第23話 西風吹きやまず
マイソフは、部隊からすっかり取り残されていることに気がついた。偵察隊に加わって前進中にドイツ軍の前哨地点にぶつかって、夢中でドイツ軍の掘った塹壕に走り込んで小銃で殴られ、気絶したままとどめを刺されなかったのである。
まだ頭がずきずき痛んでいた。
ドイツ軍もソビエト軍も死体を片づける間も惜しんで移動したらしい。ドイツ軍の小銃が何丁か残っているが、ソビエト軍の兵士が持っていたはずの短機関銃が見つからない。どうやら戦場は最終的にドイツ軍が支配したらしい。マイソフは死んでいるソビエト兵士の顔を何人か見た。知っている顔であったが、特に親しい兵士はいなかった。マイソフはその不吉な行動を空しく感じて、ドイツ軍の小銃と弾丸を失敬すると、塹壕から身を起こした。自分の持っていた短機関銃はなくなっていた。
マイソフの部隊は、ゆっくりと後退していた。敵との距離が急速に縮むことも、開くこともなかった。兵士は毎日、着実に減ってきていた。補充も来なかったし、そのことに関する上官の説明もなかった。ソビエト軍の上層部で思い切った後退命令が出せないでいる事情は、マイソフには分からなかった。しかしこの戦争がうまく行っていないことは、マイソフも薄々感じていた。
マイソフは農道をとぼとぼと東へ歩いて行った。ソビエト軍と合流できれば隊に戻るしかなかったし、先にドイツ軍と出会ってしまったら、その後起こることは自分の責任ではないように思えた。
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6月下旬から反撃に転じたドイツ軍は、7月中旬には旧ポーランド国境に達し、南方では旧ルーマニア領ベッサラビアをほぼ奪回していた。戦線のあちこちで大規模なソビエト軍部隊が包囲されていた。ワルシャワの東で包囲された部隊が最も大きく、これらの抵抗を排除して鉄道を復旧し、ブレスト・リトフスク要塞の攻略にかかったときには、すでに7月下旬になっていた。
多くの高級士官と同じように、ヒトラーは戦場をソビエト国内に移し、モスクワの占領を急ぐべきである、と軍人との会合では発言していた。しかしヒトラーにとっても将軍たちにとっても、ドイツ軍の進撃速度は予想を下回っていた。
それは何よりも、ドイツ陸空軍がソビエトの先制攻撃で手ひどい痛手を被っていたためであった。兵員だけでなく、退却中に重装備と輸送器材の多くを失った歩兵師団が多く、その一方で入れ替わりに増援された歩兵師団は戦闘経験を欠いていて、いずれにしても戦車部隊の進撃に呼応した十分な働きが出来なかった。
空軍も戦闘機部隊があらかじめ拡充されていたにもかかわらず、受け入れがたいペースで消耗してきていたため、反撃に移れるだけの戦力がなかなか揃わなかった。イギリス方面への戦闘機部隊もかなり残さねばならず、北アフリカから引き揚げてきた部隊も量的に当てになるほどではなかったから、ドイツ空軍の手薄な地域でソビエト空軍に進撃の手鼻をくじかれることがたびたび起こっていた。
ヒトラーは、冬の防衛線をどこに敷くかを考えなければならなかった。
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自転車に乗った2人組のドイツ憲兵に見とがめられたマイソフは、あっさり降伏した。ドイツ歩兵がみんな自転車をあてがわれているとしたら、ソビエトが戦争に負けるのも仕方ないとマイソフは思った。マイソフの限られた知識では、歩兵は歩くものであった。戦車の上に乗るのは騒音と振動で歩くより消耗が早く、任務達成のため他に手段がないときであった。
榴弾砲の砲声は聞こえるが着弾音がしない。ふたりのドイツ兵の表情にもどこか緊張感が欠けている。実際、マイソフが半日気絶している間に、戦線は10キロ近く移動してしまっていた。包囲に耐えてきたソビエト軍が一気に崩壊を始めたのである。
