表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/30

第28話 愛はさだめ

「揺れる思いを電波に乗せて、鳴らせ科学の金の鐘」


 男性アナウンサーが呼びかける。


「私の叫びぼくのささやき、届けて見せます宇宙まで」


 女性アナウンサーが続ける。


「さあ今週も行ってみましょう」


 男性アナウンサーが叫ぶ。スタジオの観衆が唱和する。


「ラーブ、ブリッツ!」


 ドイツと米英が停戦してから2ヶ月で、東部戦線にも平和が訪れた。誰もが驚いたことに、バルト三国、白ロシア、ウクライナの独立を認めた後、スターリンは縮小されたソビエト・ロシアにおいてその政権を保った。ヨーロッパから戦火が消えてから1年ほどして、米英・中国と日本の戦争も、日本の惨敗に終わった。


 1948年、ヨーロッパ戦域における最終的な講和条約の締結を前に、ヨーロッパは失われた青春を一気に取り戻そうとしていた。ラジオ局は争うように、愛の告白番組を娯楽番組のメニューに加え、平和を謳歌する市民たちの気持ちに応えた。


 平和と共に、忘れられていた問題や、先送りされてきた問題が各国の政治において浮かび上がってきていた。


----


 シュペーアが執務室に入ってきたとき、ヒトラーは老眼鏡の縁に手をかけて、新聞を読んでいるところであった。ヒトラーが老眼鏡を使っていることはしばらく前まで報道上のタブーであったが、最近はそういう不自然な規制は取り払われてしまった。


「統領が苦心しているようだな」


 ヒトラーは新聞を机に置いた。米英仏ソ日独伊の間では原則相互無賠償の取り決めができ、ドイツから収奪や株式譲渡の強要を受けたフランスに対して、ドイツが友好の贈り物をすることでどうやらおさまりがついた。おさまりがつかないのは、日本と中国、イタリアとエチオピア、ドイツとポーランドと言った、1939年とそれ以前からの行為の後処理である。イタリアはエチオピアとの賠償交渉で、国王サイドとエチオピア皇帝サイドの狭間に立って、ムッソリーニが苦慮していた。


「人のことを考えている場合ではありませんよ、総統」


 シュペーアは軽くジャブを放った。


「エルザスとロートリンゲン(アルザス・ロレーヌのドイツ語圏での呼称)に、アメリカ企業が進出しようとするまとまった動きがあります」


 シュペーアは報告を始めた。


 相互無賠償といえば聞こえはいいが、復興資金はそれぞれ自前と言うことである。荒廃したヨーロッパを自力で立て直す資金力がヨーロッパ諸国にあるはずもなく、アメリカは様々な形で有償無償の援助を行い、それを梃子として様々な面で世界の主導権を握ろうとしていた。


 ドイツとフランスが1940年に結んだものは休戦協定であって、アルザス・ロレーヌを含む広い地域の軍政権をドイツに認めているに過ぎない。ドイツはこの軍政権を濫用して、アルザスとロレーヌのドイツ化を進めてきていた。ヒトラーはあっさりと両地域の軍政権を返還してしまったので、ドイツ国内に激しい不満を呼んでいた。


「終わってみてはっきり思うのだが、この戦争は、結局のところアメリカが勝つ以外の結末は有り得なかったのだ」


 ヒトラーは言った。


「もしアメリカが参戦しなければ、ドイツはヨーロッパを席巻していたかもしれないが、戦争が終わったとたんに、ドイツはアメリカに借用証を書かざるを得なかっただろう」


「それは真実でないと思いますが、かなり真実に近いですな」


 シュペーアは認めた。


「こうして我々が話している間に、また物価が1%ほど上がったでしょう」


 戦争が終わって解き放たれた消費と、生産能力への破壊の爪痕(つめあと)が結婚すると、インフレと言う子供が産まれる。膨らみ切ったドイツの国庫負債残高が実体経済に及ぼす破局的な影響を遮断(しゃだん)するために、広範な価格統制が敷かれていたが、ヒムラーとボルマンがその才知を尽しても、闇市場の完全な取り締まりは不可能であった。ドイツは膨大な余剰兵器を持っていたが、ほとんど誰もそれを買おうと言うものはいなかった。ルーマニアとハンガリーだけは手を挙げていたが、彼らがそれを何に使おうとしているかは明らかであったから、ドイツとしては自らの利益のためにも自制せざるを得なかった。


