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第16話 冬が来る前に

 ヒトラーは、その電話を取る前に、少し呼吸を整えた。意識してしたことではなかった。これから久しぶりに母国語を話す、という思いがヒトラーに一瞬の静寂を求めたのである。


「毎度」


 ムッソリーニは簡明に挨拶したので、ヒトラーは用意しておいたボケを次の電話会談まで取っておくことにして、やはりビジネスライクに応じた。


「ごきげんさん。どないだ」


「あきまへんわ」


 ムッソリーニの口調には深刻な響きがあった。


「エチオピアが、いよいよあかん。どないもならん」


 イタリアはエチオピア北部の海岸地帯であるエリトリアを植民地としてきたが、そこを足場に強引な領土の拡大を図り、アフリカの独立国として列強から認知されていたエチオピア帝国に攻め入った。近代的軍備を欠いたエチオピアは軍事的にはイタリアに屈したものの、国民の反伊感情は強く、イタリアは大部隊を駐屯させ続けるしかなかった。


 イタリアは1940年に参戦する際、軍首脳とムッソリーニ(このときのムッソリーニはまだ本物である)が会談して、ほとんどの国境で守勢を取ると決めた。イタリアの経済力は弱り果てていて、攻勢のための人的物的資源の手当てがつかなかったのである。イタリアが参戦したのは、フランスの崩壊が明らかになり、イギリスの屈服も間近いと思われる状況で、ドイツの同盟国としての分け前を主張するためであったから、軍事的な意義などは二の次であった。


 唯一の例外は、エチオピアであった。エチオピアの周囲には備えの薄い英仏植民地が広がっていて、イタリア軍は数的にはそれらの守備兵力を圧倒できると考えられた。実際、海岸に飛び地状に取り残されていたイギリス植民地にはイタリア軍に屈服したものもあったが、イギリス軍は南アフリカやローデシアなどから兵力をかき集めて、エチオピアのイタリア軍を包囲する大作戦に出た。


 そしてエチオピアのイタリア軍は孤立し、狭い地域に追いつめられて、全軍の降伏が間近い状況だったのである。地中海沿岸での枢軸軍の善戦も、エチオピアのイタリア軍にとっての戦局を好転させるほどではなかった。


「もうすぐ夏も終わるで。イギリスはどうするのや」


 ムッソリーニは尋ねた。


「もうちょっと待ったってんか」


「もうちょっとてなあ」


 ムッソリーニは声の調子では冷静そうだったが、ヒトラーにはその内心の焦りが感じ取れた。


「ほんまのとこなあ」


 ヒトラーは言った。


「上陸はやりとうないのや」


「あんだけ準備したやろ」


 ムッソリーニは不快を声ににじませた。


 1940年8月、ヒトラーがイギリス本土上陸作戦を実行寸前の状態まで持っていったことはよく知られている。このとき、海軍は徴発した船舶に歩板を取りつけ、各部を補強して、書類の上の戦力としては陸軍が妥協できるだけの上陸船団を揃えて見せた。このときの上陸予定部隊の規模は、後のノルマンディー上陸作戦と比較してもひけをとらないものであったから、連合軍が1944年までかかって舟艇を整備したことと比べると、どこか話がうますぎるように思われる。


 戦争は上陸当日に終わるとは期待できない。事故や戦闘損耗で失われる舟艇、上陸後に補給物資を運び続ける舟艇、そして上陸当初の戦闘ですっからかんに消費されてしまうであろう部隊の手持ち弾薬のことを考えると、輸送能力には相当な余裕が必要であった。おっちゃんのこの1年間の戦争指導はこの点に集約されていた。マルタ島上陸作戦で使われた舟艇すら、解体されて鉄道でバルト海に運ばれている始末である。


「舟艇は、まあ足りとる。数はな。ただそれを守る小艦艇が足らん。上陸はなあ、居合抜きや。次はあらへん。確信が持てんのや」


「確信言うたかて、もう昭和16年やぞ。真珠湾やぞ」


 ムッソリーニはたまりかねてわめいた。


----


 その喫茶店の入り口の看板は、「Kaffee」と髭付きのドイツ風字体で書かれていた。経営者のおかみさんは、最近のニューヨークで徐々に高まってきた反ドイツ感情を心配して、看板をちゃんとした英語につけかえろと亭主にうるさく急っついていたのだが、経営者は頑として応じなかった。自分はアメリカ人である前に、そしてユダヤ人である前に、ドイツ人なのだからと。


