表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/30

第15話 ベルリンのバイオリン弾き


 ドイツの勢力圏各地に、ユダヤ人の共同体が運営し、親衛隊経済本部から物資生産のノルマを請け負うJ工場が生まれていた。


 ヒトラーが今日視察するJ工場は、かつてのライチェスク・ゲットー(ユダヤ人居住区)を基礎とするコミュニティである。ポーランド人が経営していた縫製工場を接収・拡張したもので、主に陸軍兵士のためのズボンとワイシャツを製造していた。


 機械の回る騒音で、工場長の説明はヒトラーにはほとんど聞き取れなかった。ヒトラーは真新しい設備を指差して、大声で怒鳴った。


「この設備は更新したばかりなのかね」


「そうです。つい最近のことです、総統」


「私が視察に来るからと言って、気を遣うことはなかったのだぞ」


 工場長は曖昧に微笑して、答えなかった。工場のユダヤ人が爆発物を仕込むことを警戒して、親衛隊がヒトラーの順路近くの工機をすべて新品に取り替えたことは、ヒトラーに告げるべきことではないように思えたのである。


 見たところ、工員たちはきびきびと余裕を持って振る舞っており、絶えず脅しつけられているような不安げなそぶりはなかった。もちろん脅しはあるのに違いない。ヒトラーは、コミュニティを丸ごと飲み込んだ工場にしては、工員たちの平均年齢が不自然に高いことに気づいていた。おそらく妻子のある工員が選ばれ、不審な振る舞いがあれば家族に累が及ぶと申し渡されているのであろう。何人かは普段やり慣れない仕事なのか、重いものを持つたびに顔をしかめていた。


「ユダヤ人たちはよく働いてくれています」


 工場長は声を張り上げた。


「生産目標は順次引き上げられております。程なく本土の工場に匹敵する水準となるでしょう」


 ヒトラーはうなずくしかなかった。


 外国人労働者の生産性は、一般的に言ってドイツ人のそれより低かった。警察は親衛隊の指揮下に入っていて、工場側の負担で警備のための人員も工場に置かれていることがあったが、それでも生産の遅延や意図的な破壊工作を防ぎ切ることはできなかった。司法制度はナチス政権が成立してからも基本的に手付かずのままで、たまに気骨のある裁判官に当たると外国人労働者をめぐる事件にも無罪判決が出ることがあったから、最近では親衛隊は「軽微な」問題を起こした労働者を裁判によらず送り込む労働キャンプを作って、数十日締め上げてから帰す政策を取っていた。


 応接室に招じ入れられたユダヤ人の代表は、この前議長を務めていたヒルシュから、別の人物に代わっているようであった。ヒトラーは新しい議長と握手し、その様子は写真に取られた。この写真を含む記事は、スペイン向けに発行されたドイツ政府系新聞にだけ載せられ、ドイツ国内には漏れずにイギリスや中立国の手には渡るように配慮されていた。


 新しい評議会議長は、ユダヤ人の状況に関するすべての質問に、問題ないとか、改善されつつあるとか、親衛隊が喜ぶような返事をして見せた後、おずおずと要望をヒトラーに持ち出した。


「私どものコミュニティには楽団がございますが、ぜひベルリンでのコンサートをお許し頂きたいんで」


 ヒトラーはこれを快諾した。


「ところで質問がある」


 ヒトラーは慎重に言葉を選んだ。


「去年君たちの議長をしていた人物は、どうしたのかね」


「私でごぜえます」


 答えた議長の、深くしわの刻まれた顔にわずかに残る、精力的なヒルシュの面影を見て取って、ヒトラーは息を呑んだ。


----


 ヒトラーは週の後半を視察や会談に当て、土曜日の夕食会に大物のゲストを招くのが通例になっていた。今日のゲストは大蔵大臣、フォン・クロジク伯爵である。


 大蔵大臣? そう。大蔵大臣である。ナチス・ドイツにも大蔵大臣はいるのである。ヒトラーはシュペーアに注意されるまで、大蔵大臣などというものが存在することを忘れていた。いや、知らなかったといってもいい。おっちゃんがヒトラーと入れ替わってから半年をとうに過ぎ、今は1941年の6月にもなるというのに、ヒトラーは一度もその大蔵大臣と会っていない。