「結局のところ我々は、少しばかり戦死者を減らして、少しばかり古い建物を残しただけだ」


「少しばかりと言うことはないでしょう。ケルンの大聖堂が爆撃でも受けようものなら、取り返しがつきませんから」


 シュペーアが建築家らしいことを言って笑ったところで、ホットラインのベルが鳴った。


「ああ、噂の人物が登場したな。ここにいていいぞ、シュペーア」


「いえ、私には日本語は分かりませんので」


 シュペーアはにやりと笑うと席を立った。


「毎度」


 ヒトラーは電話を取ると言った。


「どないだ」


「あかんな」


 ムッソリーニの口調にはさばさばした諦観が感じられる。関西人が阪神タイガースのことを語るときの口調である。


「納まらんわ。ほんまにどうにもならん」


「いっそ亡命して来るか」


 ヒトラーは努めて陽気に言った。


「社長、イタリアは確かにたいしたことは出来んけど、わしはイタリアに多少の責任は感じとるのや」


 ムッソリーニは応じた。ヒトラーは少し沈黙した後、言った。


「アメリカに、金、借りるか。ドイツは黙認するで」


「せやな。おおきに」


 ムッソリーニが感謝したのは、ヒトラーの配慮に対してであって、提案を実行しようと言う気はないらしい。実際、金策がつけば済む問題ではなく、メンツのぶつかり合いでもあるのであろう。


「コンコルダートの件やけどな。法王庁は喜ぶ言うより、びっくりしとるな。けど前向きに、使節送る言うとる」


「そらおおきに。あとはリッベントロップにあんじょう言うとくわ」


 ヒトラーは電話を切った。


 ローマ法王庁と世俗政権の協定をコンコルダートと総称する。戦前にローマ法王庁とヒトラー政権は、ドイツ国内でのカトリック布教を迫害しない代わりに、カトリック教会が従来支援していた中央党から手を引くというコンコルダートを結んでいた。ヒトラーはこれを逆転させ、NSDAPとの対立を先鋭化させない程度に自制できる野党勢力を作るために、ローマ法王庁に協力を求めていた。


「あいつ、無理しとるな」


 ヒトラーはつぶやくと、一般用電話を取り上げた。


----


 ムッソリーニはそれを予期していた。知っていたと言った方がいいかもしれない。だから統領の執務室に入ってきた兵士たちは、ベレッタ短機関銃を水平に構える必要もなく、ほとんど言葉を費やさずにムッソリーニを立ち上がらせることが出来た。


 何人かの保守政治家の示唆を受けて、イタリア国王ヴィットリオ=エマヌエレ3世はバドリオ元帥に首相として内閣を組織するよう命じた。バドリオ元帥は第一次大戦の末期に陸軍最高司令官を務めた人物であり、この危急時に国内をまとめるには最適の人物と思われたのだが、この時期の人選としては致命的な点がひとつあった。彼は1936年にエチオピア侵攻軍の指揮を執り、国王からアジスアベバ大公の称号を受けた身であったのである。米英はこのクーデターを、イタリアがエチオピアとの賠償交渉を一方的に打ち切る兆候と受け取り、政権の承認を引き延ばして、消極的に不快感を示した。


 世界が、ドイツの動向に注目した。ドイツは翌日になっても、翌々日になっても、何の行動も起こさなかった。クーデターに対しては曖昧でどうにでも取れるコメントを繰り返しスポークスマンが伝えるばかりで、ヒトラーはおろかゲッベルス宣伝大臣、リッベントロップ外務大臣まで公式な場に姿を現さなくなった。


 そう、ドイツ国防軍の中で、ひとつの部隊だけが活発に動いていた。国防軍情報部直属の、ブランデンブルグ部隊だけが。


----


 グラン=サッソ山荘でのムッソリーニの扱いは、そう悪くなかった。上には上の、下には下の事情があった。多くの独裁国家と同じように、市民や一般兵士は独裁ピラミッドの中間にいる幹部たちを嫌っていたが、その頂点にいる独裁者その人に対しては悪意を持っていない者が多かった。責任ある立場にいる政治家や将軍たちは、国際社会におけるイタリアの味方がドイツだけであること、そしてそれがヒトラーとムッソリーニの奇妙なまでの協調関係に支えられていることを知っていた。だから彼らは、ムッソリーニの軟禁状態がかなり緩んでいることに気づいていても、どうすることも出来なかった。


 愛人のクララと息子のトミオがムッソリーニと一緒に暮らすことを申し出たとき、ムッソリーニ自身も驚いたことに、それは認められたが、裏にはこのような事情があったのである。


----


 最初のグライダーが降りてきたとき、ムッソリーニはたまたまベランダのガラスのすぐ内側にいた。ドイツ兵が軽機関銃を展開して、山荘の入り口にあるイタリア軍の機関銃座を制圧にかかるのが見えると、ムッソリーニは衣装戸棚を開けてネクタイを締めた。階下の部屋にはクララとトミオが待っている。


