鬼
六条さんは電話越しの僕のつたない説明でも直ぐに状況を把握して来てくれた。
「入口に家の車を手配させました」
「じゃあ、そこまでは僕が運ぶよ」
短くやり取りを交わして、僕は葵の体を背負う。その肌はいつもとは違い、随分と熱を持っていた。一刻の予断も許されない。
「お姉ちゃん……」
「葵さん……」
紫ちゃんと花ちゃんはもう泣きそうになっている。突然の事態だから二人の不安も当然だ。だから、僕は空いている方の手で優しく二人の頭を撫でてあげる。
「絶対に大丈夫だから、心配しないで。六条さんもいるし、それに……」
最後の一言は、自分に言い聞かせるように。
「葵は絶対に助ける」
運転手さんの華麗なドライビングテクニックで、僕達は来た時の半分の時間で紫野の六条邸に帰ってきた。この家に入るのは初めてだけど、いつもの六条さん専属っぽい女の子の指揮の元、迅速に葵を客間の一室に運んだ。車中で葵から聞いた一通りの事情を六条さんに説明していたので、対応が早かった。
「体に悪霊ですか」
陰陽師が着るという狩衣に着替えた六条さんが、布団に横たわる葵に手を当てる。すると、そこからどす黒い煙の様なものが立ち上った。
「これは、相当厄介な悪霊のようですね」
「分かるの?」
僕の質問に「えぇ」と答え、更に精神を集中させるように彼女は眉間にしわを寄せる。すると、手から先程とは正反対の淡い光が出現し、葵の体を包も込もうとした、しかし、
「くっ!」
六条さんの短い悲鳴と共に、光は一気に霧散してしまった。
「やはり、未熟な私一人の力では無理ですか」
「六条さん、さっきの光は?」
「この狩衣の力です。これも霊具の一つで悪霊を清める力があるのですが、私の力が足りないばかりに……」
「その力、四家!?」
僕と六条さんが喋っていると、今まで静観していた花ちゃんが驚いた様な声を上げた。そういえば彼女にはまだ説明してなかったな。
「花ちゃん、この六条家も四家の一つなんだ。この前銭谷に討ち入りに行く時の五百万円もこの六条さんが貸してくれたんだ」
「そ、そうだったのか!? すいません、今更ですがありがとうございました。えーっと」
「宮須でいいですわよ、末摘さん。お話は源くんから伺っています」
「それで、宮須さんの『力』は」
「それも含めて、今一度整理した方が良いかもしれませんね。私一人の力では今回は難しそうですし。それに」
そして六条さんは今まで一言も発さず、心配そうに姉に寄り添っている紫ちゃんに視線を向けた。僕も同じ事を思い、頷く。
「紫さんにも説明が必要でしょう?」
「まずは『六条』の家の力ですが、これは知性と霊具を扱う能力です」
なるほど、知性というのはもっともかもしれない。六条さんは学年主席だ。そして、以前は僕と葵の前で平安文字も解読してみせた実績がある。そして霊具の使用。それはさっき見せてもらった通りだろう。
「その二つの能力で、六条家は陰陽師として成り立ってきたんだね」
「えぇ。でもまさかこんな肝心な時に何も役に立てないなんて、先代にも力を受け継いでおきながら申し訳が立ちません」
「み、宮須さんは悪くない。元々はウチの問題に引っ張りこんだアタシが悪いんだから」
唇を噛んで力が及ばなかったことを悔やむ六条さんを、花ちゃんが必死でフォローする。
「いや、花ちゃんも悪くないよ。葵を頼ってしまった僕が悪い。最初から自分の力を使っておけば良かったんだ」
そう、僕は知らず知らずの内に葵に頼るのが当たり前と考えてしまうようになっていたんだ。それが彼女の負担になることも知っていたはずなのに。自分の手のひらを見つめ、握りしめる。そして、心配そうに話に耳を傾ける紫ちゃんに謝る。
「ごめんね、紫ちゃん。葵がこうなったのは僕の責任なんだ。でも、絶対に助けるから安心して。全部終わったら紫ちゃんにも全て説明するよ。僕の事を」
「えぇ、分かりました」
「えっ!?」
今、紫ちゃんらしからぬ答えが聞こえた気がしたような?
