序章(1) 令歴833年8月30日、大会最終日、フランス・パリ
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「言ってほしいことがあれば、男に頼みなさい。やってほしいことがあれば、女に頼みなさい」(マーガレット・サッチャー)
序章(1) 令歴833年8月30日、大会最終日、フランス・パリ
晴天、午前10時、遠くからは時を告げる大砲の音。照りつける夏の日差しもなんのその、パリ市民はここ一週間の間に繰り広げられた、さまざまな見慣れない競技イベントにすっかり魅了されて、ついに迎えたグランドオペラ最終幕の開演を前にして、昂ぶる興奮を抑えられないでいた。物見高い民衆はルーブル宮殿をめざしてそぞろ歩き、マスケット銃を片手にダークブルーのチョッキに赤いズボンを身にまとった衛兵達は二列縦隊になって行進し、人々が往来する大通りの両サイドはすでに見物人であふれかえっていた。女性達は笑みを浮かべ、子供達はあちこちを駆けまわり、男性達は大会の結末を巡ってはてしなく語り合っていた。
不意に群衆の一角から歓声があがる。ここ数日で株が爆上がりしている可憐な戦士達のご登場だ。「魔導兵」、一回り背の低い彼女達は、他のいかなる兵士とも違う、特異な軍装をしていた。黒い三角帽子は他と変わらないが、派手な彩色は控えた、ポケットの多い機能性重視のぴっちりとした灰青色の軍服。古代ローマのグラディウスに似ているが、もっと軽量化が進んで日本の脇差なみに刃が細くなった刃渡り50cmの小刀をベルトの鞘にぶら下げ、さらに短刀も3,4本は所持していた。背中には最新式の元込め式ライフル銃を帯びて、左手には鉄製の返しのついた籠手を装着していた。他には肩からぶら下がった小さな雑嚢と、左の胸元に女神アテナの横顔の刺繍が施されたエンブレムを除いて、余計な装飾は一切ないモダンな軽装であり、軍靴ではなく足袋を履かせたら日本の忍者にも類似した外見をしていた。
さらに異色なのは、彼女達が一様にまるでアルプホルンをもっとずんぐりにしたような、長さ2,5mほどの木製の大筒のようなものを右手に抱えていた所だ。先端部、中央部、尾部の3つを接合して作られているようであり、先端部には牛の角のようなハンドルがあり、中央部には人がまたがれるくらいの膨らみがあり、尾部だけ金属製で真後ろが朝顔のように広がっていた。
人々が好奇の目で見守る中、60人ほどの魔導兵達が二列縦隊で大通りを練り歩いていたが、先頭のリーダー格とおぼしき背の高い、いかつい風貌の女性兵士だけが、右足を引きずっている。全員がポニーテールの中、彼女だけがツインテールだ。
「隊長、本当に大丈夫なんですか。まだ安静にしてなくちゃいけないという診断なのに」
「うるさい、冷血ピカールごときにこれ以上いい気にさせてたまるもんか」
「今、3位なんですってね、彼女」
「まったくだらしがない。こんなに注目を集めているのに、もし優勝を逃したら、陛下にどう弁明をするのか。ああ、私が出場していたら!」
「負けたら王立アカデミー会長の座は空いたままなので、我々にとっては都合が良いかと」
「口を慎みなさい、プティ。今は党派根性よりも、アカデミーへの年金が削減される事態を憂慮すべきよ」
「かしこまりました、オズー隊長」
隊長は周りをみまわすと、急に足を止めた。
「ここら辺にするか。プティ副官、後ろに飛行の準備をさせなさい」
「了解しました。(振り返って)総員!飛行準備に就いて!」
隊員達が一斉に「スコープ」と呼ばれる例の大筒を右に立てると、見物人からどよめきが起こった。
「ほら、いよいよ空を飛ぶぞ。こりゃ見ものだ」
「おい、あんな小娘達がどうやって空なんか飛ぶんだよ」
「何日か前に、空を飛ぶ魔法陣の作り方をほらあいつ、キャベン、キャベンなんとかとかいうキザなイングランド野郎が解説してたな。あんまりよくわからんかったが」
「2種類の魔法陣を組み合わせて空に飛ばすって言ってたよね。白い魔法陣が物を浮かして、虹色の魔法陣が横に動かすって」
