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第14話 将軍は走り、兵士は歩く


「作業にかかるぞ」ドイツ語の号令で、ドイツ人、イタリア人、そしてリビア人の混成部隊は、テントの影からもぞもぞと這い出してきた。日は沈みかかり、日差しは幾分和らいでいる。


 サハラ砂漠の奥に入るとまた別だが、北アフリカの海岸地方は砂漠と言うよりも砂っぽい荒地に近く、乾き切った硬い大地を薄い砂の層が覆っている。作業はその薄い砂を取り除くことから始まった。硬い大地を掘り下げ、基礎材を埋め込んだら枕木を置いて固定し、その上にレールを敷いて行く。早朝に作業が済んだ部分は、すでに砂の薄衣をまとっていた。


 1940年晩秋に工事の始まったベンガジ-トリポリ間軍用軽便鉄道は、1000キロの距離を克服して、初夏の完成をもう目前にしていた。複線とは言え線路幅75センチ、最高時速15キロの小型鉄道ではあるが、ベンガジやトブルクの港湾能力のボトルネックを緩和するインフラとして大きな期待がかかっていた。


 ドイツ鉄道工兵隊は、当時8つしかない鉄道工兵建設大隊の半数を派遣して現地の指揮を執らせ、次々に独立建設中隊を投入して、この国家的プロジェクトに全力を傾けていた。ヒトラーが大攻勢を見合わせるようマンシュタインに念を押したのは、この鉄道のための機材運搬が行われる間、大規模な補充物資の輸送はできないからであった。


 しかしながらもちろん、このような大規模な工事がイギリスに知れないわけがない。チャーチルは中東総軍ウェーヴェル司令官に、総攻撃の開始を督促した。そしてドイツもまた、それを予期していたのである。



----



「いいかお前たち。明日はイタリアの男っちゅうもんを、ドン・エルヴィーノにお見せするんだ。恥ずかしいことをする奴がいたら、ふん縛って砂漠に転がしちまうから、そう思っとけ」


 雄弁を振るっているのは、ロンメルの護衛小隊を束ねるマルコ・ピアッティ曹長である。彼はロンメルが障害物を登るのを現場で見ていたひとり(第7話参照)で、以来ロンメルの熱狂的な崇拝者になり、あらゆるコネを使って司令部中隊への配属を運動して、このポストをせしめたのであった。


 戦車師団の司令部は、部下たちの前進に合わせて敏速に動き回らねばならないから、敵中に露出したときの用心に護衛中隊を持っている。それほどの重火器があるわけではないが、対空機関銃を持った小隊や、装甲兵員輸送車に乗った普通の歩兵小隊が含まれる。この歩兵小隊を、ここでは護衛小隊と呼んでおくことにしよう。ロンメルの場合、本人は自分が死ぬかもしれないなどと考えようとしないので、かなり危ないところへもろくろく護衛を連れずに進出してしまう。護衛小隊長の役目は重大であった。


 1941年1月、イギリス軍の総攻撃は、南側(内陸側)を中心に開始された。海岸近くを東西に通っている街道沿いの正面攻撃を避け、よく整っていない砂漠の裏街道を通ってドイツ軍の背後に回り込むべく、戦車部隊を動かしたのである。


 これに対しマンシュタイン大将は反撃しつつ後退した。ロンメルのアウグスタ戦車師団は海岸沿いを守っているイタリア・リビア戦車軍団の中にいたが、アフリカの枢軸軍を束ねるグラツィアーニ元帥は、明朝を期してアウグスタ戦車師団に牽制のための攻撃を命じたところであった。



----


「シュトラハヴィッツ少佐の部隊に、後方を撹乱させてはいかがでしょう」


 ドイツ第3戦車師団のモーデル中将は、協議に訪れたドイツ・アフリカ軍団長、マンシュタイン大将に提案した。イギリス軍は後退するドイツ軍を追ってガブル・サレフに迫っている。誘いの隙が本当の隙になるぎりぎりの瀬戸際であった。マンシュタインは反撃のタイミングを誤らないために、師団司令部まで出てきていた。


