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Trefoil

作者: アルミ

 普通なら誰しも、昔は当たり前にできていたことが、久しぶりにやってみるとなかなかできない、という経験があるだろう。小学校のころに連続十回転ができていた鉄棒が、高校生になってからやってみると三回くらいしかできなかったり、簡単に作れていた折り紙の折り方を一部忘れていたりなんて話は珍しい話じゃない。

 しかし、昔よく見つけられた四つ葉のクローバーが探しても見つからないというのは、果たして自分のせいなのか、それとも環境が変わったのか、はたまた人為的な原因があるのか……何が問題なのか知る由もないが、少なくとももう四時間以上探してるのは確かな事実だ。

 ちらりと腕時計を確認すると、時刻は既に七時を回っていた。まだ九月の初めであるためか、この時刻でも比較的明るめなのは助かるが、それでもすでに十分薄暗くなっていた。

 急がなければ。ポケットからスマホを取り出し、ライトをつけて辺りを照らす。先日降った雨の水滴が光を反射して、三つ葉が一層瑞々しいように感じられる。そんな三つ葉の群を、乱暴にかき分けて目的の物を探す。

「こんな時間までそんな這いつくばるようにしてたら、いくら男でも危ないぜ、兄ちゃん」

 唐突にかけられた聞きなれない声に、顔をほんの少しだけ上げる。薄汚れた服に剃っていない髭、最近街中で見かけないよれよれの中折れハットに穴を開けて被っている、そんな男が立っていた。

 返事をしてもよかったが、早く見つけなければという焦燥感と、なかなか見つからない苛立ちのために、無視をして顔を下げ探し続ける。見ていないためどのような顔をしたかは分からないが、反省するかのような声色で続ける。

「いや、悪い。急ぎの訳があるんだよな。じゃなきゃそんなことはしねえもんな」

 そう言いながらも、どこかに行くような様子はない。邪魔をしないでくれるだけありがたいが、気が散るからできれば遠くに行ってほしい。そう思いながら、しばらく三つ葉を掻き分ける音以外のない時間が流れた。

「こんな身なりの俺が、幸運の象徴とされるような四つ葉について言うのもなんだが、四つ葉っつーのは群れになってるとこにあることが多いらしいぜ。後端っこのほうを探すと見つかりやすいっていう話も聞いたことがある。なんでかは知らんがな」

 動かしていた手を止めて、再度男のほうを見る。見ても男の表情からは何を考えているのかは分からなかった。ただ、目線だけはハッキリと向いていた。真剣な鋭い目だったが、それに威圧するような雰囲気は全く感じなかった。

「兄ちゃんが何でそんなことしてるか深くは聞かねえし、今の話だって聞き流してくれても構わねえ。ただ、兄ちゃん急いでんだろ?それも多分、自分以外の誰かのために。そんなガキ見かけて何もしねえってことはな、なんか違ったんだよ。要は俺のやりたいことをしただけだから、あんま気にすんな」

 そう言って男は踵を返す。その頼りのない背中から、小さな子供に対して父親が諭すような声が聞こえる。

「しっかり見つけろよ。兄やんのような奴の頑張りが無駄になるなんて浮かばれないからな」

 踵を返して歩き去っていく背中に、口を開こうとしたが、冷たい態度をとった手前、どう言えばいいのかわからずに口ごもる。それでも礼はしなければならない、そう考えたときに男の言葉が被さる。

「さっさと探せよ。手遅れになる前に」

 振り向きもせずに聞こえた声。あの男がどんな人かは知らないし、実際そんなに大したことのない人なのかもしれない。だが、少なくともこの時は、感謝と尊敬の意を込めて頭を下げた。




 もう一人同じような人がいたならば確実に怪我をするような速さと注意力で疾走する。通りを歩く人々が怪訝な顔をしているだろうが構わない。息が上がり、汗が噴き出て止まらないが構わない。カラーコーンを倒しても、信号が点滅していても構いはしない。ひたすらに、ただひたすらに走り続ける。

 駐車場についてようやく膝をつく。短い呼吸を何回も繰り返し、息を整えようとしても収まらない。それでも、ただ一点を見据えて再び歩き始める。一秒でも早く着かなければ、ポケットに入った小さなケースに触れながら、それだけを考えて足を動かす。

 そして、ようやく病室に辿り着いた時、視界に入った光景は、一番想像したくなかったものだった。

 椅子に腰かけ手で顔を覆い肩を震わせている女性と、その肩に手を置いて俯いている男性、目を伏せがちにして沈黙を保ったままの看護師と医師が数人がベッドを取り囲むようにしていた。そしてそのベッドの上には、周囲の雰囲気には似つかわしくない、目を閉じて穏やかな顔をした少女が横たわっていた。