「お嬢さん達がみんな魔法陣を作りはじめたぞ」
「いいなー。わたしもつくりたいー」
「ダメよ!あんなおぞましい悪魔の技なんて!私は悪魔の子なんて生んだ覚えはありません!さっさと帰ります!」額に十字を切って、母親は嫌がる娘の手を引っぱっていった。
「スコープの腹の部分を開けて、魔法陣を中に入れてるな」
「ひとりだけ魔法陣がうまく作れない女がいるぞ。何度指で楕円を描いても光らなくて涙目になってら。お、隣の奴が手を握って一緒に指をなぞって・・・やっと成功させた」
「聞け!これより我ら王立魔導守備隊は王都の警護に当たる!妨害者、占い師、詐欺師、間諜、盗賊、謀反人諸々のいかなる犯罪人もひとり残らず逃すな!この王都を汚す者は、我らが国王、偉大なるルイ14世陛下の玉座を汚す者と心得よ!」
オズー隊長の檄に、隊員達は力強く「Oui!」と答えた。一斉にスコープを横に倒すとふわりと宙に浮かび、見物人がどよめく間もなく、隊長が「各カルテット、所定の配置に就け!Aller!」と号令をかけた。一斉にスコープにまたがり、三角帽子を脱いでゴーグルを手早くかけて、先端部のハンドルを握った。中央部を中心にして、白い魔法陣は2mほどの光の輪になって横に広がり、虹色の魔法陣は1mほどの二重の光の輪になって縦に広がった。虹色の光の輪が強くなるやいなや、尾部から熱いジェットが噴出した。ゴーという轟音に辺りが包まれ、60人の魔導兵達が一斉に蒼穹へと翔け上がる様は壮観であり、まだ最終種目がはじまってもいないのに、群衆は興奮と歓喜のるつぼと化した。
王都、パリ。セーヌ川の中州、シテ島を中心に発展がはじまったフランス王国最大の都市。この大会当時、すでに都市化は相当進んでおり、人口は40万人をこえ、建物数は2万棟に達していた。都市を取りかこむ円形の城壁の内側には、3、4階の集合住宅が軒を連ね、整然とした建物群の中に、まれに大小のカトリック教会の尖塔が天を突き刺すように混じっている。シテ島にはノートルダム大聖堂が鎮座し、聖母マリア信仰の中枢であり、フランスカトリックの総本山でもあった。歴代フランス王宮であるルーブル宮殿の他、テュイルリー宮殿、リュクサンブール宮殿も改築が続けられており、いずれも市民には公開されていなかった。総じて公衆衛生はひどく、上・下水道も水洗トイレも整備されていない状態で、各家庭の生活排水が道端の溝に垂れ流しだったため、街全体が悪臭に満ち、人びとは香水が欠かせない。
この大会の7年前に、フランス全土でフロンドの乱と呼ばれる、貴族勢力と都市部の住民を主体とした、中央政府への反乱が勃発していた。王党派の巻き返し、特に魔導兵の必死の偵察や諜報活動の甲斐もあって、わずか2年で反乱軍は鎮圧された。だがまだ少年だった国王ルイ14世の身辺にまで危険が及び、一時は王党派がパリから避難するほどまでに追いつめられた。
午前10時15分、パリの西側郊外の上空。西方にあるイヴリーヌ県ヴェルサイユより出発した、全員女性の約50人の新宮殿増築担当部隊(通称イオン隊)は、警護の応援に向かうべく、雁のようなV字編隊を組んで、一路王都へとめざしていた。軍装は王立魔導守備隊(通称パリ隊)のそれとほぼ同一だが、軍服は青緑色。左胸には女神ラトナの刺繍が施され、背中に帯びた銃は元込め式ではあるものの、銃身にライフリングはされておらず、主に散弾を用いていた。
先頭にひときわ大きくてがっしりした体格の、ややちぢれ気味の長髪を丁寧に三つ編みのサイドテールにした、常に口もとには笑みを絶やさない、褐色の肌をした南国風の美女が、特注の大型スコープにまたがって部隊を率いていた。王立魔導守備隊とは違って、周囲の取り巻きにもあちこちに褐色の肌をした混血が点在し、外側に向かうほど年配の方が増えていくようであった。向かって右翼の一番外側に、ぱっと見40代前半とおぼしき仲の良さそうな二人組の隊員が、しきりに会話をしている。
「あら、あそこのカフェっておいしくないの?」