 クロジクはNSDAP(ナチス党)の党員ではなかった。ヒトラー政権は多くの保守政党との連立内閣として発足したから、当初は多くの保守政治家が入閣していた。それが様々な機会に様々な手段で職を追われて行って、現在ではクロジク大蔵大臣とギュルトナー司法大臣だけが非党員の閣僚として留任していた。


 ヒトラーはクロジクと会う必要がなかった。様々な歳出を決定する権限を閣僚たちに与え、総統としてそれをオーソライズすれば、あとは帳簿上のやりくりだと腹を括ってしまえばよい。そのための手段はあった。満期が1年未満の短期の政府証券を大量に発行し、ドイツ中央銀行に引き受けさせて、次々に借り替える。これで予算や決算に現れる財政赤字は許容できる範囲に抑えながら、必要なだけの秘密予算を「一時的な」財源から引き出すことができるのである。


 インフレの進行は、広範な配給制度と厳しい統制、貯蓄の強制、そして被占領国からの略奪によって、かろうじてドイツ国内では食い止められていた。もちろんその裏返しとして、占領下の各国では物資不足とインフレが急速に進行していたのだが。


 ヒトラーとの面会の約束を取り付けたクロジクは、土曜の午後1時きっかりに、重いトランクを下げた2人の秘書とともに官邸の門をくぐった。そして夕食会が始まる午後6時ぎりぎりまで、たまりにたまった書類を駆使して、ヒトラーとシュペーアを数字の洪水の中に泳がせたのである。


「いやあ、今日は高貴な方と夕食を共にすることができて、欣快の至りですなあ」


 総統官邸での酒宴の常連となったウーデット空軍大将は、クロジクをつかまえて放そうとしなかったが、これはヒトラーには何よりの休養となった。実際、ウーデットは軍需関連の記念式典にあちこちを回って「民情を視察」するのが唯一の仕事になっていて、新鮮な話題が豊富だったので、客観的に見ればクロジクもそうひどい目に遭っているわけではなかった。


「今日は大変な仕事でしたね」


 シュペーアはそのまま立食パーティに居残っていて、浮かぬ顔のヒトラーに声をかけた。


「ふむ…」


 ヒトラーの生返事は疲労のためではないらしい。何か考え事をしている様子である。


「先のことよりも、今の問題ですよ、総統」


 シュペーアは自分とヒトラーに景気をつけるように、ワインを飲み干して、遠ざかって行った。


 ドイツは、ユダヤ人を追い出したり押し込めたりする過程で、膨大な財産を没収していた。国庫に入った分も少なからずあり、それがさらに払い下げられたりして、権利関係はすでにどうしようもないほど錯綜していた。クロジクからそれを説明されて、おっちゃんの心は真っ暗になった。これでは補償問題が障害になって、戦後の道筋が描けない。


----


 第1次大戦後、帝政ドイツは事実上崩壊し、社会民主党の議員たちがドイツ共和国の誕生を勝手に宣言するという変則的な政権交代を行った。この政権は急ごしらえであったから、政策的に良くも悪くも穏健で、大掛かりな富の再配分を実行するだけの政治力がなかった。労働者たちは有産者階級にもっと譲歩させたかったし、逆に資本家たちはそれを阻止するために資金を使った。初期に政権を担当した社会民主党・中央党・民主党は、資本家たちからも無産大衆からも十分な支持を受けられず、左右両翼が同時に議席を増やして行った。


 そこへ起こったのが、1929年の世界大恐慌である。不況のコストを国民に配分するに当たって、どの勢力も優勢を確立できず、誰も何もしてくれないことがさらに国民を苛立たせた。