「最も注意しなければならんのは、イギリス軍ではなく、ロンメル将軍だよ」


 マンシュタインは笑った。


「彼はハルファヤ峠への攻撃を許可された。彼はおそらく全力で攻撃をかけて、ハルファヤ砦に集積された物資を狙うよ」


「物資、でありますか」


「そうだ。特に燃料だな。彼は少なくともマルサ・マトルーまでは進出できると計算しているはずだ」


 マンシュタインはまだ笑っているようでもあり、険しい顔をしているようでもあった。おそらくそのどちらでもあったろう。


 ハルファヤ峠は、海岸沿いの街道が通る、リビア・エジプト国境の要衝である。


「だからそれ以上の陽動は無用だと思う」


 マンシュタインの口調は、断定を避けた丁寧なものであった。


「イギリスの機械化部隊が反転するところを、我々は全力で叩くのだ。まず君の師団が行きたまえ。リュットヴィッツは戦闘を避けて南に迂回させておく。私が指示を出したら、彼の第15戦車師団に追撃を委ねて、君の師団は戦場の掃除にかかってほしい」


 マンシュタインは、イギリスに最大の損害を与えることよりも、兵站上の無理を最小に止めつつ現状を維持することを考えていた。イギリス軍が退却する際に落伍した車両を捕獲する算段を、もう立て始めているのである。


 モーデルの参謀長が、兵士に呼び出されて中座したかと思うと、すぐに紙片を持って引き返してきた。


「シュトラハヴィッツ少佐より、軍団司令部宛に発信された無線を傍受しました。薔薇が咲いた、というものです」


 シュトラハヴィッツの独立偵察大隊の一部は、ガブル・サレフ付近に伏せられていた。それがイギリス軍先鋒の来着を知らせたのである。


「よろしい」


 マンシュタインは腕時計を見た。


「準備射撃の後、攻撃に移り給え」


 マンシュタインはそう言いながら立ち上がって、もう自分の司令部に帰る支度にかかっていた。軍団直轄の砲兵は、第3戦車師団の砲兵と共にガブル・サレフ付近に照準を合わせていたから、軍団長の仕事はしばらくないだろう。


 それを見送りながら、モーデルは遠くを見るようにつぶやいた。


「マルサ・マトルーか……悪くないな」


 もしモーデルがロンメルの立場なら、同じ事をするだろうと、モーデルは考えた。


----


 榴弾砲の集中射撃は、戦車よりも歩兵や砲兵に対して致命的な効果がある。ドイツ軍はまず、イギリス歩兵・砲兵・戦車部隊の連携を崩すところから始めた。


 イギリスはフランス戦線での苦い戦訓から、「戦車は集中使用しなければならない」ことは十分に学んでいた。砲兵の運用も元々うまかった。しかし戦車と歩兵の連携については、まだ十分に学んでいるとは言えなかった。戦車部隊は迅速に砲撃の混乱から立ち直ったが、屋根のない兵員輸送車に載っている歩兵たちは大きな損害を被って、一時的に戦闘能力を失ってしまった。


 イギリスは3個戦車旅団、およそ200両の戦車をこの方面につぎ込んでいた。戦車部隊の情勢判断はそれほど暗いものではなかった。イギリス砲兵はモーデル将軍の砲兵の位置を砲煙などからつかんで、すでにカウンター・バッテリー(先に位置を知られた長距離砲を長距離砲で狙うこと)の準備に入っていた。一気にドイツの防備を押しつぶすチャンスは十分にあると思われた。戦車部隊は前進を続けた。


 モーデルの戦車部隊が、程なくイギリス軍の視界に入ってきた。状況に合わせて融通の利く、Y字型のブライトカイル(逆楔)陣形である。全部で9つの中隊がその中にあって、それぞれが密集し、敵と蝕接したときは中隊にいる17台の戦車が一斉に戦闘に参加できるようにしていた。


 陣形の後方にいた中隊がスピードを上げ、イギリス戦車部隊の側面に回り込もうとする。先鋒の中隊は停車して、イギリス戦車を狙い撃ちにする。ドイツ戦車兵は、射撃の際は必ず停車するよう訓練されていた。移動しながらの射撃は無駄弾につながり、戦闘中の弾切れという最悪の事態を招きかねないからである。