「ダメ、あそこはぼりやがるし粗悪な豆を使ってるし雰囲気は悪いし。それだったらセーヌの南に最近できたピロコップっていう店のほうが断然いい」
「あらそう、夜までやってる?」
「当然。先月新鮮な牛乳と混ぜたカフェ・オ・レという新商品が売り出されたけど、もう最高」
「あらおいしそう。ひと仕事終えたら直行しなくちゃ。ただ大会の後だと混みそうよねえ」
「大丈夫、まだそんなに流行ってないから。駐トルコ大使が国王陛下にカフェを献上しようという動きがあって、それが実現したら人気爆発でしょ。だから今のうち」
眼下はフォッス=ルポズの森を抜け、民家が点在する田園地帯にさしかかった。
「それよりもねえ、ちょっと飛ぶペースが早くない?息切れしてきちゃったわ。・・・ねえ!グラン!グラン・リシェ!もうちょっとゆっくり飛んではくれないかしら!このままじゃ隊列から離れちゃうわ!ねえ聞いてる!聞こえてなかったら誰かグランに『送信』してちょうだい!」
隊列の中央で数人が会話した後、先頭中央のリシェが表情ひとつ変えずに、隊員全員の脳内に直接「無線通信符号を送信」した。
「ソウインヘホウコク、タダイマノロッシタイインノモウシデハ、ジカンガナイノデキャッカシマス。リョウワキノレヴィ、オヨビグリッサンタイイン、ロッシタイインノエンゴヲタノミマス」
「もう!少しは古参をいたわってちょうだい!」
「なぜあなたは『通信』で伝えないのですか。地声をはりあげるなんて風音が邪魔をして面倒でしょうに」暗褐色の肌が美しい、30代前半とおぼしき細面で目の大きいグリッサンが割って入った。
「送信をすると後で頭が痛くなるのよ。あなたも私の年になればわかります」
「あと、もういいかげんに隊長と呼んでください。後輩たちに示しがつきません」
「あら、私にとってはあの子はいつまでたってもかわいくて礼儀正しいグラン・リシェよ。かわいくない反抗期のリシェちゃんと区別するためにもね」
「私の同志をからかうのはやめてください」
「グリッサン、早くロッシの援護を。もう隊列から引き離されかかってる。あなたの同志のさらに上官の命令を無視するの?」
レヴィが急かすと、グリッサンはため息をついてロッシのまたがるスコープの中央部に左手をつけた。レヴィが同じく右手をつけると、弱々しかったロッシのスコープのジェットがやや盛り返した。
「ああ、楽になったわ。ありがとう」
眼下にはゆったりとした丘陵に小麦畑が広がっていて、すぐ先の街道にちいさな教会が見える。日差しが綿雲に隠れて、一瞬涼しくなる。
「ところで、さっきからプチ・リシェちゃんを見かけないんだけど、どうしたの?」
ロッシが声をかけても、グリッサンは沈黙したままだ。レヴィが口を開く。
「またお留守番だって。王のペットたちの運動会には興味がないとさ」
「あら、それは言いすぎじゃない?せっかくの私たちの晴れ舞台なのに」
「国家ぐるみのイベントは、現実に起こっている問題を我々の目からそらす、一時しのぎのカモフラージュでしかない。これが我ら同志の見解です」グリッサンがようやく応答する。
「あらそうかしら、気晴らしも大事だと思うけどねえ、レヴィ」ロッシが異を唱える。
「あなたたちがなんと言おうと、私たちと等しく王のペットになってヴェルサイユがごとき田舎に閉じこめられて新宮殿の建造に従事している以上、発言に説得力はないよ。あなたたちの同胞を一刻でも救いたいなら今すぐにでも女神ラトナのエンブレムを引きちぎり、大西洋に出向いて海賊にでもなって奴隷船とやらを襲撃したらいかが。グリッサン隊員」
レヴィが手厳しく返答すると、グリッサンは赤くなった虹彩で眼光鋭くにらみつけた。次の瞬間、全隊員がグリッサンの方を振りむき、彼女たちの脳内には「Arrête!(ヤメナサイ)」という、リシェ隊長の大喝がとどろいた。
「もう、そんなささいなことで殺気なんて飛ばさないでちょうだい!グラン・リシェからの電波と合わさってもうめまいがするわ!」
ロッシがたまらず叫ぶと、彼女らの隣を飛行している小柄な赤毛の中年隊員が冷たい視線を送りながら、ゆっくりと静かに送信をはじめた。
