第18話 春のめざめ
1941年から1942年にかけての冬は、イギリスにとってかつてない寒い冬となった。燃料の節約が叫ばれ、暖房が極限まで切りつめられたからである。公共の施設には暖を取ろうとする国民が用もないのにたむろして、業務に支障をきたすケースも生じた。
アメリカが参戦してから、少なからぬアメリカ人が海を越えてイギリスに渡ってきた。彼らはアメリカ人としては普通の-現下のイギリスでは贅沢極まりない-食事を取り、イギリス人の眉をひそめさせた。
実際、Uボートは最高の戦果を挙げていた。もともと造船国でなかったアメリカは驚くべき速度で造船能力を高めており、船腹の損失を埋めることはできたが、船員を生産することはできなかった。アメリカでは沿岸警備隊からの商船乗組員派遣が検討され、イギリスでは漁船乗組員の度重なる徴用で、漁獲高の減少が深刻な問題となり始めた。しかしこの状況は、アメリカが新たな対策を取ってくるまでの短期間しか続かないものと、経験豊かなUボート艦長たちは見ていた。
だから、U4126が特殊装置を積んで、スコットランドのイギリス艦隊の主要泊地、スカパ・フローへ赴くよう命じられたとき、艦長は少なからず残念がったのである。それから取って返して中部大西洋の狩り場に着いた頃には、狩りの季節は終わっているであろう。
その日のスカパ・フローは久しぶりの快晴だった。3月になればだんだん天候は回復してくるが、それにしても今日は天気が良かった。停泊している艦船では、遅れ続けていた各種の補修作業が急ピッチで進められていた。
乗組員たちがくたくたになって寝静まった夜更け、空襲警報のサイレンが不運な彼らをたたき起こした。
鈍いエンジン音が東から近づいていた。直ちに夜間戦闘機が離陸態勢に入ったが、今から離陸したのでは迎撃に間に合いそうになかった。なお悪いことに、この比較的安全な空域はアメリカ空軍の戦闘機部隊に委ねられており、イギリス空軍のレーダーシステム管制官からアメリカ空軍の飛行隊長に発進指示を出すための手順が、十分試されていなかった。
ドイツ機は正確に泊地を目指してきた。U4126が泊地の入り口近くに短波発信ブイを流し、計器飛行してきた爆撃隊を誘導したのである。艦船が順次対空射撃を開始して、かえって目標の所在を教える形になったが、ドイツの爆撃も高空からの水平爆撃だったので、なかなか命中しなかった。
500キロ爆弾の大きな水柱が、対潜警戒のため湾口に向かっていた駆潜艇の進路を妨害した。舵を大きく切ったところで、墜落するユンカース双発爆撃機が駆潜艇のブリッジをかすめ、操舵室が主翼の直撃を受けて粉砕されてしまった。コントロールを失った駆潜艇は巡洋戦艦フッドの船腹に突っ込んで水線下装甲を破り、フッドを航行不能に陥れた。これが、当夜の唯一にして最大の戦果であった。
チャーチルはフッドの災難も憂慮したが、別のことも憂慮した。ドイツがこの時期にこんな攻撃をしたことは、イギリス海軍を封じ込め、上陸を成功させると言う強い意思表示に思えたからである。
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十分な補給、独伊空軍の航空優勢、そしてイタリア海軍の艦砲射撃と好条件を揃えた枢軸リビア軍は、年明けから大攻勢を開始した。ロンメルはぼやきの手紙を毎日夫人に書き送りながら再びハルファヤ峠を這い登り、地上掃射用の機銃ポッドを釣り下げたメッサーシュミット戦闘機が忙しく砂漠を往還した。
エチオピアのイタリア軍が降伏したことで、連合軍地上部隊は兵力的には増強されていたが、イギリス本国の戦況が悪くて戦闘機の補充が得られず、積極的な行動は取りづらかった。モーデル、ロンメル、リュットヴィッツは競って前進し、イタリア製装備のみを持つアリエテ戦車師団は、総合的な移動力の不足を露呈して取り残された。双方共に膨大な弾薬を費消しつつ、戦いの焦点は徐々に東へと移り、問題のエル・アラメインに近づいてきていた。
ドイツ空軍は冬の間にも戦闘機部隊を増やし、イギリス海峡から南イングランド上空にかけて、有利な態勢を築いていた。ドイツ空軍はもし望めば、狭い空域から数時間にわたってイギリス機を追い出すことができるようになった。しかし、大陸の様子を偵察しようとするイギリス機から、要港や飛行場の様子を隠しおおせるほどには、その優位は大きくなかった。イギリス指導部は、ドイツ軍は5月の声を聞くと同時に上陸作戦が可能……という見方を固めていた。
ドイツ軍は最近、イギリスの内陸部にドイツ軍の軍服を着た人形を盛んに落としていた。そのたびに地元の警察、時には駐留部隊が捜索に駆り出された。もしイギリス軍が奔命に疲れて反応しなくなれば、ドイツ軍は本物の工作員を降下させるであろう。
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ヒトラーの机の上には、4冊の最新の報告書が並んでいた。ヒトラーはそれをぼんやりと眺めていた。すでに要点は頭の中に入っていたが、どれ1冊として、ヒトラーの最大の懸念に答えてくれていなかった。
1冊は、ヨードルOKW作戦部長からのもので、イギリス上陸作戦に関する陸・海・空の準備状況を取りまとめたものであった。もちろん情報は高度に抽象化されていて、もし実際に問題点があったとしても、それをこの報告書から読み取ることは無理であった。
別の1冊は、OKW幕僚総監として、かつての国防大臣の職務を引き継いでいるカイテル元帥からのものであった。軍需生産に関する権限がシュペーアに集中されているため、カイテルの権限はそれほど大きいとは言えない。しかも国防省の権限は航空省に食い荒らされているので、カイテルの報告書は長い割りに中身がなかった。
もう1冊は、トート機関の長に専念しているトート博士からのものであった。東部国境では、少ない資材をやりくりしてかなり強固な陣地が作られ、不測の事態に備えていた。これもまた、一見したところ問題点の発見できない報告であった。
最後の1冊は、カナリス国防軍情報部長からのもので、ソビエト国境地帯の航空偵察と非合法諜報活動の結果をまとめたものであった。ソビエト軍の国境への移動は着着と進んでいた。
では、ソビエト軍は自ら行動に移るのか?
