のイタリア軍は平穏であり、エチオピアのイタリア軍は英領ソマリランドなど抵抗の少ない小さな領土を切り取った後、それ以上積極的な行動に出ていない。


 おっちゃんはアフリカ戦線の流れならよく覚えていた。イタリア軍は数の上では優勢だったが、もうすぐイギリス軍の反撃を受けてリビアの東半分を失う。そしてアフリカ軍団とロンメル将軍の登場となるのである。それは、よい。


 問題はギリシアであった。史実では、間もなくアルバニアのイタリア軍が、ドイツに無断でギリシアに侵攻する。苦戦するイタリア軍を援助する形で、ここでもドイツ軍が戦列に加わり、クレタ島占領までの一連の作戦を展開する。ギリシアに重要資源がないわけではないし、イギリス軍の介入を誘ってこれを痛打したことの意義は軽からぬ物があるが、やはりドイツ軍にとってヤブヘビではなかったか……とおっちゃんは考えている。


 イギリス軍との直接対決は北アフリカでもできるわけだし、ギリシアの隣国ユーゴスラビアを刺激して戦争になれば、泥沼の対パルチザン戦が待っていることを、おっちゃんは知っている。


 とはいえ、バルカン戦線はゲームにも模型にも縁遠いから、おっちゃんの知識はひどく限られている。ヨードルら職業軍人に意見を徴しても、ギリシア侵攻は有害無益という見方までは一致するものの、あとは政治家であるヒトラーが自分で決断するしかないようであった。


 おっちゃんは思い切って、ムッソリーニをベルリンへ招いてみることにした。ムッソリーニの秘密計画を見抜いている振りをして、直接の説得でギリシア侵攻を止めるのである。


 ムッソリーニが侵攻を心に定めているとすれば、口実を設けて会談を断ることもありえた。ところがムッソリーニはあっさりと招待を受けて、今日ベルリンへ着くのであった。



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「貴重なお時間を割いていただいて感謝しておりますぞ」


 専用機でテンペルホーフ飛行場に降り立ったムッソリーニは、いかにもエネルギッシュな男であった。おっちゃんを何より驚かせたのは、ムッソリーニが通訳なしで、少々発音の怪しいドイツ語を話すことである。手を握りながら、ヒトラーも笑顔で応じる。


「実り多き会談となることを確信しております」


 最近はだんだんと、おっちゃんも政治家らしい如才ない表現が身についてきていた。


 今回の会談は、いわばお忍びであったから、派手な行事は何もない。ムッソリーニとチアノ外務大臣らわずかな随行員が、ヨードルはじめ数人の要人と簡単に挨拶し、車を連ねて飛行場から総統官邸に移ると、早速第1回の首脳会談であった。


 お忍びの会談は異例とは言えないが、議題について事前の合意がほとんどないのは異例であった。しかも奇妙なことに、それでいて両首脳は明らかに会談を熱望しているのである。おっちゃんもおかしいとは思っていたが、会って聞いてみるしかないことだ、と腹を括ってしまっていた。


 ホストとして、ヒトラーはまず下手に出ることにした。


「急なご招待でしたが、会談に応じていただき感謝しております。我々の共通の利害にとって、重大かつ緊急と思われる問題がありましたので、かくも遠方へ御足労を頂きました」


 旧オーストリアまで出向けばよかった、と今ごろになって気づいているヒトラーである。今のドイツはオーストリアを併合しているから、イタリアと国境を接している。


「それは私どもにとってきわめて幸運でありました。我々もまた、重要な協議事項が生じたところであったからであります。それはリビア及びギリシア情勢についてであります」


 ムッソリーニは思わず言葉を切った。ドイツ側の参加者が、一斉に目を光らせたように感じたのである。


 構図はこうであった。イタリアはフランスの敗戦直前になって参戦してみたものの、1930年代からエチオピア侵略、続いてスペイン内戦への介入と、だらだらと戦費を垂れ流しに使って、国力は消耗し尽くしている。ドイツから武器弾薬の提供を受けないと、満足な作戦活動もできない状況である。そのくせ、目にみえる戦勝がないと政治的な国内基盤がもはや危ない。そのジレンマを解消してくれるなら、ドイツに迷惑をかけることは思いとどまる。婉曲な表現を取り去って煎じ詰めると、これがムッソリーニの言い分であった。