 ナチス政権成立前から、多くのドイツ系ユダヤ人が長い時間をかけてアメリカに移り住んでいた。彼らの中には、ユダヤ系だけでコミュニティを作って暮らしている者たちもいた。この店は、ニューヨークのそのような一角にあったから、実のところ亭主の決断はそれほど奇異ではなかったのである。


 その喫茶店に、ひとりの男が走り込んできた。あまりにそれが急であったから、ウェイトレスは盆の上の紅茶のポットを取り落としそうになった。


「マンシュタインさんって覚えてるだろ。ほらケルンで近所に住んでて、ワルシャワへ行ったきり連絡がつかなくなった人さ」


 走り込んできた男はカウンターの向こうの亭主に言ったのだが、店の客全部がそれに聞き耳を立てた。それは不思議なことではなかった。このコミュニティでは、誰もがひとりやふたり、気がかりな親族や友人をヨーロッパに持っているのである。


「いまローマにいて、近いうちにマドリードまで出て来られる。詳しい事情は分からないんだが、ベルリンであのコンサートに関わったらしい(第15話参照)」


「逃げてきたのか」


「出してもらったらしい」


「そりゃあいいニュースだ」


 亭主の顔がほころんだ。


 男はカウンター席に座り、亭主は紅茶のカップを出した。カウンターにいた学生が亭主に言った。


「ドイツはこのごろ変わりましたね。アメリカの戦争参加を牽制しているんでしょうか」


 亭主は曖昧に微笑して、取り合わなかった。


 1929年の世界大恐慌は、世界中に様々な波紋を投げていた。ヒトラー政権もルーズベルト政権も、この不況が生んだ政権とも言える。スタインベックの「怒りの葡萄」に描かれたように、大恐慌はアメリカ庶民の生活を直撃していた。このため、日系移民だけでなく、アメリカに流入しようとするすべての人々が、すでにアメリカに根を下ろしている人々から冷ややかに扱われた。ユダヤ人もまた、アメリカではそれほど同情的に見られているわけではなかった。


 もしヨーロッパのユダヤ人を救うために、アメリカの若者の血を流すことを声高に主張すれば、すでにアメリカに逃げ込んだユダヤ人が排斥のやり玉に上がる可能性は十分にあった。断片的な情報がヨーロッパからアメリカに流れ出てきても、それがユダヤ人を救えという大きなうねりにならない裏には、アメリカにおけるユダヤ人自身の微妙な立場があったのである。


 亭主が何も言わないので、代わりにくだんの男が冷やかした。互いに近所の顔見知りである。


「早いとこ大学を出て、合衆国大統領になって、ドイツを何とかしてくれや」


「大統領は無理だな」


 学生は笑った。この学生はキッシンジャーというのだが、この大戦に関しては、その政治的手腕を発揮する機会はなかった。


----


 チャーチルの今回の視察には、警備当局が頑強に反対した。


 ドーバー市とその周辺は、ドイツ空軍機の襲撃をひっきりなしに受けており、加えてときどき対岸のカレー市周辺から28センチ砲弾が飛来した。巡洋戦艦の主砲に匹敵するこの砲は、専用貨車の上に据え付けられた列車砲で、専用のトンネルから出てきては、ドーバー海峡を越えて砲撃してくるのである。


 気まぐれな着弾が恐くて国事ができるか、と啖呵を切って、強引に出発したチャーチルだったが、彼を待っていたものは、予想とはまるで違った障害だった。


「車を洗ったほうがいいかも知れんな」


 チャーチルは精一杯の余裕を見せて、秘書官に話しかけた。車の中は有名な-あるいは悪名高い-チャーチルの葉巻で、霧がかかったような状態になっていた。


 ロンドンを朝に出て、昼食はドーバーで取るはずが、夕方になっても車はドーバーに着いていなかった。交通渋滞で、チャーチルの車も護衛の車も路上に釘付けにされてしまっていたのである。ドイツの爆撃機が近くの線路を損傷させたせいで、軍需物資を運ぶ大型トラックが迂回輸送のため路上をふさぎ、線路の修理機材を積んだトラックと一緒になってケント州始まって以来の渋滞が引き起こされたのであった。