「モウミナサン、イイカゲンニシテクダサイ。カントクセキニンヲトワレルノハ、リーダーノワタシナンデス。グリッサン、コンカイハウチノカルテットニビョウケツガデタノデ、ダイヤクトシテカニュウサセマシタガ、ジカイカラハオコトワリシマス。トニカクミンナ、ダマッテロ」
「私たちの苦しみは、私たちにしか共有できない。だから周囲に理解を求める愚はさけろと、リシェ同志はおっしゃいました。私は彼女の意思を尊重します。だから、どうか私たちの進むべき道を、気安く、上から目線で指図しないでください。もう黙ります」
地平線のゆらめく陽炎の彼方に、うっすらとパリの街並みが見えてきた。下にいる人びとが、皆一様にパリをめざして歩いたり、馬車を駆っている。まるで砂糖に群がる蟻のように。
根っからのおしゃべりのロッシは、黙れと注意を受けても長続きしない。3分もすると雑嚢から取りだした水筒の水を一口飲んでから、隣に話しかけてきた。
「ねえグリッサン、リシェ同志ちゃんとそのお仲間たちが大会のお手伝いのボイコットをするのはわかるんだけど、ならばどうしてあなたはお手伝いに参加するの?まさか妨害したりはしないんでしょ。教えてちょうだい」
少しためらった後、グリッサンは懐のポケットから一枚の紙を取りだした。表も裏もびっしりと文字で埋めつくされている。
「5日前の第二種目の際に、競技の説明を担当したキャベンディッシュとかいうイングランド人の男性聖気法術師が、観客にいた大会反対派のヤジに激昂して、その場で演説を行ったらしいんです」
「あら、男の魔導兵なんて珍しいわねえ。若い子なのかしら」
「知りません。ただその演説が重大な問題提起をしたので、現場にいたひとりの聖気法術師が内容をこうやって書き残してくれたんです。3日前にヴェルサイユに持ちこまれたんですが、これを読んだリシェ同志がいたく感動しまして、この男性について詳しく調べてこいと依頼を受けたのです」
「ちょっと読ませてくれない?あの子が感動するなんて相当だわ」
「読んだらすぐ返してください。あと他言無用」という間もなく、ロッシは紙をひったくった。レヴィも一緒になって紙をのぞいている。
「・・・そこに書かれているように、キャベンディッシュは演説で、かつてヨーロッパ全土で猛威をふるった魔女狩りという名の国家ぐるみの大量虐殺について、ヨーロッパ全土を網羅する詳細な被害状況のデータを開示しています。これは私共王立アカデミー情報局が極秘に調査した結果とほぼ一致しています。おそらくイングランドの王立協会から流用したデータかと思われます。これを全観客注視の中、ヨーロッパ中の王族たちが居並ぶ前で暴露した功績は、極めて高く評価されてしかるべきです」
「コルシカ島、150人。コルシカ島、150人。ここには、私のマンマも・・・」
ロッシはその場で感極まり、ゴーグルをはずしてハンカチで顔を覆ってしきりに鼻をすすり、肩をふるわせはじめた。
「ほらロッシ、また隊列から引き離されかかってる。燃料がしめってちゃ勢いがつかないじゃない」黒髪のレヴィは優しくロッシの栗毛の頭をなでた。
「・・・ごめんなさい。・・・すばらしい演説。私たちが言いたかったことを・・・ちゃんと伝えてくれている・・・」
「かなり計画的よね。でさ、この男、今日も競技の説明をするんでしょ」
「いや、それがですね・・・」
急にグリッサンの表情はくもり、口もとには苦笑いを浮かべた。
「3日前の休憩日に、突然彼のスキャンダルが持ちあがりまして、あえなく任務から解かれました」
「スキャンダル?」
「詳細については私の口からは言えません。なぜならこのスキャンダルは、どうもフランス騎兵連盟を中心とした大会反対派の陰謀臭いからです。まあ、調子に乗って羽目を外しすぎて敵側に嵌められたのが真相っぽいですけど。今はパリ中でこのスキャンダルを煽るか、あるいは火消しをするかの怪文書が飛び交っていて、かなり情報が錯綜している状態だそうです」