 ヒトラー政権は、こうした1930年代前半の経済的・政治的な閉塞状況の打破を期待されて成立した。特に当てはないがこの閉塞状況を破るために何かしてくれ、という願いに応えるためには、どうせまとまらない国家共同体の内部ではなくて、外側に敵を見つけるしかなかった。それがユダヤ人・ユダヤ資本であり、ドイツの軍備に対する制限(いわゆるベルサイユ体制)だったのである。


 以前に触れたように(第2話参照)、ドイツはユダヤ人を国外に出し、その財産を没収する一方、ドイツの再軍備を進めて失業率を劇的に引き下げた。しかしそうした富の再配分は国民経済レベルから言えばわずかなものだったし、非生産的な雇用の創出と、手厚い農業保護、そして自給自足化を志向した割高な国産原料の使用は、ドイツ経済をじわじわと弱らせて行った。大戦の軍事支出がなくとも、ドイツの政府財政は破綻に近づいていたのである。


----


 ヒトラーはどうにか憂慮を振り払って、政治家として、また当夜のホストとしての仕事に戻った。今日は新しい陸軍総司令官のハルダー元帥も招かれている。


「このたびの戦勝に、おめでとうをまだ言っていなかったな」


 ハルダーは曖昧に微笑で応じた。ハルダーは内心、北アフリカでの最近の出来事(第14話参照)を手放しで喜べないのである。


「私がロンメル将軍を高く評価していることは隠れもない事実だが」


 ヒトラーはことさらにグラスを空けて酔いを装った。


「命令を超えて行動する者は弁護してやるわけにはいかん。君の思っていることを、残らず言い送ってやり給え。もし統領[ムッソリーニのこと]に話さねばならんことがあれば、私が電話してやろう」


「ありがとうございます、総統」


 ハルダーは、先ほどよりかなり緩んだ表情になった。


「ロンメル将軍の行動は臨機の処置かと存じます」


「彼は騎士十字章を受けるのかね」


「まだ聞いておりませんが」


 騎士十字章に値する勲功を重ねた者は、飾りのついた騎士十字章を授与される。最初は柏の葉。次いで十字に交差した剣。そしてダイヤモンド。ロンメルはフランス戦で騎士十字章を授章しているので、次は柏葉付き騎士十字章ということになる。叙勲は上官の推薦に基づいて行われるのが通例だが、これほどの高位勲章になると政治的判断が入らないわけではなかった。


 ヒトラーは続けた。


「彼が少なくとも10人の部下に勲章を申請するのを確認するまでは、彼自身に勲章を与えるわけにはいかんな。ずいぶん部下を酷使したことであろう」


 ハルダーの微笑ははっきりした苦笑に変わったが、口では何も言わなかった。


 ともあれ、ヒトラーはロンメルの処遇に関して横車を押す意志がないことを明確に伝えて、新任の陸軍総司令官を助けたのである。


 結局、ロンメルは処分も配転も、さりとて昇進も叙勲の沙汰もなかったので、地中海の向こうでひどく悔しがったのだが、これは後の話である。


----


「ユダヤ人の問題を、どう収めたらいいのか、どうしても目処が立たない」


 エーファ・ブラウンとお茶を飲んでいるとき、ヒトラーの悩みは、聞かせるでもなく口をついて出てしまった。エーファは苦笑した。


「あなたは、人のことばかり考えているのね」


 言われてみると、そうであった。おっちゃんはこの世界の人間ではないから、この世界の誰に対しても淡白に接している。自分が生き残りたいとは思っても、この世界をどうしたいこうしたいという理想は、正直言って、特にないのである。ところが気がついてみると、ドイツを切り回すことに頭がいっぱいになっている。まことに損なことである。


「不思議なことだが、ひとつの役割を演じるとなると、できることにそれほど差はないものなのだな」


「大ありよ」


 エーファ・ブラウンは珍しく、きっぱりと言った。


「難しいことは私には分からないけど、あなたのほうが、あのひとよりいろいろなことを考えているわ」


「そりゃあ、50年も経てば、落ち着いて物事を見られるようになるものさ」


「私、あなたの話を聞いたとき、あなたが自分の国のためにドイツを動かすんじゃないかって、思ったのよ」


 おっちゃんは虚を衝かれた。確かにそれはありうることだ。実際……もう真珠湾攻撃まで半年もない。日本のために……何かできるのか?