「こういうとき、自動車に電話がないのは不便だな」


 秘書官が答えないので、チャーチルが言いつのったときだった。ひとりの警官が乗ってきた自転車から降りて、護衛隊の責任者と短い会話を交わすのが見えた。すぐに護衛責任者がチャーチルの車に歩み寄ってきた。


「ドーバー市の市長が、すぐ先の教会までおいでです」


 車のドアを自分でせっかちに開けながら、チャーチルは言った。


「それはすごい。どうやってここまで来たんだね」


 護衛責任者は簡潔に事実だけを述べた。


「自転車を漕いで来られたようです」


----


 ドーバー市長の話によると、ドイツ軍は海岸近くの飛行場とレーダー施設を砲爆撃の目標にしているようだったが、射程ぎりぎりの砲撃であるために散布界がひどく広がっていた。市長はすでにその周辺一帯に避難勧告を出していて、チャーチルに受入先を探す便宜を図ることを求めた。チャーチルは善処を約束した。


「RAF(イギリス空軍)は大変な負担を背負っていることは承知していますが」


 市長は遠慮がちに切り出した。


「あの長距離砲を沈黙させる目処は立たないのですか」


「何分にもモグラのような奴なのでな。発射位置に使われる引込線は何度か爆撃しているが、そのようなものはすぐ修復されてしまう」


 チャーチルは率直に言った。高温・高圧にさらされる砲身は、ときどき交換する必要があった。列車砲の数はそれほど多くなかったから、砲身交換のスケジュールが交錯して砲撃が数週間止むこともあった。しかし砲撃に脅える側には、そのことは慰めにはならなかった。


「我々はいつまで耐えればよろしいのですか、首相」


 ドーバー市長は尋ねた。


「勝つまでだ」


 チャーチルは応じた。


「ドイツ軍上陸の危険は去ったと考えてよろしいのですか」


「危険を排除するよう軍が努力しておる」


 互いに声の調子がわずかに高くなり、沈黙がそれに続いた。


 ドーバー市への着弾が不揃いなひとつの理由は、低速で行われる本土上空での弾着観測を、イギリス空軍が阻止し続けているからである。空ではイギリス空軍は疲れていたが、負けてはいなかった。


 デーニッツ指揮下のドイツの狼たちは、大西洋でおびただしい輸送船を噛み取っていたが、イギリスの死命を制するには至っていなかった。主にカナダから続続と若い兵士が到着し、イギリスの海岸線に配置され-そしてイギリス国民と飢えを共有していた。イギリスの指導層が今最も心配していることは、人的資源の枯渇と、人心の倦みであった。はっきりとした外部の敵がいるとき、人間はかなり長期間緊張に耐えることができるが、永遠というわけではなかった。


 やがてチャーチルは気を取り直し、にこやかに手を差し出した。


「今日は大変お手間を取らせてしまったことをお詫びしたい。最後にもうひとつご迷惑なことをお願いしてよろしいかな」


 ドーバー市長は曖昧に首をかしげた。


「自転車をお借りしたい。今夜中にロンドンに帰らねばならんのでな」


 もちろん夜になって渋滞は解消していた。チャーチルもそれは分かっていたが、人心を励ますようなことを言って見せたのであろうと、後になってドーバー市長は思った。チャーチルの決然とした姿勢は、イギリス最後にして最強の防壁であった。


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 エジプト西部国境に近いマルサ・マトルーでは、イギリス第8軍司令官・オーキンレック将軍が、幕僚たちの意見を聞いていた。酷暑の季節が終わりつつあり、北アフリカにおける攻勢発動の条件が整ってきたので、その準備に入っていたのである。


 幕僚たちは、まず指揮下各部隊の損耗状況から検討に入った。このことはイギリス陸軍では特に重要であった。


 イギリスの兵制は、絶対王政時代、あるいはそれ以前からの制度を引き継いだ独特の部分がある。大貴族や王族が自分の領地に歩兵連隊を持ち、そこから国王陛下の歩兵旅団に歩兵大隊を派遣するというのが、歩兵に関する基本制度である。歩兵旅団は様々な連隊から合わせて3個大隊の派遣を受け、歩兵師団には他の兵種と共に3個歩兵旅団が配属される。平時にはこれでよいのだが、近代的な総力戦の時代になると、この制度の弱点が顕れてきた。


