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第2話 鷲とスリング

 ライチェスクのユダヤ人地区のメインストリート、マルクジンスキ通りは、今日も混雑している。主な理由は、実質的にユダヤ人を封じ込める目的で、ドイツのポーランド総督府がユダヤ人地区外縁部の道路の通行を禁止したことにある。このために地区内部の特定の道路にすべての交通が集中してしまい、混雑を招いているのである。


 しかし、ユダヤ人の活力が圧迫にもかかわらず衰えていないせいだ、というのも一定の説得力を持った説明であった。通りの両側には露店が並び、いかがわしい品物から正真正銘の高級品に至るまであらゆるものが売られている。ユダヤ人地区の外ではユダヤ人は特定のバッジを身につける義務があり、交通機関の利用を制限されたり、べらぼうな運賃を吹っかけられたりしていたが、近隣農村への移動の自由が全く奪われているわけではなかった。だから闇市の成立する余地があった。


 この状況下でも、いやこの状況下だからこそかもしれないが、信頼関係に基づく人と人のつながりは維持されていた。そのネットワークは、闇物資の他に、多くの噂を運んだ。ムッソリーニがヒトラーに宣戦を布告した、といった根も葉もないものから、兵力移動を根拠に大作戦の開始を言い当てるものまで、噂は玉石混交であった。しかし最近になって流れてきた噂は、今までに聞いたこともない、極めつけの奇怪な噂であった。


「また外出していたのか」


 ライチェスク・ユダヤ人評議会のドアをくぐったフリドマンは、古手の評議員の冷ややかな挨拶にかまわず、帽子をかけると席についた。


「噂を集めにね」


 ユダヤ人評議会は、各地のユダヤ人地区に作られた(なければドイツ当局が作らせた)行政組織で、自治組織であると同時に、ドイツ側からの要求の受け皿でもあった。評議会は民主的であることもあり、そうでないこともあった。


 ライチェスクの評議会議長、鉛管工上がりのヒルシュは、学はないが太っ腹な男であった。彼は青年層のリーダーと目されていたフリドマンを、平然と評議員として取り込んでしまった。もし青年たちが抵抗運動など企てようものなら評議会全体が連座することになるのだが、ヒルシュは意に介さなかった。そしてフリドマンもまた、この厚遇を平然と受け入れ、遠慮する風もなかった。




 評議員は外をみだりに歩くべきでない、というのが最近不文律になりつつあった。ユダヤ人地区の住民は皆何かしら不自由を抱えており、陳情のための理由-まったく正当な理由-を持っている。道で知り合いから陳情を受け、評議員であることがわかってしまったら、たちまち取り囲まれてしまう危険があった。


「今日は飛び切りの噂が手に入りました」


 フリドマンは周囲を見回した。正式な会議の時間ではないが、メンバーの多くが集まっている。


「皆さんに関係のある噂です」


 ヒトラーが、ポーランドに点在するユダヤ人地区を視察し、ユダヤ人評議会の指導者と会談するというのである!


----


 親衛隊長官ヒムラーは、ヒトラーの質問に対して戸惑いを隠さなかった。ヒトラーはユダヤ人の人数と所在、そして待遇について、事細かな質問を浴びせ、しかも秘書を使わず自分でノートを取ったのである。この広いベルリンの総統官邸の閣議室が、あたかも査問会場になったようであった。


 ヒムラーの注意を引いたことはもうひとつあった。その後のヒトラーの指示が異例なまでに具体的だったことである。視察先のユダヤ人地区は特定され、実際の視察日時を回答する期限と、回答を受け取る秘書が定められた。


 だいたいヒトラーは質問は細かくても、指示は大雑把でどうにでもとれるのが通例であった。部下の助けなしに細かい計画を立てるなどおよそヒトラーらしくない。それほどヒトラーの不信が深いとみるべきか、とヒムラーは恐れた。


 部下たちを退席させた後、ヒムラーはひとりでヒトラーと会談した。今度はヒムラーがヒトラーを問い詰める番であった。ヒトラーはヒムラーに問われるままに、ユダヤ人問題をもっぱら親衛隊の所管とする方針に変わりのないこと、これまでの措置に不満のないことを説明した。


「我々は新たな局面を迎えている。イギリスとの包括的な和平の形を考えねばならん」


 ヒトラーは慎重に言葉を選んだ。とにかくこの問題を先鋭化させないようにしなければ、おっちゃんの命はない。1945年までにアメリカと和解しなければ、ベルリンに原爆が落ちるだろう。