報告書は何も述べていなかった。
ヒトラーにできることは何もなかった。ヒトラーは次第に貴重になってきている、本物のコーヒーを飲み干した。今朝から4杯目であった。コーヒーは復権を切望するゲーリング国家元帥の私的なプレゼントであった。ヒトラーは念のため、自分で飲む前に、金魚と犬と親衛隊員に毒味をさせた。
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1942年5月1日。イギリス国民は今年のメーデーに、それぞれの立場なりに、どっさりと仕事を宛がわれていた。だから、起きていることを要求されない立場の国民は、次の朝まで異変を知ることはなかった。
この夜、いくつかのグループが、相次いで異変に気づいたので、どれが最初であったか明らかにすることは難しい。高速機雷敷設艦マンクスマンは、いつものようにカレー港外への夜間機雷敷設を行おうとして、かつてないほどの密度のSボート(小艦艇を攻撃するためのドイツの小型高速艇で、連合軍側ではEボートと呼ぶことが多かった)に反撃された。ルール工業地帯への夜間爆撃に出動したイギリス爆撃機隊は、好天にもかかわらずほとんど迎撃を受けず、海岸近くに無数の光点が明滅していることに気づいた。ドイツの大型艦艇の動向を見張っていたイギリス潜水艦は、それらが一斉に移動を開始したことを、相次いで打電してきた。
夜も眠らず昼寝して、という言葉はチャーチルのためにあるようなものである。午睡を決して欠かさないくせに、チャーチルの就寝は遅かった。そのチャーチルの寝入りばなを、秘書官たちは勇を振るってたたき起こした。
チャーチルが着替えを終えるころ、決定的な知らせがもたらされた。執拗に爆撃を受けながら、なお大部分の機能を保っていたイギリス空軍のレーダー網が、イギリスへ低速・低高度で近づく多数の飛行物体をとらえたのである。
この機影の正体は、ひとつしか考えられなかった。ドイツ空挺部隊を運ぶ、ユンカース輸送機である。
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ブリュッセルに司令部を置いたドイツA軍集団司令部は、イギリス上陸作戦の最高司令部といってよい存在であった。司令官には気難しいボック元帥が座っていたので、上陸船団司令官のルーゲ海軍少将はひとときも気が休まらなかった。
ドイツ始まって以来の大船団を急ごしらえで編成し、運用するのは、困難を越えておよそ不可能な仕事であった。間違った港へ着いて港湾の責任者と揉め事を起こしている船があるかと思うと、上陸前夜に衝突事故を起こして全損する船もあった。間違った部隊を乗せた船もあったし、架空の船が書類に載っていて、部隊を載せるべき船が存在しないケースもあった。これらすべての異常事態の処理を、誰かが決裁しなければならなかった。陸軍は海軍をなじり、海軍は陸軍に顔をしかめたが、どちらも相手に対して命令権があるわけではなかった。結局、高位の人間が仲裁して、個別に妥協点を見つけるしかなかった。
輸送計画には最低5%の余裕を含むように、様々なレベルの計画者に指示してあったが、その余裕は上陸6時間前にはすっかりなくなっていた。第一波には連隊レベルでの積み残しが出る見込みで、船団が無事帰投して第二波以降が送り出せるかになると、誰にも分からなかった。
ルーゲはこの30分で少なくとも50回は面会を申し込まれていた。すでに面会順序を管理する専任の副官が指定されていて、この副官に連絡がつくまでに10分程度の待ち時間が出ていた。
A軍集団参謀長・パウルス中将の忙しさは、それに比べればいくらかましであった。パウルスの元には、陸軍の師団長や軍団長から、海上輸送にまつわる不手際への抗議が寄せられていたが、パウルスはそれらすべてに、ルーゲの裁定は最終的なものである、と短く返答していた。
ルーゲもパウルスも、大きなうねりを全身に感じていた。ドイツ軍は今、海を渡りつつある。
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戦艦キング・ジョージ5世と同型艦デューク・オブ・ヨークは、厳重な対潜護衛のもとに、スカパ・フローから英仏海峡へと向かった。旧式戦艦群を後に残しての強行軍であった。
英仏海峡の入り口を目前にして、レーダーは大型艦船の接近を告げた。今朝に限って、イギリスに余分な航空機は1機もない。危険を冒して、キング・ジョージ5世から水上偵察機が飛び立った。
報告が入った。ティルビッツであった。シャルンホルストとグナイゼナウもいた。海峡において雌雄を決するべく、ドイツ海軍もすべての力を出しきろうというのである。
キング・ジョージ5世の最新の同型艦アンソンがインド洋を指して出撃してしまったのが悔やまれた。プリンス・オブ・ウェールズを日本軍に沈められ、傷ついたイギリス連邦軍の士気を維持するためには、なにかシンボル的な戦力をインド洋方面に派遣する必要があった。その一方で、真珠湾の損失を埋めるためにアメリカがアイスランド海域から旧式戦艦3隻を太平洋に送った後、イギリスの旧式戦艦をもって穴を埋めなければ、輸送船団や護衛艦隊に絶望が生まれる危険があった。
そこでキング・ジョージ5世級のうち最も新しいアンソンは、慣熟訓練を兼ねてインド洋方面に旅立っていったのである。
両艦隊は接近し、やがて遠距離の同航戦が始まった。双方とも、海峡に向かって進みつつ、すべての主砲を相手に向けて射ち合った。水柱がひとつ、またひとつと上がったが、高速で移動しているために、なかなか命中弾が出なかった。アイスランド沖海戦(第10話参照)で駆逐艦の肉薄雷撃に苦杯をなめたドイツ海軍は、ドルニエ水上攻撃機を護衛につけていて、これが駆逐艦を掃射して好射点から追い払った。彼我の戦闘機が乱舞する中での危険な低空飛行によって、ドイツ高海航空艦隊は1年余に渡って培った機体とクルーのストックを、恐ろしい速度で費消した。
ついに互いの舷側に命中弾が出た。ティルビッツもキング・ジョージ5世も黒煙を引きながら、死の航海は続いた。ピラニアが血の匂いに群がるように、あとからあとから彼我の航空機がやってきて、おぞましい饗宴に参加した。
空母グラーフ・ツェッペリンは、ティルビッツの50キロばかり後方を走っていた。断続的にティルビッツの状況が入るにつれ、艦橋では激論が続いていた。
「新兵器を使うなら、今です、博士」
リピッシュ博士は気の進まない様子だった。
「移動する目標にあれを使うのは、無謀すぎる。時速30ノットの目標など、まったく試したことがないのだぞ」
「テストは今すればいいじゃありませんか」
砲術長は熱っぽく説いた。
