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一目惚れ

「わかった。ゆかちゃんを守る為にアタシも手伝う」


 週明け月曜日の配達所で、(はな)ちゃんは僕の要請を快く引き受けてくれた。


「べ、別に先輩の頼みだから聞くんじゃないぞ。あくまでゆかちゃんの為だ!」


 そして照れ隠しも忘れない。やれやれ、僕の周りにはツンデレさんばっかりだなぁ。


「でも、どうしてゆかちゃんなんだ? 話を聞く限りだと鬼は四家(しいか)全体に恨みを持っているみたいだけど」


「うん。調べてみると鬼が若紫(わかむらさき)にかけた呪いの内容が【魂の器】として彼女を現世に縛りつけるみたいなもので、多分だけど紫ちゃんの中に無意識に彼女の魂が存在しているみたいなんだ」


 これは新たに発覚した事実だ。六条(ろくじょう)さんは昨日僕達が帰った後も情報を集めていたみたいで、今朝方未明メールが来ていた。


「それに僕もこの前、紫ちゃんの中に『若紫』の片鱗(へんりん)を見た気がするんだ」


「……アタシは全然感じられなかったけど、先輩が言うならきっとそうなんだろうな」


 なんせ先輩はゆかちゃんのストーカーだからなと花ちゃんは付け加えた。前々から思っていたんだけど、僕の評価ってそこまで低いのだろうか?


「とにかく、小学校でのゆかちゃんの守りはアタシに任せてくれ」


「うん、お願いするよ。あと、念のためにこれを返しておくね」


 僕は大きな布に包んだ、銭谷邸に討ち入って以来預かりっぱなしの或る物を花ちゃんの前に差し出す。思えばこれも特殊な能力を持っていたという意味では『そっち系』の品なのだろう。六条さんもそれっぽいこと言っていたし。


「これは?」


「ほら、花ちゃんが持っていた木刀だよ」


「あぁ、あれか! そういえば先輩に預けっぱなしだったな。でも、どうして今これを?」


 僕がこの木刀が霊刀の一種であるらしいことを簡単に説明すると、花ちゃんの表情が真剣なものに変わった。今の状況でただの木刀と霊刀では持つ意味が違い過ぎる。


「アタシに、ゆかちゃんが守れるかな?」


 その意味に気付き受け取る事を躊躇(ちゅうちょ)する彼女に、僕は軽く笑いかけた。


「大丈夫。基本的に霊は昼間に活動出来ないらしいから、それはあくまで保険。いくら四家と言えど、花ちゃんはまだ十歳なんだから危険な目には逢わせられないよ」


「でも……」


「けど、昼間に紫ちゃんを守れるのは花ちゃんだけ。お願いできないかな?」


 我ながらこの頼み方は卑怯だと思う。少しでも役目の欲しい花ちゃんはこれに頷くしかないから。でも、僕達は出来るだけ彼女に危険な役割を回したくなかった。


「わかった。もし霊が出てきたらこの木刀でぶっ叩いてやる! アタシも霊視は出来ないけど、霊感は多少あるからな」


「うん、お願い。あと最後に」


「分かってるよ。この事はゆかちゃんには黙っておけばいいんだろう?」


 さすがにもう僕の言わんとすることはもうお見通しの様だった。彼女にまで思考回路を読まれたら、もう完全に女性陣には頭が上がらなくなってしまったなぁ。




「さて、二人とも準備は出来た?」


「いつでもオッケーよ~」


「……」


 いつもと同じ様で違う朝の一幕。それは藤壺家の前に六条家の車が有り、そこに僕と葵と紫ちゃんの約一週間分の生活する為の荷物が今まさに詰め込まれている事だ。


 昨日六条邸で話し合った結果、鬼や悪霊が紫ちゃんを狙ってくるのなら四家がバラバラでいるのは危険だと判断した。それで一時的に四家の面々を六条邸に集め、鬼を打ち倒すまでの間住まわせてもらうことになった。


 我が家を離れることに抵抗が有るのか、いつも通り返してくれた葵とは反対に、紫ちゃんは僕の問いかけにも反応してくれなかった。


「紫ちゃん、大丈夫?」


「おにいちゃん、なんで急におひっこしなんですか?」


「違うよ、紫ちゃん。せっかくみんな仲良くなったんだから、しばらくお泊りしようって話になったんだ。その方が仲良くなれると思って」


 不思議がる紫ちゃんにあらかじめ用意していた言葉を返す。正直彼女に嘘をつくなんて普段の僕だったら万死に値する所業だが、今回は我慢せざるを得ない。


「黙っていてごめんね。でも、紫ちゃんを驚かせたくてさ」


「ううん、いいんです。だってこれは……」


「紫ちゃん?」


「えへっ、なんでもないですー」


 紫ちゃんは一つ笑うと、葵の方へと駆けて行ってしまった。うーん、笑顔で誤魔化されてしまったけど、これは思っていたよりも『彼女』が表面に出ていると考えていいのか?