「民族の優越を戦争の主題からはずさなければ、和解の可能性は減るだろう。ドイツからユダヤ人を追い出すことはできても、ヨーロッパからユダヤ人を一掃することは」


 ヒトラーは言いよどんで言葉を探した。


「コストが大きすぎる」



ーーーー



 おっちゃんが秘書たちとシュペーアの助けを借りてにわか勉強したところでは、戦前のドイツのユダヤ人政策は、簡単に言うとユダヤ人追い出し政策であった。ただしあらゆる手段で財産を取り上げ、着の身着のままで追い出すのである。


 ヒトラー政権が誕生したころ、ドイツにいたユダヤ人は約60万人で、のちにオーストリアを無血併合して20万人足らずが加わった。近隣諸国はもとより、アメリカや中南米も1929年の世界大恐慌の後始末に苦しんでいて、ドイツの棄民政策は受け皿のないままなかなか進まなかった。ようよう半数を追い出した1939年になって、ドイツはヨーロッパでもユダヤ人の多い国であるポーランドに侵攻し、200万人以上のユダヤ人を新たに抱え込んで、棄民政策は完全に頓挫した。


 次に来たのは、1940年の秋になってもまだ続いている封じ込め政策である。これは、大都市に設定されたユダヤ人地区(いわゆるゲットー)にユダヤ人をとりあえず封じ込め、あわよくば劣悪な環境とわずかな食糧配給で人口を減らしてしまおうというものである。


 おっちゃんが探りを入れた限りでは、まだ絶滅収容所は稼動していない。収容所一覧の中にアウシュヴィッツという名前を見つけたときは心臓が止まるかと思ったが、まだそれは建設されたばかりの強制労働収容所でしかなく、政治犯や要注意人物、人種政策上やはり迫害されていたシンティやロマ(ジプシーという言葉には侮蔑の響きがあるとされ、現在は使われない)といった雑多な人間によって占められていた。もちろん死亡率は極めて高く、労働力は使い捨てにされていた。


「我々は困難な命令であっても、実行をいとわない所存であります」


 ヒムラーは言った。


 実際ポーランド戦のときは、親衛隊の「実行部隊」が進撃する国防軍のあとをついてゆき、多少なりとも抵抗の軸になりそうな知識人や聖職者を1万人以上射殺している。おっちゃんはこのあたりの細かい事情を知ることはできなかったが、ヒムラーの言わんとするところは良く分かった。ユダヤ人迫害という憎まれ役を、ゲルマン民族至上主義の大義のために買って出よう、というのである。親衛隊がこういう自己陶酔的な気分を持っているというのは、面と向かって話をして初めて知ったことであった。


「事情が変わってきたように思えるのだ。イギリスを屈服させるために、彼らの労働力は最大限に活用する必要がある」


 当面、ユダヤ人に対する冷たい態度を演じておいた方が、正体を隠しやすいとおっちゃんは考えている。少しずつ心変わりしたように見せかけるのだ。まず役に立つ労働者としての栄養と衛生を確保し…その先はまだおっちゃんにも見通しが立たなかった。


「我々はその目的のためにもお役に立ちます、総統」


 ヒムラーの口調がわずかに変わって、どこか浮ついたものになった。

 

「我々は軍需品も含めて、あらゆる工場を労働強制収容所に建設する用意があります」


「その件に関して、経済関係の担当者も交えて会議を開こうと考えている」


 ヒトラーはヒムラーの申し出をはぐらかした。


「国家元帥が、労働力確保の件について具体的な措置を講じたという話は、聞いたことがありませんな」


 ひとりごとのようにヒムラーは言った。


 国家元帥というのは、ゲーリング空軍総司令官のためだけに創設された、元帥の上の階級である。ゲーリングは空軍総司令官・航空大臣のほか、経済大臣と4ヶ年計画担当大臣も兼ねていて、戦時経済を運営する最高責任者であったが、近年さっぱり具体的な仕事をしていないのである。


 おっちゃんは、このヒムラーに限らず、会う閣僚の多くがこうした暗示的な同僚批判を残していくことに気づいていた。本物のヒトラーはこういう批判によく動かされる人物であったらしい。おっちゃんは古代中国の皇帝にでもなった気分であった。