「艦長、どう思われますかな」
博士は力なく艦長を見やった。
「やりましょう、博士。責任は私が取ります」
艦長は重々しく言い切った。
「コメート発射準備。微速回頭、左二点」
艦橋全体が魔法にかかったように動き出した。
「コメート1号、カタパルトへ固定。2号から8号、後甲板で待機。点火サーキット、セーフティロック解除」
砲術長がきびきびと指示する。中央と後部の2基のエレベータが忙しく上下し、ライトグレー一色の凶凶しい機体を甲板へと送り出す。やがて艦の中央に、即席の壁が引き起こされ、固定された。
「コメート1号、発射準備完了」
砲術長は言った。
「うむ」
艦長ははるか前方を指差して叫んだ。
「発射ああああ」
「発射ああああ」
砲術長は発射レバーをがくんと倒した。
爆炎が長いグラーフ・ツェッペリンを満たすかと思われた。中央の壁から上方に誘導された噴煙は高く吹き上がった。コメートは特別に延伸されたカタパルトのレール上を滑り、次第に加速しながら水平に飛んで行った。
続いて2号が位置につく。
「発射ああああ」
しかし今度は失敗であった。艦を離れて間もなく、コメート2号は航法制御に失敗して大きく傾き、海面に叩き付けられた。青白い閃光に続いて轟音が艦橋の窓ガラスを震わせる。
「くっ、ひるむなああ」
艦長が怒号する。3号、4号と発射は続けられ、艦橋と後ろ甲板の緊張は途切れることがない。実際、ロケットに使われている液体燃料はきわめて危険なもので、艦上で爆発させれば母艦そのものがどうなるかわからなかった。
ついに8発のコメートが艦を離れた。それ以外の攻撃兵器は積んでいなかった。貴重な大型艦にこれ以上の液体燃料を積むことに、上層部が踏み切れなかったのである。水上飛行機も積めなかったから、着弾状況は他の艦から聞くしかなかった。
電信員が艦橋に駆け上がってきた。艦長は渡された電信内容を一瞥して、命じた。
「伝令、これを読め」
居合わせた全員が、持ち場で全身を耳にしていた。
「ティルビッツ、リュチェンス中将より、グラーフ・ツェッペリン艦長へ。貴艦の目覚しい攻撃はドイツ海軍の歴史に長くとどめられるであろう。しかし残念ながら、ロケットは5発とも目標に命中しなかった」
砲術長は、皆が自分を見ないようにしていることに気づいた。皆がひとつの疑問を持っていて、それを口にできないでいた。
あとの2発はどこへ飛んだんだ?
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砲戦の舞台が南に移るに連れて、彼我の基地航空隊から戦艦への攻撃が増加していたが、この点ではドイツの優勢が明白になってきていた。イギリスは大型機とそのパイロットを雷撃機から大型爆撃機に回していたから、目の前に好餌がいても、それを追う猟犬がもはやいなかったのである。
ドイツ機に戦艦の真横を占めさせてはならなかった。そのことはイギリス駆逐隊もよくわかっていた。わかっていたが、Uボートの脅威もまた、彼らの頭から去っていなかった。だからイギリス駆逐艦は戦艦に先行する横陣を取って対潜警戒を優先させ、対空防御に適した輪形陣を取らなかった。
キング・ジョージ5世の艦尾に火災が起こった。ハインケル雷撃機の放った魚雷が、ついに艦尾に命中したのである。舵の機構が破壊され、回避運動ができなくなってしまった。ドイツ艦隊はすかさず、砲撃をキング・ジョージ5世に集中させた。
シャルンホルストとグナイゼナウは思い切って増速した。接近して止めを刺そうというのである。デューク・オブ・ヨークが接近させまいと斉射を繰り返す。ティルビッツに乗り組んだ空軍連絡士官がマイクに飛びついて付近のドイツ機を呼び出し、デューク・オブ・ヨークへの牽制攻撃を要請するが、応える友軍機がいない。すべての可動機は、上陸部隊の世話を焼くのに忙しく、ちっぽけな戦艦のことなどかまっている余裕がなくなってきている。
キング・ジョージ5世への着弾が始まった。主砲塔が高い角度からの直撃を受け、火柱を吹き上げた。鈍い音を立てて砲塔外壁の右半分が舷側をこすり、海に滑り落ちた。
シャルンホルストもまた、中央ブロックに火災を起こし、黒煙をなびかせて走っていた。火災に巻き込まれた機銃座が時折、弾薬と共にはじけ飛んでいた。
どちらも退くことができなかった。英仏海峡を目指す死のレースは、いつ終わるとも知れなかった。
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フランス西部・ロリアンのUボート部隊司令部では、デーニッツがいつもの通り仕事をしていた。英仏海峡に何が起こっていようと、我々は大西洋上に注意を集中せよ、とデーニッツは部下たちに指示していた。
Uボートから刻々と通信が入り、淡々と処理されて行った。スタッフたちは見かけ上まったく冷静で、デーニッツの目や耳の届くところで上陸作戦のことを口にする者はいなかった。
スタッフたちは知っていたのである。デーニッツは部下たちに家族の一員のように接したが、それは単なる比喩ではなかった。長女ウルスラの婿も、次男ペーターも、Uボートに乗り組んで大西洋上にいた。
そして、長男クラウスはとりわけ危険なSボートに乗り組んで、上陸作戦に参加していた。大義はどうあれ、存じ寄りの安否は気になるし、自分の割り当て分を超えた心配をしてみても始まらない。
デーニッツも、スタッフたちも同じ気持ちだった。
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イギリスが恐れ、ドイツが待ち望んでいたユンカース急降下爆撃機の群れが、海を越えてついに姿を現した。
急降下爆撃機は、誘導ミサイルなどのない当時、着弾を正確にするための工夫であった。爆弾を積んでほとんど垂直に急降下し、爆弾そのものに十分な相対速度を与えたあと、爆弾を離して機首を引き起こす。
いいことずくめに聞こえるが、そうではなかった。急降下の際にかかる強い加速度に耐えるため、機体は頑丈に作らなければならなかった。そのため普段の速度は落ち、戦闘機の格好の餌食となった。また、機首を引き起こすとき極端に速度が落ちるので、そこを対空砲に狙われることも多かった。高度な訓練を受けたパイロットをあまりにも急速に損耗するため、最近では急降下爆撃機部隊は縮小されていた。そして対艦攻撃という、急降下爆撃ならではの任務のために温存されてきたのである。それを守る戦闘機も、追い払う戦闘機も、空には姿がなかった。
イギリス艦の対空砲は激しく機銃弾を打ち上げた。ドイツ戦艦の主砲塔では砲撃の一時中止が言い渡され、懸命に重い砲弾を操作していた砲手たちがあたりかまわず倒れ込んでしばしの休息を取った。そして木の葉が舞い落ちるように、1機また1機と急降下爆撃機はイギリス戦艦を襲った。