 ドイツ側の出席者は重苦しく黙り込んだ。イタリアの言い分は、分かる。よくぞそこまで正直に言った……とも言える。イタリアはいろいろ問題を持ち込んでくるにせよ、ドイツ最大最強の盟邦であり、その参戦に対価を払う値打ちはあった。問題は、ヒトラーが激怒しないか……という一点にかかっていた。


 ヒトラーは、怒らなかった。


「我々はもはや運命を共にしております。ドイツの勝利はイタリアの勝利であり、イタリアの勝利はドイツの勝利であります。すべての決定は、この基本的認識を基礎として為されなければなりません」


 ヒトラーは言い切った。


 最近の総統はどうされたのだ? ヨードル作戦部長とハルダー陸軍参謀総長は、軍人らしく驚きを表情から消した。ただシュペーア軍需大臣だけが、かすかににやにやと笑っていた。彼はもちろん、ヒトラーの言葉の中の「勝利」を「敗北」に入れ替えて解釈している。


 基本合意がばたばたとでき上がっていった。ひとつ。イタリアはギリシアに介入しない。ひとつ。ドイツはアフリカ戦線に武器と部隊の両面から援助を与える。すなわち、ドイツ軍を投入するだけでなく、イタリア軍の一部にもドイツの兵器を提供し、手柄を立てる機会を拡大する。ひとつ。地中海の制海権確保のため、ドイツ空軍が協力する。ひとつ。ドイツとイタリアは共同して、スペインとヴィシー・フランスが思い切った反英的活動-とくにジブラルタル攻撃への協力-に踏み切るよう政治的圧力を掛け続ける。しかし………


「スペインとフランスには、いずれもあまり期待が持てないように思われます」


 ムッソリーニは言い切った。


「しかしながら、我々の真の意図を隠す陽動としてはきわめて有効でありましょう」


 参加した将星たち、閣僚たちは、すっかり寛いだ雰囲気の中にいた。もめると思っていた会議がもめずに済んだ安堵が、総統官邸の会議室に漂っている。そんな多幸症的なまでに親しげな空気の中で、ムッソリーニがこんな提案をしたとき、誰も違和感を覚えなかった。


「親愛なる将軍方と閣僚方は、我々の合意を文書化するために打ち合わせの時間を取られるべきではありませんか? その間、私はよろしければ総統とふたりだけで友好を深めたいと思います」


----



「まず、非礼の数々をお詫びせねばなりません」


 ムッソリーニは、出兵の取りやめだけを交渉材料として、ヒトラーから多くの譲歩を引き出したことを詫びた。


「もし我々が真に共同の利益を図るのであれば、北アフリカ戦線も縮少すべきところですが、我が国の国内事情がそれを許さないのであります」


 ヒトラーは応じた。


「北アフリカ戦線は、きわめて重要かつ微妙な戦線であります。投入する兵力の規模と時期を誤れば、かの地において我々は決定的な戦略的敗北を被りましょう」


「もし閣下がソビエト侵攻を考えておられるなら」


 ムッソリーニはヒトラーの表情を盗み見るように言った。


「バルカン戦線において空費することを免れた時間を有効にお使いになり、5月のうちに戦端を開かれるべきかと存じます。その場合北アフリカへ割いていただく戦力も、最低限のものとするのが適当かと」