「騎兵連盟のやつらってさー、どうしていつもいつも私たちのやることなすことにいちいちケチをつけてくるのかしら。あんなに目の敵にしなくってもいいじゃない」
ようやく平静をとりもどしたロッシの愚痴に、スイッチが入ったかのように短髪のグリッサンがまくし立てた。
「私たちが彼らの仕事を奪ったからでしょう。騎兵はその高い機動力から、斥候や伝令や警戒などでも活躍してきたのですが、さらに高い機動力を誇る我々聖気法術師の登場により、それらの任務の大部分が奪われました。さらに先の反乱(フロンドの乱)において、我々がその機動力をフルに活用することによって、反乱軍の騎兵部隊は軒並み壊滅状態に追いこまれました。それが敵であっても同じ騎兵である彼らの癪にさわったのでしょう。彼らはご大層にも騎士道精神とやらを持ちだして、やれ待ち伏せは卑怯だの、諜報活動は堕落した戦術であるだの、正々堂々と戦う場に魔女風情はそぐわないなどとぬかします。だけどあんたらだって上流階級の目が届かない戦場で、今までどれだけ各地で略奪や破壊といった狼藉をくり広げてきたか、こちとら全部お見通しなんだよと言いたい。自らの手で婦女を暴行し、幼子を殺しておきながら、その手で人々に公平と寛容と礼節を説いて国王から勲章を受け取るなんて欺瞞以外の何者でもない。一体どっちが魔物なんだか、ふざけんな」
「私たち魔女はね、古い言い伝えからずっと騎士を惑わしてきたじゃない。ひとりひとり惑わすのは面倒だから、ついに魔女が徒党を組んで騎士団そのものを地獄まで惑わすようになったのよ。それだけの話」
「レヴィ、あなたもいい加減に自分たちを魔女呼ばわりするのはやめてくれませんか。冗談では済みません。だいたい魔導兵という言葉もおかしいんですよ。神から譲り受けた能力を活かして誇り高い仕事に就いているのに、なんで魔なんて蔑称をつけられなきゃいけないのか、理解に苦しみます」
「あら、だって昔からそう言われてきたし、今更変えろって言われてもねえ、レヴィ」
「あんたらが使ってる聖気法術師って呼び名、正直言ってダサいよ。そんなジジくさい呼び名を与えられたって、こっちは嬉しくもないよ。確かイングランドではfellowsって名称で仲間内を呼んでるらしいけど、そっちの方がずっといい。もっとましな自称を考えてくれない?」
「またあなたに殺気を放ちたくなってきた・・・。ていうかイングランドだって魔導兵という呼び名に違和感を持っているくせに、結局この大会でも運営がこれまでの慣例通り魔導兵を公式の名称にしたのは間違いでしょう。せっかくの変える機会をふいにしてもったいない」
パリは大会運営の手によって、すっかり装いを一変させていた。大会最終種目である、スコープレースへの準備のために、市街地をぐるりと周回するコースが設営されている。ブローニュの森を抜けると、シャンゼリゼ通りは早くもフランス近衛兵とスイス親衛隊のきらめく銃剣を縫うようにして、色とりどりの旗や花かざりによって人垣が編みこまれはじめていて、街路には花々が散らばっている。建設中のアンヴァリッド(廃兵院)の尖塔には直径3mほどのバラの花で覆われた木製の輪が取りつけられ、そこから万国旗がくくりつけられた縄が東西に向かって伸びている。運営委員たちはコースを視覚化できるように、通りから建物の屋根に2本の赤い縄を張り、さらに屋根伝いにぴんと張った赤い縄をスコープで飛びながら結びつけている。ひとりの赤い制服を着た運営委員がイオン隊に向かって、三角帽子を脱いで軽く会釈した。
「・・・なんか飾りつけがダサくない?もっと華やかにできないのかしら。ゴブラン織りのタペストリーを使うとかさあ」ロッシがレヴィにささやきかける。
「ゴブラン工場長のシャルル・ル・ブラン様は関わっていないそうよ。宮殿の内装が最優先で、こんなのに関わる時間がないんだってさ」レヴィが微笑みながら答える。
「運営委員長がオルデンバーグでは、この程度でしょう。ケチで無粋な頑固者ですから」大柄なグリッサンが追い打ちをかける。
「あいつは嫌い。2回ほど見たけど、なんか性格が暗くて陰険そうよね。まるでピカールみたいじゃない?」