 見張りの兵は応戦に出ているらしかった。クララは不安げな顔をしていた。


「ドイツ兵だ。フューラーが脱出の算段をしてくれたのだ」


 クララはほのかに明るい表情になったが、トミオは叫ぶように言った。


「お父さん、イタリアのドゥーチェじゃなくなるの」


 ムッソリーニはトミオの顔を覗き込んだ。


「イタリアの人たちは、お父さんが好きじゃないんだ、トミオ」


「お父さんは、イタリアが嫌いになっちゃったの」


 ムッソリーニは言葉に詰まった。


 銃声は止もうとしない。ムッソリーニが出て行かなければ、死傷者はもっと増えるだろう。


 やがて、ムッソリーニはトミオの頭をなでた。


「トミオ、お父さんが今日話すことを、あとで聞いておいてくれ。私はお前に話すのだからな」


 クララの表情に緊張が走った。


「大丈夫だクララ。ただ」


「いいのよ。私もドゥーチェの想いものだもの」


 クララはムッソリーニの首を抱いた。


「会えて良かったわ。私のかわいい日本人さん」


 部屋を出たムッソリーニは、玄関へ向かった。


----


「銃を収めろ、イタリアの統領はここにいる」


 ムッソリーニは大声で何度も叫んだ。


 イタリア兵も、ドイツ兵も、銃身を下げて立ち上がった。ムッソリーニは玄関の機関銃座の位置で立ち止まると、口を開いた。


「私はイタリアの統領である。イタリアが私をどう思っていようと、私はイタリアを愛し、イタリアに責任を負っている」


 ムッソリーニはドイツ兵たちの方を向いて言った。


「総統が私に示された友情を、私は生涯忘れない。しかし敢えて指摘させてもらうが、君たちはイタリアの領土と領空を侵犯しており、イタリアの兵士を傷つけている」


 頭だったドイツ兵が、思わず何か言いかけて、黙った。


「総統にお伝え願いたい。私はイタリアの兵士たちにかつて命じたように、イタリアの男として、愛するものを護って死ぬと。その言葉を持って、即刻イタリアから立ち去られたい」


 ドイツ兵たちは無言で合図し合うと、私服のブランデンブルグ部隊が制圧した山麓の駅を指して、ケーブルカーに乗って整然と撤退して行った。イタリア兵たちは呆然とそれを見送っている。ムッソリーニはそれを見届けると、悠然と山荘に入って行った。


 やがて、ひとりのイタリア兵が声を張り上げた。


「ビバ・ドゥーチェ!」


 士官たちが制止したが、しばらく兵士たちはその禁断のフレーズを叫ぶことを止めなかった。


----


「かわいそうなことになりましたね」


 シュペーアは言った。ヒトラーは言葉少なであったが、やがて言った。


「無能であることが、身を守る局面もある。そう思わないかね、シュペーア」


 シュペーアはとっさに答えが出てこなかった。


「今がまさにその時だと言うのに、あいつめ」


 ヒトラーは絶句した。ヒトラーの視線が、もはや鳴ることのないホットラインに注がれていることに、シュペーアは気がついた。


----


 空挺部隊の兵士たちのうち、あるものは制服のまま投降し、あるものはブランデンブルグ部隊員たちに私服を借りて、ドイツを目指した。イタリア軍と民衆の多くはこの件に関わりたがらず、一部は勇敢なドイツ人たちに好意的ですらあったので、最終的には半数に満たないものの、かなりの人数がドイツへの脱出を果たした。


 この話は瞬く間に広がった。ドイツのメディアは空挺作戦の参加者のコメントを次々に発信し、それはイタリアでも受信された。イタリア国内におけるムッソリーニの人気は沸騰した。そのことが、ある集団の決心を促したことは否定できない。


 事件から2週間後、ムッソリーニの病死が発表されたが、実際には毒物死であったことが数ヶ月後に新政府の手で確認された。新政府とここで言うのは、ムッソリーニの死をきっかけに反政府運動が主要都市で先鋭化し、国王と政府首脳は亡命を余儀なくされたからである。

ヒストリカル・ノート


 ドイツ帝国時代から中央党はドイツの有力政党で、土台がカトリックであるがゆえに地域性・民族性から自由ではありませんでした。戦後のCDUはプロテスタント勢力も包含するものとなりましたが、綱領や党首を持つなど党としての統一性を確保するために何年もかかりました。


 史実でのグラン・サッソ降下作戦は、ムッソリーニを軟禁した新政府の旗色がはっきりせず、国内に多くのドイツ軍部隊が残っている状態で行われました。小型機でムッソリーニとスコルツェニーが脱出したのは有名ですが、ふもとからドイツ軍部隊が呼応し、他の部隊は普通にトラックで撤退したのです。だからこのエピソードは無茶なのですが、ムッソリーニの人生を集約するにはこの一瞬以外にないので、あえて目をつぶって書きました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