戦艦はかなりの速度で動き続けていたから、デューク・オブ・ヨークへの爆撃はなかなか当たらなかった。しかし舵の利かないキング・ジョージ5世の動きは予測しやすい。舷側には最も厚い対空砲の弾幕が張られるようになっていたが、弾薬が心細くなってくると射撃頻度が鈍ってくる。程なく至近弾が出て、舷側に破口が生じた。
キング・ジョージ5世は砲撃を続けていた。最も接近しているシャルンホルストがもっぱら目標になっていた。シャルンホルストもすでにいくつかの破口を生じて、艦体が傾き始めていた。
キング・ジョージ5世が火柱を吹き上げた。急降下爆撃機の爆弾が主砲塔のひとつを直撃し、揚弾筒の下の弾薬が引火したのである。ほとんど同時に、キング・ジョージ5世からの最後の斉射がシャルンホルストの舷側を直撃し、致命的な浸水を起こした。
今日に限って、救いの手となるべき小艇は、周囲には1隻もなかったし、これから到着する望みもなかった。
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ドイツ軍は、マーゲイトからポーツマスまで200キロを越える海岸のあちらこちらに、延べ9個師団を一斉に上陸させた。いや、正確には、させようとしていた。機雷、英仏海峡の速い潮の流れ、イギリス艦艇の果敢な攻撃、沿岸からの砲撃が組み合わさって、実態の把握は困難であった。
ドイツ空軍は空を支配していたが、その支配は陸にまでは及ばなかった。混乱の中では、緊密な空陸の協力など望むべくもなかった。空軍は陸軍の言うことはいちいち聞くまいと腹を括っていた。その代わり、軽装の戦闘機や軽爆撃機がイングランドの奥深く飛んで、ロンドン周辺の交通網に盛んに銃爆撃をかけ、南イングランドへの増援を阻んだ。
陸軍と海軍は沿岸の脅威を自分たちで処理しなければならなかった。急造された小艇が、Uボート用の短砲身88ミリ砲や戦車用の短砲身75ミリ砲を頼りなげに据えて、沿岸の小規模な砲台を射程に捉えようと懸命に接近した。
期待された潜水戦車はもともと数も少なかったし、ドーバー方面に集中的に配置されていたから、多くの戦区では戦車無しで事を運ばねばならなかった。
兵士たちに決められることといったら、走る速さくらいのものであった。彼らは可能な限り速く走ったが、それでも十分ではなかった。海岸に多く配置されているカナダ兵は、第1次大戦以来ほとんどの部隊が実戦を経験しておらず、戦車を伴う機動には不慣れだったが、固定陣地に入っている限り侮れない敵手だった。
海岸は狭い。いったん崩れ立ったほうが負けであった。どこか一点が崩れれば、それが連合軍全体を浮き足立たせると思われた。
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シュトラッサー中尉は、指示に反して携行した短機関銃を大事に抱えて、着地と同時に生け垣へと飛び込んだ。幸い、生け垣は薔薇ではなかった。
中隊長の姿を認めて、兵士たちが慎重に近づいてきた。その民家にはまだ住人がいたが、身振りで追い出すしかなかった。ずっと手を上げて行くんだぞ、と誰かが声をかけたが、中年の夫婦にドイツ語が分かったかどうかは定かでなかった。
ドイツ空挺部隊の兵士にとって、一般市民といえども油断がならなかった。イギリスはすっかり準備ができていた。降下兵用に下ろされてくる武器のコンテナがしばしば奪われ、時にはドイツ兵に対して実際に中身が使われた。降下後の再集合は今までになく困難であった。
ドイツの降下部隊はドーバー市の西側一帯に降下していた。ドーバー市を確保すれば、補給も安定するし、戦線を作って重砲を揚陸できる態勢が整う。少なくともこの地域で橋頭堡を打ち立てなくては、上陸作戦全体が失敗というしかない。
降下兵はいくつかの飛行場を占領し、特別に空輸の訓練を受けたヘルマン・ゲーリング空挺師団を迎え入れる手はずであった。しかし最も警戒の厳重な地域に降下することになったドイツ空挺部隊は、小集団を作って、あるいはしばしば自分ひとりで、自分の身を守ることが精一杯であった。
ドーバー近くの海岸にいくつか設けられた足場の上の砲台は、ドイツ戦闘機の格好の掃射の的となった。フォッケウルフ戦闘機(Fw190A)や最新のメッサーシュミット戦闘機(Me109F)の20ミリ砲は、1940年当時のメッサーシュミット戦闘機(Me109E)のものと違って銃身が長く、かなりの厚さの防弾板を打ち抜くことができた。しかし大半のドイツ機は陸軍兵士たちの期待をよそに、海岸にはわずかにとどまるだけで、すぐに内陸部に獲物を見つけに行ってしまった。
歩板が次々に下ろされ、兵士たちは上陸用舟艇から命懸けで走った。舟艇そのものが格好の目標であり、早くそこから離れなければならなかった。舟艇はスクリューを逆回転させて海岸を離れることになっていたが、量産を図って機関出力をぎりぎりに抑えたため、離床できずにそのまま撃破される例が相次いでいた。
ドイツ軍は潜水戦車を200両近く用意していたが、訓練地ほど平坦ではない海底の地形のために、多くの戦車が立ち往生したり、横転したりした。エンジンの給排気のためのシュノーケルはあったが、乗員のための換気設備はなかったから、水中でもたつくことは死に直結した。戦車を載せた舟艇はイギリス砲台の優先目標となったから、船ごと爆沈する戦車もあった。
いくつかの舟艇は、上陸部隊の代わりに28センチロケット弾のランチャーを載せていた。有効射程はわずか4キロで、照準も大雑把にしかつけられなかったから、イギリス兵とドイツ兵の双方にとって危険な兵器であった。それでもこの巨弾は多くのドイツ兵士にとって決定的に重要なものを戦場に持ち込んだ。煙である。破壊することの難しいいくつかの砲座が、煙によって視界を奪われ、最後にはドイツ兵の手榴弾や短機関銃によって制圧された。
上陸の予定は遅れていたが、止まってはいなかった。パウルスは思い切って、最も西側の上陸部隊を撤収させ、支援の努力を南東イングランドに集中した。芸のない正面攻撃であったが、ドーバー市域が制圧されて港から重装備が陸揚げできるようになると、戦局は安定するはずであった。
正午近くなって、空の状況が変わり始めた。燃料切れで帰投するドイツ機が増加した反面、イギリス全土からかき集められた航空機が上陸地点上空に相次いで到着したのである。
