4.目指せ歌姫
おことの先生の巻
箏の先生の名前は四辻忠順様。和琴と箏が家業である四辻家当主で権中納言の四辻季遠様の親戚だそうだ。
「ごんちゅうなごんってなに?」
四辻家の別邸に向かいながら、私は父にたずねた。
「政を行う太政官の官位名だ。一番偉いのが太政大臣で、次が左大臣右大臣。その次の大納言の次…簡単に言うと四番目に偉い方だ。」
太政大臣が総理的な立場だろうか。その下の大臣の下だから、副大臣とか事務次官的な役割なのかな。
昔、大好きだった大納言あずきとは関係なさそうだ。
「正官は摂関家しかなれないから権官だがな。まあ格式は同じだ。」
「……??んー、とにかくすごいひと、ですか?」
「ああ。太守様様や太原雪斎様と親交があるからこうして四辻家の方と繋がることができる。心して参ろう。」
国の中でも偉い人と仲が良い、今川義元様は実は凄い人なのかもしれない。
立派な邸宅に案内された。大きな松や、青紅葉が彩っている。
長い廊下を抜けた部屋に、烏帽子をつけたおじ様がいた。義元様が好んでつけていたものに似ていて懐かしさを覚えた。
手元には箏が三つも用意してある。
「話は伺っておる。其の方が瀬名か。さっそく一曲披露してくれ。」
挨拶も早々に箏の前に案内された。私は戸惑って後ろを振り返ったが、何も言わずに深く頷いた父を見て、調弦をし、指を弦へと滑らせた。
さくらの曲を歌いきると、四辻様は「ふむ。」とだけ呟いた。どうだったか尋ねる前に、もう一曲と催促される。私は小学校で習った故郷を歌った。
四辻様は神妙な顔つきで私の歌を聞いていた。指がトントンと曲に合わせてリズムをとっている。
「いかにいーます ちちははー。つつがなーしや ともがきー。あーめに かーぜに つーけーてもー。おもひ いーづる ふるさとー。」
歌が二番目に入ると四辻様は急に目頭を押さえ始めた。私が三番目を歌いきる頃には、涙を拭きながら笑っていた。
「…おわりです。いかが…でしたか?」
様子を伺うように、ゆっくりと手をとめて言葉を発した。四辻様はこちらの目を見て、次に父に目を向ける。
「この歌は誰が作った?」
「瀬名にございます。」
「…そうか。瀬名は人の心を動かす歌をつくるのう。」
「わたしがつくったのではありませぬ。てんからいただいたのです。」
自分が作ったとは罪悪感があって言えずに、変な言い訳をしてしまう。だけどすんなり受け入れられてしまった。
「天か。それならば納得ぞ。」
四辻様は絶対音感でもあるのか一回聴いただけで耳コピしてみせた。
私が弾いた旋律を、そっくりそのまま弾きながら話を続ける。
「聴けば聴くほど、ふるさとが思い浮かぶ音よ。戦火から逃れてきた我にはひどく心に沁みる。この天からの贈り物を聞かせてくれたこと、感謝致す。」
「い、いえ…。」
感激して嬉しそうに話す姿に、思わず恐縮してしまい、つまりながら返事をした。
「さて、年はいくつだ?」
「…よっつになります。」
「神童か。まさに天に選ばれし者よのぅ。」
四辻様は綺麗に整えた髭を撫でながら、私の頭の先から膝までをゆっくりと見た。
先生が私に興味を持ったと感じたのだろう。後ろにいた父がずいっと私の横に並び頭を下げる。
「忠順様、瀬名に箏の師事をして頂けないでしょうか。才がある娘ですが、私の手元では教えが不十分にござりまする。伸びるものも伸びませぬ。」
父の言葉に間髪入れず、四辻様は膝を叩いて答えた。
「もちろん!快諾するに決まっておろう。これほどの童と出会えたのだ。駿府に移り住んだかいがあるというものぞ。」
「…有り難き幸せに存じまする!…瀬名っ!」
深々と頭を床につける父を横に見ていると、背中に手を当てられた。私も急いで両手を着き、頭を下げた。
「ありがたき、しあわせに、ござります。」
「五日に一度、通いにくるがよい。歌の教え手も紹介いたそう。歌は箏より得意としておらぬようだ。」
ギクっと私は肩を小さくすくめた。
歌うのは好きだったが決して上手い方ではなく、合唱ではいつもピアノの伴奏をやっていた。
カラオケでも70点から80点をウロウロする程度である。
生まれ変わっても歌唱力は変わらなかったようだ。
「歌も箏ほど秀でることが出来れば、どこに嫁いでも苦労しないであろう。」
「ほう…!」
四辻様の言葉に私は思い切り食いついた。
つまり、歌姫になればどこに行っても愛されるということだろう。
いつの時代もアイドルは人気者というわけだ。
「せな、がんばりまする…!」
「紹介状を渡す。文を出しておくからそれを持って冷泉家に行くと良い。和歌、連歌も学べよう。」
「冷泉家まで…!!恐悦至極に存じまする…!!」
誰か知らないが、父のかしこまり方から察するにすごい人らしい。
トントン拍子で四辻様に気に入られて、箏の稽古だけでなく歌のレッスンまで決まってしまった。
これは戦国の歌姫を目指せというお導きなのかもしれない。
私を蕾が芽吹きはじめた少女のように胸を躍らせながら、父と帰路についた。
ーーーーー
さっそく四辻忠順様の稽古が始まった。
想像以上に厳しく、弾き方を間違えればすぐに扇子で床を叩かれ、何度も何度も弾かされる。催馬楽や風俗歌と呼ばれる古い曲もたくさん覚えさせられた。
半年で50曲は超えていた。
「ただまささま、このきょくはいつひくのですか?」
「…帝や公卿や殿上人が演奏する催し、『御遊』でよく弾かれたものよ。今は都は荒れ果てて、宮廷ではそんなことをする余力は一切ない。生きていくのに精一杯だ。」
「……ひくきかいは、ないのですね。」
「本来の場所ではのう。だが、義元様は駿府の館で宴を開いてくださる。雅楽や和歌を大事にしてくださるのだ。武田や北条にもそれを伝えようとしておる。其方が弾く機会は多くなるぞ?」
「…っ。こころえまする…。」
「為益…冷泉殿から聞いておるが、歌の覚えも良いようだな。」
紹介された冷泉為益様から和歌や連歌の指導を受けていた。歌は歌でも五七五七七の短歌の勉強であった。
問われるのは歌唱力ではなく、古典や知識や組み立てる頭脳である。
3歳の記憶力抜群の脳みそと精神年齢が大人の勉強意欲が合わされば歌もどんどん上達していく。
だが、これは本当に歌姫に近づいているのだろうか?
「期待しておるぞ?瀬名姫殿。」
夢のアイドル、そして将来に繋がると信じて黙々と修練するのみであった。
読んで頂きありがとうございました。
四辻家は藤原北家の流れをくむ、室町家のことです。
冷泉為益は権大納言冷泉為和の息子です。
為和は今川義元に和歌を教えたり、仲良かった人です。
今川家の使節として武田や北条にいったり、アクティブな公家さん。
次話は明日の20時投稿です。