第13話 あらがう人びと
ユーゴスラビアの首都、ベオグラードは、ここのところ少々景気が悪い。ユーゴスラビアは参戦していないものの、参戦国に囲まれる格好になってしまったために、貿易が振るわないのである。ドイツとフランスが人手不足で農業生産が振るわないあおりを受けて、特に農産物の価格上昇が国民生活を直撃していた。
それでも、街には人の暮らしがあり、音楽があり、喫茶店があった。
「雨は農産物に良いですな」
喫茶店の屋外の椅子に腰を下ろした山高帽の紳士が、何気なく隣の席の髭の紳士に話しかけた。
「特にタケノコにはいいでしょう」
髭の紳士は応じた。山高帽の紳士は、重そうなかばんをふたりの中間にそっと動かした。
ウェイトレスが山高帽の紳士から注文を取って帰ってゆくと、髭の紳士は硬貨をじゃらりとテーブルに並べ、かばんを持って立ち上がった。
「お気をつけて」
山高帽の紳士は言った。
「ありがとう」
髭の紳士は応じた。
かばんの底には、ドイツ軍のエニグマ暗号の傍受記録が詰まっていた。ユーゴスラビア軍の施設を使って、反ドイツ派のセルビア人将校がひそかに傍受したものであった。
どうやってそれを解読するのかは、イギリス人たちは教えてくれなかった。重要なことが書いてあればよいのだが、と山高帽の紳士は願って、最近とみに値上がりしたトルコ産コーヒーを口にした。
山高帽の紳士は、こうしたことにあまり慣れていなかった。もし慣れていたとしたら、喫茶店の隅で新聞に顔を半分埋めている、赤ら顔の紳士の視線に気がついたかもしれない。
エニグマ暗号機は、ドイツ軍が用いている暗号と平文の変換機である。イギリスはいくつかのルートでエニグマ暗号機の現物を手に入れる一方、コンピュータの導入で試行速度を引き上げ、世界各国で収集されたエニグマ暗号を片端から解読している。
エニグマ暗号にはいろいろなタイプのものがあるが、比較的低いレベルの部隊同士で送られる通信は、アルファベットをモールス信号の形で送るものだったので、それほど特殊な装置がなくても傍受し記録することができた。解読のための原データは、ドイツ勢力圏の周辺にある英領や中立国から毎日届けられていた。
短距離用通信機によるエニグマ通信を捕まえようと思えば、近くに受信基地を構える必要がある。そうした観点からは、マルタ島の失陥は大きな痛手であった。
----
「ああロージィ、ぼくはもう我慢できないんだ」
「何をなさるのウィンストン様。いけませんわ。あーれー」
担当者はパンチアウトされた結果を見て、顔をしかめた。まただ。
イギリスはロンドンの郊外、プレッチリー・パーク。ここは世界最初のコンピュータ群を備え、ドイツのエニグマ暗号を解読できる世界唯一の施設である。つい最近になって、空軍・海軍・情報部の使っているエニグマ暗号の解読に相次いで成功した。
ところが、である。最近、ドイツのいくつかの発信源から、暗号による連載小説が発信されるようになってきた。内容は、ウィンストンという名前の稀代のプレイボーイが公爵夫人から街の花売り娘まであらゆる女性と遍歴し、最後には日本近海にあると言う女性だけの島を目指して出港し、南大西洋でUボートに沈められるというものである。ウィンストン・チャーチル首相をからかったものであることは明らかであった。
----
「今日のイギリス向けのエニグマ発信は、どうなっている」
「は、ウィンストン物語5話分を発信いたしました」
ドイツ国防軍情報部長・カナリス海軍大将は、土曜の夕食前のひとときをヒトラーと2人だけで過ごしていた。
最近、ヒトラーはいわゆる総統会議のパターンを一新した。従来、ヒトラーはヨードルなどごく少数の側近との長い打ち合わせに時間を費やし、側近たちの判断をさんざん聞いた後で全体会議に臨んでいたので、本当に政治的な調整が必要な事柄(例えば、陸海空の資材割り当て)に十分な時間が割けなかった。
