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第17話 ふるさと

 バルクホルン少尉が戦闘任務に就いた1939年の秋には、フライヤクト(自由な狩り)と言えば戦闘機乗りにとって幸運な任務と見なされていた。爆撃機の護衛となれば護衛対象を放り出すわけに行かないが、単独での哨戒ならば自由な高度と速度で敵に立ち向かうことができた。そして、錬度でも航空機の性能でも、ドイツ空軍はあらゆるヨーロッパの空軍に対し優位にあった。


 今はどちらも怪しいものであった。1940年夏から秋にかけて続いたイギリス上空の戦いでは、イギリス空軍のパイロットたちはパラシュートで舞い下りては何度でも空に上がってくるのに引き換え、ドイツ空軍の熟練パイロットは降りれば捕虜であった。そしてイギリスはアメリカから航空機をどんどん輸入するとともに、高出力のエンジン生産を軌道に乗せ、エンジンを積み替えたスピットファイア戦闘機でメッサーシュミット戦闘機に対し優位に立とうとしていた。


 フランス上空の哨戒飛行ではパイロットを失う危険は減ったが、経験豊かなイギリス戦闘機と遭遇する危険がかなりあった。撃墜記録がなくとも開戦以来のパイロットであるバルクホルンは新兵と組んで出撃させられたから、戦闘機のエンジンが轟音を立て始めたとき、バルクホルンの心境は心踊るようなものではなかった。


 この間に空軍の上から下まで浸透した危機感と、ともかく数的には広がったパイロット養成のすそ野が、ドイツ空軍の最大の財産と言えるかもしれなかった。バトル・オブ・ブリテンの頃にイギリス海峡を越えて戦っていた第26戦闘航空団や第51戦闘航空団はすでにルーマニアや南フランスに移動し、第52、第54といった編成年次の若い戦闘航空団が中心となっていた。


 眼下には黄土色の小麦畑と、葉を落として土色になった果樹園が斑模様を作っている。車であれ家畜であれ、人の動きが少ないのは農閑期のせいばかりではない。ドイツ軍が馬などの輸送手段を盛んに徴発したため、人々は動こうにも動けないのである。


 ベルギーから北西フランスに至る哨戒コースには、ドイツ軍の防空レーダーはほとんどなかった。ここはドイツ本土への侵入コースから外れていたので、貴重な電子部品を割り当てるに値しないと空軍は考えたのである。イギリスが小規模な襲撃を企てるには絶好の地域であり、小規模だが陰気な消耗戦が続いていた。


「リンミンメーよりヤマダケーブ」


 通信が入った。防諜のため、パイロットたちはローカルにコールサインを決めていて、たいていはドイツ語の単語として意味を成さないものが選ばれた。通信の主は、同じ中隊のクルピンスキ少尉である。彼も列機を引き連れて哨戒に出ていた。4機がかなりの間隔を開けて、互いに死角を消し合って哨戒していたのである。


「右方向、お客さんだ」


 バルクホルンは目を凝らした。3機の戦闘機に別の3機が追随している。前の方は高度も低く、翼下に何かをぶら下げているようであった。どうやら爆装したタイフーン戦闘機らしい。タイフーンは操縦の難しい機体だったがエンジンが強力で、爆弾を下げての地上攻撃によく使われる。


「ヤマダケーブ、確認した」


 バルクホルンは、目標を選ぶ責任が自分にあることに気づいた。クルピンスキは同じ少尉だが、自分のほうが先任である。


「リンミンメーは先行する編隊を食え。ヤマダケーブは後方の編隊を牽制する」


「リンミンメー了解」


 クルピンスキとその列機が機体をバンクさせて、高度を下げ始めた。クルピンスキは鈍重なボムフーン(爆装したタイフーン戦闘機)を仕留めて、自分より先に初撃墜を果たすかもしれない。バルクホルンはそんな思いを振り払って、高度を上げ始めた。


 護衛のイギリス戦闘機もタイフーンであることが、かなり大きくなったシルエットから知れた。相手も対抗して、急いで高度を上げ始めている。しかし上昇力ではバルクホルンに分があった。バルクホルンは列機に援護を任せると、思い切り良く敵編隊に突っ込んだ。


 教則本通りの、斜め後ろからの接近はできなかったが、敵編隊の1機が逃げ遅れて上面をバルクホルンにさらした。バルクホルンは20ミリ機関砲を点射したが、取り逃がした。急いで上昇しなければならない。ところが急上昇で速度を失うのを見透かしたように、旋回した敵機が接近してきた。ドイツ機の機動パターンを知り尽くした熟練パイロットらしい。額に冷や汗が吹き出した。バルクホルンはとっさに賭けに出た。自分も機体を傾けて、旋回に入ったのである。


 最近まで乗っていたメッサーシュミット戦闘機とは感覚がまったく違っていた。思ったよりも簡単に、相手の後ろに回り込むことができた。バルクホルンは不均等な加速度から来る不快感をこらえて機関砲を撃った。主翼があっけなく折れ、敵機は不吉な風切り音を立てて、きりもみして墜落して行った。