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ドイツ空挺部隊を迎撃するカナダ軍は混乱から立ち直り、組織だった反撃ができるようになっていた。もっとも重火器と観測班との連絡はまだ完全に確保されておらず、指揮官たちの経験不足もあって、火力の集中ができなかった。各師団の榴弾砲は現在地の民家の屋根などから観測を行って、海岸へ射撃を加えていた。だから今のところ空挺部隊の直接の敵は、小火器に限られていた。
シュトラッサーは冬の間、目の回るような速成講習を受けて中尉に昇進し、中隊長という立場がおぼろげながら分かるようになっていたが、人を働かせる仕事というものに、まだシュトラッサーは感覚がなじまなかった。
投下されてくる武器弾薬のストックは猛烈な勢いで費消され、補充が間に合わない。通信兵は6名も確保したのに、使える無線機が1台もない。こんな心配をするより、外に出て戦いたかった。自分が敵弾にさらされるより、部下を敵弾にさらしているほうがよほどいたたまれなかった。
「中尉殿、ラジオがありました」
中隊本部に残していた通信兵が民家の奥から声をかけた。戦況が分かるかもしれない。スイッチを入れると真空管が徐々に暖まり、人の声が聞こえてきた。
「リリー・マルリーン!」
通信兵が思わずうなった。BBCはたまたま、リリー・マルレーンを流していたのである。
シュトラッサーはしばし呆然と、その聞き慣れたドイツの歌に聞き惚れた。
歌詞は聞き取れなかった。英語であった。
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「増援はまだ前線に届かんのか」
チャーチルは冷静さを保とうと努めていたが、完全には成功していなかった。
空挺部隊は消極的だが重要な効果をイギリス軍に及ぼしていた。彼らが降下した地域には、ロンドン方面からドーバー市に至る唯一の鉄道が通っていた。空挺部隊の兵士の中で、幸運にも軽機関銃の入った装備箱を拾い上げた者は、それを使って増援や補給を妨害し、上陸部隊のために貴重な時間を稼ぎ出していた。
どこの国でも、交通網は首都から放射状に延びている。鉄道であれ道路であれ、南東イングランドに移動しようとすれば、いったんロンドンに入らなければいけなかった。ドイツ空軍は徹底的に交通網を叩いていた。無数の損傷個所は、それぞれ数時間で復旧する程度のものであったが、同時に無数の損傷が起きると、ひとつひとつ復旧していかないと次の復旧地点に器材を運べなかった。そして復旧用の車両が無防備な天井をドイツ機にさらし、道路上の残骸を増やす結果となっていた。
「かねてから小官が指摘しておったところですが」
電話口の南東方面司令官・モントゴメリー中将は憤懣を首相にぶつけた。チャーチルはモントゴメリーがそういう男だと知っていたから、腹を立てる様子を見せなかった。
「カナダ軍の指揮官たちは適切に彼らの戦力を運用しておりません。特に戦車部隊の移動が極端に遅く、反撃の努力に見合った戦果を得ることを妨げております」
イギリスの南東イングランド方面にはカナダ軍の5個師団がおり、うち2個師団はかなり機械化が進んでいた。カナダ陸軍は本国の危急に応じて急拡大したため、予備士官を動員して高級指揮官として補さざるをえず、(近代的な尺度で)迅速な移動をさせると、指揮官の経験不足と知識の古さを露呈した。
歩兵は混雑した道路を避け、田園を歩いて行軍し始めていたが、重火器は道路に頼るしかなかった。戦車を前面に立てて歩兵と協力させなければならなかったが、指揮官が明確な指示を出していなかったので、重火器と戦車が共に渋滞に巻き込まれ、しばしば一緒にドイツ機の掃射を浴びる始末であった。
ようやくイングランド北部やスコットランドから飛来したアメリカの戦闘機群が見たものは、混沌として敵味方の区別がつかない戦場であった。兵士たちはどれもこれも、同じような鉄兜をかぶった同じような粒に見えた。編隊指揮官たちは、地上の管制官としばし不毛なやり取りを交わしたのち、海岸線へ飛んで増援を妨害することにした。
海岸では中小の舟艇がせわしなく接岸と離床を繰り返しており、アメリカ軍の12.7ミリ機銃にとって格好の目標であった。砂と煙と船の破片が跳ね飛び、不運なドイツ軍の非装甲車両は次々と炎上した。ドイツの小艇は対空機銃や軽機関銃で応戦したが、撃墜はほとんど望めなかった。
上陸初日の正午を回ったころ、互いに重火器が使えない、不安定な均衡が作り出された。機関銃と白兵戦突撃が死傷者を破滅的な速度で増加させた。
カナダ軍も1940年にイギリスに展開して以来、急速に様々なことを学んでいた。若い士官たちは、職業軍人として十分な訓練を受けていたから、彼らの指揮するいくつかの抵抗拠点はドイツ軍の攻撃をよく支えていた。
しかしドイツの下級士官や下士官は層が厚く、実戦の洗礼を受けていっそう抜け目なくなっていた。
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シュトラッサーは、ドイツ陸軍兵士の軍服をこれほど懐かしく思ったことはなかった。上陸部隊がようやく空挺部隊に追いついて来たのである。もっとも彼らも重火器を持たない先遣隊で、無線連絡が取れないのは相変わらずであった。
中隊本部が急に騒がしくなった。上陸部隊の負傷者が運び込まれたのである。それに紛れるように、中尉の肩章をつけた薄汚れた男が入ってきて、言った。
「ここの指揮官は誰だ」
男は中隊長だったが、上陸時にはぐれた兵士もいて、実戦力は100人ほどになっているらしかった。
「とにかくこの集落からトミー(イギリス兵)を追い出そう。機関銃は何丁ある」
「MGが4丁、FGが6丁」
「さすが空軍さんは豪勢だな」
シュトラッサーは答えなかった。空挺部隊にしか配られていない軽機関銃(FG42)は少々重いので、必ずしもありがたがられていなかった。
「こちらで突撃隊を編成する。機関銃を支援に貸してくれるか」
シュトラッサーは同意した。イギリス兵のいそうな建物を集中射撃で制圧しておいて、突撃隊に飛び込ませようというのである。当然飛び込む部隊の損害は大きいから、これは気前のよい申し出であった。
陸軍の中隊長はにやりと笑った。
「今夜は代わってもらうからな」
「今夜?」
「飛行場を占領するんだろう」
シュトラッサーは言われるまでそのことを忘れていた。夜に部隊の大部分を移動させても大丈夫なように、集落全体を日のあるうちにしっかり確保して置こうというのであった。
頼りになる指揮官のようである。シュトラッサーは正直なところ、ほっとした。