「ピカール様は性格が暗いのではなく、性格がありません。彼女がボスだった情報局の下でも6年働いていますが、感情を表に出しているのを見たことがありません」ロッシの問いかけにグリッサンが明快に答える。
「そういえば、ピカールって今、3位なのよね。スコープの追いかけっこで逆転できるのかしら」
小柄なロッシの言葉に呼応して、中肉中背のレヴィが胸ポケットから小さな紙を取り出した。
「実はね、私、今回の大会で違う人に賭けているのよ」
「あら、トトまで開催してるなんて知らなかったわ。もちろん公営なんでしょ?」
「当然。私はオランダ代表のホイヘンスに1000リーブル賭けてる。しかも今1位よ」
「あらやだ、どうしてよその国に賭けてるの?ピカールを応援してないの?」
「もちろんピカールは応援するわよ。ただそれと結果を予想するのは別じゃん」
「あらそう。それにしても・・・よくあなたがくじを買えたわね。占いで試合結果を予知しただろなんて因縁をつけられなかったの?」
「そこは大丈夫。一応代理で友達の一般人に買わせたから。それにしてもさあ、いくら私たちがいろいろな能力を持っていたとしても、未来なんて予知できるわけがないのを、どうして人々は信じてくれないのかね。だいたい占いで未来を予知できるのだったら、今頃株取引でボロ儲けして、ここら辺のパリの一等地に豪華な邸宅でも構えて優雅に暮らしているのに」
レヴィとロッシは威勢よく笑い合い、小柄なカルテットのリーダーは小さくため息をついた。
「そうよねえ。私たちだってヴェルサイユなんて田舎に閉じこめられて、ル・ノートルのじじいに急き立てられて毎日庭園作りのために泥だらけになんてなってないわよねえ」
「本当に自称占い師どもの罪はでかいわ。あいつらが今でものさばって人心を惑わしてるから、こっちはいい迷惑よ」
「それにしても・・・パリに入ってから一段と暑くなったわね。もう汗まみれよ。こんな暑さのなかでスコープの追いかけっこをするなんてご苦労なこと」ロッシの水筒はとっくに空になっている。
急にV字編隊の高度が下がりはじめた。すぐ先の小さな広場には、王立魔導守備隊の幹部4人が手を振って待ち受けている。編隊が折りたたまれて中央に寄りはじめた。
「コチラパリタイ、3152、3152、オウトウヲネガエマスカ」
「コチライオンタイ、9844、9844、ショウカイヲタノミマス」
「ショウニンサレマシタ。チャクリクヲキョカシマス」
広場にいた子供たちが駆けよってくるのを、幹部3人が必死に押しとどめている。
総勢52名の新宮殿増築担当部隊は、まるで白鳥の群れが湖に飛来するかのように、優雅に広場へ着陸した。砂ぼこりが舞う中、スコープを取り囲む虹色と白色の魔法陣が徐々に薄れていき、完全に消えた。ロッシの姿勢が急にぐらつき、後ろ隣のレヴィがあわてて体を支えた。
「リシェ隊長、パリ警護の応援、まことに感謝します」
「こちらこそ、栄光ある王都の警護を任せていただき、恐悦至極に存じます、プティ副官」
「さっそくですが、貴公の部隊には、パリ西部の7区、8区、9区、及びブローニュの森の警護を担当してもらいます」
「すでに人員の配置の割り振りは完了しています。こちらでいかがでしょうか」一枚の手書き入りの地図をうやうやしく差し出す。
「・・・貴公に一任いたします。妨害者、占い師、詐欺師、間諜、盗賊、謀反人諸々のいかなる犯罪人もひとり残らず逃すなというのが、我らが隊長オズー様の意志でございます。くれぐれも大会の進行に支障を与える不祥事は見逃さないように、重ねて申し上げます。この大会の成功如何に、我々の未来すらかかっているのですから」
「承知しました。では警護に向かいます」
「待ってください。もうひとつ指令があります。貴公の部隊で使用している小銃は、確か20ゲージの散弾ですよね」
「はい、そうですが」
「都市での散弾の使用は、市民に流れ弾が当たる危険性が高いので、全員この同口径のプリチェット弾に変えてください」実弾が大量に入った麻袋をリシェに差し出す。