 おっちゃんの父母をはじめ、日本には多くの係累がいる。しかしそれらの人々のことは、奇妙によそよそしい感覚でしか思い浮かべられなかった。その人たちの幸せを願わぬではない。しかし、そのための手だてが、今おっちゃんの日常生活の中にあるようには思えなかった。ドイツにいると、日本のことは火星のことと同じくらい遠いことに思えるのである。


「とにかくこちらの戦争を終わらせよう。そうすれば……」


 おっちゃんは息を呑んだ。


 日本が退っ引きならない開戦必至の状況に追い込まれていることは、こちらの世界でも同じであろう。もうすぐ南部仏印進駐に抗議して蘭領インドネシアが対日禁輸に踏み切り、日本は行動の日限を切られるはずである。


 もし欧州大戦が早期に終結すれば、アメリカは史実をはるかに超える戦力を太平洋戦線に投じるはずであった。空母の建造には時日を要するとしても、基地航空隊は日本軍を圧倒するはずである。史実では大西洋に投入されていた護衛空母は太平洋で航空機輸送にフル回転し、あっという間にオーストラリアを牛と羊と戦闘機の国に変えてしまうであろう。それに戦略爆撃機、潜水艦が続き、最後に空母がやってくる。原爆が開発される前に本土がすっかり占領されてしまいそうなのが、わずかな救いかもしれない。


 エーファはため息を吐いた。


「他人のこともいいけど、今は自分のことを考えなさい。紅茶が冷めるわ」


----


 ヒトラーは日曜にはなるべく会議を入れないようにしていたが、総統会議にかける前にどうしてもガス抜きをしておかねばならない案件があって、今日は客人を迎えていた。海軍司令官のカールス上級大将と、Uボート部隊司令官のデーニッツ少将である。


 本題に入る前に、ヒトラーは最近の海軍作戦の概況を聞くことにした。カールスはノルウェー沿岸での輸送船の護衛状況と、イギリス海峡の機雷敷設状況の報告をまとめて5分で片づけた後、大西洋の状況についてデーニッツに語らせた。


「航空部隊との協力によって、イギリス商船の損害は著しく増大しております。しかしながら、最近それを上回る価値のある成果が寄せられました。これであります」


 デーニッツは雑誌の表紙をヒトラーに示した。イェンセンが撮影した、ドイツ機に向かって機銃弾を打ち上げるコルベットの写真である。(第6話参照)


「やっとこのアンテナの機能が推定できました。これは短波を探知するレーダーと思われます」


 デーニッツは言葉を切ったが、ヒトラーが理解した表情を示さないので、説明を始めた。


 今回正体をつきとめられたのは、イギリス軍がHF-DF(ハフ=ダフ)と呼んでいるレーダーであった。ドイツのUボートは、海中では長波を使ってドイツ本国と通信しているが、これでは通信に長い時間がかかってしまう。そこでイギリス船団を見つけると、詳しい状況を報告するために水面ぎりぎりまで浮上し、アンテナを水面に出して、短波でごく短時間に通信を送る。その短波を捉えて方位と距離を得るのがHF-DFである。つまりUボートは、狩ろうという瞬間に自分の位置を暴露して、狩られる側に回ってしまうことになる。


「これで最近の不可解な損失のいくらかが説明できます。統一的な指揮は執りづらくなりますが、以後は通信を行った艦は全速力で逃がしておいて、私がフランスから包囲の指示を出すことにします」