 イギリス戦車部隊は一旦ドイツ戦車部隊とすれ違おうと考えたようであった。スピードを増しながら、停車して射撃中のドイツ戦車に砲弾を浴びせる。互いに何両かの戦車が炎上したが、技量にまさり、停車して射撃するドイツ戦車のほうが分がいい。


 ドイツ戦車の後には歩兵が続いていた。イギリスとしては戦車で蹂躪したいところだが、いまはドイツ戦車隊を撃破することが最優先である。すぐに反転してドイツ戦車に襲い掛かろうとしたイギリス戦車は、背後から対戦車砲の一斉射撃を浴びて混乱した。イギリス戦車部隊が前進を止めないという偵察結果が伝えられたため、砲兵連隊の陣地を守るよう、対戦車砲大隊が砲列を敷いたところだったのである。


 歩兵部隊が追従してきていれば対応のしかたもあるが、ここは逃げる一手である。装甲の弱い背面に37ミリ砲を食らって、エンジンが止まる戦車が何台か出たが、ほどなくイギリス戦車部隊は前進を再開した。


「第1大隊、レーヴェを先頭にカイルに組み替える((当時「パンツァー・タクティクス」は未刊でした。カイル、ブライトカイルといった隊形名を通信で使うことはなかったそうです。))」


「第2大隊、ブライトカイル、ベルリン、ドレスデン、ハノーヴァー、ケルン。各車トミー(イギリス兵)を狙い撃て、ファーティヒ(以上)」大隊長の指示が飛ぶ。


 通信傍受に備えて、各中隊にはそれを示す符丁が決められている。上記の意味不明の通信は、次のような陣形を指示したものであった。(*等幅フォントでない場合、画像が乱れることがあります)


                      ドイツ戦車部隊

 

     イギリス軍戦車部隊(進行方向↓)   第1大隊(進行方向↑)

 

                        第1中隊

 

 

 

                      第2中隊 第3中隊

 

 

 

                        第4中隊

 

          ドイツ戦車部隊

 

        第2大隊(↑を向いて停車)    連隊本部小隊および

 

      第5中隊       第6中隊    第9中隊

 

            第7中隊

 

 

 

            第8中隊

 



 大隊長たちが第4中隊と第8中隊を後退させたのは、戦車に対してあまり威力のない短砲身75ミリ砲の戦車が、この中隊にまとめられているからである。こうした機動の速さは訓練で身につけるしかなく、それが当時のドイツ戦車部隊の大きな強みになっていた。


「側面に回り込め」


 今度はイギリス軍の指揮官が檄を飛ばす番である。しかしながら、第2大隊にこの好位置を許した時点で、すでにイギリスは敗北していた。


 イギリス戦車は射撃しながら殺到してくる。ところがイギリス戦車の命中弾は、ドイツの主力戦車の装甲に弾かれてしまう。実はドイツはフランス戦での戦訓から、厚さ30ミリの表面硬化鋼板を初期型の3号戦車の前面にボルト止めし始めていて、イギリス軍の40ミリ戦車砲ではほとんどこの装甲を破れなかったのである。神がイギリスに許した平等な条件は、砲声の大きさだけであった。


 砂漠のいたるところにイギリス戦車が残骸をさらし、生き残りも降伏の道を選ばざるを得なかった。戦いは一方的となった。イギリス軍は序戦において、戦車戦力の半数を失った。半数? そう。ギリシアと枢軸国の関係が小康を保っていることから、イギリス中東総軍は手厚い予備を擁していたのである。ウェーヴェル将軍は守勢に転じることを決め、戦車部隊の喪失で前線に空いた穴をふさぐため、残りの戦車部隊を初めとする増援を送り込んだ。


「さて…」


 マンシュタイン大将は迷っていた。


 モーデルの師団は終日の戦闘で消耗しきっている。春とはいえ灼熱の砂漠で、よんどころなく日中の遭遇戦が継続したのである。リュットヴィッツの師団はそれを迂回して進み、イギリス軍の段列(補給物資を持っている後方部隊)をいくらか捕捉したが、まだイギリス軍の増援には遭遇していない。

 

              地 中 海

 

 

 

-------------------------------------

 

=========アウグスタ戦車師団▲============街道===

 

                  |ハルファヤ峠

 

         アリエテ戦車師団 |    イギリス軍増援?

