百鬼夜行
葵達が帰ってきたのは、それからしばらくしてだった。
「随分と遅かったな」
花ちゃんが電話してから直ぐ帰ってきたにしては少し遅かったので尋ねてみると、葵はあからさまにいやらしい笑みを浮かべて僕に擦り寄ってきた。
「な~に、心配してくれたの?」
「し、心配しちゃ悪いかよ!」
悪態の一つでも吐いてやろうと思ったが、もう彼女の気持ちを知っているので自分の嘘偽らない感情が漏れた。
「そ、そう。ごめん、ちょっと準備があったから」
葵の奴もふっかけてきた割にはあっさりと謝ってきた。随分と丸くなったもんだなぁ。
「それで、準備って?」
「それは、私が説明します」
葵の隣で既に狩衣を纏って完全装備で佇んでいた六条さんが会話に加わってくる。
「私と葵さんでこの辺り一帯に結界を張る為の用意をしてきました」
「結界?」
「ええ。本来、悪霊や鬼といった存在は普通の人間の目では視えません。ですが『北山の鬼』程の存在なら、多少霊感が強い人にも視認出来てしまうでしょう」
「でも、そんなに大規模な結界を張って体は大丈夫なの?」
「正直、あまり長くは持たないかもしれません。でも、今の内から力を温存出来れば」
体力を温存しておかないと、長くは持たない……か。なら。
「きつくなったら直ぐに言って。その時は僕が代わるから」
「えっ!?」
僕の提案が思いがけないものだった様で、普段落ち着いた彼女にしては珍しく素っ頓狂な声を上げた。確かに多少強引で反則気味な方法ではあるけどね。
「源くんが代わるって……」
「さっき若紫さんから四家の間では『力』の受け渡しが出来るってことを聞いてさ。だから手伝えるかなって。紫ちゃんと花ちゃんの『力』はもう貰ってあるし」
「そのような事が。それなら安心できますわね」
種明かしをすると、六条さんの表情にも納得の色が浮かんだ。でもこれを説明するって事はその為の対価も説明しないといけないってことで。
「えーと、でも一つ条件が有って」
「条件、ですか?」
キョトンといった風に、純粋な瞳で六条さんはこちらを見てくる。頬にだけは一度している葵はともかく、彼女にキスをするなんていったら一体どうなるだろう?
あぁ、凄く慌てふためく姿が容易に想像できてしまう。
「条件は源様と接吻をする事です」
僕が躊躇っていると、見かねたとばかりに若紫さんがいとも簡単に告げてしまった。
「せ、接吻ですか!?」
「それって要するに、キスの事よね?」
そして、そこにすかさず食い付く葵。反応するの早過ぎだろう、お前。
「キス? 現代ではそのような表現をするのですか?」
いや、そこは女三人で姦しく真剣にキス議論を交わしてもらわなくていいから。とにかく話を進めようと「こほん」と一つ咳払いをする。
「うん、まあ、その、僕とキスしなきゃいけないみたいなんだ」
「すると、つまり紫さんと花さんはもう既に……」
「光の毒牙にかかっているということね!」
「ああ、もう! ただでさえややこしい話なのに、余計こじらせようとするな!」
注意しても、葵は軽く舌を出しただけだった。まったく、この危機的状況が分かっているのだろうかこいつは。いや、分かっていてやっているから性質が悪いのか。
「ま、私は前にもしたことあるから大丈夫でしょ?」
「いえ、『力』の受け渡しは唇同士での接吻に限ります」
「ふぇっ、ええええぇぇぇぇーーー!」
若紫さんのさりげない注釈に、さすがの葵も今度ばかりは情けない悲鳴を上げた。確かに頬へのキスと唇へのキスは意味合いが大きく違う。頬は外国だとあいさつ程度の所もあるし。
しばらく慌てながら百面相をしていた葵だが、やがて自らの頬を二回叩いて「よし」と一つ頷いてから僕に向き直った。そこまで気合入れられると、こちらも緊張する。
「私は大丈夫だよ。急にで驚いちゃったけど、前に言った事に嘘は無いから」
前に言った事というのは恐らく僕のお嫁さんになるという話だろう。女の子にここまで覚悟させなきゃまともに戦いに挑めないなんて本当に情けない限りだ。
「それで、六条さんはどうかな?」
こうなったらもう恥も外聞も投げ捨てて、もう一人の僕と口付けを交わさなければならない女の子に尋ねる。すると、彼女はいつも通りの落ち着いた表情で「私も構いません」とただそれだけ答えた。
きっと六条さんにも葵みたいな葛藤があっただろう。でも、決断してくれた彼女にそれを再び確認するのは失礼だから僕はそのまま話を進める。
「葵、六条さん、ありがとう。二人に『力』をもらうのは多分『北山の鬼』が出てきてからになると思う。それまでは封印されていた悪霊達の退治に協力してくれないかな?」
「りょ~かい!」
「わかりました!」
二人の言葉を受け取って、僕は頷く。
これで最大限の戦力はそろった。後は封印された鬼がどれ程の強さかというところだけど、それは実際戦ってみないと分からない。六条家に残された古文書によると光源氏も複数の能力を持っていた様子がうかがえる。その彼が完全に打ち祓う事が出来なかったのだから、生半可な力では倒せない事は明白だ。
僕に、出来るのか?
