19.薫る家族の情
家族と職人の巻
泣いていた帰ってきた私と父を、母と兄様達が何も言わずに抱きしめてくれたあの日から1ヶ月が経つ。今川義元様の養女になる事が決まり、準備も進めていたが、義元様の正室である定恵院様の容態が悪いため暫く延期となった。
「母上…分かりましたよ…。この上品な香りは…寸聞多羅の沈香!つまり一番最初に聞いた香です!」
今は母と鵜路丸と部屋でわいわいと聞香をして遊んでいる。後悔を嘆くよりも持船城でのあと少しの生活を、日々楽しむ事にした。
「ふふふ…。瀬名もまだまだね。この香りは寸聞多羅と同じく最初に酸が香るけれど余香は甘が残るわ!つまり羅国よ!」
「確かに、羅国のほうが甘さが強い気するぞ。…だが鵜路丸は沈香より、白檀の香りの方が好きだっ!」
嗅いでいる沈香がインドシア産の寸聞多羅かタイ産の羅国かを当てるゲームをしていた。笑い声と共に甘い余韻が部屋に広がる。
「母が井伊家にいた時は、香道で遊ぶなんて夢のまた夢だったわ。太守様の養妹になったからこそ、今こうやって結婚や子供に恵まれたの。最初は寂しいかもしれないけれど、瀬名もきっと太守様に感謝する日が来るわ。」
母が聞香炉の中の香木と銀葉を火箸で外しながら、穏やかな声で私に話しかける。母の鼻筋の通った横顔に憂いは無い。
「母上は人質として今川家に行ったのに…苦労はしなかったのですか?」
聞き終わった香木を空薫用の香炉に移しかえる母に私は尋ねた。母は私を見て微笑みながら答える。
「ええ。太守様は兄弟を亡くされている分とてもお優しかったし、煌びやかな生活にも感動したものだわ。人質ではなく瀬名の事をかって養女にされるのだから、もっと良い暮らしが出来るわよ。皆で会いにも行けるから不安がることは何もないわ。」
母の言葉に頷く前に、鵜路丸も乗り出して私を励ましてくれる。
「鵜路丸も元服したら毎日でも駿府に行くぞ!瀬名と会えるように氏真様の好きな蹴鞠も歌も囲碁も出来る様になる!」
鵜路丸は鼻息を荒くして私に顔を寄せた。後ろにいる母はクスクスと笑っている。
「ふふっ…母上も鵜路兄様もありがとうございます。おかげで家族が増えるだけだと喜べそうです。」
今後、どんなに高級な香木を楽しめる様になっても、この持船城に染みつく潮の香りは決して忘れる事がないだろう。家族との会話と一緒に噛み締めるように心に刻んでいると、摩耶から声をかけられる。
「水入らずの所を申し訳ありません。島田鍛冶の五条広助殿が参られておりますが、待たせてよろしいでしょうか?」
「瀬名。聞香も終わった事だし、気にせず行っていいわ。鵜路丸と碁打ちをする約束もしてたから。」
いってらっしゃいと手を振る母と鵜路丸に甘えて私は頭を下げて席を立った。
「母上、鵜路兄様、ここで失礼致します。良き時間でございました。」
「ええ。また夕餉でね。」
山城にはつきものである夏霧で暗くなった廊下を歩いて、五条広助を待たせている庭へと向かう。庭には五条広助だけではなく、もう二人の男が一緒に来ていた。
「広助殿、城に来たのは依頼したものが出来たから…ってわけでは無さそうだね。」
「従来の平鍬と唐鍬は出来ましたよ。それを納品するついでにこいつらが姫様に会いたいって言うもんで連れて来たんですよ。」
一人は筋肉隆々な男で、もう一人は背の曲がった癖毛の男だ。二人とも広助変わらないぐらい若い。
「あっしは、島田で木工職人をしておりやす、甚太郎と申しやす。広助からこの水を使った臼の絵図を見て、どうしても姫様に会いたいと広助にお願いしたんでごぜぇます。」
甚太郎と名乗った筋肉隆々な若い男は私が書いた絵図を広げて見せた。
「えっと…絵図が分かりにくかった?…それとも作ってみたけどダメだった?」
不安になって甚太郎に尋ねると、大きく首を横に振り、両手を左右に振り、全身で否定してくれる。
「いやちげえ!!まっこと良き物が出来たんでぇ!ぜひ見てくだされ!」
甚太郎が風呂敷から鹿威し式の臼のミニチュア版を出してくれた。