 初撃墜の感慨をかみしめる間もなく、バルクホルンは上昇した。列機が気がかりだった。急降下したバルクホルン自身の背後を警戒して、残りの敵機につけこませないのが列機の役目であったが、エースが列機を見捨てて自分の空戦に専念していると、警戒役の列機が危機に陥ることがあった。


 シーラッハ軍曹の列機もまた、格闘戦に巻き込まれようとしていた。バルクホルンが牽制のために機首の7.7ミリ機銃を撃つと、タイフーンは列機の後方から離れた。


 バルクホルンは列機の後方を守る位置まで急上昇したが、タイフーンはバルクホルンたちから離れようとしていた。先ほどの熟練パイロットは3機編隊の長だった可能性が高いから、それを失ったイギリス機は弱気になっているのであろう。


こういう場面で血気に任せて追撃にかかればスコアも伸びるのだろうが、バルクホルンはクルピンスキたちの支援を優先させた。


 彼らは低高度で戦っているはずである。


「ヤマダケーブよりダイサンゲン、リンミンメーが見えるか」


「見えません」


 いいパイロットの条件は、目がいいことであった。単に視力が良いことだけではなくて、敵より先に相手を発見する勘と機転を含めた、総合的な目ざとさが必要であった。新米のシーラッハがクルピンスキを見つけられないとしても、クルピンスキがシーラッハの視界に入っていないとは限らないし、ましてやシーラッハの視力が弱いということでもないのである。


 やはり経験の差か、間もなくバルクホルンはクルピンスキたちを見つけた。2機のタイフーンと……他に1機。クルピンスキのものではない。クルピンスキの列機がタイフーンに追いすがっている。支援してやるべきだった。クルピンスキのことは後だ。


 すでにタイフーンは爆弾を投棄していたが、爆弾ラックの突起はそれだけで気流を乱し、最高速度を大きく下げてしまう。加えてバルクホルンたちは高々度にいたから、高度を下げることでさらに加速を得ることができた。


 細い致命的な金属の流れが、北フランスの田園の上を飛び交った。バルクホルンは1機の胴体に当てて四散させ、もう1機に迫った。


「ダイサンゲンよりヤマダケーブ。敵機が接近しています」


 緊迫した無線が入った。とっさにバルクホルンは旋回に入った。敵機はバルクホルンに見えていない。動かなければ狙われると考えて良かった。バルクホルンは撃墜記録こそないが、開戦以来2年以上実戦を生き抜いてきているのである。


 機影はふたつあった。さっきの2機の護衛機が態勢を立て直して、本来の役目を果たしに戻ってきたのに違いなかった。シーラッハが射撃を加えるが当たらない。バルクホルンももはや好位置を確保する望みはなかった。


 バルクホルンはイギリス機が遠ざかるのを見届けながら、気になっていた質問をした。


「リンミンメーはどうなった」


「1機を撃墜した後、オーバーシュートして被弾されました。不時着したのだと思いますが」


 クルピンスキは敵機を夢中で追いかけたために、敵編隊を追い越して、背後を残った2機にさらしてしまったのである。クルピンスキの列機も新参者だったから事態に慌てて、パラシュートが開いたかどうか、不時着に成功したかどうかを確認していなかった。


 バルクホルンは哨戒を切り上げることにした。重苦しい思いが胸を満たしていた。僚友の中には、こうした損害に感情を動かさなくなった者もいたが、バルクホルンはそうではなかった。


----


「丈夫な脚ってのはいいものだ」


 翌日の夜、基地の酒保でクルピンスキは、生還の顛末をこう切り出した。


「メッサーシュミットだったら、たぶん今ごろは病院だな」


 クルピンスキたちが試験的に与えられているフォッケウルフFw190戦闘機は、メッサーシュミットMe109戦闘機と幅や全長はそれほど変わらないが、重量は倍くらい重く、エンジン出力は当時の戦闘機としてはかなり大きかった。逆に言えば、Me109はそれだけ軽い。


 Me109は全体を可能な限り軽くきゃしゃに作ってあって、エンジン出力の割にはスピードが出た。その反面、車輪を主翼の端に寄せると主翼が折れる可能性があったので、Me109の左右の脚は胴体のすぐ下についていた。ところが戦場では被弾しての無理な着陸もあるし、整地が不十分な飛行場もある。このため、着地の瞬間に脚の付け根が折れる事故が多かった。


 Fw190は主翼も主脚も頑丈で、主脚間には十分な間隔を取ってあったから、傾いた姿勢で着地しても主脚が折れにくかった。このためクルピンスキは麦畑に不時着しても負傷せずに済んだのである。


「早くフォッケウルフが安定してくれればいいんだが」


 クルピンスキの言葉に、取り囲んだ戦友たちがにやにやと肯いた。Fw190は頑丈なだけでなく新米パイロットでもそれなりに使いこなせる機体を目指していたが、そのために燃料噴射自動調整システムなどの新機軸を盛り込み過ぎ、エンジン周りの初期不良がなかなか取れず、配備が遅れていた。最新の機体をイギリスに渡さないため、海を越えての出撃は控えるよう指示が出ていて、かえってバルクホルンのような実績の乏しいパイロットにFw190が回されているのであった。