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補給を終えたドイツ空軍機がイギリス上空にまた戻ってきて、制空権の行方は混沌としていた。ティルビッツはデューク・オブ・ヨークに加え、追いついて来たイギリス旧式戦艦群を海峡の入り口で食い止める格好となり、どちらの艦隊も地上の戦況に大きな影響を与えられずにいた。
カナダ軍は移動にもたついて、制空権を回復した数時間を有効に使えなかった。海岸における連合国空軍の圧力が弱まった夕刻になると、いよいよドイツ軍の戦車部隊と自走砲兵が展開を始めた。
ようやく出撃位置についたカナダ軍とイギリス軍の戦車部隊であったが、ここでイギリス連邦軍に共通する悪癖が露呈された。戦車と歩兵が緊密に協力できず、戦車だけで前進してしまう傾向があるのである。
歩兵の対戦車近接兵器は、この時期から急速に発展する。カナダ軍はその洗礼を真っ先に浴びることになった。
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短いが激しい戦闘の末、集落はふたつのドイツ軍中隊が占拠するところとなった。数人の偵察隊を広い範囲に送れるようになった結果、やっと無線機の入ったケースが1個投下されているのが見つかった。シュトラッサーは飛行場攻撃に加わるよう命じられ、前進の準備に慌ただしかった。
「グラナートビュクセが見つかりました」
別の偵察隊が吉報をもたらした。この状況では貴重な火力である。陸軍さんに先に見つけられたら、黙って使われていただろう。区処は先任曹長に任せて、シュトラッサーは戦術地図に目を戻した。飛行場襲撃は例によって夜通し続くだろうから、明るいうちにできるだけ地形を頭に入れておく必要があった。
間もなく、陸軍兵士が中隊本部に駆け込んできた。イギリス戦車が接近しているので、対戦車兵器での応援を頼むというのが、くだんの中隊長のメッセージであった。幸運は長続きしない。シュトラッサーはため息を吐いて、グラナートビュクセと射手を支援に充てるよう先任曹長に命じた。
カナダ戦車はまばらに射撃を加えてきていたが、ドイツ軍の兵士たちはまだ所在をつかまれていなかった。重火器がないので、手榴弾の届く至近距離までおびき寄せないと、戦車に対処する方法がない。歴戦の下士官たちが、極度の緊張下にある兵士たちをよく抑えていた。
空挺部隊から、細長い兵器を抱えた兵士が差し向けられ、生け垣を伝って村から忍び出たのを、多くの兵士が目の隅にとらえた。それは小銃に似ていた。実際、小銃用の特殊な空包をそのまま使って、弾丸を打ち出す兵器であった。
カナダ戦車部隊はしびれを切らし、1台が先行して村に接近してきた。兵士たちは無言で、手榴弾の位置を手で確かめた。
ぽん! 乾いた音が響いた。小さなものが戦車の側面に飛んだ。命中したところがほんのわずかの間、白く光った。
砲塔がわずかに持ち上がり、その隙間から煙とわずかな炎が噴き出した。同じものが、圧力で押し開けられた砲塔のハッチからも吹き出した。低く大きく、はぜるような音がした。戦車は停止し、誰も出てこなかった。
後方の戦車の砲塔が一斉に回り、射点と思しい生け垣に向いた。こうしたとき、絶対に走り出してはならないとドイツ兵士は訓練されていた。戦車に見つかれば必ず撃たれると。しかし緊張に耐え切れない兵士がひとり、身ひとつで村へ逃れようと走った。戦車は同軸機銃(主砲の脇にある機関銃)から銃弾を吐き出し、その目的を果たした。しかし、同種の兵器を警戒して、戦車隊は村への接近をためらった。
成型炸薬弾と呼ばれる対戦車用の弾丸は、このころドイツによって実用化された。装甲板を高速で貫くのではなく、表面を高熱で溶かすタイプの弾丸で、発射装置を小型化できるので歩兵用の対戦車兵器に特に向いていた。
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イギリスで午後の戦闘が続いていたころ、モスクワはすでに夕闇に閉ざされていた。厚い壁に守られ、こうこうと電灯の点いたその部屋は、牢獄に似ていた。
「そろそろ宣戦布告をする必要があるかと思いますが、書記長」
来客は何気なくそれを口にした。スターリンも何気なく、その話題を受け流した。
「それに関しては、我々が発表文を用意している。我々の攻撃が始まってから、速やかに発表されるであろう」
「しかし、あの、書記長」
来客は慌てた。
「宣戦布告無しの攻撃ということになりますと、議会が援助に同意しませんかと」
「それは君たちの問題だ」
スターリンは悠然と言った。
「我々は援助を必要としている。それは認めよう。だが君たちも、我々を援助することを必要としている」
スターリンは武芸者が刀の鯉口をきらめかせるように、威圧的な視線を送り、すぐに口調を和らげた。
「ここは太平洋ではないのだ。我々はドイツと国境を接している。我々とドイツの間には、本当に隠しておけるものなど、何もない。国境に集めた精鋭を先制攻撃の危険にさらすのは、馬鹿だけだ」
ルーズベルト政権にとって、ドイツや日本の宣戦布告なき攻撃を散々非難した後、ドイツに対してそれを敢えて行った国を援助することは、ひどく困難な課題であった。しかしスターリンの言う通り、一貫してイギリスへの肩入れを行ってきたルーズベルト政権が、イギリスを救う最後の手段を放棄するとすれば、それは外交上の致命的な失策を認めたことになるし、太平洋戦線におけるイギリス連邦諸国との協調関係もゆるがせることになる。ルーズベルト政権の崩壊につながるに留まらず、アメリカは東半球におけるすべてを失うことになるであろう。
「問題はない。注射のようなものだ。すぐに終わるよ」
スターリンは言ったが、その目は既に来客から離れていた。
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ティルビッツの主砲塔で、射撃を続けているものは、もはやひとつだけになっていた。イギリス駆逐艦の魚雷による浸水を相殺するため、弾薬庫への注水を余儀なくされていたのである。デューク・オブ・ヨークはグナイゼナウと接近戦の末これを屠ったものの、すべての主砲塔を沈黙させられて北方へ待避し、イギリス旧式戦艦クイーン・エリザベスは横転沈没、リベンジは垂直に近い角度で落下した一群の砲弾にタービンを貫かれて、北海へ漂い出たまま交戦の機会を失った。
すでに艦首上甲板と水面の高度差は1メートルを切っており、上陸部隊の支援に赴ける可能性はなかった。艦首は、ベルギーの海岸に向けられた。
ティルビッツの最期はあっけなかった。大陸の要港近くにイギリスが盛んに敷設した機雷のひとつが艦首付近に触れ、ティルビッツから最後の浮力を奪った。急速に傾斜を増す艦内で、リュチェンス中将は持たされたヒトラーの写真をびりびりと破り捨てると、自らの体を舵輪に巻き付けた。
