第21話 全師団、逃げろ!
歩兵師団の補給参謀を務める中佐は、ドーバー市に進出したドイツ第7軍司令部にやってきた。中佐の知り合いのペムゼル少将がここで参謀長をしている。軍と師団の間にはさまる軍団は戦闘に専念する司令部で、補給に関しては軍と師団が直結しているといっても良かった。もし可能ならば便宜を図ってもらおうと思ったのである。上陸から2ヶ月近く経過し、師団のあらゆる物資が不足し始めていた。
ペムゼルは短い友人としての挨拶の後、「少し歩かないか」と席を立った。用件は言わなくとも分かっている、とその顔には書かれていた。どうやら、少将を訪ねて来た知り合いは、自分が初めてではないらしい。
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ペムゼルは中佐を伴って、ドーバー市の港湾地区にやってきた。
「あれがわかるか」
ペムゼルは、ドイツ陸軍兵士の一団を指差した。一団といっても3、4名の兵士が長い棒と水準儀を持ってあちこちと走り回っているに過ぎない。
「測量部隊だ。港の地図を作っている。それも、ひどく急いでな」
確かに、間接部門の兵士たちにしては、移動の際に小走りなのがどこかいつもと違う。
「港と主な鉄道駅の地図を作るために、ドイツ中の測量部隊が集まっているようだ。地図作成の対象はA軍集団司令部から直々に指定されていて、我々には説明すらない。加えてあれだ」
ペムゼルは、荷役作業中の貨物船を指差した。
「何を積み込んでいると思う」
「積み込んでいるのですか」
中佐は思わず問い返した。あらゆる補給物資が欠乏し、荷役用の器材がドイツ軍全体のボトルネックになりかねないときに、占領地からの積み出しとは。
「あらゆる種類の戦略物資だ。特に石油製品とゴムだな。占領地からの接収には親衛隊が動いていて、これまた何も教えてくれん」
中佐は状況を反芻した。確かにイングランド南部には良港が多く、ドイツ軍の侵攻時に処分しきれなかった戦略物資が多少は残っている。いずれは接収するに越したことはないが、なぜ、今なのか。中佐は考え込んでしまった。
ペムゼルは、わずかに苦笑して、声を落とした。
「いいか、これは友人としての言葉であって、上司としての言葉ではないぞ。あまり先の、補給の心配は……するな」
中佐は目を見張って、ペムゼルを見た。ペムゼルはもう何も言わず、古い知り合いの消息の話をしながら、司令部に向かって歩き始めた。
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東部戦線では、ソビエト軍がおびただしい損害を出しつつ前進していた。東部戦線におけるドイツ空軍は常勝に近いが少数だった。ソビエトが占領している東ポーランドやリトアニアに接している東プロイセンからはドイツ系住民が逃げ出し、補給路を渋滞させた。各地で歩兵、砲兵、そして突撃砲が粘り強く戦いながら、毎日のように後退していた。
各歩兵師団はカノン砲として、2門ずつの88ミリ対空砲を宛がわれていた。これはソビエトのKV-I重戦車やT34中戦車を遠距離から撃破できる数少ない兵器で、しばしばソビエト軍の戦車部隊を叩きのめして攻勢を停滞させた。いくつかの部隊は、対戦車砲は発見されたら移動しなければならないことを学んでいたが、別のいくつかの部隊は学んでおらず、その代価を払った。ソビエト軍の無線器材は不足していたが、砲炎を視認し、あるいは伝令が走って、急ごしらえの砲兵陣地を遠距離砲撃が見舞った。いったんそうなったら、88ミリ対空砲のような重い砲を迅速に移動させる方法はなかった。