ヒトラーは軍や各省庁、そして党組織にそれぞれ持ち時間を割り振って、ヒトラーと側近たちの前で要求事項についてプレゼンテーションさせることにした。その上で、カイテル元帥やボルマン官房長に、利害関係を調整して原案を作るようその場で命じた。元の訴えがヒトラーの耳に届いていたし、関係する部門は自分の持ち時間を使って反論することもあったから、側近も恣意的な調整はできかねた。そして1週間経っても調整がつかない場合に限ってヒトラーは直接介入して、調整のための委員会を作らせたり、総統としての裁定を下したりした。
これによって、ヒトラーに生の情報が届くようになり、最終決定のための全体会議の時間は大幅に短縮されたが、ヒトラーは差し引きするとひどく忙しくなった。そのため、ヒトラーの夕食会はウィークデーに関しては自然消滅してしまった。
そのかわり、ヒトラーはウィークエンドの夕食にはシュペーアやウーデットなどの常連に加えて、普段会えないゲストを積極的に招くようになった。まあこれには実のところ、色々な理由がある。ヒトラーはゲストたちにサインブックに記帳するよう求めるようになっていて、グデーリアン上級大将が呼ばれたときなどは、ヒトラーはサインブックを寝室に持って上がって、枕元に置いて寝た。
こうしたゲストたちは、早い夕方に夕食の場所-たいていは総統官邸-に来るように言われていて、夕食前にヒトラーと面談する席が設けられていた。これはまたとない陳情の機会となっていて、従来ヒトラーとの面会者を決めるのに大きな影響力を持っていたボルマン官房長は、これを快く思っていなかった。
「ギリシアとユーゴスラビアには、変わった兆候があるかね」
「特にございません。イギリス情報省とイギリス軍の情報部のエージェントが盛んに活動しておりますが、両国の政府から厳しく監視されている模様です」
「くれぐれも武力をちらつかせてはいかんぞ。あのような山がちの国は、武力で征服できるものではない」
ヒトラーは確信を込めてそう言ったので、カナリスは怪訝な顔をした。もちろんおっちゃんは、細かい点は覚えていないにしても、チトーに率いられたユーゴスラビアのパルチザンが非常に強かったことは覚えている。
「戦争を早期に終結させるためには、もはや参戦国はひとつも増えないのが良いのだ。ユーゴスラビアとギリシアには、適度に友好的で安定した政権があることが望ましい」
カナリスは心を決めたように、言いにくいことを口にした。
「ギリシアはかねてより、アルバニアに進出したイタリア軍を脅威と感じております。両国の友好関係を増進するような行動を起こして頂ければ、ギリシア政府は必ずや感謝することでしょう」
ヒトラーとムッソリーニはギリシア侵攻を取りやめたけれども、アルバニアにいるイタリア軍は増えも減りもしていなかった。有り体に言って、イタリアのギリシア侵攻計画は、現地軍だけでそのまま侵入するという、ギリシア軍をひどく見くびったものだったのである。とはいえ、この部隊はギリシアにとっても、ユーゴスラビアにとっても脅威であった。
「統領に話してみよう。マルタ島の脅威が取り除かれたことでもあるし、アルバニアにおけるイタリア陸軍は縮小の余地があるかも知れん」
ギリシアが軍事的にドイツの脅威とならないとしても、ギリシアが親独的でないと困る経済的な理由が、ひとつあった。クロムである。
クロムは、優秀な鉄鋼を作るための添加物として絶対に必要だったが、クロムの鉱山はヨーロッパ周辺ではギリシアとトルコ、そしてソビエトに集中していた。ドイツの国内備蓄も極めて薄かった。