 徴兵の区域割である連隊区が狭く、融通が利かないというのがそれである。もしひとつの大隊が壊滅的打撃を受けると、特定の狭い地域からの兵士で欠員を満たさねばならないことから戦力回復に遅れが生じ、それが旅団や師団の戦闘能力にも影響してくるのである。連隊は固有の軍旗を持ち、それには隷下の大隊が戦った古今の戦場名が何十も縫い取られていて、連隊制度の抜本改革には強い抵抗があった。


 ハルファヤ峠の失陥(第14話)以降、盛夏の間には大きな戦闘はなかったが、中東に張り付いている各師団は風土病などでかなりの人員を後送せざるを得なくなっていた。攻撃に適していないといえば、どの師団も適しているとは言い難かった。


「敵の仕掛けてくるのを待ってはいかがでしょう」


 幕僚がおずおずと意見を述べた。


「そうできれば私もそうしたいが、本国の政治状況がそれを許さない」


 オーキンレックの口調は静かだった。幕僚がオーキンレックの立場ならそのように言ったであろうし、オーキンレックが幕僚の立場ならやはり慎重論を口にしたであろう。


 イギリスは今までにも増して、深刻に戦術的勝利を欲していた。スポンサーであるアメリカに対して継戦能力をアピールする材料が、どうしても必要であった。ケネディ駐英大使を筆頭として、イギリスが早期にドイツに屈服するのではないかと考えているアメリカの有力者は大勢いた。もしイギリスが結局負債を払えないとアメリカ政府が判断すれば、武器や軍需物資の流入は止まり、その瞬間にイギリスは本当に屈服するのである。


 イギリスは度重なる失敗に懲りて、不足気味の兵員輸送車をかき集めて即席の随伴歩兵部隊を作り、戦車旅団と行動を共にさせた。例によって歩兵と砲兵が正面から攻め、戦車部隊が側面から回り込む。戦車部隊にはアメリカから貸与された新型のM3リー戦車が加わっており、その75ミリ砲をもってすればドイツの3号戦車とも互角以上に戦えるはずであったが、主役は砲兵に期待する計画であった。人的被害は最低限に抑えねばならないからである。目標はハルファヤ峠の奪還である。これ以上の展開は、現在のイギリス軍の補給能力では危険であった。


 枢軸軍の抵抗は弱かった。峠の守備部隊は短い抵抗の後、街道の通る海岸部分をイギリス軍に明け渡し、峠の南方に退いた。懸念された戦車部隊の進路もほとんど妨害を受けず、戦車部隊はハルファヤ峠の西方で街道に達した。思わぬ成功に、冷静なオーキンレックですらトブルクへの突入を考えるほどであった。


 しかしマンシュタインは、イギリス軍がすべての手札をさらすのを待っていただけであった。ドイツ軍は、進退に逡巡して街道上に留まっていた戦車部隊そのものを目標として、後置していた4個戦車師団すべてを挙げて反撃を開始した。最も移動力に難のあるアリエテ戦車師団は西から街道上を進み、ロンメルのアウグスタ戦車師団とリュットヴィッツの第15戦車師団は争うように南からイギリス戦車部隊の側面を衝いた。そしてモーデルの第3戦車師団は、例によってハルファヤ峠を大回りして、東から扼すコースを取ったのである。


 オーキンレックは予備の戦車旅団をかき集めてモーデルを食い止め、孤立しかかった戦車部隊に退却を命じた。高地に急遽運び上げられた25ポンド砲が咆哮し、ドイツ戦車の薄い天板を貫いたが、イタリア空軍のフィアット複葉戦闘機はその砲炎を目ざとく見つけては機銃を浴びせた。設備の整ったベンガジ周辺の飛行場から、イタリア空軍のマークをつけたハインケル爆撃機が悠然と飛来しては、街道の往来を妨害した。


 枢軸軍はハルファヤ峠を失い、代わりに数十両のイギリス戦車の残骸と、砂漠で最も貴重な多用途キャタピラ車の残骸を得た。イギリス軍は弾薬と燃料の備蓄を大きく減らしたが、ドイツは最小限の機動で済んだ。