 

                  |

 

                  |(エジプト=リビア国境)

 

     第3戦車師団モーデル  |

 

                  第15戦車師団リュットヴィッツ

 


 偵察機は断片的な報告をよこしてくれるが、マンシュタインにはイギリス軍の総規模が分からない。ロンメルのアウグスタ戦車師団の突破が成功していれば、リュットヴィッツを北上させてロンメルと手を握り、一気にハルファヤ峠を制圧できるだろう。そうなればずっと少ない守備隊で街道沿いの戦線を安定させることができ、今後の戦略の自由度はぐっと広がる。


 やるとなれば、この夕刻であった。夜の間に、イギリス軍の増援は配置についてしまうだろう。


 ロンメルはどうしているだろう? マンシュタインはロンメルから直接事情が聞きたかったが、多国籍軍の不自由さゆえそれができなかった。マンシュタインは、派遣軍全体を束ねるイタリアのグラツィアーニ元帥に、突破の可能性について意見を具申することにした。


 グラツィアーニはロンメルの司令部に連絡を取り、ロンメルが前線に出ていて朝から不在であることを知った。司令部の把握するところでは突破はまだ成功していないが、ロンメルは新たなイギリス砲兵陣地が見つかるたびに制圧砲撃を命じていて、弾薬の使用量は牽制攻撃で許される水準を超えていた。参謀長はやきもきしていたが、師団長本人が帰ってこないので途方に暮れていた。


 グラツィアーニは考えた。ロンメルはマンシュタインが示唆する通り、ハルファヤ峠の正面突破を目指しているらしい。もし成功すれば、イタリア軍によるハルファヤ峠奪還が達成されることになり、昨年のグラツィアーニ自身の大敗走で失墜したイタリア軍の面目をいくぶん取り戻せる。しかしリュットヴィッツの侵入はかなり危険で、下手をすれば敵中に取り残されて壊滅的な打撃を被る。リュットヴィッツの部隊なしでも、ロンメルは峠の一角を食い破り、政治的事件としては十分な戦果を上げるだろう。


「ロンメルはハルファヤ峠を突破しつつあり。侵入の判断は軍団長に一任する」


 これがグラツィアーニの返電であった。彼は失敗したときの責任を取りたくなかったのである。


----


「201高地の少し南に敵の榴弾砲がいる。砲撃できる部隊はいないか」


 ロンメルは砲兵連隊長に無線で掛け合っていた。


 こうした戦いでは、支援砲撃をする砲兵中隊と支援を受ける歩兵大隊・戦車大隊の対応関係が大体決めてあって、その大隊に砲兵連隊の観測班や連絡士官がついて行って支援砲撃を行うのが通例であった。ところがロンメルは最前線に陣取って、天下りに支援砲撃の采配を振るっていた。砲兵連隊長は偉いといっても行政上のことで、こうした現場での砲撃の割り振りをすることは任務のうちにないので、うんざりとロンメルの指示に従ってあちこちへ連絡を取っている。連隊本部だけでは何もできないからである。


 ロンメルはいくつかの観測班よりも突出した位置にいたから、ロンメルからは見えていてもどの砲兵中隊も射撃不可能な目標すらあった。そのようなときは、ロンメルは戦車部隊に正面攻撃を命じたり、歩兵部隊に「意外な角度からの奇襲」を命じたりした。要するに崖を登れ、というのである。断ったら自分で登ると言いかねないから、兵も士官も何の登山装備もなく、懸命に登った。誰もが、ロンメルの視線を背中に感じていた。それを喜んでいる者も、怖れている者もあった。大損害を出しながら歩兵部隊が制圧した砲座が、いくつかあった。


 イギリスの榴弾砲が発砲した。1キロ近い距離にあった3号戦車は、砲塔の前面装甲を打ち抜かれ、砲弾の誘爆も加わって天井が高く跳ね上がった。戦車部隊は一斉に後退を始めた。