ソビエトとの国境を守る各歩兵師団には、余分な機関銃中隊がいくつか配属されていた。それらはポーランドから捕獲した機関銃や、チェコスロバキア製の鈍重な機関銃を装備していた。各機関銃チームの指揮官はガンベルトに鉄のハンマーを釣っていて、用途を聞かれても笑って答えなかった。部隊が撤退を余儀なくされるとき、指揮官たちは無言でハンマーを取り出し、惜しげもなく機関銃を叩き潰すと、弾帯を腰か肩に巻いて立ち去った。
ドイツ軍の戦車師団は、戦線の後方で、出撃命令をじりじりと待っていた。東方総軍司令官・ルントシュテット元帥が攻撃を命じる、そのときを。
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OKHから来たその士官がシュタウフェンベルク少佐と名乗ったので、ヒトラーは思わずまじまじとその顔を見返してしまった。たしか、1944年のヒトラー暗殺計画の首謀者である。
シュタウフェンベルクは、そんなことにはかまわず重大な用件を切り出した。
「連合軍が先ほど、ロンドンを無防備都市とすることを宣言しました」
無防備都市の宣言は、都市住民と建造物を戦禍から守るための措置で、その地域には戦闘部隊を置かないという一方的な通告である。
「ハルダー元帥閣下は、イギリス時間で明日午後8時を期して、シュトルテベッカー作戦を発動することにつき、総統のご同意を求めておられます」
「連合軍はドイツ軍を前進させたあと、全面的な反撃に移ることを意図しているのか」
「OKHはそのように判断しております」
前進時にはどうしても重装備の展開が遅れ、攻撃に弱くなる。首都を占領する政治的な意義の重さを考えると、すぐに奪還できる自信がなければ、連合軍はロンドンを手放さないのではないかと思われた。
「よろしい。許可する。私は明日深夜まで、すべての予定をキャンセルして、総統官邸に留まる。アフリカ戦線に状況を説明する手段は、すでに講じられているのか」
「私自身が、復命後直ちにアフリカに飛びます」
ヒトラーは明快な説明に満足した。この男を敵に回さずに済んで良かった。
ヒトラーは、明日が6月22日なのに気づいた。史実におけるソビエト侵攻開始からちょうど1年である。
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6月22日の昼過ぎから、イングランド南部のドイツ占領下のすべての港で、陸揚げ作業のペースが落ちた。明らかな陸上要員の怠慢に対して、陸上の司令部が抗議を受けたが、それらはすべて曖昧に受け流された。各種の上級司令部は、目立たぬよう時間をずらして警戒態勢に入ったが、目ざとくそれに気づいて、いろいろな手段で連合軍に連絡を取ったイギリス民間人は多かった。連合軍はそれを、ドイツの攻勢の兆しと受け取った。彼らはそれを予期していたので、特段の対策を取らなかった。
日本の感覚でいうとやや高緯度のイングランドでは、夏至に近いこの時期の午後8時は、だいたい日没の時間である。日没を期して、フランス沿岸の港に留め置かれていた船舶と舟艇が、一斉に離岸してイングランドの港や海岸を目指した。これは異常なことだったが、フランス・レジスタンスが断片的に寄越した情報がスクリーニングを受け、数時間後にその異常さが明らかになるまで、連合軍はこのことに気づかなかった。
ここ数日見られなかったドイツ爆撃機の大編隊が、まだ明るさの残るイングランドの空に姿を現した。一部は北部イングランドのリバプール港に向かい、残りはロンドン北方の連合軍戦線の少し内側を、あまり高くない精度で爆撃した。これも、連合軍の予想のうちに入っていたが、結局チャーチルに異常を知らせる第一報は、この爆撃を警戒するレーダー局からもたらされた。
「ナチが本土に戻っているだと」