 おっちゃんは、ゲーリングについて考えていることを気取られないよう、最低限の受け答えで会談を打ち切った。


----


 ライチェスクのユダヤ人地区でヒトラーを迎えたのは、ひどい臭気であった。腐敗したごみの臭い、排泄物と吐瀉物の臭い、そして血の臭い。


「人が住んでいないようだが」


 バスに鉄板を張った警察用装甲車の中で、ヒトラーは尋ねた。

 

「警備上の理由から、今日はこちら側の地区を立ち入り禁止にしております」


 案内役の親衛隊士官が答えた。それでは視察にならないではないか……とヒトラーは言いかけて黙った。


「では中に入っても安全は確保されているのだな」


「申し訳ありませんが装甲車をお出にならないようお願いいたします」


 装甲車はゆっくりとゲットー内の道路に入っていった。完全武装の親衛隊員が、ごみ収集車の後先を走る職員のように、装甲車から付かず離れず護衛する。ときおり上を見ているのは、建物の中を点検した隊員からの合図を受けているのであろう。


 説明を聞いているのでなければ、もう人が住んでいない街だと思ったかもしれなかった。少しでも利用価値のある物はすべて持ち去られていた。もともと少なかったところへ、ユダヤ人たちが盗まれるのを恐れて根こそぎ持って移動したようであった。


 何か聞こえてきた。


「歌?」


「ユダヤ人どもです」


 士官がひとり通信機にかじりついた。外と連絡して、歌を止めさせるのであろう。今日は数百人の戦闘親衛隊員と保安警察官がユダヤ人地区の周辺を固めていた。


 おそらくユダヤ教の賛美歌で、誰でも知っている歌なのであろう。相当の人数が合唱していた。そこに人が生きていることを、ヒトラーに知らせようというのであろう。ユダヤ人地区の奥から聞こえてくるその歌が伝えるものは、喜びでも悲しみでもなく、強いて言えば威厳であった。生きていることの誇りであった。通信機の前の士官はかみつくように迅速な処置を督促していた。彼の耳には、この歌は重要なイベントをぶち壊す雑音としか聞こえないのであろう。


 装甲車はすでに逆進しながら出口へ向かっていた。



----



 ヒトラーに向き合った、ライチェスク・ユダヤ人評議会の5人の代表は、色々な表情をしていた。あるものはそわそわと視線をさまよわせており、別のあるものは緊張して力み返っており、別のあるものは-ヒルシュとフリドマンだったが-平然としていた。


「最初に言っておくが、この会談は予備的なもので、交渉ではない」


 ヒトラーは切り出した。


 このことはヒムラーとの間で確認した事項であった。普通ならヒトラーの出てくるトップ会談の前に、より低い肩書きの人間同士で交渉が行われる。ヒトラーはユダヤ人問題に関する生の判断材料を欲しがったため、直接会談に固執した。ヒムラーは、その場でヒトラーが親衛隊の「顔をつぶす」ような約束をすることを懸念したので、このような確認ができたのである。


 ヒトラーは、イギリスとの早期和平の可能性が遠のいたこと、ドイツの戦時経済が労働力を欲していることを率直に語った。


「従って、もしユダヤ人がドイツに協力の意志と能力を示せるのであれば、我々は新たな歴史的関係を模索する用意がある」


 ヒトラーは思わせぶりに言葉を切った。ユダヤ人評議員がたまらず質問した。


「それはドイツがユダヤ人を敵視することを止めるということですか」


 同席していた親衛隊士官が冷たく宣告した。


「君たちの質問は認められない」


 士官の言葉で、通訳は今の質問をドイツ語に直さなかった。ところがおっちゃんには、このときに限って、ポーランド語を聞き取る能力が生まれていた。


「我々はドイツからユダヤ人を追い出した」


 おっちゃんはこのことを口にしたくなかったので、ヒトラーの口調は自然と速くなった。


「しかし他国や保護領においては、この政策を機械的に押し通すことは弊害が大きい」


 ヒトラーは言葉を切って、ユダヤ人たちを見回した。


「君たちは我々と新たな協力関係に入る意志があるか」


 親衛隊士官が何か言いかけて黙った。明らかに、ヒトラーは実質的に交渉をする気でいる。通訳が板挟みになって動転しながら、ともかくヒトラーの言葉をポーランド語にした。さすがのヒルシュも、慎重に言葉を選んだ。


