若紫と千年の呪縛
それからは先程までの気持ち悪さが嘘の様に童子切を振る事が出来た。さすが親子と言うべきか、似なくていいところまで似てしまったんだろう。驚くべき集中力だった。
剣術は元々道場に弟子入りして、或る程度の技術は身に付けていた。後はそれを実戦向きにアレンジするだけだ。斬る、薙ぐ、突くという一連の動作を流れる様に行う。
一通りその流れを繰り返していると、刀が体に馴染んできたのか次第にこの童子切がどのような物なのかが分かってくる。長さ、切れ味、装飾に至るまで手に取る様に意識に流れ込んでくる。それは霊刀の力なのか、光源氏の記憶なのかは分からないけど。
だが、光源氏がどのようにこの刀を扱って鬼を斬ったのかが想像できない。結局、最も必要とする成果を得られぬまま時間は無慈悲にも過ぎて行った。
時間の流れはこんなにも早いのかと焦り始めたのは六条邸に来てから五日目だった。
今日も葵と六条さんは未だに特定できていない北山の捜索に当たっている。そして僕はといえば初日にぶつかった壁を未だ乗り越えられないでいた。
――彼は一体どのようにして北山の鬼を斬り倒したのか?
思案に明け暮れていると、廊下を誰かが走ってくる音が聞こえる。僕はそこで思考を中断させ、刀を鞘に納めて腰に下げた。同時に襖が開かれ、外には肩で息をする花ちゃんの姿があった。
「どうしたの、花ちゃん?」
「せ、先輩。ゆかちゃんが何か変なんだ!」
「具体的には?」
「えっと、言葉遣いが変て言うか」
「分かった、行こう」
「ちょっ、先輩!?」
言葉遣いが変というだけで予想がついた。彼女はようやく出て来てくれる気になったらしい。うろたえる花ちゃんを思わず置いて行きそうになりながら、僕達は紫ちゃんと彼女の居る客間へと急いだ。
「光様……いえ、貴方はあの方では無いのですね?」
部屋に入って早々、僕の姿を見た紫ちゃんの中に居る彼女が僕に語りかけてきた。
「ええ。残念ながら僕は光源氏ではありません。あなたは若紫さんですね?」
「そうです。事情はおおよそ理解されていると思いますが」
そういう彼女が纏うのは、いつもの紫ちゃんのあどけない雰囲気では無い。『高貴』という衣で体全体を包み込んでいるような風格を感じる。
「あなたが約千年間、鬼の呪いにかかり続けている事は知っています」
「では、鬼に存在が気付かれた今、何故私を守ろうとします? 私は厄災をもたらす鬼の器。守られる資格などありませぬ」
「それは、今その体はあなただけの物ではないからです」
「……」
僕の言葉に若紫さんは黙り込んでしまう。うぅ、あんまり女の子の困った顔は見たくないんだけどな。それが紫ちゃんの顔なら尚更だ。
「ゆ、ゆかちゃんは無事なのか!?」
そこで花ちゃんが焦ったように会話に入ってくる。親友としてはやはり気になるのだろう。僕もそさっきかられを早く確認したくてしょうが無かった。
「大丈夫です。彼女と私は別個体ですから、今は私の中で眠っているに過ぎません」
問われた彼女も想定していたかのように、自然に答えを返してきた。でも別個体として認識しているなら、どうして二つの魂が宿ったその身を諦めると簡単に言えるのだろう?
「分かりませんか? その刀なら斬れるでしょう? 私の魂だけでも」
「なっ!?」
僕はその言葉に愕然としてしまう。確かにこの童子切が真の力を発揮すれば人の魂の一つくらい軽々と消滅させられえるかもしれない。でも、今になって出てきたのは……。
「待っていたんですか? 僕がこの刀を扱えるようになるのを」
「ええ。貴方が私を、いえ、紫様を守ろうとしているのは分かっていました。ですが、それでは北山の鬼との戦いは避けられません。回避するには、器の破壊しかないのです」
「僕に、あなたを殺せと?」
「辛い役目を与えているのは重々承知しています。ですが、他に方法はないのです」
彼女はそう言うと、紫ちゃんの手を使って僕の手を取った。その手はいつも繋いでいるものだけど、まったく違う重みを感じずにはいられなかった。
「肉体は千年前にとうに死んでおります。お願いです。例え姿形は違えど、あの方……光様と血の繋がった貴方を戦いに巻き込みたくはないのです」
自分にとって大切な人を危険に合わせたくない気持ちは痛い程分かる。でも、それは僕だって同じだ。例え姿形は違えど、紫ちゃんと血の繋がった人をみすみす斬る事なんて出来っこない。だから答えは最初から決まっている。
「お断りします」
「源様!」
目の前の少女の声が高ぶる。しかし、僕は揺れない。
「光源氏はあなたを見捨てましたか? いや、違う。貴女をちゃんと助けて、鬼を封印した。なら、彼の血を継ぐ僕にも出来るはずです」
「しかし、あの時とは状況が」
なおも食いさがろうとする若紫。だが、僕はそれを笑って制止する。だってさ、これが僕の……というか僕の家系のアイデンティティーみたいなものだからしょうがないんだ。
「実を言うとね、僕はまだ光源氏みたいに童子切を扱えないんだ。でもきっと鬼を封印してキミを助けて見せる。なんせウチの家訓は『女を大事に』だからね」
「っ、やはり貴方はあの方の血を継いでおられるのですね」
もう少女は自らの命を絶てとは口にしなかった。代わりに目に涙を浮かべ、心底嬉しそうに微笑んでくれた。僕もそれにつられて笑う。視界の端では花ちゃんも困った様な笑いを浮かべていた。
「源様」
しばらくぽろぽろと涙を流していた若紫さんが、僕にそっと語りかけてきた。
「何かな?」
「その、しばし目を瞑っていて頂けますか?」
「ん? うん」
僕は彼女の言った通り目を瞑る。すると、唇にそっと湿った何かが触れる感触がした。
というかこの感触はもしや! ってまさかそんなこと無いよなー。……無いよね?