「ゲルハルト(バルクホルン)、初撃墜おめでとう」


 戦闘団司令・トリューベンバッハ少佐がテーブルにやってきたので、パイロットたちは一斉に敬礼した。司令が酒保に来るのは珍しいことである。戦闘航空団の定数は124機だから、その頂点に立つ司令は言わば校長先生のような存在であった。


「ふたりの初戦果は、別の意味でも非常な幸運に恵まれたものだ」


 トリューベンバッハが一同を眺め渡した。どうやらこの話が本題であったらしい。


「先ほど私は指令を受け取った。明日から戦闘団はザルツブルグに移動する準備に入る」


 一瞬の静寂の後、熱狂的な歓声が上がった。


「移動だ」


「移動だ」


 さざなみのように情報の同心円は広がって行った。後方への移動。そしてたぶん、休暇。すべての兵士が、12月にこのような指示を受ける幸運を喜んでいた。クリスマスの休暇は、他の休暇とは違うのだ。


----


 ついに来てしもたか。ヒトラーは感慨深く、1941年12月のカレンダーをじっと見詰めていた。


 ベルリンにいると、極東情勢の激変を示す兆候は、なにひとつ流れて来なかった。駐独日本大使館も真珠湾攻撃についてはまったく知らされていないらしい。


 ヒトラーは、この事件が米独関係に与える影響を考え続けていた。史実では、ドイツはアメリカに自分から宣戦した。もしドイツから宣戦しなくても、結局はアメリカのほうからドイツにも宣戦して来るであろう。


 ヒトラーは毎月のように、ギリシアやブルガリアやユーゴスラビアの要人と会談しては、それらの国が中立を守ることを好ましいとか望ましいとかひとこと論評し、そのことをそれぞれの国内メディアに書かせた。そのことは、そうした中小中立国の政権が国内の支持を得続けるために、極めて重要であった。


 ヒトラーはその際、穀物や鉱産資源のドイツへの輸出が順調であることに、必ず礼を述べた。ドイツのメディアはその点を強調した記事を載せ、相手側の首脳たちは後からそれを読んで、ドイツの暗黙裡の要求を知った。


 アフリカで戦っている数個師団は、ドイツ陸軍の規模から言えば1割にも満たなかった。ドイツは1941年いっぱい大規模な陸戦がなかったために、人的資源を生産現場にかなり残すことができた。ドイツはかなり強力な上陸船団と、ある程度強力な東部国境の陣地、そして質はともかく、量的には飛躍的に強化された戦闘機部隊を持つことができた。そしてドイツの生産能力は船舶から、鉄道機材および陸戦兵器へと大きくシフトを始めていた。


 では、アメリカに勝てるか? たぶんそれは無理であろう。少しでも有利な結末を探して、アメリカに対して、使えるものはすべて使わなければならない。


 たとえ、それが祖国であろうと。


 そのことを思わぬ日はない、おっちゃんであった。


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 バルクホルンたちの戦闘団のパイロットたちは、移動の途中、ベルリンで総統に会うことになった。総統に会うことそのものに興奮する者もいたし、その後のパーティに期待して舌なめずりする者もいた。戦闘機乗りたちは、みな若くて、好奇心旺盛で、空腹だった。


 ヒトラーはこの種の儀式を可能な限り短くするようにしていた。乾杯の挨拶は最も楽観的なパイロットの予想よりも短く、ヒトラーはすぐにグラスを差し上げたので、パイロットたちはほっとした。


 若い士官たちは陽気に総統を迎えた。名前を聞いたり最近の生活を聞いたり、このあたりの若手のあしらいは、総統のレセプションでも中小企業の忘年会でも変わらない。


「さて、アディおじさんにねだるものがあったら、言っておいたほうがいいぞ。知っての通り、アディおじさんはそれほど気前が良くないのだが」


 まばらに控えめな笑い声が上がった。今日の料理も、量はあったがそれほど高級というわけではなかった。


 ヒトラーはくるりと一同を眺め渡したが、あえて口を開こうというものはいなかった。ヒトラーはささやいた。


「休暇か? クリスマスも近いことだ」


「その、クリスマスの休暇は、他の休暇とは違うのであります、総統」


 若いというより少年に近い士官がぼそぼそと言ったのは、座を白けさせない配慮であったのだろう。休暇のことが頭にないパイロットなど、この場にいなかったのだから。


「家族、友人、私たちの懐かしいものすべてが、クリスマスという時間には詰まっているのであります」


 ヒトラーは感心したように言った。


「君と君の仲間たちが、創作にすべての時間を使えるように、早く戦争を終わらせねばならないな」


 士官たちは吹き出し、くだんの若い士官は隣からひじで突つかれた。


「先ほど司令から聞いたところでは、司令は君たちのほとんどに、クリスマスには自由な時間を与える意向だ」


 本物の歓声が上がった。


「当分は門限を守っておくことだ。割り当てられた部屋は塵ひとつなく、な」


 ヒトラーは言っておいて、トリューベンバッハ司令にさりげなく歩み寄ると、部屋の隅に誘った。


「君の奥さんとお子さんを市内に呼んである。移動の途中で慌ただしいが、今夜は一緒に過ごしたまえ。いろいろ政治向きの筋に付き合わせて、気の毒だった」


 実のところ、パイロットたちの休暇は総統からの贈り物として、ボルマン官房長が空軍に掛け合って演出したものであった。強引にそんな体裁を整えても、司令と何人かのスタッフは休暇を返上してデスクワークを片づけねばならないだろう。それをヒトラーは案じて、司令の家族を呼び寄せておいたのであった。管理職の心は、管理職にしか分からない。