「紫ちゃん、今なんて?」
「おにーちゃん、お願いします」
しかし、答える紫ちゃんは普通のいつも彼女だった。
空耳? みんなも特に驚いた様子は無いし……。
「それで、源くんの『力』は」
「あ、うん。僕の能力は道具の潜在能力を引き出すこと。この前銭谷の家で使ったのは木刀の限界能力を引き出して、全員を気絶させる衝撃を与えたんだ」
「そういう事だったのか。それにしても先輩、よく木刀の限界能力なんて知ってたな?」
花ちゃんの疑問も当然だ。いくら木刀って言っても普通の学生はなかなか持つ機会が無いだろうし。これが竹刀だったら話は別だけど。
「実は昔、能力を使って色々バイトとか弟子入りとかしていてさ。だから、一通りの物の限界能力は知っているんだ」
「あぁ、だから源くんは何でも出来ますのね」
六条さんは納得がいったという様につぶやいた。
「うん。だから昔悪霊退治に使っていた霊刀とかがあれば、もしかしたら」
「い、今直ぐ両親に聞いてきます」
そう言い残して六条さんは慌ただしく客間から出ていった。その後は部屋の中には葵の荒い息遣いだけが響いた。僕は彼女の眠る布団の脇に座り、その顔を優しく撫でた。
「ねぇ、おにーちゃん」
そこで、隣に居た紫ちゃんから声がかかった。
「なに、紫ちゃん?」
「おにーちゃんは、おねーちゃんのことが『すき』ですか?」
「うん、好きだよ」
紫ちゃんは多分意図して言った訳ではないと思うけど、「すき」の部分を強調していた。そして、それに僕はやけに自然に答えられた。
「それじゃあ、みやすさんのことは『すき』ですか?」
「うん、好きだね」
本人がいたら大変なことになっていたんだろうなーという気持ちもありながら、僕は紫ちゃんが本当は何を聞きたいのかがいまいち分かりかねていた。
「それじゃあ、花ちゃんのことは『すき』ですか?」
「もちろん、好きだよ」
「な、先輩! い、いいい、いきなり何を言ってるんだ! っていうか、ゆかちゃんもなんてこと聞いてるんだ!」
そういえば、花ちゃんはここに残っていたんだった。でも嘘はついてないよ、うん。
「それじゃあ……」
「お、お待たせしましたわ!」
恐らく最後の質問が発せられようとした時に、大きな刀を持って六条さんが帰ってきた。それによって、紫ちゃんは開きかけた口を閉じてしまう。
「紫ちゃん?」
「ううん、なんでもないです」
「あ、あの……私タイミング悪かったでしょうか?」
「いや、いいんだ。六条さん」
紫ちゃんからはまた後から話を聞こう。それより、六条さんは刀の他にも霊具を持ってきていた。どうやら斬るだけでは事は済まないらしい。
「せっかく四家全員が揃っている事ですし、完全にここで討滅しようと思います。かなり上位の悪霊みたいですし、一通り霊具は揃えてきました」
六条さんが用意したのは、この前の憑依実験の時よりもかなり本格的なものだった。何重にも重ねられたお札。それから分厚い装甲に包まれた小手。そして、最後に目測二尺六寸程の太刀が一本。
「今回は皆さんの力を借ります。まず、私がこの札を以て『退魔の陣』を敷いて葵さんの体から悪霊を追い出します。ただし、これは一時的なものにしか過ぎません」
次に六条さんは小手を手に取り、花ちゃんにそれを手渡す。
「これは『縛魔の小手』と言います。これを用いれば霊を捕縛できます」
「で、でもアタシ霊視なんて出来ないぞ」
「そこで、紫さんに霊の位置を捕捉してもらいます」
ちらりと紫ちゃんに視線を向ける。怖がっているかもしれないと思ったけど、彼女は驚くほど平然とした顔で六条さんの話に耳を傾けていた。