マイソフは自転車のドイツ兵に急かされながら、もと来た道を西へ歩いた。さっきの塹壕まで来ると、短機関銃を構えたドイツ兵に監視されて、ソビエト軍の捕虜たちが戦死者を埋めていた。ドイツ兵の短機関銃がソビエト製なのに気がついたマイソフは思わずにやりとしたが、自転車のドイツ兵から思い切り背中を蹴られて前につんのめった。
頭上に聞きなれたエンジン音が響いた。マイソフは手を振ろうとしたが、視界の隅に自転車を放り出して農道から走り出るドイツ兵が入ってくれたおかげで、自分が今どこにいるのか気づくことができた。マイソフは道路の脇の木の柵を乗り越えて、その向こうに転がり落ちた。ソビエト戦闘機の機銃が石を跳ね飛ばし、それがマイソフの尻に当たった。
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「小隊全車、前進、前進」
4両の3号戦車が一団となって、ソビエト戦車部隊の側面に回り込んだ。ソビエト戦車の砲塔が回る。その回る砲塔をめがけて、正面方向にいる別の小隊が50ミリ砲弾を浴びせ掛ける。2発が砲塔に命中したが装甲を貫通できない。衝撃と恐ろしい音で砲塔の回転が止まり、その間に側面に占位した小隊が停車して、4発の50ミリ弾を至近距離から車体側面に浴びせる。ディーゼルエンジンのソビエト戦車T34は煙も炎も出さず、沈黙した。
ハッチを開けて中隊長は残った戦車を探した。いる。2両。僚車の運命にかまわず、前進して来る。1両は装甲の薄いBT戦車、もう1両は…奴か!
「第3小隊、前進。第1、第2小隊は左側面へ回れ」
中隊長は指示した。
第3小隊は、長砲身75ミリ砲を備えた4号戦車3両である。それが正面から接近して来たので、ソビエト戦車は懸命に砲撃する。4号戦車はそれにかまわず前進を続ける。
ほとんど同時に、8発の50ミリ砲弾が2両のソビエト戦車を見舞う。BT戦車はかく座し爆発する。もう1両は装甲の厚いKV-I重戦車である。4発の命中弾をすべて弾いてまだ動いている。4号戦車が至近距離から76ミリ砲弾を浴び、それが砲塔を貫通するが爆発しない。再び8発の50ミリ砲弾が、今度は真後ろから浴びせられ、ついにKV戦車は止まった。ハッチが開き、中の兵士が出て来ようとしたとき、ハッチから炎が噴き上がり、兵士は吹き飛ばされて地面に転がり、そのまま動かなかった。
中隊長はハッチから出ると、被弾した4号戦車に駆け寄った。ハッチが開いて、戦車長を抱きかかえた砲手が出てきた。何か言おうとしているが言葉にならない。それは車内の装填手の運命に関わることであろうと、中隊長は直感した。
中隊長は言葉もなく立ち尽くしていた。別のハッチが開いて、操縦士と通信士がもがき出た。彼らは装填手の名前を呼びながら車内を覗き込み、そして無言になった。
戦車長を横にした砲手は、自分も倒れ込んだ。血まみれなのは装填手の返り血で、砲手に外傷はないらしい。むしろ砲手の受けた精神的な傷は、深そうであった。中隊長は、断片で出来たらしい戦車長の傷を簡単に止血すると、尋ねた。
「歩けそうか」
戦車長は弱々しくうなずいた。中隊長は、ひどく場違いな言葉を口にしたような気がして、戦車を見上げた。
誘爆するものすらない、車室。
4号戦車が最後の砲弾を撃ち尽くしてから、もう3日になる。その戦車をそのままおとりに使って戦い続けていることを、部下にどう言い訳すればいいか、中隊長には分からなかった。
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マイソフはレールを足の上に落とし、痛みに飛び上がった。短機関銃を構えた警備兵がふたりほど、こちらに注目していることに気づいて、マイソフは慌ててレールを持ち上げ直した。とたんに乾いた音がして、後頭部を誰かに殴られた。振り向くと丸めた書類を持った鉄道工兵の下士官がいて、ドイツ語で何かマイソフにまくしたてて来た。どうせお前の足よりレールの方が大事だとか、そういう類のことを言っているのであろう。マイソフは申し訳なさそうな卑屈な表情を作って、ぺこぺこと頭を下げて見せた。ひとしきり雷を落とした下士官が行ってしまうと、レールのもう片方の端を持っていたソビエト軍捕虜が、うんざりした表情でマイソフをにらみつけ、のろのろと歩き出した。
