ミッション:お寝坊さんを起こせ!
日課である筋トレ、ランニング、シャワー浴びてからネットサーフィン。それから瞑想を終えると、ようやく登校準備に入る。
「弁当オーケー、教科書オーケー、火の元オーケー、電気オーケー」
うん、我ながら完璧だ。家の鍵を閉めて全て完了。お袋は既に仕事に向かい、親父は昼勤まで眠っているので家の管理は僕の仕事だ。これくらいこなせなければ紫ちゃんのお婿さんになる資格は無いと言えよう。
「いってきます」
言いつつも、僕が向かうのは学校ではない。その前に向かうべき所がある。それは、お隣の藤壺家である。ポケットから藤壺家の鍵を取り出し、玄関を開ける。靴を脱ぎ、リビングに行き荷物を下ろす。
「さて……」
葵の奴はさっき起きているのを確認したが、多分紫ちゃんはまだ寝ているから起こしに行かなければならない。だが、その前に。
リビングの奥にある襖を開ける。
そこは六畳の和室になっていて、壁には比較的若い男女の白黒写真が立派な額に入り飾ってある。そして、向かって左側に仏壇が鎮座している。
「おじさん、おばさん、おはようございます」
仏前に座り、葵と紫ちゃんのご両親に挨拶をする。これが藤壺家での日課だ。
二人のご両親は既に亡くなっている。おばさんは紫ちゃんの出産時に、おじさんは三年前に病気で。おばさんはとても優しい人だったし、おじさんはとてもたくましい人で僕も昔かなりお世話になった。だからここでの挨拶はとても重要な事なのだ。
仏壇の杯には昨日とは違うお供え物が、華瓶には新しい花が供えられている。恐らく葵が供えたのだろう。ガサツではあるが、細かい所には良く気が回る奴だ。
仏壇への挨拶を終えると、リビングに戻り冷蔵庫の中身をチェックする。
「昨日の残り物が全て無くなってる……」
今日の朝にも持ち越せるように、昨夜夕飯を多めに作ってタッパーに入れておいたのだが、それが綺麗さっぱり無くなっている。変わりにキッチンには空になったタッパーと、
『ごめん 夜 お腹減った 葵』
という紙切れが。一昔前の電報か?
「……ったく」
とりあえず『腹減ったから食った』というニュアンスは伝わったので、頭を朝のメニューに切り替える。六枚切りパンを取り出しトースターに投入。これで朝ご飯は問題無い。
さて、安心して紫ちゃんを起こしに行くとするか。
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勝手知ったる他人の家とはよく言ったものだ。
恐らく目隠ししてでも僕は二階に上がり、目的の部屋まで辿り着ける自信がある。
階段の段数から、一段あたりの面積までも感覚で正確に把握しているだろう。我が物顔で階段を上り、『ゆかり』と平仮名で可愛らしく書かれたプレートの部屋の前まで到達する。ここで胸ポッケから取り出したるは手鏡。紳士の必須アイテムである。
寝ぐせは無い。鼻毛も出てない。イケ面でもない。
……よし、オーケーだ!
僕は老練たる執事もかくやといった手つきで軽やかに部屋をノックする。
「……」
応答無し。
よし、ならばとここで安易に入室してしまうのは素人だ。ここで入ってしまえば完璧な言い訳が出来るとは限らない(そもそも紫ちゃんには言い訳も必要ないのだが)。だから、プロは入る前に呼びかけを行わなければならない。
「紫ちゃーん、朝だよー?」
「……」
返答無し。ここまで来たら今日はもうハッピーさ。
だって、何の罪悪感も無く十歳のキュートなおにゃのこの寝顔を見れるんだぜ!? もう体の毛穴という毛穴が開き過ぎて、色んな液が漏れてきそうだよ!