 トリューベンバッハは恐縮した。


「どうやらベルリンにはもうサンタクロースが来ているようですね。総統に勝利をプレゼントしてくれるといいのですが」


「そう願いたいものだ」


 ヒトラーはさりげなく会場を出た。出たとたんに、ヒトラーはわずかに顔をしかめた。胃の中で何かが刺していた。


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「考えてたんやけどなあ」


 ホットラインの向こう端で、ムッソリーニは快活に言った。


「真珠湾攻撃のこと、24時間前にルーズベルトに教えたるて、どや」


「信じるか? ヒトラーに言われて」


 おっちゃんはむっつりと応じた。


「全世界に発表したるのや」


 ムッソリーニは熱心だった。


「日本が宣戦布告を決めた言うて。話の出どこは、どないにもごまかせるやろ」


「それではドイツが日本の一味になってまう。終わる戦争も終わらんようになるぞ」


「終わるてなあ。ドイツとイタリアだけ戦争が終わったら、日本はどうなってもええのか」


 ムッソリーニは声の調子を高くした。


「政やん、日本はもう、助からんのや。そう思わんか」


 おっちゃんはついにその言葉を絞り出した。


「政府の言うてることと、現場のやっとることが違うような国に、停戦交渉なんかできるか。それにドイツやらイタリアやらを巻き込めるか」


「あんた…それは、いかんで。日本が滅びたら、わしらは生まれへんのやぞ」


 ムッソリーニは反論の言葉を必死に探していた。


「わしらはここにおるのや」


 ヒトラーの口調には宗教者のような確信があった。


「ここでできることをせんといかんのや。ドイツにもイタリアにも女子供はおるやろ」


「そらあんたにはできることがあるわい」


 ムッソリーニは吐き捨てた。


 ムッソリーニに選択肢が乏しいのは、イタリアの経済力が枯渇しているせいだけではなかった。ヒトラー政権もムッソリーニ政権も、国内勢力が対立して権力の空白が生じたことからできた政権だったが、決定的に違う点があった。ヒトラー政権が既成右翼の雑多な集団とヒトラーの妥協によって生じたのに対し、ムッソリーニ政権にははっきりしたキングメーカーがいた。イタリア国王、ヴィットリオ=エマヌエレ3世である。国王は現在でも隠然たる政治力を持っており、ムッソリーニ政権が揺らげば反対派の中心となることが目に見えていた。だからムッソリーニは、ヒトラーがそうであるよりも、国内の反対派に気を遣わねばならなかったのである。


「できることという感じやないな」


 おっちゃんは言った。


「せなあかんことばっかりや」


「わかった。もうたのまんわい。イタリアにも潜水艦はあるで」


 ムッソリーニは電話を切った。


----


 設計図の入ったかばんを持って、おっちゃんはとぼとぼと歩いていた。地下鉄の駅はもうすぐである。


「虎でっせ」


 声をかけられて振り返ると、阪神の真弓(以下、1985年に阪神タイガースが優勝したときの選手や監督)が背広を着て立っていた。とっさにどう答えていいのか分からない。


「虎でーす。虎でーす」


 快活に叫びながら、蚊の着ぐるみに身を包んだ掛布が大儀そうにのっそのっそ走り過ぎていく。見とれていると、後ろから腕をつかまれた。


「虎や言うてんねん」


 川藤が目をむいて迫る。思わず逃げようとするが川藤は放そうとしない。それを引きずるように、おっちゃんは助けを求めて駅前の売店に首と手を伸ばした。


「虎、虎、虎でおますな」


 売店のカウンターから吉田監督が顔を出した。笑うでもなく怒るでもない表情である。


「号外やけど、あんたは買いなはれ。一億万円や」


 吉田はカウンターの下から薄っぺらい新聞を取り出した。新聞の上半分を占める写真には、黒煙を上げる艦船群。


 おっちゃんは悲鳴を上げた。


----


 寝室のドアを激しくノックする音が聞こえていた。ヒトラーは悪夢を振り払うと、言った。


「入ってよろしい」


 ヨードル大将の後に、もうひとり人物がヒトラーの寝室に入ってきた。誰か? あまり日ごろ会う人物ではなかった。総統大本営付の国防軍情報部連絡将校であることに気づくのに、数秒かかった。