 当時のイギリス砲兵部隊の主力であった25ポンド砲は口径87ミリである。これは当時の師団砲兵の砲としては小さ目であったから、射程で負けないように、砲身がやや長めになっていた。もし状況が切迫したときは、対戦車砲として使われることもあったが、こんなときは侮れない威力を発揮した。


 ロンメルがうんざりした表情の通信兵に、戦車連隊長を呼び出すよう言おうとしたとき、一部の戦車が再び前進を始めた。75ミリ短砲身砲を備えた4号戦車を持つ第4中隊である。


 まるで分列行進のように、戦車はぎりぎりの車間距離を保ちながら、狭い空間を高速で突っ切って行く。互いに連携するイギリスの砲座が次々に反撃する。直撃や至近弾を受けて数両が脱落するが、密集した隊形は崩れない。


 ほんの5分後、中隊は一斉に停車し、砲に仰角をかけた。イギリスの榴弾砲陣地を直接狙う角度である。轟音一声、榴弾砲陣地は火に包まれ、砲が不快な音を立てて、高い位置から斜面を滑落した。


「よくやった」


 ロンメルの声が無線機から響いたので、戦車部隊の兵士たちは驚いたが、すぐ事情を理解した。ロンメルは戦車連隊長の戦車に飛び乗って、その無線機を使っているのである。


「ドイツにも、君たちのような勇敢な兵士は少ない。あと少しで峠が取れる。一層の奮戦を期待する」


 護衛小隊のマルコは涙を流さんばかりに興奮していた。ドン・エルヴィーノは自分たちをカイロに連れて行ってくれる。マルコはそう確信した。


----


 マンシュタインは再びモーデルの第3戦車師団司令部まで進出したが、もちろんモーデルの司令部自体が昨夜より随分前進していた。モーデルの敬礼を受けたマンシュタインは、状況を尋ねた。


「我が師団はすぐにでも進撃可能です」


 それがモーデルの第一声だった。


「残敵の掃討は終了しつつあり、戦車部隊は再集結を完了しています。歩兵部隊もトラックのほとんどを維持しており、迅速な追従が可能です」


「残敵の掃討が未了ということは、各部隊への弾薬の補充が済んでいないということだろう」


 マンシュタインの口調には、ごくわずか冷たいものがあって、それがモーデルを震えさせた。


「それに使用可能な車両の回収は、私が特に命じておいたはずだぞ」


 モーデルは何か言いかけて、やめた。


「申し訳ありません」


 代わりに出てきた言葉は、これであった。マンシュタインには何もかもお見通しだ。


「だが礼を言うよ、モーデル将軍」


 マンシュタインは穏やかな口調に戻った。


「これで私は、迷っていたことに踏ん切りがついた」


 マンシュタインは、追撃を懇願するモーデルの姿に、ロンメルの心境を重ねあわせたのである。


「ロンメルは万難を排してハルファヤ峠を抜くだろう。リュットヴィッツは北上させる」


 モーデルは無表情を装う努力をしたが、無駄だった。


「モーデル将軍、こういうときは、楽しいことを考えるのが一番だぞ。君は今日の功績により、騎士十字章の授章を推薦される」


 推薦権のあるのはマンシュタインである。


「師団長として、部下の業績をまとめておいてやったらどうだ」


 下位の勲章の叙任権の多くは、師団長に委任されている。


「はい」


 モーデルの機嫌はいっぺんに直った。騎士十字章は軍司令官級の高官か、でなければ戦闘機やUボートの大エースがもらうケースが多く、陸軍の中級指揮官にはなかなかもらうチャンスが(このころは)なかった。


 普通の勲章は胸や袖につけるが、騎士十字章は首につけるので非常に目立つ。ロンメルはフランス戦でこれをもらっていたから、モーデルは非常にうらやましかったのである。


 ロンメルはついに、ハルファヤ峠の丘のひとつを登り切ったが、物資・機材・人員のいずれの面でも損失は大きかった。170両近くあった戦車のうち、まだ可動状態なのは100両ほどになっていた。損傷車両の多くは修理すれば前線に戻れる見込みがあったが、全損車両も少なからず出ていた。峠のような、隠れ場所の多い傾斜地での戦闘は戦車には向かないのである。