チャーチルは葉巻の火を丁寧に消すと、身を乗り出した。
「は、ドーバー市周辺の基地を飛び立った爆撃機編隊が、我が陸軍部隊の集結地周辺を爆撃した後、ドーバー海峡を越えてフランス方面に飛び去ったケースが、現在までに少なくとも3件確認されています」
電話を握ったままチャーチルがうなり声を上げたところへ、秘書官があたふたと駆け込んできて、イズメイ大将の来訪を告げた。ドイツが主防衛線を後退させているという前線からの報告を伝えてきたのである。
これをどう考えたら良いのか、チャーチルにも思案がなかった。チャーチルは生まれて初めて、次のヒトラーの演説を待ち遠しく思った。
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ドイツ軍は20万人以上をイギリス本土に送り込んでいた。撤退は時間がかかり、1週間の間に多くの悲劇と、1万人を超えるドイツ軍捕虜を生んだが、その規模を考えれば概ね順調に進み、重火器の多くも無事にドーバー海峡を渡ることができた。
撤退作戦の完了直後、ヒトラーはラジオ演説で、この作戦を説明した。
「ドイツ人は主として陸で暮らす民族である。我々は国力のすべてを挙げて上陸船団を仕立て上げ、ブリテン島への上陸を果たしたが、これは我々の限界を示すものである。連合軍の予想を越えた敢闘と、ソビエトの不愉快な不意打ちが我々の最も楽観的な予想の実現を妨げたが、その楽観的な予想においても、我々の補給能力が我々をスコットランドの北端にまで達せしめるとは、考えられていなかったのである。
「我々が欲したことは、イングランドがいわゆる大陸反攻の基地として機能することを、長期間に渡って妨げることである。我々は南イングランドの諸港において、港湾機能と物資の備蓄機能に重大な打撃を与えた。我々が持っている爆撃機の数は、私はドイツ総統として率直に認めるが、このような任務を徹底的に果たすには不足であった。一方我々は優秀な兵士を数多く持っていたので、私は彼らがその任務を果たすよう、必要な措置を取らせたのである。
「冷たい海水に身をさらし、異国の地で倒れ、あるいは捕虜となったドイツ軍兵士とその家族に、私は大きな責任を感じている。しかし彼らの尊い努力は、西部戦線を安定させ、平和への条件を作るために費やされたのである。そのような目的のためでなければ、私はこのような、最終的に撤退で終わることが予想される作戦を許可しなかったであろう。
「今やいわゆる連合軍は、その主要な戦場をドイツの東にのみ持っている。アメリカとイギリスはこの戦線では副次的な意義しか持たないであろうし、他の戦域に主要な戦場を作ろうとする試みは長期間を要するであろう。連合軍と我が枢軸の盟邦が直接戦闘を行っている地域は、他に北アフリカしかないが、私はこの戦域に展開する友軍が防衛に有利な地域へ撤退するよう、必要な命令をすでに発している。
「私はここでアメリカとイギリスの国民に問い掛けたい。連合国の中で唯一、他国の国境を侵して戦争に参加した国に援助し、その国土にあなたがたの子弟を送ることが、あなたがたの願いにかなう戦争であるのかどうか。西ヨーロッパにおける平和を実現し、東ヨーロッパにおける平和を回復するために協力することが、我々にとって最善の道ではないのか」
チャーチルは演説を終わりまで聞いていなかった。彼は手近の秘書官に声をかけた。
「イーデン(外務大臣)にすぐ官邸に来るように伝えてくれ。ああ、いや、私が外務省に行った方がいい。そのほうがすぐにクリップス卿(駐ソビエト大使)に電報を打てるからな」
彼にはいまや、することが山ほどあった。
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ドイツ軍がイギリス撤退を開始した頃まで、少しさかのぼる。