「お休みのところ申し訳ありません、総統。緊急事態が生じましたので」


 ヨードルが型通りに言った。


「日本海軍が、アメリカ海軍を奇襲したのか」


 ヒトラーは思わず言ってしまった。言ってしまってからしまったと思ったが、ふたりの表情には驚嘆と畏怖の念しか読み取れなかったので、おっちゃんはため息を吐いた。


「1時間後に、総統会議を開催する。外務大臣、親衛隊長官、党官房長、ああそれと国防軍情報部長は必ず出席するように連絡せよ。届いた情報は逐次報告するように。陸軍・海軍・空軍各総司令官には、必要と考える警戒的措置を取るように通達。現在のところ、積極的な軍事的対応は予定されていない。まず電話で伝えてから、文案を起草するのだ」


 ヒトラーの指示が明確なことに、ヨードルたちは感銘を受けた。まるで結婚式の次第のように入念に練り上げられた指示であった。


 頭では、すっかり出来上がった計画であった。あとは、気力。


 無性に、エーファと紅茶が飲みたかった。あの世界が二度と帰ってこないもののように思われた。


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 ヒトラーは演説の原稿を自分で書いた。おっちゃんがそうだったというだけではなく、元のヒトラーもそうであった。中小企業の社長として、おっちゃんは朝礼の挨拶や結婚式の祝辞を何度も書いていたから、今まで何とかそれをクリアしてきた。


「総統の演説は、最初と最後で関係のないことを言ってたりしましたから、気楽に威勢良く書けば何とかなりますよ」


 とシュペーアも言ってくれた。 今夜ヒトラーが書いている原稿は、これまでの中で最も重大なものであった。宵っ張りぞろいの首相官邸もすでに寝静まり、ヒトラーの執務室にある音といえば、万年筆が紙の上を滑る音だけであった。


 ヒトラーはペンを置いた。祖国との絆が、目の前の原稿によって断ち切られる。そのことを何度思っても、他の出口は見つからなかった。


 電話のベルが鳴った。ホットラインのベルである。ヒトラーは電話を取った。


 無言だった。ヒトラーも無言だった。テンペルホーフ空港からのものか、航空機のエンジン音が鈍く伝わってきた。


 ヒトラーは静かに言った。


「ホットラインで、無言電話すなぁ」


 無言だったが、ムッソリーニの言いたいことは良く分かった。それに、電話はまったく無音というわけではなかった。ほんのかすかに、ムッソリーニのすすり上げる音が聞こえてきたからである。


 やがて、チンと音を立てて電話は切れた。


 ヒトラーは、窓のカーテンを少し開けた。もちろん総統の執務室が外部から見通せる位置にあるはずもなく、灰色の厚い壁と小さな窓の並びが見えるだけであった。


 ふと、ヒトラーの心に浮かんだ歌があった。ヒトラーはそれを口ずさんでみた。


 うさぎ追いし かの山


 小ぶな釣りし かの川


 夢はいまも めぐりて


 忘れがたき ふるさと


[注]高野辰之作詞 岡野貞一作曲「ふるさと」より 著作権については後書き末尾に。


 自分の歌が、他国語の歌のように聞こえた。


 窓の隅に、せせこましく月が見えていた。


 ヒトラーは部屋の隅の大きな地球儀に歩み寄った((元ネタはチャップリン「独裁者」の、ビーチボールの地球儀をヒトラーがもてあそぶシーン。))。その地球をはずして、戯れに持ち上げてみようとしたが、ずしりとした重みにヒトラーはたじろぎ、企てを放棄した。


「地球は、わしには重過ぎるわ」


 ヒトラーは小さく言った。


 涙は出なかった。心の弾力が失われているのが、自分でも分かった。


 ふと心に浮かんだフレーズがあった。ヒトラーはそれを、口に出してみた。



 春の花が咲くのを見届けて死のう


 3月の満月が夜空に輝く頃に



 ばたん、と音がした。戸口に、エーファが立っていた。


「そんなこと…」


 エーファは涙声で言った。


「そんなこと言わないで」


 ヒトラーは歩み寄った。エーファのぬくもりを、ヒトラーは前から知っているような気がした。


----


 その日ほど、ドイツのラジオに全ヨーロッパが耳を傾けた日はなかったに違いない。正午にヒトラーの演説があることは予告されていた。日本の真珠湾攻撃から、1週間が経過していた。


 日本がアメリカに宣戦したのであるから、三国同盟の定めによれば、ドイツがアメリカに宣戦する義務はなかった。ドイツがアメリカに対してどういう態度を取るか、今日あたり最終決定が発表されても良い頃であった。


「日本政府の決定により、新たに多くの国々が戦闘状態に入ったことは、悲しむべき知らせである」


 いつもの通り、ヒトラーの演説は静かに始まった。


「私はドイツ国民がひとつのニュースを、ひとつのニュースだけを待ち望んでいることを知っている。平和に関するニュースである。多くの国において、多くの若者は、愛するもののために危険を冒す用意ができている。しかしながら、それはそれぞれの社会と家庭において平穏に暮らす望みと、矛盾するものではない」


 演説会場は、市民たちで満たされていた。ヒトラーの熱心な支持者が多かったが、ドイツの行く末に関して、総統から直接話を聞きたくて参加した市民もいた。観衆はヒトラーが適切に誘導すれば、そのタクトに合わせて叫ぶ用意ができていたが、演説の冷静さにむしろ戸惑っていた。