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イギリスは気候の割に高緯度にあるため、5月の昼間は長い。それが暮れれば移動が容易になるものと、ドイツ軍も連合軍も期待していた。
どちらも思惑通りには行かなかった。夜間の接岸は舟艇同志の衝突の危険があるため能率が悪かったし、ドイツの夜間戦闘機と軽爆撃機はおぼろげな明かりを頼りに交通妨害を続けた。陸軍に急っつかれて、戦術空軍は効果が望めないと知りながら、アメリカ機をドイツ軍の移動妨害に出したが、ブリーフィングに十分な時間がかけられず、交通の要所を抑えることができなかった。
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ようやくドイツ戦車が戦線に現れて、空挺部隊の士気は上がった。
ルッチャーは旧式化したチェコスロバキア製戦車に短砲身75ミリ砲を備える、歩兵部隊支援用の小型突撃砲である。突撃砲だから砲塔はなく、主砲を撃つ向きを変えるときは車体ごと回さなければならない。前部と側面の装甲板が強く傾斜した不思議な形状をしていたが、これは総統の強い示唆によるものだと、シュトラッサーは噂で聞いたことがあった。
迫撃砲による準備射撃が始まった。夜襲の主攻勢地点を誤らせるよう、着弾の中心は少しずらせる手はずになっていた。シュトラッサーの中隊は主攻勢を担当する。ほどなく大隊本部から伝令が来て、3両の突撃砲(当時の突撃砲は3両で1個小隊)がシュトラッサーの指揮下に入った。
戦車と違って突撃砲は支援兵器だから、歩兵の前でなく後をついて進撃し、必要が生じたときに支援するのが基本的な用兵であった。自然、シュトラッサーは突撃砲の横を歩くことになった。ルッチャーは小型なので、上に乗りたくても乗れるスペースがない。
銃声に続いて、甲高い連続発射音が響き始めた。軽機関銃が参加する、本格的な銃撃戦になったらしい。各小隊から報告が届き始めた。カナダ軍は戦車を持っているらしかった。
カナダ軍は1日の実戦経験で多くのことを学んでいた。若い士官たちは命令があろうとなかろうと、歩兵部隊と戦車部隊が互いに組を作って、指揮序列は勝手に作れないものの即席の了解関係を作り、互いの行動を知らせあった。飛行場の守備隊にも戦車部隊が含まれていて、今度は歩兵に守られていたから、対戦車兵器の使える距離まで近づくことが容易ではなかった。
「突撃砲兵! 他に方法がない」
シュトラッサーはルッチャーの上で前方を見つめる小隊長にささやいた。突撃砲はエンジンを止めているので、シュトラッサーの声も届く。
「小隊をまとめ、先頭に立って突破してもらいたい」
「そう来ると思ったよ。5分後でどうだ」
「結構」
ちらりと時計を見たシュトラッサーは即座に答えると、自分も突撃に参加したくなる興奮を抑えて、必要な指示を伝令兵に持たせた。最も先行する小隊に、突撃砲について前進するよう命じた。突撃に参加しない小隊には中隊予備から重機関銃班を加えて火力支援を命じ、最後の小隊は予備として、突撃隊に続いてゆっくりと前進するよう命じた。
あっという間に、周囲の3ヶ所からエンジン音が聞こえてきた。突撃砲が移動を始めたのである。すでに準備射撃で攻勢の意図を示した以上、急がないと敵の予備が攻勢地点に集まってくる。
こうした場合、突撃砲そのものは相手の砲火を引き付けてしまう。効果がないと分かっていても、動転した敵兵が軽火器を戦車に向けることもある。戦車の上に歩兵が乗って敵陣に飛び込むのは、成功すれば良いが、歩兵が壊滅する危険も高い。ほんのわずかの距離を置いて続いたほうが無難である。突撃砲の小隊長が攻撃のリードタイムを5分しか取らなかったのはそのためであった。
銃声が激しくなり、敵陣にいくつか爆発炎が見え、すぐに消えた。どちらかの手榴弾の爆発であろう。突撃砲の発射音も聞こえた。
不意に、周囲が明るくなった。カナダ軍の榴弾砲が照明弾を撃ったのである。
最初に送り込んだ小隊は、敵が布陣する高みを越えて突撃していった後らしく、視界になかった。後に続かせた小隊が前進中の姿をあらわにされ、一斉に地面に伏せた。カナダ軍の機関銃と、その機関銃を沈黙させようとするドイツ軍の機関銃が、精一杯の唸りを上げた。
闇が唐突に戻って来た。それを追うように、カナダ軍の迫撃砲弾が、先ほどドイツ兵が位置を暴露したあたりに飛来した。小隊との連絡は途絶しているから、どれほどの被害が出ているかは分からなかった。
突撃砲小隊から無線が入った。周辺の機関銃座は制圧したが、戦車が接近しているらしかった。シュトラッサーは最後の小隊に前進指示を出し、中隊本部も前進させるよう本部班長に命じた。
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パウルス中将は疲れていたが、気分は悪くなかった。空挺部隊からは有利な報告が届いていた。ドーバー市は市民を守るために無防備都市を宣言したが、港湾施設にはイギリス軍の小部隊が立てこもっていて、排除のための戦闘が続いていた。かなり大きな領域が確保できそうであった。西に上陸したドイツ兵は撤収が間に合わず、連隊単位の降伏部隊を出していた。戦争には付き物の犠牲だとパウルスは思った。もしそのことにマイナスの感情を持つとしたら、海岸全体で今日命を落とした兵士たちのことを思っただけで、パウルスの胸は張り裂けるに違いなかった。
指揮下の陸軍部隊には同情を覚えないパウルスであったが、ルーゲ少将に対しては個人的に同情していた。ドイツ海軍は今日一日で、保有するすべての戦艦を失ったのである。ルーゲとそのスタッフが消沈しているのが傍目にも分かり、陸軍と空軍のスタッフは彼らに何くれとなく気を遣っていた。
明日になれば、陸上の状況は目に見えて好転する。パウルスはそう確信していた。
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マイソフは眠い目をこすりたかったが、態度が悪いといってまた上官に殴られるのがいやで、我慢していた。ウクライナから応召してきたのは3週間前である。教官は兵士の心得としては銃の扱い方を教えてくれただけで、後はなんのかんの理屈をつけて新兵を殴っていた。最近は殴るのが面倒になってきたのか、あまり殴られなくなってきたが、何か物を尋ねる間柄になれたとは思えなかった。
「これより小隊は出発する。銃弾を受け取れ」
今までの演習で使ったのと同じくらいの実包が配られようとしているのが、小隊長の背後にある弾薬の量から知れた。いったい何をさせられるのだろう?