 これでまた戦果が期待できるので、予算と資材を増やしてくださいよ、とデーニッツの顔には書いてあった。


 海軍からの報告が終わったので、ヒトラーは総統会議に出す生産計画を内示した。新規に着工する潜水艦への資材割り当てが大きく減らされ、上陸用舟艇やそれを護衛する小型舟艇の着工も抑制されていた。カールスもデーニッツも無言のまま、ヒトラーの説明を待った。


「この計画の背後には、アメリカとの戦争がもはや避け難いという判断がある。2年以内に、アメリカは商船を改造した護衛空母を使って大西洋の航空優勢を確立するであろう。そうなればUボートと長距離哨戒機は大西洋から追われてしまう」


「海軍がそれに対処する手立てがないと、なぜ決め付けられるのです」


 カールスが珍しく色をなした。


「海軍にこれに対処する能力をつけられなかったのは、私の責任である」


 総統にきっぱりと言われて、カールスはたじろいだ。


「海軍にその能力がないのではない。ドイツにその能力がないのだ。この戦争をここまで引き延ばしたのは政治家の失敗である」


 ヒトラーは会議資料のページをめくった。


「海軍から取り上げた資源で、陸戦兵器の大増産にかかる。東部国境はきわめて危険である。時間は資源を持つものの味方だから、戦争は何としてもここ1、2年のうちに終わらせる必要がある。最大限に時間を使わねばならないのだ」


 デーニッツは意地悪く言った。


「もし膠着状態のまま2年が経過したら、総統は海軍に何をお命じになりますか」


「そうだな。アドルフ・ヒトラーを引き渡す条件で講和を持ち掛けるか」


 ヒトラーの口調が何気なかったので、カールスとデーニッツが驚くまでに数秒かかった。


 結局、ヒトラーの迫力に気おされた形で、海軍は内示された原案を呑まざるを得なかった。


----


 ユダヤ人たちによるアンサンブルのコンサートには、ベルリン国立歌劇場が使われることになった。ゲッベルス宣伝大臣はユダヤ人のコンサートと聞いて目を丸くしたが、海外向けにソフトムードを演出するのだとヒトラーに言われて、ならばラジオで海外に(といっても実際にはせいぜいイギリスまでだが)中継しようと自分から言い出した。ナチス・ドイツの閣僚たちの中にも、ユダヤ人迫害に深入りしている立場の者とそうでない者がいて、後者のグループは正直なところ、反ユダヤ政策を選挙公約以上のものとは考えていなかった。


 無論彼らもユダヤ人が強制収容所に押し込められていることまでは知っており、それ以上の「恐ろしい噂」も耳にしていたが、ヒムラーは強制収容所で起こっていることを他の閣僚にすら秘密にしていたから、彼らはこの件に関して罪の意識を持たなかった。経済大臣としてユダヤ人から財産を取り上げる指揮を執ったゲーリングですら、知人のユダヤ人には便宜を図ってやる始末であった。


 ヒトラーはこのコンサートをそれほど重視しているわけではなかったが、ラジオの中継は聞くことにした。カールスやデーニッツと激しくやりあって休日をつぶした後で、気散じが欲しかったのである。エーファ・ブラウンも例によって、茶の間でスナックを相伴することになった。


----


 コンサートは平穏に始まった。演目はドイツの作曲家の作品から慎重に選ばれていた。曲の合間には、ドイツ人のアナウンサーがユダヤ人たちの収容所での文化的な暮らしについて、コンサートそっちのけでせかせかとまくしたてていた。独白が高じて、曲の紹介より先に曲が始まってしまうことすらあった。それを演奏家たちがどう思っていたかは分からない。むしろアナウンサーの台詞は演奏家には聞こえていないのであろうと、聞いていたヒトラーは思った。