トルコは今のところ、ルーマニア経由でクロムを輸出してくれていたが、何分にもドイツと国境を接していないので、いつ連合国に転ぶかわかったものではない。もしソビエトとの不仲が顕在化したらと思うと、ギリシアにそうそう人の良い顔ばかりを見せているわけにも行かない。しかしながら、ギリシアはギリシアで周囲の国がみな親枢軸に傾きつつあり、ドイツを貿易のお得意先として確保しなければ、経済が立ち行かない弱みがあった。ギリシアがドイツの軍事負担を増やさず、クロムとオリーブ油(ドイツ人は乳製品が不足したため、マーガリンを大量に消費していて、植物油脂の安定供給は重要である)を売ってくれるのが、ドイツにとっては最も良いのである。
カナリスは第1次大戦ではUボート艦長を務めていた人物で、簡単に迷いを表に出す性格ではないのだが、このときは迷いが表に出た。
「提督は迷っておられるな。ドイツが最も早く戦争から抜け出すために、提督にできることは何か」
ヒトラーはひとりごとのように言った。
「総統閣下!」
ヒトラーの呟きは、聞きようによっては、逆心をとがめる言葉であった。カナリスは慌てた。
「提督の願いは私の願いでもある。私にできることがあれば、教えてもらいたい」
ヒトラーはカナリスと鼻を突きあわせるように身を乗り出した。カナリスがぼそぼそと話し始めたとき、おっちゃんは、カナリスを獲ったと確信した。
----
それから数日して、総統官邸に1台の軍用乗用車がやって来た。
「元帥をお招きしたのは、3つのお願いがあるからだ」
ヒトラーはルントシュテット元帥が着席すると、単刀直入に切り出した。ルントシュテットは(元帥の席次ではカイテルに次いでいたが)陸軍の最古参将軍と言っても良かった。
「まず、フリッチュ大将の名誉を回復する件について、相談に乗ってもらいたいことがある」
ルントシュテットが目をぎょろりとさせたので、ヒトラーはたじろいだ。ルントシュテットはどちらかというと痩せ型なので、相対的に目が大きい顔立ちである。
「私は自ら演説を行って、彼に対する処置が不当であったことを確認し、彼の長年の功績とポーランド作戦における振る舞いに対し、元帥号と騎士十字章を追贈しようと考えている」
ヒトラーはそこまで言って、また次の言葉が出てこなくなった。ヒトラーは、ルントシュテットが笑ったところを初めて見たのである。その笑顔はすぐに消え、ルントシュテットは言った。
「今日は国防軍にとって、誠に良き日であります」
フリッチュ大将は、現任のブラウヒッチュ元帥の前の陸軍総司令官である。ヒトラーの英仏に対する戦争計画に反対したため、同性愛者であるとの嫌疑をでっち上げられて職を解かれた。フリッチュはポーランドとの戦争が始まると、出身砲兵連隊の名誉連隊長として、最前線へ危険な偵察行に赴き、望み通りの戦死を遂げた。
フリッチュは陸軍の将校たちに人望があり、彼に対する処置は陸軍とヒトラーの間のしこりとして残っていた。この点でヒトラーが自らの過ちを認めれば、国防軍の中での反ヒトラー感情は一気に沈静化する。自ら反ヒトラーの急先鋒であったカナリスは、それをよく知っていたのである。そしておっちゃんはもちろん知らなかったけれども、ルントシュテットはフリッチュの解任当時、激昂して総統官邸に駆け込み、ヒトラーと直談判したものであった。
「元帥杖と騎士十字章を遺族に伝達するために式典を催しても良いのだが、それよりも元帥が国防軍の戦友として遺族を訪問して、親しく手渡して頂くのが良いように思われるのだ」
「わかりました。喜んでそうさせて頂きます、総統」
数秒考えて、ルントシュテットは答えた。ルントシュテットは職業軍人としての視野の狭さはあったにせよ、明晰な頭脳を持っていた。実際には、ヒトラーが過ちを認めると言っても、式典まで開くことは無理であった。総統は無謬でなければならないからである。おそらく総統はラジオ演説の中でフリッチュを褒め称え、曖昧に責任を認めるのであろうとルントシュテットは思った。