「日本の宣戦布告は、不幸な手違いによって適切な時期にアメリカ政府に届かなかった。しかしながら、幾年にも渡ってひとつの国が行った、あるいは行わなかった政治的行動の結果を戦争によって清算しようとする行為は、どのように伝達されようとも不幸なものである」


 観衆のかなり前の方に陣取った各国の記者たちは、互いに隣を見て、この聞きなれないキーワードを間違いなく書き取ろうとした。


「我が国は、現在戦争状態にある国々、そしてそれらを支援する国々に対して、常に平和のために話し合う準備がある。我々に押し付けられたヴェルサイユ条約は不当であった。我々はこの種の不当な条約を、いかなる政府にも課すつもりはない」


 ベルリンの日本大使館では、ドイツ語に堪能な書記官たちが表情を強張らせていた。こともあろうにヒトラーは、同盟国が戦争状態に突入するや、それを材料として和平交渉を始めてしまったのである。


「私は、今までに挙げた批判のいくつかが、ドイツ自身に当てはまることを認めねばならない。ドイツ政府もドイツ国民も、他者の犠牲において自らの幸福を追求することを、自制すべきである。私は、1933年以降に起こったすべての事柄について、外交交渉の議題とする用意がある」


 国営放送のディレクターが、慌ただしく貴賓席に走った。この放送をこのまま続けて良いものか、ゲッベルス宣伝大臣に尋ねに行ったのである。しかし彼は答えを得ることができなかった。ゲッベルスは卒倒していたからである。


「さて、私はアメリカ合衆国に対するドイツの態度について、いまや語らねばならない」


 ヒトラーが呼吸を整えようと言葉を切ると、静寂が渦となってヒトラーを襲うように感じられた。ヒトラーの決定的な一言を、皆が待っていた。


「アメリカはこれまで、ドイツへの宣戦に至らない範囲で、あらゆる支援をイギリスに与えてきた。イギリスに武器を与え、船を与え、航空機を与えた。中立国でありながら、自国の海岸からはるかに離れた戦域において、イギリスとドイツの戦場を一方的に定めた。すべてドイツにあって、アメリカにないもののためである。そう、選挙である。アメリカ政府は、彼らの若者を戦場に送ることを、自ら宣言することができないのである」


「アメリカ合衆国政府の中には、日本をめぐる紛争の推移を利用しようとしている人々がいる。すなわち、日本への資源供給を制約して先に銃を抜かせ、日本とドイツの両方に対して戦争状態に入ることを、彼らは好ましい変化と考えているのである」


 ぱらぱらと拍手が起こり、数秒かかって盛り上がった。ヒトラーのアメリカ批判が婉曲だったので、相づちを打つべきタイミングを聴衆が誤ったのである。


「我々は、否、もっぱら私は、かかる広い範囲の地域を戦火にさらしたことについて、責任を負っている」


 ラジオの集音マイクがはっきり拾ってしまうほど、聴衆のざわめきが高くなった。ようやく意識を回復したゲッベルスが何事か叫びながら貴賓席を転がり出ようとしたが、卒倒して椅子ごとひっくり返ったヒムラーに押しつぶされた。


「しかしながら、アメリカ合衆国政府がこの事態にまったく責任を負っていないというのは誤った主張である。アメリカの軍需物資は他国民の手に渡り、多くのドイツ兵士を殺している。戦争が暗黙の同盟国に不利になってくるに従って、アメリカ政府の一部の人々は、もっとはっきりした方法で戦争に参加することを望むようになったのである。アメリカ政府が戦争の終結を第一に考えるならば、そのための外交努力を行うべきであるが、アメリカ政府は別の道を選ぼうとして、今日の事態を招来した」


 ヒトラーは、普段とかなり違ったやり方で、聴衆の心を捉えていた。ゲッベルスは起き上がって中腰のまま、椅子の影からヒトラーを見つめていた。小手先の術策を拒絶する何物かが感じられた。ヒムラーも起き上がって、ゲッベルスに並んだ。


「私は今日の事態を予測し、ドイツの国力のかなりの部分を傾けて対策を講じてきた。私は国民に言おう、我々には備えがあると」


「ジーク・ハイル、ジーク・ハイル!」


 群集は全体としては大声を上げていたが、ありありと失望の色を浮かべる聴衆もあった。たいていは分別盛りか、老人の聴衆であった。彼らはアメリカへの宣戦を覚悟したのである。


「しかし挑戦を受けるべきは我々であって、現在中立を守っている国々ではない。戦争を引き延ばそうという国があれば、ドイツはその挑戦を受ける。しかし我々自身はいかなる挑発にも自制してみせよう。敵を選んでいる国がどこなのか、それによって明らかになることであろう」


 スターリンは、クレムリン宮殿の窓から空を見上げていた。小雪が舞っていた。


「日本人め、どうせアメリカを攻撃するなら、春を選んでくれれば良かったものを」


 スターリンはつぶやくと、書類の吟味に戻った。


「私はドイツ国民に、良いクリスマスプレゼントを運ぶことができなかった。しかしながら、国民のたゆまぬ協力を得ることができれば、来年のクリスマスにはすべての若者を家庭に帰すことができるであろう。いまや、私にはそれ以上の望みはない」