 何の前触れもなく、演奏が止まった。


「ユダヤ人に自由とパンを! 我々は飢えている! 人間の」


 人の叫び、ざわめき、そして沈黙。3秒ほどの無音に続いて、不明瞭なドイツ語でアナウンスがあった。「ただいま機材が故障しております。回復するまでしばらく…」


 ヒトラーは椅子から腰を浮かせていた。当然予測すべき状況だった。世界にドイツのユダヤ人の状況をアピールするため、おそらくユダヤ人の抵抗組織が慎重にアンサンブルのメンバーを選んだのだ。


 彼らはどうなる? ヒトラーは考えた。今夜のことをなかったことにするにはどうしたらよいか。アンサンブルのメンバーの個人名は公表されていない。彼らを行方不明にするのは、親衛隊にとってたやすいことであろう。


 彼らのために何かするなら、すぐにしなければならなかった。


「エーファ……行ってくるよ」


 ヒトラーは立ち上がった。


「何かできることはないの」


「とにかく彼らをここに連れてくる。寝床が要るな。とても多く」


「閣議室を使ってよろしいかしら? どうせ使ってないんだし」


 ヒトラーが目を見張ったので、エーファはうつむいた。


「ごめんなさい」


「いや、素敵なアイディアだ。秘書たちに手伝ってもらいなさい」


 ヒトラーは運転手とわずかな護衛を急き立てて、ベルリン国立歌劇場に車を走らせた。ベルリン国立歌劇場は市街の中心近くにあって、総統官邸から2キロと離れていない。


 周囲を見回したヒトラーは、劇場の中が騒がしいのに対して、外側が平穏なのを見て取った。良い兆候だ。警察(当時は親衛隊の一部になっている)の大部隊はまだ外部から現場に到着しておらず、従って高級指揮官も現場にいないようだ。これならヒムラーを出し抜けるかもしれない。


 アンサンブルのメンバーは楽屋に拘禁されていた。思った通り、会場警備も兼ねた警察の人数は30人ばかりで、警部補の指揮官は総統その人の入来に仰天した。


「外交上の配慮から、このメンバーを総統官邸に保護する」


「いや、しかし、総統、直属の上司の指示がありませんと」


 警部補は弱々しく言った。


 軍隊であれば、ここは一歩も引くことが許されないところである。いくら階級が上でも、戦闘序列上直属している上司以外の命令は、一切聞いてはいけないのである。警察でも本来そうなのだが、この警部補は典型的な文官で、予想外の事態をとっさに処理することが苦手であった。ヒトラーはさらにたたみかけた。


「こうしている間にも、事態を察知した外国の特派員がやって来る。彼らを出し抜かねばならんのだ」


 警部補はしぶしぶ道を譲った。


 警部補がヒトラーを見て驚いたとすれば、ユダヤ人たちはヒトラーを見てうめいた。隣の人間が自分と同じ幻覚を見ていることに気づくまで、ざわめきはやまなかった。


 ヒトラーはユダヤ人たちを官邸まで歩かせることにした。車に分乗すれば、互いの連絡が取れなくなって、何人かが親衛隊の手に落ちるかもしれないし、車内でパニックが起きる可能性もある。周囲を官邸からの護衛と警部補の部下に囲まれ、先頭をヒトラーが歩き、ユダヤ人たちがそれに続くという珍妙な道中になった。もちろん灯火の準備などないから、並走するメルセデス・ベンツが懐中電灯代わりである。もっとも、緯度の高いベルリンの夏のことである。道に迷わない程度の明るさが、まだ残っていた。


 ウンター・デン・リンデンからフリードリヒ通りに入る帰路は、ベルリンのビジネス街の中心を突っ切る格好である。かなりの人通りがある。その中の少年たちが、どうやらユダヤ人が連行されていくらしいと見て取った。