フリッチュ本人はもはや回復された名誉を堪能できない。だがここまで譲っておいて、例えばヒトラーが遺族に会わないことを不誠実とみなす将軍の声が漏れ聞こえたり、遺族が元帥杖を受け取らなかったりしたら、ヒトラーとしても立場がない。そのことを踏まえて、ヒトラーはルントシュテットに、暗に将校団と遺族へのとりなしを頼んでいる。ルントシュテットは瞬時にそれを理解し、協力を約束した。
「もうひとつの件は、陸軍総司令官の人事についてだ。ブラウヒッチュ元帥の心臓病が悪化していて、退任の願いが出ている。後任について推薦すべき人物がいれば、推薦してもらいたい」
あらかじめこうした申し出をすること自体、陸軍との関係改善を目指したヒトラーの配慮であった。
「さあ、私はもう老齢でありますので、もう少し若い将軍たちの意見を聞いて頂ければと存じますが」
重大事だけに、ルントシュテットはゆっくりと言葉を選びながら答えた。
「ハルダー参謀総長を陸軍総司令官に進めることを考えているのだが、どう思われるかな」
「誠に適任かと存じます」
ルントシュテットは即座に答えた。ハルダー上級大将は少々保守的な指揮をするきらいがあるが、鍛え抜かれた職業軍人であった。もう50代も半ばを過ぎているから、若すぎると言うこともない。ルントシュテットとしては、軍事に政治を持ち込みそうな人物が総司令官にさえならなければ、あえてヒトラーにたてつくつもりはなかった。ルントシュテットなど多くのドイツ軍人の感覚では、軍人はあれこれ政治に口を挟まず、黙って最高司令官たるヒトラーに従うものなのである。ヒトラーは肯いて、この一件を閉じた。
「さて、最後のひとつだが…当面、その…」
ヒトラーは言いにくそうにした。ルントシュテットは自ら申し出た。
「私からもお願いがあるのですが」
「何かね」
「辞職させて頂きたいのです」
ヒトラーとルントシュテットは、互いに苦笑いした。ヒトラーが言いたかったのもそれなのである。
日本のシステムでは、「元帥は終身現役」であったとよく言われる。これは、元帥府と言う一種の軍事顧問委員会の終身メンバーとして扱われ、俸給も出ると言うことである。ドイツではこういう制度がないので、元帥でもポストを失うと予備役に編入されて、恩給がもらえるだけである。実のところ、1875年生まれのルントシュテットは大戦前から(フリッチュの一件で嫌気が差したと言うこともあろう)引退したがっていて、そのたびにヒトラーから慰留されていた。
「実は、防諜上の理由で、偽の作戦をな」
ヒトラーは説明した。カナリスとヒトラーは相談して、偽作戦をいくつかでっちあげて、それに沿った命令や問い合わせをエニグマ暗号などで発信していた。そのうちのひとつに、100人の陸軍軍事顧問団を各種の車両の設計図と共にUボートで日本に送る、と言うものがあった。ルントシュテットをその団長に擬したいので、しばらく公的な場に出るな、というのである。ルントシュテットはまったく異存がなかった。去年の秋に、初孫が生まれたばかりである。かわいい。
「できればこのまま引退してしまいたいものです」
ルントシュテットは正直に言った。
「それは予断を許さないな。コートはよく手入れしておいてもらいたい。もし再び元帥を呼び出さねばならないとしたら、任地は寒いぞ」
----
「もしお知りになりたいのでしたら、総統の評判は上々よ。官邸の中でだけど」
エーファは言った。
「どういう点がかね」
「このごろボルマン官房長があまり呼ばれないからよ」