 上空をドイツ機やイタリア機が行き過ぎる。大型機が大西洋に駆り出されたために、この方面にいる枢軸機は小型機か旧式機ばかりであった。補給の困難さから、枢軸・イギリスのいずれも決定的な航空優勢を取れておらず、空軍は損耗の激しい対地支援よりも後方の移動妨害や飛行場攻撃に熱心だった。


 ロンメルは、薄れ行く夕日に照らされた、眼下のエジプトの大地をじっと見ていた。周囲を警戒する手配りをしながら、将軍はカイロを見つめていなさる、とマルコは思った。


 風を切る小さな不吉な音を聞きつけたのは、やはりロンメルであった。


「砲撃だ、伏せろ」


 当然予想される反撃であった。今も岩陰のあちこちに、無線機を持ったイギリス軍の小部隊がいくつも潜んでいるに違いなかった。この丘がドイツ軍のものになった時点で、ここは同時にイギリス軍の砲撃目標となった。イギリス軍はドイツ軍の進撃をここで阻止することはもちろん、ドイツ軍が砲撃観測地点としてここを使うことをも妨害するつもりであろう。


「曹長!こっちに来い」


 伏せていたマルコが恐る恐る顔を上げると、ロンメルが手招きしていた。何か用事があるのか。考えながら職業軍人として、マルコは命令に反応していた。ロンメルの隠れている岩の窪みに転がり込むと、至近に着弾があって、土砂の飛沫がマルコの肩にかかった。


「私の側がいちばん安全だ」


 それだけ? さすがのマルコもロンメルの顔を見返したが、ロンメルはすでにマルコに対する関心を失っていて、何か考え事をしているようであった。それにしても何という自信であろうか。


「通信班! 通信班はいるか」


 ロンメルが怒鳴った。


「曹長、峠全体の確保にかかるぞ。兵士を集めろ」


 ドイツ人の教官から学校で教わった機動戦の概念とは、ロンメルの命令はまるで異なっていた。これでは山岳兵の戦い方だ。歩兵を先頭に立てて、本気で高地伝いの戦闘をしようというのである。


 そのとき、耳が割れるような音と共に、マルコの隠れていた岩が砕けた。


----



「ロンメル将軍! 閣下!」


 マルコは周囲を見回したが、煙幕で様子が分からない。どうやらイギリス軍は砲撃を打ち切るに当たって、煙幕弾を打ち込んできたらしかった。それが着弾の衝撃で、風化した岩を崩したのである。半ば手探りで調べて見ると、砕けた岩はちょうどロンメルのいたあたりに崩れ落ちていた。


「ああ、明日っからイタリアに太陽は要らねえ、ドン・エルヴィーノを返して下せえ」


 マルコは天を仰いで祈りの言葉を叫んだ。叫びの後には涙が続いた。次の弾が来るかもしれないという恐怖すら、マルコの脳裏から追い出された。マルコは声を上げて泣いた。


「ここにいたのか曹長」


 肩を叩かれて振り向いたマルコの顔を見て、さすがのロンメルも1歩後ずさりしたほどだから、よほどの驚愕の表情だったのであろう。


「通信兵が見当たらないので、探しに行っていたのだ」


 ロンメルは何事もないという表情で説明した。ほんの数歩の差が、生死を分けたのである。


「歩兵連隊と連絡はついた。明朝の払暁を期して、峠に立てこもるイギリス軍に対して夜襲をかける」


 ロンメルの頭の中では、イギリス軍はすでに包囲されてしまっていた。


「護衛小隊は直ちに偵察に出てもらう。すぐに兵を集めたまえ。この一帯の警戒は歩兵連隊から人を出す」


 マルコは事情が飲み込めなかった。ロンメルが生きていたことは納得するとして、なぜマルコの護衛小隊が偵察に出されるのだろう?