いや、やらなければならない。何よりも紫ちゃんの為に。
「……来る」
若紫さんの『力』でずば抜けて上昇した霊感が、僕に悪霊の接近を伝えていた。六条さんもそれに気付いたようで、襖を開け放って空を見やった。
「禍々しい気で空が満たされていますわ」
「じゃあ、私もそろそろ用意しときますか~!」
葵も立ち上がり、腕をぐるんぐるん回す。病み上がりだから多少心配ではあるが、この家には彼女が取り入れても無害な霊がいることは先程確認した。
「葵、六条家には守護霊っていうのがいるみたいだから手伝ってもらえば良いと思うぞ」
「え、本当!? なら守護霊さん守護霊さん、どうか力を貸しておくんなまし~」
そんな適当な頼み方で良いのかと突っ込みたくなったが、ややあって葵の体が急激に青く発光し始めたのでそれが杞憂だと知る。
「おぉ、この霊すごい! 今まで力を借りてきたどの霊よりも強力だよ」
勢い勇んで葵はそのまま外に飛び出して行ってしまった。やれやれ、本当はもっと女の子らしく慎みを持って欲しいところだけど、その辺も全部含めてこれが終わった後だな。
「行こうか、六条さん」
「ええ」
いつもより多めの霊具をまとっている六条さんを連れて僕も外に一歩踏み出した。
「せ、先輩!」
と、後ろから声がかかった。そうだ。彼女も一緒に戦う仲間だった。
「花ちゃんに最重要任務を与えるね」
「う、うん!」
「もしもの時は紫ちゃんを守って。誰を頼っても良い。それと多分後で六条さんか葵が疲れて戻ってくると思うから、それを介抱してあげて」
「わかった!」
まるでどこかの軍隊の上官と下士官のようなやり取り。でも、僕達の今の状況を考えるとあながち間違ってもいないのが何とも言えない。
「じゃあ、行ってくるね」
「せ、先輩。絶対に帰ってきてね!」
随分と歳の離れたバイト先の後輩の熱い激励を背に、僕と六条さんはそれぞれ屋根に跳び上がった。
屋根に降り立つともう戦闘は始まっていた。というか、一方的に葵が始めていたという方が正解かもしれない。彼女の背後には六条さんのような狩衣を纏った恐らく平安時代の貴族であろう霊が立っていた。更にその背後に大きな円状の術式が展開されている。漫画やアニメで見る様な訳の分からない文字や記号が羅列されたものだ。
葵と同化した霊が合図を出すと、円術式の中から獣のような霊が飛びだしこちらに迫ってくる悪霊どもに次々と喰らい付いては討ち落としていく。
「遅かったじゃない、光」
霊を操る葵は本当に絶好調といった感じだった。その姿をみると頼もしくもあるが、逆に少し心配もしてしまう。強力という事は、それだけ体力を消費するという事だ。
「飛ばし過ぎじゃないか、葵。本命は後に控えているんだぞ?」
「その本命とは、光が戦ってくれるんでしょ?」
うん、まあそれはそうなんだけど。そこまで気持ち良く丸投げされるとどうにもモチベーションが下がるというか、何というか。
「だいじょ~ぶ。光が本命まで体力温存できるように私、頑張るから!」
パチッとウインク付きで僕の浅はかな考えに対する答えは、投げた時の倍の威力で返された。何だかんだ言って葵は僕を信用してくれているんだ。昔からそうだった。
「ごめんな、頼む」
「まっかせて~!」
次に六条さんに視線をやると、彼女は既に結界の術式を発動させようしていた。顔から汗を流しながら、経のようなもの口からを発していた。一体どれ程の体力を消耗しているのか、はたからみている僕には想像もつかない。