「我々はすでに労働者を拠出させられています。この割り当て人数を増やす可能性のことをおっしゃっているのでしょうか」


「変化は量的なものというより、質的なものだ。君たちはもっと重要な職場で、重要な権限を与えられることになる。工場の管理全体を君たちのコミュニティに任せようと考えている。工場が君たちの隣に移転する場合も、君たちが工場の隣に住む場合もある」


「我々の移動の自由は奪われる」


 フリドマンは断定調で言い切ったので、質問は、と言いかけた士官は気勢をそがれた。


「民族が分断されることの苦しみは、理解できる」


 おっちゃんはなんといっても大阪人であるから、韓国人の知り合いが多い。


「我々が欲しているのは自発的に働く労働者である。労働条件は総合的に一定のレベルに達していなければならない。労働者の家族が不幸であるとき、労働者も幸福ではありえない」


 年かさのユダヤ人評議員たちが、じりじりと身を乗り出してきた。


「我々の多くは商人か事務員、あるいは専門職です」


 フリドマンがいささかも歓迎の意を示さずに冷静に話し続けるので、他の評議員たちは怒りの色を浮かべた。


「我々の能力を生かせるような職を提供していただけるのでしょうか。また我々はポーランドにおいて現在就いている職業から次々に締め出されていますが、これは我々の労働力を生かすという総統の御決心とは整合的でないように思われます」


「やめねえか」


 フリドマンを遮ったのはヒルシュであった。いくらヒトラーが今日は妙に寛容だとはいえ、ポーランド総督がヒトラーの意を体していない、などという発言はまずい。ヒルシュはヒトラーに向き直った。


「私らは、皆さんがやってくるまで、善良な市民でやした。市民としての務めを果たせねえはずがございやせん」


 ヒトラーは、ヒルシュの発言の続きを待っていたが、ヒルシュは用心深く、それ以上何も言わなかった。ヒトラーはさりげなく切り出した。


「今日の会談は有益であったが、我々が会ったこの機会に、ひとつゲームをしよう」


 ユダヤ人たちは緊張を解いた。よいサインはいくつかあったが、サインだけであったようにも思えた。みんな今日の会見は終わりだと思った。


「3つの願いだ。願いを3つ言って見たまえ。私は何も約束しない。ただ聞くだけだ」


 ユダヤ人たちが一斉に椅子から飛び上がったように見えた。


「総統閣下、お時間が遅くなりますので」


 たまりかねた親衛隊士官は割って入った。親衛隊が「ヒトラーの政策」を盲目的に実行してきたこと、いまさらそれを否定されては立場のないことは、おっちゃんにも理解できていた。しかしそれに配慮することは愉快ではなかったし、特定個人の保身と結びつくとさらに不愉快であった。おっちゃんはこういう場合にふさわしい河内風の罵り言葉をひとつふたつ投げてやろうとした。その言葉は、不可思議なフィルターを通って、ヒトラーの口から次のようなドイツ語として現れた。


「ドイツの指導者は誰であるか!」


 一座は静まり返った。誰の表情も凍り付いたように無感動であったが、ひとりフリドマンは笑いを押し殺して肩を震わせていた。


「まず、法による保護をお願えしやす」


 ヒルシュは切り出した。ユダヤ人に対する犯罪-略奪、暴力、強要など-に対する取り締まりや捜査は事実上行われなかったから、ポーランド人やドイツ人による犯罪が非常に多く発生した。ユダヤ人地区に暴徒が押し入ってくることすらあった。いくら物的な条件が改善されても、それを片端から奪われるのでは意味がない。


 ひととおりの説明が終わると、それまで黙りこくっていた評議員が勇気を振り絞って声を上げた。


「我々に収入を与えていただきたいのです」


 この状況になってもユダヤ人地区の貨幣経済は崩壊していない。ユダヤ人地区に追い込まれる際に持ち出せた財産の額は、闇市で食料を手に入れられる期間の長さを決定し、それがその一家の寿命に大きな影響を与えた。ユダヤ人評議会を通じて配給される食料や、ユダヤ人たちの拠出による自助協会の提供する無料のスープは、必要量にはるかに及ばなかった。そして、ユダヤ人が地区の外で新たな収入を得る道は、次々に閉ざされていた。