 ロンメルはいらだたしげに言った。


「早くしろ。置いて行くぞ」


----


 リュットヴィッツはロンメルとの合流を果たすべく、ハルファヤ峠を目指し北上していた。砂漠のことゆえ、普通の意味での包囲は困難である。ハルファヤ峠周辺のわずかな地域のイギリス軍を2個師団で挟撃して、この要地を確保してしまえば、それより南に点在する陣地はイギリス軍が黙っていても放棄するだろう。


 第15戦車師団の任務には困難な点があった。西に国境守備隊が残っているというのに、東からの反撃があるかもしれない。長い側面の両側をイギリス軍にさらしながら、ハルファヤ峠の東側を押さえなければならない。リュットヴィッツは結局、砲兵部隊のほとんどを置いて行くことに決めた。こうした部隊は戦線の数キロ内側に配置されるべきもので、移動中を狙われればひとたまりもないからである。空軍から借り受けている8門の88ミリ重対空砲と、マンシュタインから6両だけ預った新型兵器が頼りである。


 すでに日は暮れ落ちている。前方に小さなライトを点けただけの戦車群は、左右を警戒しながら相当の速度で進んでいく。夜の間に50キロを移動しなければならないが、敵前での移動速度を考えると、かなり野心的な計画であった。つまり時間的に余裕がないので、途中で戦闘になると、夜が明けたとき敵中に孤立しているる恐れがあった。


 国境を守るわずかなイギリス軍が、位置を知られる危険を冒して第15戦車師団の移動を伝えたことが、新たな戦闘の端緒となった。イギリス軍は前日の大損害で消極的になっており、戦車部隊をすぐに投入しようとはしなかったが、ありったけの砲兵をリュットヴィッツの移動阻止のために投じてきた。


 片やリュットヴィッツは止まってはならない。砲兵は後方に置いてきている。夜の間にイギリスの態勢はどんどん整っていく。夜明けになって敵中に孤立していては第15戦車師団は集中砲火を浴びるし、ロンメルは兵力不足で峠から追い落とされるかもしれない。是が非でもロンメルと合流しなければならないのである。


「グラスヒュプファーは使えないのか」


 指揮車からリュットヴィッツは独立中隊の指揮官を呼び出した。


「敵の砲の位置は分かるだろう」


 夜であるから一層、10キロ向こうの発射炎がよく見える。


「命中は期待しないで下さいよ」


 指揮官は応じた。


「十分な観測機材がありませんので」


「それでいい。戦車部隊が接近する間、敵の砲撃を牽制してくれ」


 リュットヴィッツは簡潔に言った。


 グラスヒュプファーはわずかに6台。それでもこれは、ドイツが手にしたこの種の兵器のうちで、最初のものだった。


 グラスヒュプファーは次々とその主砲に仰角をかけた。


「装薬4」


 小隊長の指示が伝達される。


「フォイアッ…フライ」


 少数だが危険な光の槍が、夜空を駆け抜けた。


 グラスヒュプファー(バッタ)は、フランス製のロレーヌ牽引車に、これもフランスから捕獲した75ミリ旧式野砲(第1次大戦当時の主力兵器)を搭載したもので、砲兵の運用する自走砲としては3号突撃砲に次ぐものであった。同種の車両であるヴェスペはまだ実戦部隊に配備されておらず、既存車両に間に合わせの改造を施したこの車両が、かえって早く戦場に現れたのである。最新の砲に比べるとやや射程に難があったが、素早く移動してすぐ射撃態勢に入れる利点を生かせば大きな戦力になる、と期待されていた。


 グラスヒュプファーは数発撃っては移動することを繰り返した。イギリス軍の砲兵はこのような武器の投入を予測していなかったから、突如優勢なドイツ砲兵が現れたと判断して混乱した。従来型の砲ではこんなに迅速に移動して射撃態勢に移れないので、ドイツは夜の間に非常に多くの砲を集めた、と思ってしまったのである。イギリス砲兵が位置を知られることを警戒して砲撃を鈍らせている間に、決定的な十数分が経過してしまった。


 その間に、リュットヴィッツの戦車部隊は向きを変え、イギリスの砲兵陣地を目指して突進した。当然イギリス側では、歩兵が砲兵陣地を守って手前に布陣していたから、これがまずドイツ戦車部隊とぶつかった。