ネーリングはエジプトからの撤退を命じるために、自らモーデルの司令部を訪れていた。
「後拒はリュットヴィッツが務める。君の師団はイギリスの鉄道を破壊しつつ、迅速にトブルクまで後退してもらいたい。交代の師団が来るそうだ」
モーデルは不機嫌を顔に出していた。カイロ占領の栄光をモーデルは夢に見ていたのである。少し、ほんの少し気前良く補給を得られれば、それは可能だとモーデルは信じていた。
ネーリングは苦笑した。
「マンシュタイン上級大将が、君の昇進を推薦された。ドイツに帰れば大将で軍団長だ。忙しくなるぞ」
モーデルの表情が、モーデル自身も恥ずかしくなるほど露骨に変化した。
「ああ、いや、本官は」
アフリカ戦線は、こういうタイプの指揮官を必要としないものに変質していくであろう。ネーリングは、そのような戦域を委ねられた自分を、束の間哀れんだ。
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ルーマニアの農民たちは、少し違う制服を着たドイツ軍の一団を、うさんくさげに迎えた。ドイツの総統の名前がついた部隊なら、強い部隊に違いないが、それにしてもどこかがさつで疲れた様子なのはどうしたことか。
アドルフ・ヒトラー連隊は、イギリスから真っ先に撤退してきたが、ほとんど休息する間もなくルーマニアに投入された。ソビエト軍の進撃の勢いがなかなか止まらず、プロエステ油田防衛のために新しい部隊が必要とされたのである。例によって、精鋭戦車部隊はポーランドでの反攻作戦のために集結中で、独立連隊のため重火器をあまり持たないアドルフ・ヒトラー連隊は、捨て石であった。
割り当てられた戦区は、鉄道の駅を中心とする3キロ四方ほどの区域であった。この区域を死守しろというのである。この鉄道がソビエト軍の手に落ちると、ルーマニア中央部とドイツの陸路は途絶えてしまう。ルーマニア軍とドイツ軍は山がちのルーマニア東部でソビエト軍を食い止めつつ、じりじりと後退していた。その後退に先回りして防備を固めよというのが、アドルフ・ヒトラー連隊への命令であった。
イギリスでの失敗で戦車を取り上げられたアドルフ・ヒトラー連隊は、それでも最新の3号駆逐戦車(長砲身の突撃砲のこと-第11話参照)14両を割り当てられていた。ビットマンは曹長に昇進し、1個小隊(4両)を任されている。
丘の上に陣取った先遣隊から急報があったころ、一部の中隊はまだ塹壕を掘り終えていなかった。先遣隊がすっかり算を乱して丘を駆け下りて来て間もなく、丘の上からソビエト歩兵が姿を現した。
多い。あとからあとから、息を切らせて突進してくる。準備砲撃がなかったのは、丘の向こうのドイツ軍の位置が分からなかったせいであろう。偵察隊を出しての前哨戦を抜かした、大雑把な突進である。あるいは、ひどく損害を受けた師団で、まるごと罠の弾き役に使われているのかもしれない。ソビエト軍は損害を受けた師団に兵士を補充するよりも、新しい師団を編成することを選ぶ傾向があり、全体として優勢な状況でも師団単位の全滅部隊が生じることがあった。
一部の中隊が待ちきれずに機関銃を撃ち出した。距離が遠すぎ、ソビエト兵にはほとんど命中しなかった。
大口径砲弾が降り始めたのはその時だった。どうやらソビエト軍の観測班が丘の上に陣取ったらしい。砲撃はドイツ軍とソビエト軍をひとまとめに叩きのめした。悲鳴を上げて逃走するソビエト兵が、何人か友軍に撃たれるのが、ドイツ軍陣地からも見えた。