 イギリスは当面の宣伝材料と引き換えに、軍事的な危機を深めることになってしまった。イタリア本国では、ハルファヤ峠の失陥を重視してマンシュタインを批判する声が上がったが、ムッソリーニが取り合わなかったので沙汰止みとなった。


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 ドイツはこの秋、イギリスに攻めかかるのか? スターリンもまた、この問題に大きな関心を持っていた。


 ドイツ共産党はナチス政権下で徹底的に弾圧されてはいたが、ソビエトがドイツ国内に諜報網を敷くだけの遺産は残していた。情報の多くは一旦スイスに持ち出され、そこからモスクワに送られた。スイスの連烙員は情報の重要性を自分で判断し、その度合いに応じて送信時の署名を使い分けていて、最重要のものにはルシーという署名が付された。


「我々の得た情報では、ドイツは最後の瞬間でためらっているようだ」


 スターリンは来客にルシー情報を明かした。


「侵攻部隊と目される師団はベルギーに集結しているが、予備軍の動員も物資の集積の動きもない」


「ドイツは非公式に和平の仲介を我が国に求めてきました」


 来客は言った。


「ローマ法王庁を動かすことも考えているようです」


「我が国以外のすべての可能性を試しているのだろうな」


 スターリンは皮肉を言った。


 1940年、スターリンはエストニア・ラトビア・リトアニアのバルト3国を併合し、フィンランドから国境のカレリア地方を割譲させた。このときのフィンランドへの侵攻をイギリスが非難し、関係が冷却していたから、スターリンは英独の仲介役としては動きにくかった。少なくとも、ドイツが仲介役として提案するわけには行かなかった。


「戦争が近々終結するとしたら、それはあなたのお国の利益になるとお考えか」


 スターリンに問われて、来客は時間稼ぎに笑って見せた。


「ソビエトにとっては、どうなのですかな」


「我々はあらゆる状況に備えている」


 スターリンは何とでも取れる返答をした。


「我々はドイツと実りある交易を行っているが、あなたの国はイギリスに一方的に投資している」


 スターリンは、ドイツからの支払いがしばしば一方的に遅れる事実に触れようとしなかった。


「さよう、我々は投資をしている。そして常に新たな投資先を探している」


 来客は言った。


「ご興味がおありかな」


「例えば、ある国がドイツの軍事的関心を引きつけて、イギリスの政権交代を妨げたとする。そう、例えば、来年の中間選挙が終わるまで」


 スターリンは相手の弱みを徹底的に突くつもりのようであった。


「その名目は、ドイツがポーランドに対して用いたものと、それほど差がなかったとする。あなたの政府は、それでもその行動を支持しますかな」


 来客は口をつぐんだ。


「民主主義の国が戦争に立ち入るには、大義名分が必要だろう。友人同志の会話には必要ないような類のものだが」


 スターリンは相手をじっと見た。


「我々の懸念はもうひとつある。イギリスは援助があれば持ちこたえるかもしれないし、持ちこたえられないかもしれない。イギリスが戦争に留まる場合とそうでない場合で、あなたの政府の対応は変わってくるだろう」


 スターリンとソビエトを牽制するために、ヨーロッパには強力な政権が必要である、と考える人々がいるのを、スターリンは承知していた。イギリスが危機に陥っている限り、その危機を作り出しているヒトラーとアメリカに事実上の了解関係ができるといっても、それは限られたものでしかない。しかしどのような形であれ、イギリスとドイツの争いが決着してしまうと、スターリンはヒトラーを牽制できる自らの立場を、誰に対しても売り込めなくなってしまうのであった。むしろヒトラー自身が、スターリンを牽制する自らの価値を売り込むであろう。


 来客が黙ったままなので、スターリンは続けた。


「我々は話し合いを継続すべきだろう。モスクワの夏をお楽しみいただくのに、入用なものがあれば、何なりとモロトフに申し付けて頂きたい」


 スターリンは手を差し出し、婉曲に会見が終わったことを告げた。


 来客は握手しながら念を押した。


「我々はあらゆる協力の可能性を探っています。忘れないで下さい」


「保証しよう」


 スターリンはにべもなく言った。


「私は共和党員ではない。民主党員だというわけでもないが」


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 ヒトラーは軍・経済・外交関係の首脳を呼び集めて、この秋の作戦行動を決める会談を開いていた。