「・・・はい。しかし、私共の小銃にはそもそもライフリングはされておらず、この椎の実弾を装填しても、精度は変わらないので無意味なのですが、それでも構わないのですか?」袋から取りだした弾を検品してから、リシェがいぶかしそうにたずねる。
「構いません、これはオズー様からの指令ですから」プティは語気を強めた。
「お言葉ですが、その指令は合理的ではないと考えます」
唐突にグリッサンが、プティに食ってかかった。
「ほほう、合理的ではないとは?」
「あなた方が使用している最新鋭のライフル銃は、確かに命中精度が飛躍的に向上しましたが、同時に有効射程も我々の散弾銃の3倍は延長しています。流れ弾が危険なのは、むしろそちらの方です。しかもこの製造元のプリチェット弾は若干大きめに作られていて、装填がいちいち大変な上に、弾が詰まって暴発する事故が頻発しています。散弾のままでの使用を許可してください」
「グリッサン、おやめなさい!」リシェがぴしゃりとけん制した。
「いや、グラン・リシェ、これはグリッサンの言うとおりだと思うの。パリ隊のわがままで、こっちの命まで危険にさらされるなんてたまったもんじゃないわ。そのままにしてちょうだい」いつの間にか復活したロッシまで加勢に入る。
「Non!」
地面に大きな影が落ちるや、まるで大鷹が飛来したかのごとく、3人の部下を引き連れたオズー隊長が空から現れ、着地するやロッシを横から両手で突き飛ばした。「ア゛ー」と悲鳴をあげて倒れるロッシのもとに、レヴィが大急ぎで駆けよった。
「プティ!なんたるザマだ!私の命令を託されておきながら、こんなにあっさり反論を許すとは!」
「申し訳ありません、隊長」
「イオン隊に告ぐ!王都に入った以上、指揮権は私にある!不満があるのなら、今すぐヴェルサイユに帰れ!」
しばしの沈黙のあと、リシェ隊長が落ち着いた口調で答えた。
「貴公の仰せのままに行動いたします。ただ、本来ならば今大会までに支給されるはずの最新鋭のライフル銃は、いつになったら私共に支給されるのでしょうか?そもそもの問題の根はそこにあります」
「イングランドのイモ共に何度も催促してるんだが、納期をこえても現物が届かないんだから仕方がないだろ。もう黙れ!」
片足を引きずった大鷹は、再び大空に舞い上がって行った。
納得がいかない表情で支給された弾を分け合うイオン隊の脇で、木陰に座らせたロッシにレヴィがせっせと水を分け与えて介抱している。
「イタタタ・・・あーもう、膝を擦りむいちゃったじゃない」
「大丈夫?応急処置だけでもやっとく?」
「・・・アルコールとワセリンだけでいいわ。包帯はいらない。かすり傷よ」
「それはいいけど・・・困ったな。水が足りない」
「どうぞ、お使いください」グリッサンが雑嚢から水筒を取りだす。
「あら、そんなに無理をしなくてもいいのよ」ロッシが困惑する。
「構いません。私たちはカルテットですから」グリッサンは水筒をロッシに押しつけると、笑顔でその場を離れた。
「merci!警護が終わったらカフェ・オ・レをおごるから!」
「・・・しかし珍しいわね。あなたがあんなによその部隊の幹部に食ってかかるなんて」
「・・・胸騒ぎがしたの」
「え?」
「いえ、なんでもないわ」
午前11時になり、各所から大砲の響きがあふれだした。
パリは先の反乱以来、久方ぶりの大イベントに興奮が高まってきた。反乱は王党派の勝利に終わったものの、反乱勢力にはパリ市民も数多く参加していて、刺激を与えないためにも、終戦当時はとてもじゃないが戦勝パレードを行える雰囲気ではなかった。あれから5年が経過して、ようやく戦火の記憶も風化して、宰相マザランの粘り強い戦後復興政策も効を奏しはじめて、市民感情も軟化してきた。
そして、過去のいまわしい迷妄と狂信の夜霧が晴れわたった後に、人びとはようやく気づきはじめた。間諜と衛生兵からはじまり、フロンドの乱において斥候、伝令、警戒でもめざましい功績をあげた天翔ける魔導兵が、さらなるとてつもない潜在能力を兼ねそなえた逸材である事実に。