エーファとヒトラーの仲は、茶飲み友達としてはずいぶん進展しており、かなりきつい冗談も言い合えるようになっていた。
ヒトラー政権の高官たちは様々な形でその特権を行使したが、ボルマンは総統の秘書として働いている若い女性にしばしば手を出した。ボルマンは1900年生まれだから40がらみの、ややでっぷりとして頭髪が薄くなりかかった中年男である。現代日本ならセクハラの4文字で片づけられるこの状況を秘書たちが喜んでいるはずもなく、エーファに至っては憤激していた。
「私は時々、自分がドイツ人のように思えてきた」
ヒトラーは言った。
「それは、ドイツ人の話を、自分でよく聞いていらっしゃるからよ。もうあなたはどこから見てもドイツ人だわ。あなたの代わりに、ボルマンなんか日本に飛んで行っちゃえばいいのに…あら、ごめんなさい」
エーファ・ブラウンは明るくなってきた…とおっちゃんは思う。まだ吉本に入れるほどではないが。
「日本とアメリカの関係は、ひどく悪化している。このままだと、もうすぐ戦争が起きるだろう」
「まあ」
ぼやくように打ち明けるヒトラーに、エーファは同情の声を漏らした。イーファはそのことがドイツに与える影響までは頭が回らないようだった。
そのときヒトラーはどうすべきか。いや、その前に、ヒトラーは日本の利害とドイツの利害のどちらを優先させるべきなのか。
ヒトラーの悩みは尽きなかった。
----
「実は最近、党の古い戦友たちから、最近の総統閣下のなされようについて相談を受けておるのです」
親衛隊本部でヒムラー長官と懇談するボルマン官房長は、どこか落ち着きがないように見えた。自分の城を離れ、ライバルの牙城に飛び込んだ実力者は、多かれ少なかれこうなるのかもしれなかった。
ヒムラーは相づちを打たなかった。今はボルマンのほうが苦しい立場にある。最終的に同盟を結ぶとしても、自分から言質を与える必要はなかった。
組織が急激に大きくなるとき、細かい計算と配慮のできる管理者の感覚を持った人間が求められる。そしてたまたまそうした才能を持った野心家が組織にいると、権限が集中する結果になる。NSDAP(ナチス党)とボルマンの関係がまさにそれであった。単にナチス党経費の出納を一手に引き受けていただけではない。ナチス党バッジの着用率からジャガイモの闇市場への流出に至るまで、ボルマンはあらゆることに目を配り、党組織を通じて対策を指示した。ゲーリングが1ヶ月狩猟に出ても誰も気がつかなかったろうが、ボルマンが1日寝込めば数千人の党官僚がそれに気づいたろう。
ボルマンとて、すべての事柄に口を挟めたわけではない。党の古参幹部はそれぞれ固有の縄張りをもっており、形式上の上下関係よりも、ヒトラーに認められた既得権が物を言う場合がしばしばあった。例えばゲッベルス宣伝大臣はラジオと映画については絶対的な権限を持っていたが、新聞は宣伝省新聞局長のディートリヒがヒトラーの直接の信任を得た形になっていて、ゲッベルスは新聞とラジオの報道内容の食い違いに気がついても、自分の言い分を一方的に下僚のディートリヒに押し付けることはできなかった。
ヒトラー政権はドイツの地方自治体制を骨抜きにしたので、党の地方組織は事実上の地方自治体として、地域の利害を中央に反映させ、また地方行政を行う組織となっていた。例えば配給切符はこれら党の地方組織によって管理されていた。ボルマンは党組織を一手に握っていたから、権益範囲は広く薄く全国に広がっていた。しかしボルマン自身が総統から裁量権を奪われてしまうと、地方の要求とヒトラーの方針の板挟みにあって悶々とするのも、またボルマンの立場なのであった。
「総統は以前から、古い友人に対して友情を惜しまない方であられたのだが」
ボルマンはいつしか額いっぱいに冷や汗をかいていた。