ドイツとソビエトでは鉄道の線路の幅が異なっている。ドイツはソビエト軍の占領地域に入ると、線路の付け替え工事をしなければ鉄道で補給物資を運べなかった。なるべく早く工事を済ませるために、片方のレールと枕木はそのまま使って、ソビエトのレールの内側にもう1本レールを打ち付けることで広軌を標準規に直すのである。細かい作業はドイツの鉄道工兵がやったが、手の足りないところは捕虜や外国人労働者が使われた。
マイソフはここのところ、ソビエト機を見ていなかった。8月に入って、ようやくドイツ空軍の優勢がはっきりしてきて、ソビエト空軍はドイツ軍の意図を妨害するのが精一杯になったのである。
周囲の農地は麦畑のようだったが、夏小麦を作付することが出来ず、春小麦のための鋤き返しもできていないらしい。この分だとソビエトでもドイツでも、ひどい飢饉になるのではなかろうか。
転輪をすっかり抜き取られた戦車の車体をトレーラーに積んで、ドイツ本国方向へ牽引車が近くの道路を通って行った。戦車の正面には大きな穴が空いていた。
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「ワルシャワはいかがでしたの」
紅茶を入れながら、エーファはヒトラーに問うた。
「ひどいものだ。街もひどいが、ゲットーは最悪だ。東ポーランドでどれだけユダヤ人が死んだか、見当もつかない」
ヒトラーはつぶやくように言った。ヒトラーが取り扱いを緩和したとは言え、ユダヤ人たちは強制収容所から出してもらったわけではない。ヒトラーはソビエトとの戦争に備え、ポーランドとルーマニアに多くの抵抗拠点を作る一方で、守り切れないものは放棄して逃げるよう、大雑把な算段を立てていた。ところが強制収容所から収容者を逃がす手段が、そこに含まれていなかったのである。
現場の決断による幸運な例外がないわけではなかったが、多くの収容所では、収容された囚人たちを放棄したまま親衛隊が退却した。ソビエト軍は彼らをしぶしぶ解放したものの、食料は与えないことが多かったので、ドイツ軍が盛り返すまでの2ヶ月間に従来をはるかに上回る比率で餓死者が出た。どの収容所でも、親衛隊はソビエト軍の手に渡すべからざる知識人や政治犯を射殺していた。そして、ソビエト軍が優勢な間に収容所を出た人々を、親衛隊は脱走者として追っていた。
「レコードでもお聞きになる?」
問われたヒトラーは首を振った。入れ替わるまでのヒトラーはかなりのレコードマニアで、深夜のレコード鑑賞に友人たちを連日お相伴させ、少数のお気に入りのレコードばかり聞かせるのでひどくいやがられていたのだが、今のヒトラーにはそういうところがない。
「五木ひろしが聞きたい」
「何、そのイツキヒロシって。日本の歌の名前?」
エーファに問われて、ヒトラーは思わず口にした日本人歌手の名前に苦笑した。
「あなたの心は、まだ日本にあるの」
エーファはごく自然に、ヒトラーの隣に座って、肩に手をかけている。
「そうだな……今朝、アメリカの放送局が、太平洋で日本の空母4隻を沈めたと発表した」
エーファはきょとんとしている。空母というものの持つ意味はドイツ海軍にさえ分からないのだから、エーファに分かるはずがない。
「私の知っている歴史と同じことが起こったとすれば、日本は最高のパイロットたちと、海軍最高の兵器を失った。もう攻撃も防御もおぼつかなくなるだろう」
「そんなに簡単に、日本は駄目になってしまうの」
エーファは慰めを言ってくれたのだが、ヒトラーはむっつりと応じた。
「今の日本の国力は、ひどく層が薄いのだ。懸命にそろえた第一線の装備が失われてしまうと、再生産が間に合わない。特にアメリカと戦争をしている今はな」