恐る恐る目を開けるとそこには自らの唇を手で押さえて顔を赤らめる若紫さんと、何かを叫ぼうとして口を開いたまま固まっている花ちゃんの姿が視界に入った。
えーと、これは、つまり、そういうこと?
「か、勘違いなさらないでください! これはあくまで保険です!」
「「ほ、保険?」」
呆気に取られた僕と花ちゃんの声が重なった。
「はい。四家の者同士は接吻をすることで一時的に『力』の受け渡しが出来るのです、今は私の力を光様に移したところです。鬼と戦うには必要でしょう」
「あ、なるほど」
そういうことね。……っじゃないよおおおぉぉぉぉーーー! せっかくの紫ちゃんとのファーストキスがなんの感動も感慨も無く終わってしまったよおおおぉぉぉぉーーーー!
僕は畳の上をもんどり打った。そりゃもう盛大にもんどり打ったさ。これで昔密かに頭の中で妄想していた紫ちゃんとのファーストキスプランが台無しになってしまった!
「あの、私なにか不味いことをしてしまったでしょうか?」
「あー気にしなくていいぞ。先輩にとっては重要な事だったかもしれんが」
不思議がる若紫さんと、呆れた視線を向けてくる花ちゃん。やめて、僕をそんな純粋と憐れみが混じった目で見ないで!
「っと?」
視線に二人以外のものを感じる。見れば僕の周囲を何やらよく分からないふにゃふにゃした物体が漂っている。さっきまでこんなもの無かったのに。
「これってひょっとして」
「ええ、恐らくいま光様に視えているのが霊です」
僕の言葉を先取りして若紫さんが答える。なるほど、これが霊かー……って!
「もう霊が出始める時間になってる!?」
「はい。ですがまだ大丈夫です。私を狙う鬼や霊は彼の地、『北山』から此処まで至るのにもうしばし時間がかかりましょう。それに、この六条家にも守護霊がいるようですし」
守護霊なんか憑いているのか、この家は。流石と言ったセキュリティ。という事はウチにも憑いていたりするのかなー? っとそんな阿呆な事を考えている暇でも無かった。
「花ちゃん、悪いけど僕の携帯使って葵達に連絡してくれないかな? 北山の場所はどうやら若紫さんが知っているらしいし」
「うん、分かった」
僕が携帯を渡すと、花ちゃんはさすが最近の小学生といった感じで慣れた手つきでアドレス帳を開いて葵の番号見つけて、発信ボタンをを押した。
そこで何かに気付いたのかハッとした表情になると、急に僕の方に近づいてきた。
「どうしたの?」
「アタシの『力』も、一応渡しとくね」
気付いた時には僕の顔は花ちゃんの手にがっちりホールドされ、そのまま唇へと導かれた。予想以上にふっくら柔らかな感触が僕の脳内を桃色に溶かす。というか人生で通算二度目の唇へのキスで、相手が両方とも小学生ってどうなんだろ?
……うん、やっぱりダメかな?