 物陰やバルコニーから様子を見ていた少年たちがそれを目ざとく見つけて、石を投げ始めた。そのうちのひとつが、ヒトラーの額にまともに命中した。


 ヒトラーは目の前に星を飛ばして膝をつき、護衛たちはたまらず不届者を懲らしめに走っていった。ヒトラーを抱き起こしたのは、ユダヤ人のひとりであった。


「立てるか」


「大丈夫だ」


「ヒトラー総統が、ユダヤ人のために血を流すとはな」


 その声は、先だってコンサートの最中に叫んだ声であることに、ヒトラーは気づいた。そういえば、以前にも聞き覚えのある声であった。


「私はドイツ国の総統だからな。ドイツ国民が投げた石は、私が投げた石だ。君は以前に会ったことがなかったかね」


 ユダヤ人は笑った。


「ライチェスクにフリドマンという遠い親戚がいたが、死んだらしいな」


 総統官邸に着くと、ヒトラーは秘書たちを総動員して電話をかけ、アンサンブルのメンバーの妻子を保護するよう手配した。そのころにはヒムラーも事態を聞きつけ、総統官邸を訪れていたが、もはやどうすることもできず、妻子探しに協力を約束させられる始末であった。


 ヒトラーが居間のカウチに倒れ込んだときには、もう夜明け近かった。エーファ・ブラウンが救急箱を持ってやってきて、ヒトラーの額に消毒薬をたっぷりと塗り込んだ。


 ヒトラーはそのまま眠ってしまった。寝入りばなに、唇に柔らかいものが触れたような気がしたのだが、気のせいだったかもしれない。


----


 官邸に程近いテンペルホーフ空港では、2機のユンカース輸送機が飛行準備を終えていた。ユダヤ人たちとその妻子を、イタリアまで送り届けるのである。そこから望む者は、スペインへの出国の便宜も図ってもらえることになっていた。


 ヒトラーはガーランド大佐(昇進した)と握手していた。


「ご依頼の通り人選いたしました。今回のクルーに、NSDAPのメンバーはひとりもおりません!」


 ガーランドはことさら大きな声で請け合った。ヒトラーはガーランドに、反ユダヤ的でないパイロットを紹介してくれるように頼んでいたのである。ヒトラーはうなずくと、ユダヤ人たちへの挨拶に向かった。


 ヒトラーは政治家としてのセレモニーにすっかり慣れていた。親とは握手し、子供は頭をなでた。


 何人目かの子供に、何気なく名前を尋ねると、はにかんだように答えなかった。父親が割って入った。


「ああ、ホフマン、ヒルダ、それから…」


 一瞬の間があって、母親が、


「アイザックですわ」


 とあわてたように言って、ふたりとも言葉を詰まらせた。ヒトラーが状況を理解するのに2秒以上かかったが、その間にふたりの顔色は蒼白になっていた。父親が、わが子の名前を即座に答えられないとは。


「ああ、ええと」


 ヒトラーはどうしていいかわからず、しばらく口ごもった。


「ドイツ大使館を通じて、手紙が届くようにしておこう。写真もね」


 アイザックと紹介された子の表情が明るくなった。どうやら国外脱出のチャンスと見たゲットーにいる友人から、子供だけでもと託されたらしい。


 フリドマンは最後に待っていたが、握手をしようとしなかった。


「あの夜の総統の勇気は、ポーランド軽騎兵にほとんど匹敵するものだった」


 フリドマンは言った。


「君はその賛辞をめったに使わないのだろうから、光栄に思うよ」


 ヒトラーは応じた。


「済まないが、私が亡くしてしまった友人のために、私はあなたと握手することができないのだ」


 平然とフリドマンが言ったので、居合わせたユダヤ人たちはすくみ上がった。周囲のドイツ軍人が突然敵に回ったように思えた。


「ではこれではいかがかな、戦士殿」


 ヒトラーはかかとを打ちあわせ、ナチス式ではなく、軍隊式の敬礼をしてみせた。軍隊式の敬礼は中世騎士が甲冑のバイザーを上げて顔を見せた動作に由来すると言われ、ヨーロッパ共通である。