ドイツ軍はイギリス方面から引き抜かれた空軍部隊の援護を受け、ついにポーランドで全面的な反攻に転じた。グデーリアン上級大将が北方から、クライスト上級大将が南方からワルシャワ方面のソビエト軍を包囲すべく、戦車の大群を率いて出撃した。どこの国でも首都は交通の中心だから、部隊と補給物資はどうしてもここに集まるのである。
ドイツ軍はケチケチしなかった。外国製機関銃はいつのまにか前線から姿を消し、MG34機関銃の甲高い発射音が間断なく響き渡った。前線を支え続けて来た歩兵師団は消耗し崩壊の瀬戸際に来ていた。誘いの隙が本物の隙になる刹那の反撃であった。
グデーリアンは自ら戦車兵たちを駆り立てた。慎重で紳士的なクライストにはクーゲルブリッツ(球電)クルトと異名を取るクルト・ツァイスラー大佐が参謀長としてつき、クライストが決して出さないような様々な無茶な命令を起草した。彼らの下で、ロンメルも、そして少し遅れてモーデルも装甲車に乗ってポーランドの平野を疾駆した。
ソビエト軍の将軍たちは、最初に敗北を報告する人物になることを嫌った。それは非軍事的だが、ひとしく絶対的な死に直結する可能性が高かった。上級司令部が対策を講じるべき時間は空しく失われて行った。ドイツ空軍は東部戦線でも戦術空軍に徹し、ソビエト軍の移動、補給、そして偵察を妨害した。スターリンが事態に気づいたとき、彼に出来たことは、新しい部隊で戦線の穴をふさぐことだけであった。包囲された20万を超えるソビエト兵は、補給の欠乏とパニックによって、もはや包囲を突破するだけの行動力を失っていた。
春以来ドイツ各地に急ピッチで新設されてきた歩兵師団が、消耗した師団の戦区を肩代わりすべく、陸続とドイツ東部国境の各駅で列車から下りてきていた。1940年以来営々と国防軍兵器局が蓄積してきた予備の重器材は、これらを編成するためにすっからかんに吐き出された。黒海からバルト海までをひとつながりにした鉄のローラーが、単調で冷酷な音を立てて、東向きに輪転を始めていた。そしてドイツの装甲部隊は、波から跳ね上がる飛魚のように、大小の包囲の波紋を描いては閉じ、また描いては閉じていた。
ソビエト軍独特の120ミリ迫撃砲の巨大な砲弾は、アドルフ・ヒトラー連隊の頭上を途切れることなく横切っていた。周囲のルーマニア軍砲兵部隊との連絡はつかなかった。ルーマニア軍は通信器材の不足に苦しんでおり、砲兵1個中隊について弾着観測班をひとつしか置けないのが普通であったため、弾丸も必要以上に使ってしまうことが多かったし、小規模な戦闘には砲兵の支援が得られなかった。
ビットマンのいる駆逐戦車中隊は連隊の戦区全体に散らばっていたが、敵の弾幕が濃いために駆逐戦車から周囲が見えず、有効な支援が出来ずにいた。着弾がおびただしいために通信も聞き取れなかった。
「装甲………がこちらに向かって発進した。北方では友軍の大攻勢が始まっている。もう少しの辛抱で………は………になる」
ビットマンの耳にはディートリッヒ連隊長の声が途切れ途切れに届いていた。ディートリッヒは士官としての専門的な訓練を受けたことがない。迅速で決まりきった指示を出さなければならないとき、このことは大きく響いた。人間としての統率力や一般的な頭の良さとはまた違った問題であった。上級司令部から渡される地図の上の、部隊を示す戦術記号が読めなければ、命令を正しく理解することは不可能だし、その命令を敷延し具体化していく指示が遅れるのは当然のことである。いま流れている訓話も、どこか具体性に欠けていた。
ビットマンは通信が切れると、危険を冒して上部ハッチを開けた。カーキ色(ソビエトの軍服の色)の無数の点が遠景に見えた。動いているものも、もう動いていないものもあった。
3号駆逐戦車は75ミリ砲弾をわずか44発しか持っていない。しかもその大半は徹甲弾で、歩兵に対して効果のある榴弾は貴重であった。どのタイミングでそれを使うか、配属先の指揮官であるマイヤー少佐も迷っているに違いなかった。