予想できていたことだったし、覚悟も既に決まった気でいた。それでも、その信じたくなかった光景を前にして視界が歪む。平衡感覚が狂ったような気がして、このままでは倒れそうな感覚に陥るが、真っ直ぐ伸びた両足はピクリともズレを修正しない。頭を抱えて、恥も外聞もなく泣き叫びたい衝動にも駆られるが、ダランとした両腕も動かせず、不思議と涙が出ない。ただただ、少女の顔を見つめて、理解してしまった現状を受け入れられずにいた。

 ふと、女性の肩に手を置いていた男性がこちらに目を向けた。少女の顔から視線を少しも動かさなかったためにハッキリとは見ていないが、その瞬間男の目は吊り上がったのだと思う。そうでなければ、今少女に向けていた視線を天井に向けてはいないだろう。

 ようやく動いた左手を頬に添える。熱を持ったその頬からは、朦朧としていた意識の中でも殴られたことを教えてくれる。

「お前が、お前が、お前のせいでっ!!」

 医師や看護師が動きを抑えているその男は、狂気ともいえる光をその目に宿して睨みつける。まるで敵を討つかのような勢いの男は、取り押さえて説得を試みる医師たちを乱暴に振り解こうとする。いや、実際男からしてみれば敵そのものなのだろう。同じ立場だったらと考えると、その行動がおかしいと、どうして言うことができるだろうか。

「やめてよ!!そんなことしても何にもならないでしょ!!」

 女の悲痛な叫びが部屋の中に響き渡る。その声を聞いて男は我に返ったような表情をして動きを止める。その様子を見て医師たちも男を離したが、男の目は未だに鋭さを保っていた。

 そのまましばらく張り詰めた静寂が続いた。その時間は恐らく十秒に満たない程度の短い時間ではあったのでだろうが、何時間も続いたかのように感じられた。その静寂を静かに破ったのは、またしても女の声だった。

「ごめんね……あなたが悪くないのは分かってるの……でも辛いのよ……」

掠れたような、しかしハッキリと拒絶の意のこもった声だった。後ろを向いたままの女の背中はとても小さく見えて、罪悪感をより一層増幅させる。

 そんな複雑な感情のまま、今は家族だけにしてあげてくださいと医師に促され、病室を後にする。廊下を出てからもしばらく女のすすり泣く声が背後から聞こえていたが、歩を進めるにつれてその音もだんだんと小さくなり、やがてまた静寂が訪れた頃に足を止める。ポケットから小さなケースを取り出し、ケースの蓋を開けて、中に入った四つ葉のクローバーを取り出す。

 何が幸せの印なのか。こんなものを見つけたところで何にもならないじゃないか。彼女は既に死んでしまった。だから四つ葉なんて嫌いなんだ。

 右手につまんだ四つ葉のクローバーを地面に叩きつける。大きな質量を持たないそれは勢いを落として音もなく地面に落ちる。そのまま足を挙げ、思い切り踏みにじる。彼女が死んだことへの憤りを、なんの幸運ももたらさなかった憎しみを、そして四つ葉に八つ当たりをする自分の惨めさを込めて、何度も、何度も、何度も、何度も。

 何回踏んだのかもわからないほど踏みつけて、新緑が黒ずんだ緑へと変化した頃にようやく動きを止める。肩を上下させ、荒々しく息を吐く。大きな動きもしていないのに、病院に来たときよりも息が乱れた。

 ふと顔を上げると、目の前に男が立っていた。いつの間にかそこにいた男は、地面に落ちた四つ葉を少しの間見つめ、そして右手に持っていた封筒を差し出してくる。息を落ち着かせながらその封筒を見つめていると、男が口を開く。

「お前とはあまり面識はないが、お前のことはアイツからよく聞いていた。お前が責任を感じるのも無理はないが、あまり思いつめんな……」

 そうして封筒をさらにズイと押し出す。その封筒を受け取ると、男はそのまま正面に歩き出す。恐らく先程の病室に向かうのだろう。

男の姿が見えなくなったぐらいの頃、受け取った封筒を開いて、その中に入っていた1枚の紙を取り出す。そこに書いてあった、短い言葉。

「あの場所に来て」

 その言葉を見て、思い出す。子供の頃からの、その呼び名。二人しか知らないのその呼び名を目にして、もう一度走り出す。

 病院の固い床を踏みしめる靴の音が。あの場所へと向かう足音が廊下に響いた。




  街の中で一番大きな山。その大きさから御深山という愛称がついており、子供の頃、山で遊ぶと言えば誰もが御深山を頭に浮かべた。そんな馴染み深い御深山の、なんのために立てられているのか未だに知らない石碑の近く、大きな桜の木の下が、彼女との「あの場所」だ。 彼女とよく遊んだこの場所の、北を背にして桜の木の正面に立ち、左に一メートルの位置の地面。触れてみると妙に柔らかく、最近掘り返された事が分かる。そのおかげで、道具を持っていなくてもすんなりと掘り返すことができた。