「本当に空母は沈んでしまったの。日本大使は、どうおっしゃってるの」
ヒトラーは笑った。
「いいかねエーファ。どこの国でも、政府というものがやることは、無名の化粧品会社がやることとたいして変わらないのだ。日本政府はオオシマ大使に本当のことを教えるとは限らないし、オオシマは私に知っていることを全部しゃべっているわけではないのだ。私だって、オオシマに君を紹介していないだろう」
エーファが困惑の表情を示し、ヒトラーはまずいことを言ったことに気づいた。
「ああ、いや、とにかく、日本はやはりうまく行っておらんのだ。私はそれを承知で、ソビエトとアメリカの間をふさぐ盾として、日本を使っている」
「ひとつ約束して、アディ」
エーファは気を取り直したように言った。
「もし、あなたが日本に帰るときが来たら、私を連れていって」
ヒトラーはしばらく沈黙した。
「そうだな、そのときは、飛行機のタラップを、一緒に降りよう」
今度はエーファがうつむいて沈黙した。ヒトラーが何事かをすでに決心していることを、感じ取ったのである。それは良いことのようだ。そう思わずにはいられなかった。
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将軍たちがスターリンに会うことは、以前からそれほど容易ではなかったが、最近はほとんど不可能になってきていた。もっとも仮に会えたとして、それが楽しい会合になることは、まず期待できないのである。
「ブレスト=リトフスク(ポーランドの要塞で、ソビエトが占領していた地域の端にある要衝)は降伏したのか。全滅したわけではないのだな」
スターリンににらまれて、ジューコフ陸軍参謀総長はひるんだ様子を見せまいと努めた。独裁者は強い男が嫌いではない-少なくとも殺さずにいてくれる。
「ドイツ軍は2個軍団分の重砲兵を展開して、要塞そのものを破壊しました。全滅に近い状態であったと思われます。彼らの犠牲によって、ミンスク方面に進出しようとするドイツ軍は少なからず牽制されました」
「そのミンスクだ。そのミンスクだが」
スターリンは声を大きくした。
「ミンスクにまた敗北主義者どもがおるようだな」
「戦車と砲があれば、敗北主義者どもを追い払うことが出来ます、同志」
ジューコフはなだめるように言った。ジューコフは参謀総長でありながら、兵員や装備の予備が全体でどれだけあるのか知らされていなかった。それを知っているのは、スターリンだけなのである。ジューコフはスターリンを説得して、防御と反撃のための戦力をもぎ取らなければならなかった。
エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト3国では、ドイツ軍が国境に近づくに連れ、軍や市民の間に不穏な動きが出てきている。そのためにロシアから治安部隊を送らねばならない事態になっていて、ミンスクが失陥すれば北部戦線が一気に崩壊することは目に見えている。
海外からの援助はほとんど届いておらず、戦時体制への移行もうまく行っていない現在、ソビエトが頼りに出来る最も強力な同盟相手は、冬将軍である。ジューコフは当面、全戦線で時間を稼ぐことだけを考えていたが、そのことをスターリンに気取られるわけに行かないのがつらかった。
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ルーマニアの首都ブカレストでは、ドイツから譲渡されたMe109E戦闘機100機を使って、新たな部隊が編成されることを記念するパーティーが行われていた。明日の観閲式も含めたドイツからのゲストとして、ウーデット空軍大将が迎えられている。
ウーデットは、パーティーの人だかりの中にアントネスクがいることに気づくと、無遠慮だが快活に、自ら握手を求めに行った。簡潔な外交辞令が交わされた後、ウーデットはすぐに言った。