 自分のオフィスでラジオを聞いていたシュペーアは眉を上げたが、何も言わなかった。彼は総統の作戦計画をすっかり聞かされていて、ヒトラーが今日初めて意識的な嘘をついたことがわかった。


「ドイツ国民諸君、諸君の中で年配の者は、私を選んだときのことを覚えているであろう。私をもう一度、君たちの指導者として選んでくれるか。勝利のために、アドルフ・ヒトラーに指揮を執らせてくれるか」


「フューラー、フューラー」


 聴衆は歓呼した。年齢、性別に関係なく、歓呼し、起立し、拍手した。戦争に入って以来、このようなことはなかった。日頃の演説集会の歓呼が熱っぽいとすれば、今日の歓呼はどこか暖かかった。ゲッベルスは感極まって叫んだ。


「素晴らしい。フューラー、フューラー」


 その横のヒムラーは、そのようなゲッベルスを冷ややかに見ていた。多くの国民は、戦争という実力行使の段階に入った以上、ゲッベルスのような弁舌の徒の時代は終わったと考えていた。ドイツ国民はゲッベルスに踊らされていたのではない。踊っているふりをしてみせただけである。ヒムラーは治安を預る立場上、それを良く知っていた。


 ヒムラーは、この新しい状況の中で、自分にできることは何かと考えていた。


----


 アメリカ下院は紛糾した。


 日本と戦争になったら、いったんフィリピンを日本の手に渡し、戦力が整い次第順次反撃して行くのが良い。アメリカではそのような作戦研究が済んでいて、フィリピンには最低限度の兵力しか置かれていなかった。


 しかし、植民地フィリピンに資本を投下している大企業や、フィリピン人と公私の関わりを持つ人々は、こうした方針が気に入らなかった。そうした人々はヒトラーの演説に触発されて、アメリカがヨーロッパで戦争に入らなければ、太平洋により多くを投入でき、フィリピンの失陥を避けられるのではないかと主張したのである。


 オーストラリアとニュージーランドはジレンマに陥った。イギリスからは、アメリカの対独宣戦を促すように要請があったが、アメリカが太平洋戦線により多くの資源を割くことは、これらの国の安全にとって望ましかった。チャーチルは彼らの最良の陸軍部隊を中東に張り付けて帰そうとしなかったし、彼らの海軍は単独では日本海軍と戦える規模ではなかった。日本軍が破竹の勢いで東南アジアを席巻していくのを見るにつけ、イギリスに対する要求は高くなり、アメリカに対する対独宣戦の要請は弱くなった。


 結局、12月の末になって、アメリカはドイツに宣戦した。ドイツは日本と三国同盟を結んでいるだけでなく、ポーランドに対して行ったようにいつでっち上げの奇襲をかけてくるか分からない国であるから、先制しなければならないというのである。


 直ちにデーニッツはアメリカ沿岸にあらかじめ配置していたUボートに対し、アメリカ船舶への攻撃を許可した。Uボートは中部大西洋でも猛威を振るい、連合軍の被害は激増した。イギリスはドイツに沿岸を脅かされ続けているために駆逐艦やコルベットの不足が解消せず、オーストラリアやニュージーランドとの約束によって強力な艦隊を東洋に割いたので、護衛兵力とUボートの戦力比は短期的にはむしろ悪化していた。暗号解読とHF-DFの情報が細ったこと、執拗な海軍機による護衛艦艇攻撃で経験ある護衛艦乗りが次々に死傷したことも、イギリス海軍の護衛能力に影を落としていた。


 1941年のクリスマスには、サンタクロースは地球のほとんどの地域を回り忘れたようであった。多くの人々が何かを待ち望んで、得られなかった。


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 アフリカの新年は、比較的過ごしやすい季節であった。


 真新しい熱帯用の軍服に身を包み、マンシュタイン上級大将から慌ただしく引き継ぎを受けているのは、新しいDAK司令官のネーリング大将であった。マンシュタインが昇進して枢軸リビア軍総司令官に任じられたので、その後任である。


「エル=アラメインがやはり焦点になるでしょうね、将軍」


 ネーリングは言った。


「南から張り出したカッタラ低地が、地形をくびれさせている。誰が考えても守りの焦点はここだ。そして誰が考えても、攻撃の方法もひとつしかない」


「そのひとつをお考えになれるのは、将軍ならではです」


 ネーリングは軽くお追従を言った。ネーリングは長くグデーリアンの直属の部下として、グデーリアンと老人たちの喧嘩の後始末をしてきたので、上司への人当たりは良かった。


「それはそうと、総統からこれを預ってきました」


 ネーリングは封書を懐から取り出した。


「補給に関する重要文書だと言うことでしたが、将軍に直接手交するよう厳命されました」


 最近、アフリカへの補給は順調であった。マルタ島からの空襲と潜水艦攻撃がなくなっただけではない。イタリア輸送船の動向をつかむため、マルタ島はローカルな暗号無線を傍受する重要な基地だったのだが、その情報が入らなくなって、イギリスによる攻撃の効率が落ちているのである。