「アメリカは大西洋の西半分において、海軍に対してドイツ艦船への攻撃を事実上許可しました」


 リッベントロップ外務大臣が報告した。この場合の「艦船」がUボートを指すことは明らかであった。


「しかしながら国内世論はヨーロッパへの軍事介入に消極的であり、アメリカが参戦して来る兆候はありません」


「極東についてはどうか」


 ヒトラーは質問した。


「日本とアメリカの間で緊張が高まっていますが、日本から開戦に関する情報は入ってきておりません」


 リッベントロップは答えた。


「私は、日本が近い将来、アメリカに対する攻撃を企てると判断している」


 ヒトラーはいきなり結論を述べた。


「イギリスの安全を海軍が担っているのと同様に、日本も艦隊が行動できなくなれば防衛力の大半は失われる。日本の原油備蓄は、これ以上増加するとは思えない。勝算が立つかどうかに関わらず、日本は賭けに出るだろう」


「しかし総統、オオシマの言によれば」


 日本の大島駐独大使は陸軍将官である。


「我々はポーランドでの行動を彼に通知しなかったし、この会議のことも通知していないではないか」


 ヒトラーはリッベントロップを遮った。


「総統、アメリカ艦船への自由行動を許して頂ければ、潜水艦隊は戦果を増すことができるでしょう」


 デーニッツがカールスを差し置いて発言した。アメリカの護衛艦艇は様々な理屈をつけて、大西洋の西半分ではイギリス向け船団の護衛についており、せっかく船団を発見しても、アメリカを刺激することを怖れてそうした船団への攻撃を諦めねばならないケースは多かった。デーニッツはその立場上、潜水艦長たちの不満を体言して、アメリカへの宣戦布告に従来から積極的であった。


「考えに入れねばならない要素がまだある。ソビエト、日本、そして三国同盟である」


 ヒトラーはもう一度会議の主導権を取った。


「日本は北部中国における国境紛争で、先年手痛い失敗を被ったらしい」


 カナリス情報部長が、初耳の情報に顔を上げた。


「オオシマは詳しく話してくれなかったが」


 ヒトラーは情報源をごまかした。


「ノモンハンという地域である。日本軍は国力を海軍と航空機に重点配分したために、陸上兵器が全般に旧式であり、不足している。このことをソビエトは既に知っている。また日本がアメリカとの対立を放置して、ソビエトと戦う場合、日本は原油供給の見込みが立たない。従って現在の状況では、三国同盟はソビエトの行動を効果的に制約していない。日本とソビエトが新たに結んだ中立条約は、この現状を追認したに過ぎない」


 ヒトラーは言葉を切って、列席者たちがヒトラーの判断を咀嚼するのを待った。ソビエトがドイツを攻撃する気になったら、ソビエトは日本軍の存在をほとんど気にしないだろう、とヒトラーは言ったのである。


「一方、ソビエトはイギリスを助けることのできる最後の勢力である。このことによって、ソビエトとアメリカは接近する可能性がある。ヒトラーとスターリンが協定を結べるものなら、ルーズベルトとスターリンも結べるであろう」


 周囲は静まり返っていた。ヒトラーが結論を口にするのを待っているのである。ヒトラーは演説のトーンを落とした。


「もしイギリスが和平に応じれば、スターリンは孤立することを怖れるであろう。アメリカはスターリンに対して、ヒトラーを利用することを考慮に入れるからである。アメリカにとって、ふたつの好ましくない政権のいずれかが、ヨーロッパで決定的な勝利を収めることは好ましくないであろう」


 ヒトラーは老獪な教師のように、わざと言葉を切った。


「我々がイギリス上陸作戦を敢行すると同時に、ソビエトが我が国に侵攻すると総統はお考えですか」


 空軍参謀総長・リヒトホーフェン大将が餌に食いついた。陸軍の将星たちは、こうした機会での発言には慎重であった。


「確信はないが、蓋然性(がいぜんせい)はある」


 ヒトラーは言った。


「備えねばならないほどにはある。もしソビエトと戦闘状態に入った場合、我々はペツァモのニッケル、ニコポリのマンガン、バクーの石油無しで戦争を遂行しなければならない。天候によってこの期間が引き延ばされれば、致命的な影響が生じるであろう」