「では、3番目は」


 ヒトラーの言葉を、フリドマンが短くさえぎった。


「自由」


 フリドマンはそれ以上説明しようとしなかったので、ヒトラーが続けた。


「他の地区では、食料か衣服か医薬品が必ず願いに入っていた。ここは非常にユニークだ」


 評議員たちは狼狽した顔でヒルシュとフリドマンとヒトラーを交互に見たが、ヒルシュは動じなかった。ヒトラーの口からそれが漏れた以上、ヒトラーはすでにそれを気にかけているのだ。


「去年の冬は寒かった。今年の冬は近い」


 フリドマンはつぶやくように言った。


「しかし人間としての誇りがなければ、我々は何事に耐えることもできないだろう」


 すでにドイツのポーランド占領以来、数万人のユダヤ人がユダヤ人地区に押し込められたまま、人為的に繰り上げられた死を迎えていた。飢え。寒さ。暴力。そして疫病。


 ヒトラーはまたしても親衛隊の反対を押し切って、装甲車でユダヤ人地区まで評議員たちを送った。今日のように荒れた会見では、親衛隊が彼らを生きて帰したくないと考えてもおかしくはない、と思い当たったのである。


 装甲車を降りて歩きながら、ヒルシュはフリドマンを呼んだ。


「おめえは、この場限り、評議員は首だ」


 ヒルシュは愉快そうに言った。


「この場から逃げるのがいい。保安警察の手は長えぞ」


 ヒルシュはシャツの中をごそごそやると、くしゃくしゃになった10ズロチ札を5枚取り出して、フリドマンに握らせた。


 かっきり3時間後、フリドマンを逮捕に来た保安警察は、任務を果たせなかった。フリドマンへの正式な逮捕請求手続きは取られず、手配もされなかったので、フリドマンに関する公式な記録はこの日を境に行方不明、で終わっている。ユダヤ人地区を脱出し、森で生きてゆくことは困難ではあったが、不可能ではなかった。その困難さに比べれば、別人名義の身分証明書を手に入れることは、たいした難関ではない。


 ユダヤ人たちは数日後、食料の増配や毛布の無料配給の知らせに驚かされた。どのユダヤ人地区でも、もちろん親衛隊内でも、急に融和主義者の勢力が増し、ドイツに対するユダヤ人の抵抗運動は弱まった。それがどのような影響を及ぼしていくかは、まだまったく予想がつかなかった。



ヒストリカル・ノート


 このエピソードはエマヌエル・リンゲルブルム 「ワルシャワ・ゲットー(上下)」(みすず書房)とベーレンバウム「ホロコースト全史」(創元社)を主に参考にして、架空の街と人物をこしらえて書きました。当時すでに架空戦記出版はブーム化していましたが、「誰も一発も撃たないうちからユダヤ人問題を持ち出す」というのは「商業出版には絶対できない趣向」として思いつきました。


 ライチェスクとその住人たちはすべて架空のものです。いわゆるゲットーの運営のしかたは千差万別で、ライチェスクはそれらを合成した存在です。


 ゲットーを壁などで完全に封鎖する作業は順次進んであり、1940年10月頃には両者は混在していました。


 親衛隊は保安警察ゲシュタポと刑事警察を一手に握っており、ユダヤ人地区の運営実務にも関わっていました。強制収容所を管理するいわゆるどくろ部隊ではなく、おそらく保安警察がユダヤ人地区を主に担当していたと思われます。戦闘親衛隊も親衛隊の所属です。


 ユダヤ人評議会のメンバー専任には色々な方法がありました。形式的にはドイツ占領当局が指名するのですが、ソビエトの占領地などで様子がわからないときはくじ引きによることもあり、ユダヤ人コミュニティが発達している町ではユダヤ人の選挙で選ばれた例もあります。ここでは、議長として指名を受けたヒルシュがフリドマンを含む他のメンバーを推薦し、ドイツがそのまま認めたと想定しています。


 ユダヤ人評議会は住民の日々の安全に責任を持つ立場上、何らかの意味での抵抗運動を抑制しようとすることがありました。


 ポーランドの場合、戦前のユダヤ人指導者層の多くが敗戦時に亡命し、また相当数が侵攻直後に親衛隊の「実行部隊」に殺されたため、コミュニティによっては適当な指導者がみつかりにくいケースがありました。このような状況でなければ、ヒルシュのような指導者は生まれないでしょう。



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