 封書を開き、内容に目を走らせたマンシュタインは、小さく笑いを漏らした。マンシュタインはそのまま、手紙を封筒に収めて、ネーリングには見せようとしなかった。


「この封書の内容は言えないが、数隻の輸送船に匹敵するものだ」


 マンシュタインはそう言うと、何事もなかったように引き継ぎを続けた。


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 ホットラインが久しぶりに鳴った。ヒトラーはゆっくりと受話器を取った。アメリカの宣戦を防げんで、結局日本の心証を害しただけやないか、とムッソリーニは言うのであろうと思ったからである。


 ムッソリーニは意外にも、おずおずとした口調であった。


「…まいど。いやあ、ええ天気やねえ」


「ローマの天気なんか知らんわ」


「あの、実はな。あのな。クララが、これやねん」


「なんやて?」


「これや、これ」


 人間はあわてるといろいろなことをする。電話の向こうで、ムッソリーニは懸命に何かの身振りをしているに違いなかった。


「ところで、クララて、誰や」


「あ、すまん。クララ=ペタッチやがな。わしの愛人や」


 クララ=ペタッチはムッソリーニの愛人で、人妻である。カトリックの国ゆえに離婚ができない。


「そらまた、まめやな」


「そのクララが、これやねん」


「そやから、これ言うのは何やねん」


「あ」


 ムッソリーニはやっと己の過ちに気づいた。


「いや、実は、できてしもてな」


「でけた?!」


「そやねん。この年になってな」


「ムッソリーニの年なんか知るかい」


「イタリアに子供ができてしもた」


 小さな声だった。


 おっちゃんは、やっと政やんの言いたいことが分かった。これでもう、イタリアは母なる国ならぬ、息子か娘の国になってしまったのである。


「まあ、何やな。とにかく、がんばろか」


 1942年は、まだ明けたばかりであった。


ヒストリカル・ノート


 あー、いま(2021年)読むと空中分解問題を脇に置いてもエンジントラブルの問題があり、1941年でタイフーンが6機同時出撃というのは無理かもしれません。


 このへんは新作予告めいた話になりますが、イギリスが空軍を独立させたのは、第1次大戦でロンドン空襲を食らったことがきっかけでした。本土防空の責任が陸軍航空隊にあるのか、海軍航空隊にあるのかはっきりしないのはまずいというわけです。これに対して、ゲーリングの下で発足した(陸海軍の軍人たちから切り離され、党の言うことを聞くと期待される)ドイツ空軍は、まず諸外国を「脅す空軍」でした。ですからイギリス空軍に比べて、ドイツ空軍は爆撃機重視になるわけです。ただゲーリングは「英仏との実際の戦争はない」と見ていたようで、対イギリス戦やイギリス空軍対策の準備がなかったのはドイツ空軍創設以来の読み違い(の蓄積)……と現在の私は考えています。


 今回登場したパイロットのうち何人かは、史実ではこのころ東部戦線でスコアを伸ばし始めていたトップ・エースです。1941年に入ると西部戦線のドイツ戦闘機部隊は手薄になり、イギリス空軍は大陸に小規模な攻撃をかける余裕が出てきて、フランス上空などでの空戦は頻繁に起きていました。


 Fw190の配備状況はほぼ史実通りです。大戦に入ってからのFw190の開発・配備の遅れは技術的な要因によるもので、政治的にはほとんど障害はありませんでした。大戦前のMe109代替機の開発着手は遅すぎたかもしれませんが。


 ドイツは多くの中立国に侵攻し、その資源を手中にし、捕虜も含めた労働力を徴発しました。この作品世界ではそれぞれの政府を脅して協力させるにとどめています。これによる得失は難しいところですが、外国人労働者の生産性はドイツ人の半分ほどであったという研究もありますので、制圧のための武力も含めて考えるとドイツの生産力への影響はわずかにプラスであった、と想定しています。


 アメリカ参戦直後、あらかじめ配置されていたUボートは大西洋岸でアメリカ船舶を次々に撃沈し、3ヶ月ほどの間撃沈トン数は急増しました。


著作権について



  高野辰之氏は1947年に他界されており、1997年に財産的著作権はすでに消滅しています。TPP加入と同時に「死後70年」となった保護期間も2017年に終わった……のではなく、じつは1997年に保護期間が切れたままです。



環太平洋パートナーシップ協定の締結に伴う関係法律の整備に関する法律


附則第七条 []内はマイソフの補足


[「整備に関する法律」]第八条の規定による改正後の著作権法(次項及び第三項において「新著作権法」という。)第五十一条第二項[この項が死後70年を保護期間と定める]、第五十二条第一項、第五十三条第一項、第五十七条並びに第百一条第二項第一号及び第二号の規定は、施行日の前日において現に第八条の規定による改正前の著作権法(以下この項において「旧著作権法」という。)による著作権又は著作隣接権が存する著作物、実演及びレコードについて適用し、同日において旧著作権法による著作権又は著作隣接権が消滅している著作物、実演及びレコードについては、なお従前の例による。


文化庁のWebページにも解説があります。

https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/hokaisei/kantaiheiyo_chosakuken/1411890.html


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