 ヒトラーの頭に閃くものがあった。どうもこのムッソリーニは、自らを知りすぎている。試してみる必要がある。


「来年の日米関係について、統領はどういう見通しをお持ちですか」


「緊張が高まることは避けられないでしょう。日本海軍による大規模な奇襲も起こり得ます」


 ムッソリーニの口調が急にゆるやかになった。慎重に言葉を選んでいるようだ。


「それは、12月8日に起こるとは思いませんか」


 ムッソリーニは、ヒトラーの奇襲に口をぱくぱくさせた。


「あなたは誰です」


「おそらく、あなたと同様の経歴を持つものです」


 ヒトラーは言った。


 ムッソリーニが日本人であるらしいことは、真珠湾攻撃の日付を12月8日としたことから分かる。ハワイは日付変更線の向こうだから、現地時間では真珠湾攻撃は12月7日であり、欧米ではこの日付を採っている。もしや…


「政やんと違うか」


「ほな…社長かいな」


 ムッソリーニも関西弁で応じた。


----


 おっちゃんがこの世界に飛ばされてきたとき、同じ車に乗っていたのが、政やんこと近藤政夫である。


「奇遇やなあ」


「奇遇やなあ……やあらへんがな」


 ヒトラーはわめいた。


「わしらが飛ばされたとき、何があったんや。まさか事故ったんとちゃうやろな」


「直前まで普通に運転しとったんやけどな。突然ドカン、いうて大きな音がして。気がついたら、こっちや」


「ほな落雷か」


「阪神高速のど真ん中で、乗用車に雷なんか落ちるかいな」


 ふたりは黙り込んだ。


「まあとにかく……やな。放っといたらわしは自殺であんたは銃殺や。よろしゅう頼むで」


「まかしとき。イタリアは、何もせえへんさかい」


「さっき自分で言うとったやないか。何もせんかったら政権倒れる、いうて」


「せやったせやった。あんじょう物資回してや」


「それはええけど、そこで揉み手をすなや」


 ヒトラーはぼやいた。


ヒストリカル・ノート


 このころマイソフが持っていたヨードル観は、もっぱらヴァーリモントの著作によるものです。簡単に言うと、OKWにおいて(作戦に口が出せる立場限定で)偉い順番に並べるとカイテル、ヨードル、ヴァーリモント、ロスバークということになりますが、ロスパークもヨードルのヴァーリモントに対する態度が異例にキツかったと述べています。ヴァーリモントが、「ヨードルは自分の意見を全然聞いてくれなかった」と書いたのは、それなりに真実であったと思います。


 あれから20年、カイテルの回想を読み比べ、ドイツ語ならあるヨードルの評伝を(一部)読んで「ははあ」と思い当たったところがあります。それは新作『士官稼業』で追々展開しますが、ヨードルはこの作品で扱っているほどコミュ障ではなかったと現在のマイソフは考えています。



 イタリアには第2次世界大戦に関して、中長期的な作戦計画はなかったようです。参戦時の当面の方針では、エチオピア方面のわずかな英領を除き、攻撃に出る計画はありませんでした。


 ところがドイツがフランスに圧勝し、イギリス本土上陸の構えを見せたため、ムッソリーニは対英交渉で領土や賠償を得るため、英領に対する攻撃の実績を作る必要が生じました。北アフリカ戦線は、こうして開かれたものです。


 さらに下って1940年10月、ドイツ軍はルーマニア政府の要請の下に、ルーマニアに進駐しました。この一件はひどく複雑なもので、次話以降で正面から取り上げる予定です。ともあれ、史実ではムッソリーニはこれを、ドイツがルーマニアを完全に勢力化に置いたもの……と解釈して激怒し、「ドイツと同様に」勢力圏拡大の既成事実を作るため、突然ギリシア攻撃を命じました。アルバニアのイタリア軍が準備のため与えられた期間は2週間にも満たず、増援を受けることもできませんでした。戦線は当然停滞し、翌年のドイツ軍のユーゴスラビア・ブルガリア経由の支援を待つことになったのです。


 また、ユーゴスラビアではドイツ軍のギリシア侵攻を前にして、親独政権が倒れてしまいました。新政権も反独政権とまでは言えなかったのですが、ヒトラーはこの政権を武力で打倒することを決意し、ギリシア侵攻に先立って実行に移したのでした。従って、ギリシア攻撃がなければユーゴスラビア攻撃もなかったのではないか、と思われます。


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