しかし当の花ちゃんは意外にあっさりしていて、キスの後も普通に葵との会話に入っていた。最近の子って結構キスとか速かったりするのかなーと考えていると、急に体のバランスが崩れた。具体的に言うと下半身の重心が後ろに傾いて、そのままひっくり返る様に後方に倒れ込んでしまった。
「いっつつ……」
頭を撫でながらも、僕は自分に宿った新たな力に驚愕する。今まで帯刀するのにも結構な力を使っていたはずが、今は何も腰に下げていない様な感覚なのだ。
「これが、『末摘の力』!?」
「ええ、ですが気を抜かないで下さい。『力』を渡してしまった今、花様は普通の女子と変わりません。無論、私もですが」
「なるほど。リスクも有るってことか」
そうすると電話を終わらせた後は花ちゃんを安全な所に避難させた方が良い。
そして、今こっちに向かっている葵と六条さんの力を借りることも考えなければならない。元凶の鬼が出てくるまでは二人に協力してもらって、その後は戦力を僕に集中させるのが得策かもしれない。普通に考えてもこの戦いは危険すぎる。
襖を開けて外を見る。外はいつの間にか曇っていて、いつ雨が降り出してもおかしくはなさそうだ。嵐の前の静けさ、と言ったところだろうか。
「ふっ!」
新しく手に入れた力を試す為に軽く跳んでみる、すると、軽々と六条邸の屋根まで跳び上がる事が出来た。少しの力でこれだけの運動が出来るとなれば悪霊や鬼との戦闘も随分と楽になりそうだ。後はこの希望的観測通りになってくれれば御の字なんだけどな。
「こっちの力もかなり高性能だな」
周囲を眺めてみると、ずっと遠くの山の辺りに恐らく悪霊と思われるものが集まっているのが分かった。強化された視力と霊視の力の賜物だ。確かめるべくも無く、あそこが件の『北山』なのだろう。僕は屋根から飛び降り客間に戻ると、若紫さんと電話を終えた花ちゃんが僕を出迎えてくれた。
「どうでしたか、外の様子は?」
「北山はあっちの方角だね」
僕は今見てきた光景が在る方角を指す。それに若紫さんも頷く。
「私が生きていた頃と変わっていなければ大体その方角でしょう」
よし。これで後は葵達が帰ってきてくれれば。っと、その前に。
「花ちゃん。さっき若紫さんから聞いたんだけど、今の花ちゃんは僕が全部力を借りちゃっているから何の力も無いんだ。だから」
「私はここに居るぞ」
「あー……」
分かっていた事だけれど、反対された。まあ彼女としてはここまで関わっておいて、今更仲間外れにされるような感じで嫌なのは分かる。でも、今回はさすがに危険すぎる。
「あのね、花ちゃん」
「差し出がましいようですが、源様。私も花様の意見に同意します」
僕がなんとか花ちゃんをなだめようとすると、予想外のところから反撃が来た。えーと、確か力を持たない危険性を僕に説いたのは彼女のはずだったんだけどな。
「さっき危ないっていったよね、若紫さん?」
「ええ、申しました」
「だから僕は出来るだけ花ちゃんを危険から遠ざけようとしているんだけど」
「はぁ」
呆れたようにため息をつかれた。それ、紫ちゃんの顔でやられるとかなり傷つくからやめて欲しいんだけどなぁ。
「源様は光様に限りなく似ていますが、女子の扱いはまだまだの様ですね」
「そ、それは……」
そりゃあ現時点でも三人から告白されてどうしようか困っている挙げ句、当初の目標だった紫ちゃんをお嫁さんにするという計画もうやむやになってしまっている。
僕はどうやら肝心な所は光源氏に似なかったようだ。いや、ある意味似ているのか?
「それは、なんですか?」
「僕の圧倒的な経験値の少なさ故です、ごめんなさい」
詰問してくる若紫さんの迫力に、遂には白旗を揚げてしまった。だって言い返す言葉が全くと言っていい程浮かび上がってこないのだからしょうがない。
「大丈夫だよ、先輩」
落ち込む僕の手を、花ちゃんがそっと握ってくれた。とても小さくて柔らかい手だ。でも何故だか、そこからとても頼もしい力が僕に流れ込んでくるのを感じ取った。
「ええっと、花ちゃん?」
「先輩、あの時言ってくれたじゃないか」
「えっ?」
「『花ちゃんは僕が守る。絶対にだ』って」
「あっ……!?」
そうだ。何で忘れていたんだろう、僕は。
単純な事だったんだ。僕が守ればいいんだ。その『力』は既にもらってある。だから僕はきっと今までにない力を発揮できるだろう。そんな事に今まで気付かなかったなんて本当になんて言うか、馬鹿というか阿呆というか。
「良い顔になりましたね」
唐突に若紫さんからほめられた。その無垢な賛辞に僕は少し照れてしまう。
「ふふ、照れた顔も光様そっくり」
そう笑う彼女の表情はとても朗らかだった。まるで僕の中に光源氏の面影を見ているみたいに。
きっと若紫さんは未だに光源氏を恋い慕っているのだろう。それでも彼女の魂は死してなお天には召されず、薄暗い呪いの檻の中に閉じ込められてしまった。ならば今こそ彼女の魂を解放させ、再び愛すべき人と一緒にさせてあげるべき。
僕は今、改めて誓う。
「みんなを守る。そして若紫さんを千年の呪いから解いて、光源氏の元へと返してみせる。それが多分、僕に課せられた使命だから」
小学生とのキスはR15に……ならないはず、きっと!
というかR15の基準はいったい何なんだろう?
そんなことはさておいといて、前回誤字報告して頂いた方有難うございました!