「総統からアントネスク将軍に、特に感謝の意を伝えるよう、言付かっておりますぞ」
周囲がざわめいた。
「ルーマニア軍のこれまでの敢闘に感謝し、えーと」
ウーデットはハンカチで汗を拭いた。
「今後の健闘に期待するとのことであります」
周囲の人々の表情は、おおむね明るかった。ルーマニアは、ソビエトに武力占領されたベッサラビアを奪還した後も、引き続きソビエト軍と戦って前進するべく、30万人近い兵力を拠出し続けることを決め、先頃ドイツに伝えたところであった。ヒトラーの挨拶はそれを踏まえてのものである。
アントネスクは会釈してウーデットの挨拶を受けた後、すぐに尋ねた。
「ハンガリーはどれだけの兵力を派遣することを決めたか、ご存知ですか」
アントネスクの問いに、人々の表情は強張った。アントネスクは根っからの軍人であって、外交官ではない。
外交官でないと言えば、ウーデットもそうである。ところがこの時に限って、ウーデットはアントネスクの聞きたいことを、勘で探り当てた。
「私は空軍の引退軍人でありますから、正確なことはわかりません。ただ我が総統が感謝の意をお伝えするよう言付かったのは、ホルティ摂政閣下と我が総統が会見なさった、すぐ後のことでありました」
アントネスクは痛快でたまらぬという、人の悪い笑みを浮かべると、傍らのボーイが捧げ盛った盆からグラスを取り上げた。
「総統の健康と、我らと共にする勝利に、乾杯」
座に明るさが戻った。ウーデットは愉快そうにグラスを干すと、次のグラスを持ったボーイを探して歩き去った。
ヒトラーは、ルーマニアが大兵力を拠出するということを、ハンガリーに対する要求の梃子として使ったのである。ルーマニアが2個軍を拠出したことによって、ヒトラーは少なくとも3個軍を使えるようになったであろう。ヒトラーの礼は、それらすべてに対するものと考えて良い。
これでドイツに恩を売り、北トランシルバニアの奪回に向けて、大きな点数を稼いだ。アントネスクの笑みの意味は、そこにあった。
ルーマニアもハンガリーも、ドイツの指揮下に置くのは、最良の部隊ではない。互いに最も信頼できる部隊は本国に置いて、互いの侵攻に備えるのである。アントネスクはもはやそのことを当然と考えていて、何の感慨も持たなかった。
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白ロシア(ベラルーシ)の首都ミンスクを巡る攻防戦は8月いっぱい続いた。ソビエト軍はT34を集団で投入するのが効果的なことに気づき、たびたび反撃をかけてきたが、Me109F、Fw190Aといった新機材で航空優勢を確立したドイツは柔軟にこれを受け流し、戦車部隊を歩兵部隊と切り離しては、砲兵と戦車が協力して討ち取った。戦車部隊は相変わらず75ミリ砲弾の不足に悩んでいたが、かえって88ミリ高射砲をそのまま積んだホルニッセは空軍分の徹甲弾を回してもらい、最後の切り札として活躍した。自走榴弾砲を数多く揃えてもらった砲兵は元気で、上方からの榴弾砲の直撃で破壊されるT34が続出した。
ミンスクがドイツの手に落ちると、ソビエトはスモレンスクを策源地として、いわゆる大陸橋を死守する構えを見せた。すなわち、バルト3国と白ロシアを放棄し、ドニエプル川と西ドビナ(ダウガヴァ)川に遮られることのない陸続きの部分をドイツ軍に通らせまいとしたのである。ここを通せば、もうモスクワは目の前である。
白ロシアと、南のウクライナとの境界に広がるのは、ブリビャチと呼ばれる沼沢地帯である。この部隊の移動が困難な地域の南には、広大で肥沃なウクライナが広がっている。
ドイツ軍は、攻勢の重点を南へ移し始めた。目指すは、古都キエフ。
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「我々はソビエトの穀倉地帯を掌握しつつあり、アメリカからの援助物資はまだソビエトに十分届いていない」
ヒトラーは軍首脳を前に演説した。