 フリドマンは答礼して言った。


「次は戦場で会うのかな」


 ヒトラーは答えた。


「それまでに終わらせたいものだ」


----


 輸送機が飛び立つ頃、ピストル自殺したヒルシュの遺体が発見された。もし生きていたとしても、親衛隊の厳しい取り調べを耐え抜ける体力はなかったであろう。


----



「各地のJ工場で武装蜂起の準備行動と見られる動きがあります。徹底的な捜索と関係者の処罰を行いたいと存じますが、我が総統のご同意はいただけるでしょうか」


 ヒムラーの報告には抑揚らしい抑揚がなかった。トウモロコシに殺虫剤をかけるような調子であった。


 ヒトラーがライチェスクのアンサンブルに甘い態度を取ったので、寛大な扱い、あわよくば体制の打倒に望みをかける人々が、各地に大勢現れたのであろう。ヒトラーもヒムラーもそう思っていたが、それを口には出さなかった。


「総統、あえて申し上げますが」


 ヒムラーは勇気を奮い立たせて言った。


 ヒムラーは総統のイエスマンであったと思われているが、それは事実の一面に過ぎない。ヒムラーはNSDAPで頭角をあらわすまで、自分で始めた事業には失敗し続けている。自信を失いかけたとき、ヒトラーという個性に会って、その歓心を買うべく行動したとき、打って変わってその才能は発揮された。つまり、ヒムラーは与えられた目標を冷徹に完遂するあらゆる手段を知っていたが、適切な目標を自分で設定するバランス感覚に欠けていたのである。


「親衛隊と党は、総統の命令を、毎日粛々と遂行しております。特に不愉快な任務を遂行する部隊には、勤務時間中の飲酒を黙認しておるところであります」


 ヒムラーの口調は段々叫ぶように甲高くなってきていた。ヒトラーは黙って、それを聞いていた。


「親衛隊員および党職員は、ドイツをドイツたらしめるあらゆる作業に邁進しております。もし我々に新たな命令をお持ちであれば、それをお命じ下さい。我々はすべてを賭してそれを成し遂げるでありましょう」


 ヒムラーは口を閉ざした。ヒトラーは、懸命に言葉を探していた。


「我々はドイツ全体の治安に責任を負っている。私が何を考えていたとしても、ドイツ市民を無差別な復讐の対象にさせることは、私が負っている義務に反することであろう」


 ヒトラーはゆっくりと言った。ヒムラーは黙っていた。


「反乱を未然に防ぐために、親衛隊帝国長官が必要と考える行動をとるように。その責任は私が負う」


 ヒムラーはかかとを打ちあわせて敬礼し、退室した。ヒトラーは大きくため息を吐いた。


 1941年の夏、戦線なき戦いはドイツ内外で続いていた。


ヒストリカル・ノート


 実際には、柏葉剣付騎士十字章とダイヤモンド柏葉剣付騎士十字章は、1941年6月の独ソ開戦前後に追加されました。作中の世界でも、だいたいこの時期にこれらの勲章が制定された、ということにしたいと思います。


 史実では、ドイツ軍は敗戦まで、HF-DFの存在に気づきませんでした。


 ドイツ国内のユダヤ人にいわゆるダビデの星の着用が義務づけられたのは1941年9月1日ですから、この時点ではまだ義務化されていません。


 ヒトラーの官邸は、ベルリンの中心地区ミッテの南西の端にあって、大きな庭園ティーアガルテンのすぐ隣でした。官邸跡は東ベルリン地区で長らく廃虚のままになっていましたが、近年一般の建物が建ったようです。ここから南に3キロほど行くとテンペルホーフ空港があります。ここはまた西ベルリン地区で、ベルリン封鎖の際には物資輸送の生命線となりました。


 文中にあるベルリン国立歌劇場シュターツオパーは東ベルリンに現存しており、戦後西ベルリン地区に作られたベルリン・ドイツオペラ劇場ドイッチュオパーとは別です。どちらも2021年7月現在、活動を続けています。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