「最近は他のことに心を奪われておいでのように思われる」
ヒトラーも特に信念があってそうしているわけではない。しかし党の古参闘士が個人的な思い出話を始めたら、いくらヒトラーがドイツに慣れてきていても、ぼろが出ずにはいない。自然とヒトラーは党幹部との面会を避けるようになる。そして何か問題が起きるたびに、まず現在の担当者の話を虚心に聞いて問題点を探したのだが、それはまさに従来のヒトラーがまったくやらなかったことなのである。政治や行政については素人である古参幹部たちにとって、現状はひどく不快なものであった。
「国防軍との関係改善が、急速に進んでいるようですな。陸海空の最高司令官がみな入れ替わってしまったが、新しい司令官はどれもみな旧弊な軍人どもです」
ヒムラーはやっと口を開いた。
「そうです。例えば長官どのを陸軍総司令官に任命することは、まことに適切であったと思うのですが」
ボルマンは秋波を送った。
ヒトラーは1940年秋以降、戦車師団や自動車化師団の増設を厳しく制限していた。20個戦車師団と10個自動車化師団は、(師団あたりの戦車定数が減るのを嫌って)師団増設に反対していたグデーリアン上級大将にちなんで「グデーリアンの30」と呼ばれていたが、これ以降の機械化師団増設はすべて却下された。
ヒムラーは事ある毎にヒトラーに訴え続けて、武装親衛隊からようやく2個戦車師団(ダスライヒ、トーテンコープ)と1個自動車化師団の創設に漕ぎ着けたが、ヒトラーのボディーガードをもって長年任じてきたゼップ・ディートリヒが子飼いにしているアドルフ・ヒトラー連隊は、いまだに師団昇格が認められていなかった。
ヒムラーはすでにドイツ全土の警察機構を管轄範囲に収めていたが、いずれ国軍全体を党の名の下に掌握しようと、機会を狙っていた。ヒトラーが国防軍といい関係になってしまうと、まことに困る。そうしたヒムラーの懸念を、ボルマンは察した。
この日に交わされた約束は何もない。しかし政治家として、両者が得たものは大きかった。互いに、相手の利とするところをつかんだからである。
ヒストリカル・ノート
執筆当時、解体途上であったとはいえ、ユーゴスラビアという名前の国はまだありました。
第一次世界大戦が終わった後、イタリアの東、オーストリアの南に、セルボ・クロアート・スロヴェーンという長い名前の国ができ、後にユーゴスラビアと改名しました。この地域には多くの民族が住んでおり、オーストリアにとってはすべて異民族であったとしても、長い歴史の中でそれぞれの民族は勢力を伸ばしたり失ったりしていたので、主導権争いは熾烈でした。
ユーゴスラビア最大の勢力はセルビアであり、第二次大戦期にはクロアチアはドイツに接近して、クロアチア独立国を立てました。
ソビエト連邦の政治的・軍事的圧力という重石がなくなり、セルビア、クロアチア、スロベニアなどの小国家に分かれましたが、それでもクロアチア紛争やボスニア紛争が起きました。
実際には、暗号傍受は1字間違っても作業全体が無駄になるため、イギリス軍が他国人のデータを使ったかどうかは疑問です。
陸軍の戦術レベルのエニグマは、一時期を除いて解読できなかったようです。原理的に解読できないと言うより、使われているキーの種類が多すぎて効率が悪かったのでしょう。1943年春以降、陸軍の上級司令部同士でのみ使われる、専用変換機を使った暗号が解読され、これがノルマンディー上陸以降の戦局に大きな影響を与えました。
イギリス情報省の外国出版局は、中立国で世論をイギリスに有利に導く宣伝活動を行う公然組織で、そのアタッシェは各国大使館と協力してイギリスの新聞や映画の普及などに当たりました。大戦勃発後、日本でも歴史家として知られているE.H.カーが局長に就任しました。