ふとビットマンは線路の上に目をやった。線路の上を走るように改造された、フランス製のパナール装甲車が、いつのまにかやって来ている。中から出てきた3人ほどの兵士が、カニの突き出した目のような砲隊鏡を抱えていることにビットマンは気づいた。ビットマンは即座にハッチを閉じると、マイヤー少佐に連絡を入れた。戦車を盾に使ってでも、あの兵士たちは守ってやらなければならない。
数分後から、最初は途切れ途切れに、やがて間断なく、ソビエト軍のものより遥かに正確な砲撃が、ソビエト軍の突撃ルートに落ちて来るようになった。ソビエト軍の砲撃と比べると小口径の砲らしかったが、兵士をひるませるだけの威力はあった。遮るもののない地形では、飛び散る砲弾の破片は直撃と同様に致命的であった。
それと前後して、連隊がもともと持っていた81ミリ迫撃砲が、丘の尾根に沿って煙幕弾を撃った。幸運にもソビエト軍の弾着観測班の視界を遮ったらしく、飛来するソビエトの砲弾が減少した。それを見たマイヤーは、ドイツ軍の前線近くに伏せているソビエト兵を掃討するため、駆逐戦車を前進させるようビットマンに命じた。 ビットマンは不機嫌に小隊各車に隠れ場所から出るよう伝えると、装填手に機関銃を構えさせ、自分も戦車長用ハッチから身を乗り出した。このころの3号駆逐戦車は、車内にMG34機関銃を持ってはいるが、射手を守る防弾板の類はまったくなかった。よく訓練された戦車兵は、このようなことで危険に身をさらすには貴重すぎる。
「済まんな、ビットマン」
謝ってもらって済むものではない。
えっ?
ビットマンが振り向くと、駆逐戦車の後部にはマイヤー少佐その人と、見覚えのある大隊本部班の面々が勝手に乗ってきていた。
「では、行こうか」
マイヤーは澄まして言った。
幸いにしてビットマンたちは敵の砲撃も味方の砲撃も受けず、ソビエト軍の攻勢は撃退された。歩兵たちは塹壕を掘り広げるのに忙しかった。今日発砲して位置を暴露した機関銃は、今日のうちに出来るだけ移動させておかなければならない。ビットマンは新しい待機場所に駆逐戦車を移動させると、そこが使えなくなったときの移動先を探すために、散歩に出かけた。
鋭い汽笛にビットマンが振り向くと、今日の勝利の立役者が駅を離れていくところであった。装甲列車である。角張った装甲板に覆われ、所々に短い砲身を突き出した丸い砲塔が乗っている。機関車は損害を受け難いよう、編成の中央にあって、もこもこと煙を吐いている。
装甲列車は、75ミリ程度の旧式砲や捕獲砲を乗せた砲塔をいくつか、貨車に載せた旧式戦車を1、2両、そして降車して戦車と共に戦う歩兵を載せた、戦闘用の列車である。全体として中隊規模だから大尉が指揮することが多いが、少佐や中尉のこともある。さっき姿を見せていたパナール装甲車は、偵察のために各装甲列車に2両ずつ配属されているもので、それが弾着観測班を運んできていた。装甲列車自身は姿を現すことを避けて、5キロほど向こうから砲撃を加えていたのであった。
蒸気機関車は走り始めが遅い。ルーマニアの夕日を浴びて、無蓋貨車から降車戦闘班の兵士たちが盛んに手を振っていた。装甲列車は徐々にスピードを上げて、ビットマンたちの守る駅を離れて行った。
ヒストリカル・ノート
小さな車体に大きな砲を積むと、持てる砲弾が少なくなります。現場で弾薬を並べる棚をはずし、ぎちぎちに弾薬箱を車内に積み上げたり(3号突撃砲)、砲をはずして弾薬輸送専門にした車両を連れ歩いたり(自走歩兵砲グリーレ、自走榴弾砲ヴェスペなど)、様々な工夫も行われましたが、終始悩みの種でした。