尋ねてはいけなかった。何かを知っているものは長生きできなかった。スターリンはこのことを知っているのだろうか? それも知ってはいけないことなのだろうか?
「ちゃんと聞かんか」
マイソフに怒号が飛んだ。考え事をしていてつい目をこすってしまったのだ。小隊長の怒号は、あとで分隊長に殴られる確実な予兆であった。やはり、ものを考えるとろくなことはなさそうである。
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ロンドンではまだ砲声は聞こえなかったが、飛行機のエンジン音は途切れることがなかった。警察は市中の警備を兼ねて街頭に多くの警官を送り出し、渋滞を避けるため自動車による外出を控えるよう触れ回っていて、部屋の窓を開ければそれらの音と声が聞こえてくるはずであった。
「この数字は理解できない。イギリス空軍は1日で半減したというのか」
イギリス軍のアラン・ブルック陸軍参謀総長は、空軍からの報告書をくしゃくしゃに握り締めた。バウンド海軍軍令部長の表情には、もはや生気が感じられなかった。ポータル空軍参謀総長は、アラン・ブルックをいらだたしげにちらりと見たが、口では何も言わなかった。黒板の前で立ち往生したポートルの部下の苦境を救ったのは、軍事担当内閣副官房長のイスメイ陸軍大将であった。
「まあ、彼の説明を聞こうではないか、ジェントルメン」
空軍の参謀将校は、精一杯手短に説明しようとしたが、報告内容は短く納まる性質のものではなかった。今日のイギリス空軍の出撃回数は通常の1週間分を上回り、膨大な燃料が消費されたのに引き換え、ドイツ空軍の交通破壊によって、イングランドの各基地への燃料補給が進まなかった。イギリス本土へのドイツ空軍の圧力が上陸直前になっても緩まなかったため、イギリス戦闘機隊は迎撃時間を短縮するため、海岸近くの基地に重点配備されていたが、それらの飛行場は大損害を受け、戦闘機隊は整備や燃料補給のキャパシティを無視して、とりあえず降りられる飛行場に降りるしかなかった。空軍の報告書が言っていたのは、明朝を期して南東イングランドへ出撃できる機体が昨日の半数だということなのである。
比較的後方に配置されていたアメリカ空軍は比較的状況が良かったが、土地鑑がない上、イギリス陸軍との協力の手順が確立していないため、単独で出撃させ、目標を彼ら自身に選ばせるしかなかった。
陸軍は夜の間に前進し、態勢を立て直そうとしていたが、逆にホーンチャーチ飛行場を失いかけており、最前線では受け身に回っていた。モントゴメリー中将はロンドンをドイツ軍から守る防衛線の構築を優先させ、ドイツ軍の追い落としはその次の目標とすべきだと具申してきていた。
海軍は多くの主力艦を一気に失ったうえ、シンガポール沖に続いて航空機による戦艦攻撃の威力を見せ付けられることとなった。主力艦による英仏海峡への突入はもはやリスクに見合う戦果を望めなかった。
チャーチルは無言で軍人たちのやり取りを聞いていた。チャーチルの現状判断は、時々刻々の報告によってすでに形を成していたから、チャーチルは感情を爆発させようとしなかった。それどころか、チャーチルが何の作戦上の指示も出そうとしないことに、司令官たちは不気味さすら感じていた。
ひととおりの質疑が終わった後のタイミングを捉えて、チャーチルはついに口を開いた。
「ジェントルメン、こんなときにこのような話題は似つかわしくないように思われるが、王室には少々早い避暑の旅に出て頂くことをお勧めしようと思う」
チャーチルは、なお自分に集まる視線を振り払うように言った。
「それだけだ。ジェントルメン。それだけだ」
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ドイツとソビエトの国境は、夜明け前の静けさに包まれていたが、国境を守るドイツ軍部隊は警戒を厳にするよう特に命じられていた。何が起こりつつあるかは想像するしかなかったが、多くの部隊では士官が交代で、昼も夜も国境の監視に加わっていた。
だから、多くのドイツ軍人が、後に同じ光景の記憶を共有することになった。
東の地平線にようやく赤い帯が生じるころ、無数の風切り音が、国境のソビエト側からかすかな光の筋と共に頭上に近づいてきて、轟音と閃光に変じるその瞬間を。
ヒストリカル・ノート
舟艇の最前方に歩板を取り付け、これを下ろして上陸部隊が一斉に走り出すスタイルの上陸用舟艇は、第1次大戦でイギリスが大規模な上陸作戦を行った際、現地の才覚で作り出されたのが最初とされています。これがないと、兵士たちは長い時間をかけて少しずつ降りなければならず、兵士の長い列と舟艇自体が格好の目標になってしまいます。なお日本陸軍の大発動艇は、この種の舟艇として大量生産された最初の器材であったとも言われています。日本陸軍は、報道写真に上陸用舟艇の姿が写っていると必ず検閲で不許可にしていたようです。
突撃砲兵にとって幸運なことに、シュトラッサーは3両の突撃砲が互いに支援できるよう、全部を一度に投じました。後方に1両残せなどと命じていたら、攻撃の成否はともかく、突撃砲が撃破される可能性は増したでしょう。