「牽制作戦を除き、11月以降陸軍は無理な前進を避けるべきである。ソビエト軍はドイツ軍を冬の間に打ち破らなければ政治的・経済的困難に直面するが、ドイツの状況は相対的に切迫していない。ソビエトに仕掛けさせるのだ。陸軍が10月の間にキエフを確保し、ドニエプル川とドビナ川に沿って柔軟な防衛線を構築することが、勝利の鍵となるであろう。ローゼンバーグ」
「はい、総統」
ローゼンバーグ東方担当大臣は、ドイツ民族の生活圏を東方に広げる事業の責任者であるが、そのために必要な権限は軍と親衛隊が握っているため、実質的な仕事が出来ずにいる。
「白ロシアおよびウクライナの占領地域の内、軍事的な脅威の薄れた西部の軍政権を、軍から引き継げ。直ちにドイツに友好的な現地人の政権を樹立し、その名において統治せよ」
「は、しかし総統」
「君の心配しているのは、その地域の警察機構に対する命令権であろう。君に当該地域における一般親衛隊への指揮権を与える」
一般親衛隊とは、治安警察、刑事警察、政治警察、収容所管理部隊などの総称である。
「総統!」
ヒムラーが声を震わせて立ち上がった。ヒトラーはヒムラーの方を向いたまま、演説を続けた。
「白ロシアおよびウクライナの向背は、東部戦線の行く末を決めることはもちろんであるが、アメリカとイギリスに対しドイツの新しい姿勢を示す里程標ともなる。アメリカとイギリスが講和に傾いたとき、ソビエトは真に崩壊するのだ。親衛隊長官、親衛隊は誰の命令を実行するか」
「総統の命令のみを実行いたします」
ヒムラーは即座に甲高く答えた。
「では白ロシアとウクライナにおいて、ローゼンバーグの命令は、すべて我が命令として実行せよ。よいな」
ヒムラーは応じた。
「ヒトラー万歳」
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「キエフだ」
スターリンはジューコフに言った。
「キルポノス将軍の南西方面軍司令部を君が引き継げ。ヒトラーは西ウクライナに白色政権(反共政権)を立てて、裏切りを奨励しておる。キエフを防衛し、反撃するのだ」
「私を送るより、戦車と砲を送った方が彼らの役に立つのではありませんか」
「両方送る」
スターリンは言った。
「約束する。君だけが頼りなのだ、ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ」
ジューコフはもう一度言った。
「戦車をお願いします。新式のものを」
ヒストリカル・ノート
ドイツ憲兵は原則としてふたり1組で行動しました。キューベルワーゲンやサイドカーがよく移動に使われましたが、後方ではおそらく自転車も使われたでしょう。
ドイツ兵士は、ソビエト軍の短機関銃のほうが一度に多くの弾を込められるのをうらやましがっていて、捕獲するとよく自分たちで使いました。
長砲身75ミリ砲を積んだ戦車、突撃砲などの生産は1942年初めに相次いで始まりましたが、1942年いっぱい深刻な弾薬の不足が続きました。ロンメル将軍のアフリカ軍団が弾薬のなくなった長砲身75ミリ砲付き4号戦車を連れ回していたのは有名です。
ルーマニアは終始ドイツに大きな兵力を提供し続けましたが、ハンガリーは史実における対ソビエト戦争の最初の年である1941年には、わずかな兵力しか提供しませんでした。初年度の恐ろしい損害の穴を埋めるため、ドイツはハンガリーに強力な政治的圧力をかけ、1942年に半個軍程度の大規模な兵団を提供させました。この世界ではドイツとルーマニアの関係が史実よりも良く、ハンガリーがこれに危機感を抱いています。
ローゼンバーグはエストニア生まれで、第1次大戦が続いているうちから反ソビエト活動に携わっていました。ローゼンバーグは実際に1941年に東方占領地域担当大臣になりますが、ウクライナ総督に長年の政敵が座り、実働部隊のほとんどはヒムラーが握っていたために、占領政策上の影響力は限られていました。