「……ふ」
僕はニヒルに笑う。そうさ、プロとはいかに気分が有頂天でも決しておおげさに外には出さないものだ。あくまでクールに、ティッシュで鼻血を拭きつつ入室するのだ。
「……」
部屋の中は真っ暗だ。電気も点いていないし、カーテンも閉じられている。
これは紫ちゃんが明るい所だと寝られない為、僕が商店街の呉服屋から貰って来た布をミシンで継ぎ足して作った完全遮光暗幕を窓に張っている為である。故に暗幕を外せば簡単に彼女は目覚める訳だ。だが、ここで簡単に外してしまうのはおいしくない。
僕はこの室内に紫ちゃんを温かく見守る為の七つのアイテムを隠した。そして、彼女が眠るベッドの下からその一つを取り出す。
暗視スコープ(一個六万円也)。
某週刊誌に付録で付いてくるパーツを組み合わせて、一年と六万円という莫大な代償を支払って僕はこれを完成させた。おかげで毎朝紫ちゃんの寝顔はばっちり見放題だ。これなら散っていった歳月と、六万円という僕の汗と汗と汗のアルバイトの結晶は報われてくれるはずだ。
「しかしこんな機械を通してしか紫ちゃんの寝顔が見れないなんて、口惜しや……」
せめて一度くらい明るい所で紫ちゃんの弾ける寝顔を見てみたい。彼女クラスの可愛さになるともう笑っていなくとも弾けるものがある、主に僕の体液的に。
僕は毎朝たっぷり十分かけ、様々なアングルから紫ちゃんの寝顔にアプローチをかける。
トースト? 知らね、冷めても食えるだろ? それよりも最優先課題があるんだよ!
つまんだらきっとぷにぷに触感の傷なんか一切無いしなやかな肢体から、今は閉じられているがリスのようにクリっとした円らな瞳。そして僕が週一でセットしている揃えられた姫カットの毛先に至るまで網羅してから暗視スコープを外す。
十分以上時間をかけると寝顔の鮮度が落ちてしまうから、僕はいつも十分きっかりで見終える。それは絶対遵守の規律だ。さて……。
「紫ちゃん、朝だよ、起きて」
指先の全神経を集中させて肩にタッチしつつ、ゆさゆさと紫ちゃんの体を揺する。
「みゅ~、うにゅ~」
ちなみに紫ちゃんは寝起きがあまり良くない。きっちり起こそうと思っても、何だかんだでいつも甘やかしてしまう。でも、このままだと将来的に彼女の為に良くないから、ここはビシッと行かねばならない。
「ほら、早く起きないとさ。学校遅れちゃうよ?」
「うぅうぅぅっぅぅうぅぅぅうぅーー」
「ぐはっ!」
な、なんて可愛らしいだだっ子っぷり。紫ちゃんは顔を枕に押し付けて必死にいやいやしている。これは何とも萌ゑるぞおおおぉぉぉぉーーーー!
「いやいや、ここは心を鬼に、鬼にせねばああああぁぁぁぁーーーー!」
自我が崩壊しかける中、精一杯の親心で起こしにかかる。
「お願い、起きて紫ちゃん!」
「うにゅ~。じゃあ、おかーさんもうどこにもいかないでね?」
「えっ……!?」
紫ちゃんは今、僕に「おかーさん」って言ったのか?
でも紫ちゃんにおばさんの記憶は無いはずだ。なんせおばさんは彼女の出産時に亡くなっているのだから。じゃあ、何で今「おかーさん」って?
「……おかーさん?」
とりあえず、今彼女が求めているのは『おかーさん』なのだ。ならば、無理は承知でも、一瞬でもいいからここは『おかーさん』にならなければいけない。
「大丈夫、ここにいいるよ」
「ん~、うにゅぅ」
僕は布団の中で眠る少女を抱き締めるように横になる。まるで母親が子供を寝かしつけるように。すると、さっきまでぐずっていた紫ちゃんの寝息が安定する。
「僕では『おかーさん』役は無理かもしれないけど……」
せめて『おにーちゃん』役くらい満足に出来ているだろうか? 自問しても、今の僕では答えは出せそうになかった。
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