 イギリス軍も急な展開なので歩兵陣地が深く掘れていない。その陣地をドイツ戦車は機銃弾を撒き散らしながら次々に駆け抜けて行く。時折深く掘られた部分にぶつかって立ち往生する戦車があると、すぐ近在の戦車が駆けつけて応援する。


 しかしイギリス軍も歩兵がついてきていないことを見て取り、手榴弾で応じる。エンジングリルの上に手榴弾が乗ったときが最悪である。破壊されたドイツ戦車は多くはなかったが、たまたま破壊されたものに生存者はほとんどいない。


 戦車部隊の先鋒がイギリス砲兵部隊を射程に収め、射撃を開始したその時、暗闇の中から別の砲声が轟いた。イギリス軍の新型対戦車砲、6ポンド砲(口径57ミリ)である。対戦車砲部隊の指揮官が機転を利かせて、独断で夜間の移動を行い、ぎりぎりのタイミングで射撃態勢に持っていったのである。このさい、友軍歩兵への誤射などかまっている余裕はなかった。


 ドイツ軍は損害の増大を避けて、本来の進撃コースに戻って行った。イギリス砲兵が砲火を開いてから、すでに1時間近くが経過していた。この間にリュットヴィッツの歩兵部隊はトラックを連ねて猛進し、砲兵部隊の射程を逃れてしまったのである。


 夜が白んできた。ハルファヤ峠の陣地の砲は主にリビア側を向いて据え付けられているから、リュットヴィッツがエジプト側から攻撃すれば短時間で制圧できるはずであった。第15戦車師団は勇み立って攻撃位置についた。


 ところが、である。峠の尾根を双眼鏡で眺め渡したリュットヴィッツは、まず息を呑み、次いでため息をついた。


 尾根のそこかしこに、イタリアの三色旗がこれ見よがしに広げられていたのである。


 ロンメルの猛襲によって、大損害を出しながら、ハルファヤ峠は夜のうちに完全に制圧されていたのであった。



ヒストリカル・ノート


 ドイツ軍用軽便鉄道の標準的な建設速度は、1日あたり4~5キロでした。この作品では、アフリカでは多国籍部隊の統制や物資調達の不自由さが加わって能率が半分になり、ベンガジとトリポリの両方から作業にかかっても1000キロに200日くらいかかる、と想定しています。


 1943年以降に装甲兵員輸送車がある程度揃ってくると、戦車部隊に文字通りはさまれるように歩兵が進むのが標準的な陣形とされるようになりました。この場合でも、戦車部隊と共に前進するのは装甲兵員輸送車をあてがわれた一部の歩兵だけで、それ以外の歩兵は(戦闘地域に入ると)戦車部隊の後を徒歩でついて行くのが普通であったようです。大戦初期には、歩兵は可能な限り迅速に戦車の後をついて行くのが精一杯でした。戦車に便乗するのは振動と騒音で歩兵の疲労が激しく、被弾時の損害も大きかったので、いつも行われたわけではありません。執筆当時は知りませんでしたが、ソヴィエト軍が戦車に歩兵を乗せているのを1941年6月22日のバルバロッサ作戦直後に気づいたドイツ軍は、現地判断でその月のうちに真似をするようになりました。そして、どういうときにそれが大損害につながるのか、身をもって学んでいくことになりました。


 この世界でのドイツ戦車師団(とアウグスタ戦車師団)は、戦車連隊に史実にはない第9中隊を持っています。おっちゃんは戦車師団の数を増やさないように注意しながら、それぞれの戦車師団を史実より(平均的に)強力にしようとしています。


 砲兵隊の名誉のために付け加えておくと、文中で観測班と呼んでいるのは、実は砲兵中隊本部そのものです。砲兵隊のスタッフは決して、安全なところから指揮を執っていたわけではありません。


 グラスヒュプファーは架空の車両です。史実ではこの車体はもっと砲身の長い75ミリ対戦車砲を搭載して、1942年以降に自走対戦車砲として使われました。ただ車体も小さいしエンジンの出力も低いので、少し小さ目の砲を積んだほうが実用的なものになったでしょう。75ミリ旧式野砲は、これも1942年以降に対戦車砲として手直しされて支給されましたが、いくつか技術的に無理な点があって、結局榴弾砲代わりに使われることが多くなりました。

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