やがて視界に入る街のあちらこちらから紫の光が立ち上り、それが天に向かって延びた。それらが高天の中心で集うと、一気に辺りを覆い尽くす一つの空間を作り上げた。
まさしく壮観だった。街一つがそのまま切り取られたみたいに、紫の光で外界から遮断されていた。それに、変化はそれだけでは無い。
「止まっている」
空を羽ばたいていたであろう鳩が、空中でその身を完全に停止させていたのだ。下を見れば道行く人々も全て動きを止めていた。
僕が変わってしまった街の情景を見て呆気にとられていると、隣でどさりと何かが倒れる音がした。見れば六条さんが荒い息を吐いて、屋根に膝をついていた。
「六条さん!」
慌てて駆け寄ろうとするも彼女は手で僕を制止し、自らの力で再び立ち上がった。
「……少し、はしたないところを見せてしまいましたわね。はぁっ、【空間封鎖】。まさかこれほどの術とは思いませんでした」
彼女もこの術を使うのは初めてなのか、僕と同じように街の風景を不思議そうに眺めている。こんな大規模な術式は普通一生に一度、使うか使わないようなものなのだろう。
「とりあえず、これで一般人には見られる心配はないでしょう」
「でもさ、悪霊達が標的を僕達から一般人に変えたりしないかな?」
紫ちゃんを守るのが最優先だが、一般人に被害を出す訳にはいかない。その点だけは心配というか、気になった。
「大丈夫です。彼らが恨んでいるのはあくまで自分達を封印した四家。それにもし一般人を襲おうとしても、時間を止めてしまっているので干渉の仕様がありません」
なるほど。それなら僕達は何にも気を取られること無く、ただ目の前の悪霊達を斬り祓っていけばいいという訳か。実にシンプルで分かりやすいね。
「本当に源くんは、優しいですわね」
そう言って六条さんはくすりと笑う。さっきの一般人の話に対してだろうか?
でも彼女が僕の心配事に直ぐに返答出来たのは、同じ事を先に考えていたということだ。
「僕は、六条さんの方が優しいと思うけど」
「でも私、嫉妬深いですわよ?」
「それだけ愛されているってことでしょ?」
僕の半分冗談、半分真剣な返しに六条さんはあいまいに笑い懐から御幣らしき物を取り出した。普段なら神具の一つと考えただろうが、今はあれが霊具の一種だと分かる。
「東海の神、名は阿命、西海の神、名は祝良、南海の神、名は巨乗、北海の神、名は禺強、四海の大神、百鬼を避け、凶災を蕩う。急々如律令!」
彼女が言いながら御幣を振ると、葵が討ち漏らして比較的近くまで接近していた悪霊が言葉にならない声を出して消え去って行く。
二人が本格的に戦闘の体勢に入った。だが、まだ北山から鬼が出てくる気配は無い。
こちらを恨んでいるのなら支配下の悪霊を使わず自らの手で来ると思っていたんだけど。
正直まだ余裕はあるが、少し焦りを感じ始める。
「一度封印されたから、こっちを警戒しているのか?」
とりあえず今できる事は、もっと派手に暴れ回って向こうをその気にさせないといけないということだ。向こうの配下の悪霊も無限ではないのだから。
「頼むぞ、童子切」
呼びかけてはみたが、僕はまだこの刀の本当の力を引き出せていない。だから、僕は信じることしかできない。今まで僕が紫ちゃんの為に費やしてきた努力と、彼女への想いでこの刀が真の力を発揮してくれる事を。
童子切を、正眼に構える。そして、それを迫り来る百鬼夜行に向けて振り下した。