(みなもと)くん」


 考えにふけっていると、車の方から声がかかった。運転席にはいつぞやの黒人マッチョマンの御者さん、助手席にはいつも通り優雅に六条さんが座ってこちらを向いていた。僕は呼ばれた意図を理解して閑静な住宅街に不似合いな高級車に駆け寄る。


「どうでしたか、紫さん?」


「なんとなく気付いているかもしれない。それに、多分だけど若紫の人格が前より顕著(けんちょ)になっている気がする」


 とりあえず先程の会話で紫ちゃんから感じ取ったことを六条さんに報告する。


 紫ちゃんに若紫の魂と人格が宿っているのはこの前の葵の件での反応でほぼ確定的だ。


 問題なのは紫ちゃんに若紫の感情がどの程度干渉してくるのか。そしてどこまでお互いを認識し合っているかだ。もし紫ちゃんが僕達のやろうとしていることに気付いて、若紫がこの千年続く呪いの事を教えてしまったら彼女達が一体どんな行動を取るか予想のしようが無い。


「とにかく、小学校にいる内は花ちゃんに任せるしかないね」


「えぇ。私達は私達で出来ることをやりましょう」


 やがて全ての荷物が積み終わった事を使用人の女の子が告げると、そこにいる全員を乗せて車は六条邸へと静かに発進した。




 途中の桐壺小学校前で紫ちゃんを下ろし、そこで花ちゃんと合流すると彼女の荷物を預かって積み込み、再び車は走り出す。


 というか花ちゃん。一応布には巻いていたけど、思いっきり木刀を武士みたいに帯刀しているのはどうかと思う。持ち物検査とか大丈夫だろうか? まあ、あの小学校は僕と葵が通っていた時から大らかなところがあったから多分大丈夫な様な気がしないでも無い。


 僕達は平安高校前で下ろしてもらい、車はそのまま五人分の荷物を乗せて六条邸へと帰って行った。その光景を見ながら、僕は来るべき戦いに向けてパシッと頬を一つ叩いて「よしっ!」と再び気合いを入れ直した。




「はぁ~」


 とは言ったものの、いざ学校の席に着くと考えるのは紫ちゃんの事ばかり。恋は病と言うけれど、この言葉を考えた人は天才だな。今まさに僕の心はじわじわと紫ちゃん心配病に侵攻されていた。もはや最強の軍隊と言われた我が源軍も降伏寸前である。


「まったく、今日これで何度目のため息ですか?」


 そりゃ隣にいる六条さんの表情も苦笑を通り越して呆れにもなるさ。だって、それくらい僕は登校してからため息の嵐だった。仮にも僕に好意を寄せてくれている子の前だから我慢はしようとしているのだけど、それでも止まらないんだよなぁ。


「私も常々好いた人に愛されたいと願っていますが、そこまで愛されると本望ですわね」


「うぅ、ごめんなさい」


 だから彼女の皮肉と嫉妬がたっぷり込められた言葉にも素直に謝ってしまう。


「そういえば、何で源くんはそこまで紫さんが好きなんですの?」


「何でと聞かれても、何でだろうなぁ?」


「源くん、それ本気で言っていますか?」


「うっ、割と本気かも」


 そういえば真剣に考えた事無かったなぁ。初恋の葵が全然優しくしてくれなかったからとか? 紫ちゃんが葵に似ていたからとか? ……それだと僕はかなり最低な奴だな。


「はぁ。恋に理由なんていらないとは言いますけど、どうにも源くんは天然ジゴロのような気がしますわね」


「それを言われると反論できないです」


 顔から冷や汗がダラダラと流れてくるのが分かる。まずい、六条さんの中で僕の評価がストップ安だ。きっと何か理由があったはずだから、これは真剣に思い出さないと。


「うーん……」


 僕は意識を記憶の海へと放り出した。


 すると、どうだろう。何かが見えてきた。それは遠い遠い、遥か昔の記憶だ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 僕の目の前には白衣を着た何人もの大人達が居た。そして、誰一人止まっている人も居なかった。誰かが何かを叫ぶと、それに呼応するようにまた違った誰かの叫び声が聞こえてくる。そんな時間がしばらく続いた。


 そして、それらが嘘みたいに収束していった。全ての音が、消えた。


 いや、違う。新しい音が聞こえてきた。それは、壁を隔てた向こう側からだった。「おぎゃーおぎゃー」というその声は、まさしく生まれたばかりの音だった。


 その時、僕はその子が男の子か、女の子かすら知らなかったはずだ。でもガラス窓から見えた大人に抱きかかえられるその子を見た時に、衝動的に思った


 ――ああ、僕はこの子を守って生きていくんだ。


 そして、僕の視線は横にずれていった。そこには僕にいつも優しくしてくれた、隣の家のおばさんが力無く笑っていた。僕とおばさんの視線が重なった時、おばさんの口が動いた気がした。おばさんがあの時何を言ったのか、それはもう確認する事は出来ない。


 でもあの時の僕は、おばさんの口がこう動いたと感じたんだ。


 ――この子をよろしくね。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「一目惚れ、だったのかな」


「一目惚れ、ですか?」


 繰り返した六条さんに僕は自然に「うん」と答えた。


 六条さんはしばらく考え込んでいたようだが、やがて頷くと「そうですか」と言って黙り込んでしまった。僕の想いは伝わったのだろうかと気にはなったけど、隣の彼女はやけにすっきりした顔をしていたのでそれでいいやと思えてしまった。


 そうして僕達の一日はいつも通りに過ぎていく。授業を受けて、昼食を食べて、掃除をして、ホームルームをして。


 鬼とか悪霊とかが嘘の様に、それでも緊張感だけは常に絶やさず。だってこれから始まる非日常を考えたら、この日常がとても大切で愛おしいものに感じられたから。

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