 最後に見たのはもう何年前だろうか。いわゆるタイムカプセルとされるその箱は劣化が進んでいたが、ついている土は見た目に反してあまり多くなかった。箱と手についた土を軽く払い落として、蓋を開ける。中には昔に入れた折り鶴やおもちゃ、一円や十円の小銭のような子供らしいものの他に、四つ折りにされた真新しい紙が入っていた。紙を開くと、子供らしい字ではなく、力なく弱々しい字でつづられた文章と、二枚の写真があった。一枚は元からタイムカプセルに入れていた、幼いころの彼女との写真。そしてもう一枚は、一年前のあの日に撮った、彼女と一緒に写った最後の写真だ。満面の笑みを浮かべた二人の姿を見て胸が痛む。少なくとも今、こんな笑顔をすることはもうできないから。


──────何から書けばいいのか迷いますが、まずは二人のタイムカプセルを一人で開けてしまってごめんなさい。これを読んでいるとき、私は既にこの世にはいないのでしょう。それまでに会えるかも分からないので貳お兄ちゃんに頼んで持ってきて貰いました。


「そうか……さっきの人がお前の兄ちゃんだったんだな……」


──────お前が言うな、と言われそうだけど体調は崩していませんか?ちゃんと学校に行けていますか?キチンと朝食を食べて、適度な運動をして、早寝早起きを心掛けないと、体を壊してしまいますよ。カズ君は昔からそういう事を疎かにしがちなので、私は心配です。あまり病人を困らせるようなことをしてはだめですよ?


「あんまし出来てないけど俺は昔から体だけは丈夫だからな……心配なんてしなくてよかったんだぜ」


──────あれから一年が経ちましたね。あの日、あなたは困った顔をしながら、私のわがままを渋々聞いてくれて、御深山に連れて行ってくれましたね。あの時見たシロツメクサは、今でも瞼を閉じれば浮かび上がるほど綺麗で、それをあなたと一緒に見ることができたのは、私にとってこれ以上にない楽しい経験でした。


「そうか……ごめんな……」


──────あの後体調が悪化した私を見て、父はあなたが原因だと罵り、殴りつけてしまいました。母も、何も言いはしなかったものの、その目はあなたを非難するような目で睨んでいました。私が頼んだのだと、何度言っても聞いてくれない両親のために、カズ君を傷つけてしまったこと、心から申し訳なく思います。本当にごめんなさい。


「違う……あれは殴られて当然だったんだ……」


──────でもカズ君のことだから、おそらく自分のせいだった、なんて思っているのでしょう。ちょうど今そう思っているんじゃないですか?カズ君はそんな人ですから。


「ハハ……よく分かっているじゃないか……」


──────だからこそ、何度言っても変わらないかもしれないけど、それでももう一度言います。どうか、お願いですから、自分のことを責めないでください。カズ君があの日してくれたことは、あまり外に出られなくなっていた私にとってこれ以上ないほど嬉しかったです。


「ああ……お前が喜んでくれたなら良かった」 


──────そうそう、この箱に入れていた四つ葉のしおりはもう見ましたか?あの時、欲しがる私のためにあなたが見つけてくれた四つ葉のクローバー。幸運のお守り、なんてあなたは信じていなかったけど。私と違って、特別な存在の四つ葉、それもあなたがくれた、とてもとても特別な四つ葉でした。


 その文章を読んで、俺は箱の中身をもう一度見る。そこには、最初見たときに気づかなかった四つ葉のしおりが入っていた。手に取ると、使い古された様子のあるそのしおりは、彼女がいつも持ち歩いていたものだった。


──────お別れの言葉っていうのが少し苦手で、どう言えばいいのか思いつきません。ならいっそのこと、お別れなんてなしにするってことで、そのしおりを持っていてくれるとありがたいです。カズ君が四つ葉のことをあまりよく思っていないのは知っていますが、もし持っていてくれるなら―――いや、持っていなくてもですけど。私はあなたのそばで見守っています。こんな終わり方しか出来ないことに自分の文才を恨みますが、ずっと言いたかったことを、ここに書いておきます。


──────大好きでした。これからもよろしくお願いします。


 最後の文を読み終えて、ようやく流れた一筋の涙。やけに明るい星空の中で目を閉じて、右手のしおりからぬくもりを感じる。好き嫌いなんて関係ない。彼女が持っていてほしいというのなら、俺はいつまでも大事に持っていよう。だけど。


「俺はそれでもお前が、お前のほうが好きだったよ。三葉」

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