 ヒトラーがソビエト領の天然資源の産地をいくつか挙げるのを聞いて、陸軍の参加者の何人かは、幾分緊張を緩めた。ヒトラーの用意した結論を見抜いたのである。


「こちらから侵攻するのは如何でしょうか」


 空軍総司令官・シュペール元帥が何気なく提案したが、視線の斉射を浴びてびくりとした。ヒトラーはシュペールに半秒間ほど軽率な発言の償いをさせた後、新任の陸軍参謀総長・ブルーメントリット中将に声をかけた。


「ブルーメントリット将軍は、シュペール元帥の提起した問題をどう考えるか」


「申し訳ありません、総統、どのような問題でしょうか」


 ブルーメントリットは問い返した。


「我々が今論じているのは、イギリス侵攻をこの秋にするか、来年の春まで延期するかという問題である」


 ヒトラーは明確に言った。


「シュペール元帥は、我が軍が直ちにソビエトに侵攻してその脅威を除くならば、秋のうちにイギリス本土上陸を敢行することが可能であると示唆した」


 ヒトラーはシュペールのほうを見ないようにした。もちろんシュペールはそこまで考えて物を言ったわけではない。


「その意見について、ブルーメントリット将軍はどう思うか」


 ブルーメントリットは、マンシュタインと共に、ルントシュテットのお気に入りの若手将官であった。ルントシュテットは自分の軍集団のポーランドでの作戦立案を、ほとんどこのふたりに委ねたのである。ハルダー陸軍総司令官は、自分自身が若く精力的な年齢であることも考えて、敢えて若手を参謀総長に抜擢したのであった。


「大変失礼ですが、ふたつの作戦を同時に遂行することは不可能かと存じます」


 ブルーメントリットは即座に答えた。やはりブルーメントリットは、高度に政治的な事柄について、自ら仮定を口にすることを避けただけで、議論の流れはちゃんとつかんでいたのである。


「イギリス侵攻作戦の準備はかなり進んでおりますが、これは東部国境が安定しているという状況を生かしたものです。ふたつの国境に同時に物資を集積しようとすれば、互いに作業の能率を下げ合うことになるでしょう」


 ヒトラーは肯いて続けた。


「ソビエトに侵略戦争を起こさせることには、ソビエトとアメリカの連携を妨げる大きな政治的効果がある。陸軍と空軍が先制攻撃の利点を敢えて放棄して、政治的な目的の達成に協力してくれれば、海軍の今までの忍耐も報われよう」


 ヒトラーは仏頂面のデーニッツをちらりと見た。


「イギリス本土上陸作戦は来年春まで延期する。陸軍と空軍は東部戦線における」


 ヒトラーは東部戦線という言葉を自然に口にした。


「防衛計画を立案してもらいたい。上陸作戦の延期による国内世論の冷却化については、宣伝省、内務省、党および親衛隊が対応するものとする。外務省は冬の間に政治決着によってイギリスと対話する可能性を追求してもらう。異論はないか」


 昂然と手が挙がった。デーニッツであった。


「日本がアメリカに宣戦した場合、総統は直ちにアメリカに宣戦布告されますか」


 ヒトラーの顔が歪み、ぶっきらぼうな返答が口から出た。


「追って指示する」


ヒストリカル・ノート




 ニューヨークには、実際にドイツ系ユダヤ人が集中している一角があって、後のキッシンジャー国務長官はここで育ちました。(大学生になってもまだいたかどうかは定かでありません)


 三国同盟は、同盟国のいずれかが攻撃を受けた場合、残りの国は攻撃を仕掛けた国に宣戦する、と定めていました。だから史実において、ドイツがソビエトに侵攻したとき、日本はソビエトに宣戦する義務がなかったので、そうしなかったのです。


 ソビエトはドイツに石油などの戦略物資を輸出していました。ベツァモはフィンランドとソビエトの国境地域にあるニッケルの大鉱山、ニコポリはウクライナのマンガン鉱山、バクーは現在のアゼルバイジャン共和国にある油田の中心都市です。これらの地域はそれぞれ独ソの攻防の焦点となりました。


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