「これが小さくして作ってみたものだが、ちゃんと動くんでさぁ。支える点を横にずらして試してもみたが、傾きの事を考えると水の入る口に近づけると良かったんでござぇやすよ!ほら!先端につけた杵がしっかり下を叩いておりやす!」
甚太郎が竹の水筒から水を垂らすと、カコンと音を立てて杵が臼をついた。支点の部分もしっかり木で結合しており安定している。想像通りの出来と風流な音につい感嘆の声をもらした。
「おお…。上手くいったんだ…。じゃあ、これを用宗の土地に作ってもらってもいい?水を引けるように父には手筈をとるから。」
「ええ!もちろんでござりやす!こんなすごい発明はすぐにでも作るべきでさぁ!すぐに大きな材木を準備しやすよ!」
自分が発明したわけじゃないのは申し訳ないが、甚太郎が手を叩いて満面の笑みで褒めてくれるのでつい照れてしまう。
「名前はなんとしやす?瀬名臼か、関口臼か…。」
「恥ずかしから名前を使うのはやめて。単純に水臼で良いよ。…それより、もう一人の用件を聞かせてくれない?」
私の名前を付けようとする甚太郎を静止して、猫背の癖毛の男に話を振った。膝を地面につけたまま、頭を上げて男が恐る恐る話し出す。
「し…島田とは大井川を挟んで向かいにある…し…志戸呂で焼物をつくっております、か…金谷灯吉と申します…。」
「陶芸家の灯吉殿ね。…もう少し肩の力を抜いて喋っていいよ。」
おどおどして言葉が詰まってしまう灯吉に、焦らなくて良いと声をかける。一段低いところに腰掛けて、彼に目線を合わせた。
「は…はい…。し…志戸呂の土は赤や黄色で鉄分が多く、焼物に向いている良質な土なのですが……とても硬く、臼で土を柔らかくするのに苦労するのです…。」
「ほう、ほう。」
鉄の土とは珍しい。焼物だけでなく、他の用途でも使えそうだ。私は灯吉の話にじっくり耳を傾ける。
「ひ…広助や甚太郎から水臼の話を聞いて、ぜひとも我が窯にこの水臼を作りたいと思ったのですが…なにぶんそんな余裕がなく…。」
下がった眉と上目遣いで訴える彼の姿は、プードルのようだ。沢山の農機具を依頼して、お金がカツカツの私はすぐに返事は出来ない。
「なるほど。支援して欲しいということね。瀬名にではなく、父上や太守様にお願いしてみたら?」
「…つてが全くなくてですね…ひ…姫様のお取り次ぎをお願い出来ないでしょうか?」
身分が違うと会うことすら出来ないのを頭から抜けていた。電話してアポとってプレゼンして…などは出来ない時代なので、後ろ盾が必要な職業は大変である。
「そっか。瀬名から父上に頼んでみる。ただ、どんな物を作ってるか分からないと決めずらいだろうから、今度焼物を持って来てくれる?」
「あ…有り難き幸せ…!」
灯吉は目に涙を浮かべて何度も何度も頭を地につけた。身なりのボロボロさからいって、だいぶ苦労していたのだろう。私が良いと言ってもなお、私が立ち去るまでずっと頭を下げていた。
その晩、茶道教室と焼物の話をすると、家族みんなが賛成してくれた。特に父と正長が乗り気である。
「瀬名、父上や母上だけじゃなく俺や鵜路丸にも茶の湯を教えてくれ。また京に行く機会があれば茶会に参加出来る様になっておきたい。」
「喜んで。皆、茶を点てれるようになれば、駿府の茶会でも会えますね。」
「灯吉という者には、関口家の思い出になる焼物を焼いて貰おう。金をやる分、良い物を作ってもらわねばな。」
山雀が美しい声で鳴く夏の夜。蝋燭の火はいつまでも私達家族を照らし続け、愉快な声が遠くまでこだましていた。
読んで頂きありがとうございました!
志戸呂焼は江戸時代に入る頃、家康の手によって再興され遠州七窯にも選ばれるんですが、この時は衰退してました。
鉄の土といえば…今後、主人公が手を出す分野を予想できる方もいるのでは?
ブクマ・評価・感想ありがとうございます!日間ランキング1位になって驚いてます!!本当に本当に嬉しいです!!




