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飢えた赤馬(あるいは、走り回る失火)






 場所はクラインミア王国南東部に位置する深い森に囲まれた田舎町。夜行性の動物が活動を開始する時間ともなると町は闇に飲まれ、雲の切れ間から時折差し込む月明かりだけが足下を照らす頼りとなる。


 こんな時間に外を出歩けば道を見失い、たちまち更に闇深い森へと吸い込まれていってしまうだろう。獰猛な野生動物も町の周りを闊歩し、とてもじゃないが安全な時間とは言えない。


 しかしそれ故に、よからぬことを企む者にとってはこれ以上にない絶好の機会となる。


 暗闇に溶け込むような真っ黒な外套を羽織った男は、周りに注意を向けながら教会の裏口の扉を開けた。素早く中に入ると、板張りの床を音を立てないようにそろりそろりと進んでいく。そのまま講壇へと上がり、壁のそばにそびえ立つ神の姿を模した像を見上げた。


 像は細やかな彫刻が施されているものの、大部分が石膏でできておりそれ自体に大した価値はない。だが、その像の手に握られた剣は違う。その2メートル弱の刀身は現在では入手することが困難な金属でできている。そして、柄の部分にはルビーやダイヤといった本物の宝石が使われており、窓から差し込んだ月明かりに照らされてキラキラと光り輝いていた。


 男は外套を脱ぎ捨てると、ふぅっと深く息を吐いた。次の瞬間、男は壁に向かって走り出したかと思うと、飛び上がって1回2回と人間離れしたスピードで壁を蹴って、一瞬にして像の頭の上まで駆け上がった。


 男は、神が天に向かって掲げる剣に顔を近づけた。近くで見ると、宝石がより一層輝いて見える。一夜にして大金を手に入れる喜びと神の上に立つ優越感を存分に味わいながら、男はゆっくりと剣へと手を伸ばす。そのときだった。


 ギーっという何かが軋む音と共に、天井に吊されたシャンデリアに灯がともる。男は何が起きたか理解できず、驚きで体を跳ね上がらせながら周囲をオロオロと見回した。


 音がした方に視線を向けると、先ほどまで閉ざされていたはずの大扉が開いており、そこに1人の人影が揺らいでいる。


 その光景を視界に捉えたのも束の間、人影のそばが一瞬明るくなったかと思うと、砲弾ほどの大きさの火の玉が男めがけて一直線に飛んできた。


 男は間一髪のところで像から飛び降り、火の玉をかわす。床に着地してもなお、何が起きたのか完全には理解できていない。しかし、ただ一つわかることがある。それは、このままでは非常にまずいということだ。


 こつ、こつとゆっくりと男に近づく足音が教会の中に鳴り響く。男が恐る恐る顔を上げると、その人影の近くがまた明るくなった。


 先ほどは遠すぎてそれが何なのかわからなかったが、今度ははっきりと見えた。その明かりが、先ほど男めがけて飛んできた火の玉であったこと。そして、それが小柄な少女の手に灯されたものであるということが。


 「みーつけた」


 少女は男の顔を見てそう言うと、ニッコリと笑った。火に照らされたその顔にはまだあどけなさが残っているが、それが男の目には悪魔のように映っている。


 燃えさかる炎を、まるでボールでも扱うかのように手のひらの上で転がす少女の姿に、男は底知れぬ恐怖を感じた。


 男は床に落ちた外套を拾い上げて身に纏うと、大扉を目指して全速力で駆け出す。


 少女も少女で、いきなり自身の方へ突進してくる男に驚いたようで、慌てた様子で火の玉を投げつけた。男はそれをジャンプで回避すると、そのまま少女の遙か上を飛び越えて丁度少女と大扉の中間に着地する。


 いくら火の玉を投げてくると言えど、外まで出てしまえば撒くことは容易だろう。男はそう考え、振り返ることもせず全力で足を動かした。


 そうして、外まであと数メートルと目前まで迫り、安心しかけたそのとき、突如目の前にある木製の大扉が燃え上がった。


 男は急ブレーキを掛けて、なんとか火の直前で止まることができたが、バランスを崩して転倒し、天井を仰ぐ。


 少女は倒れた男に飛びついて馬乗りになると、すかさず顔面を殴りつけた。男も必死に腕で攻撃を防ごうとするが、それを引き剥がすように何度も拳を打ち込む。


 そのうちに、腕と腕との間に大きな隙間が生じた。そして、少女は大きく拳を振り上げる。


 男はそのとき思い出した。「飢えた赤馬」と呼ばれる神術士のことを。その神術士は炎を操り、数々の盗賊や悪事を働く神術士を打ちのめしてブタ箱送りしてきたという。そして、驚くべきことにその神術士はまだ16歳の少女だそうだ。


 間違いないく今男の目の前にいる少女がその神術士だろう。しかし、そんなこと今わかったところでどうすることもできない。男にできることといえば、顔に振り下ろされる拳に備えて歯を食いしばることだけだった。


 男にとどめをさした少女は、はーっと息を吐いて全身を脱力させる。久しぶりに悪者を捕まえること仕事ができた。少女は満足感を覚えながら目を閉じて天井を見上げる。


 ゆっくりと瞳を開けると、メラメラと揺らめく炎が視界一面に広がっていた。


 「きれい……」


 少女は、自らの下でノビている男の存在など忘れ、天井で煌めく宝石のような光景に見惚れた。不規則に動く炎が星空とは違った趣を出し、少女の心に安らぎを与える。


 天井を見上げてから数十秒。煌めきは衰えることなく、むしろ勢いを増したように見える。そこでようやく、少女は自身が置かれた状況に気が付いた。


 最初に男を狙った火の玉が壁に火を付け、それが気が付けば天井にまで燃え広がったようだ


 すると、最初に燃え始めたであろう壁の丁度真上あたりの天井が大きな音を立て崩れ落ち、像の頭部に直撃する。砕けた石膏の破片が足下に転がった。


 神術士といえど、炎を操るだけでは倒壊を止められない。天井が崩れ去れば、自らの運命もあの石膏像と同じだ。


 「やばいやばいやばい!」


 少女は、叫び声を上げながら男を引きずる。行く手を阻む炎に手をかざしてその勢いを弱めると、大慌てで大扉をくぐり抜けた。


 外に出ると、ヒンヤリとした夜風に肌寒さを覚える。一息つこうとしたのも束の間、教会の屋根は凄まじい音と共に崩落する。


 その衝撃で大扉から勢いよく溢れ出た熱風が、少女の肌を焼いた。


 真っ暗だった町は、天にまで届かんばかりの巨大な炎に照らされる。その熱気を帯びた光は、その後丸一日の間おさまることはなかった。






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