「紫さん、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
六条さんの問いに答える声もはっきりしている。いや、はっきりし過ぎているような。
「最後に、捕まえた霊を源くんに斬って頂きます。この『童子切安綱』で」
「ど、童子切って天下五剣の!?」
「えぇ、表向きは東京国立博物館が所蔵していることになっていますが」
僕は何気なく、本当に自然に刀に触れてみる。瞬間、
「ぐっ、うううううぅぅぅ、うわああぁあぁぁうぅ!」
耳をつんざく様な憎悪と怨嗟の悲鳴が、邪念と悪意が体を支配する。直ぐにでも刀を鞘から抜いて、誰かを切り伏してしまいたい欲求に駆られるのを必死に抑える。何とか理性を保って刀を取り落とす様に手から離す。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「だ、大丈夫ですか!?」
「う、うん」
慌てて近寄ってくる六条さんを視線だけで制する。
どうやら僕はこの刀を甘く見ていたらしい。流石にかつて鬼の首を斬ったとだけ言われるだけはある。呼吸を落ちつけて、僕はゆっくりと取り落とした刀を見た。
「思った以上に僕とこの刀の相性は良いみたいだ」
離した手を見ると、掌にはびっしょりと汗をかいていた。強がりを口にしていないと、再びこの刀を持とうという気が起きなくなってくる。
「大丈夫ですか? 無理なら他の刀を……」
「いや、これでいいよ。多分、これならどんな悪霊でも斬れそうだ」
再び僕は刀を手に取る。相変わらず気持ち悪い程の沢山の死者達の『声』が聞こえる。だが、精神を集中することで聞こえないようにする。どんな悪霊かは知らないが、たった一振りもってくれれば良い。そうすれば葵は帰ってくるのだ。
「始めよう、六条さん」
「わ、分かりました。でも、無理だけはしないでください。それは霊刀であると同時に妖刀でもありますから」
注意を促しながら六条さんは立ち上がり、先程の札を一枚一枚宙に放っていく。一見無造作に投げているように見えるが、ちゃんと葵の体を包むように決まった配列で床に散りばめられていく。やがて全ての札を放ち終えた六条さんは、胸の前で印を結んだ。
「【退】!」
普段からは想像できない彼女の質量を持った声は部屋全体を震わせた。そして、
『ぐおおおおおぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーっ!』
葵の中から獣の様な慟哭が聞こえてきた。目には何も起こっている様には見えないが、それでも今あそこには人では無い『何か』が居るのだろう。
「紫ちゃん、花ちゃん、お願い!」
僕が叫ぶと、紫ちゃんはすぐさま葵の体の上部を指差した。あそこに悪霊の本体が居るという事なのだろう。そして、阿吽の呼吸というべきか、親友である花ちゃんがすぐさま小手を振り上げて『それ』を掴みにかかる。すると、確かに花ちゃんの指と指の間に『何か』が挟まっている様な空間が出来た。
これで、目標は定まった。
「葵、今助けるからな!」
刀を構え、悪霊を握りしめる花ちゃんが掴んだ上部を横に薙ぎ払った。
すると、ぐにゅりとした確かな感触が刀に伝わってきた。「斬った」と思った次の瞬間、ドサリと何かが
畳の上に落ちる音が耳朶を打つ。見れば青白く発光した『何か』が畳の上でもがいているのが視認出来た。霊力が弱くなった為に一般人より霊感を持った僕達には見えるようになったのかもしれない。
姿形的にそれは『鬼』と表現するのが一番適切な容姿なのだろうけど、その姿はどこか中途半端だった。そして、鬼の姿を取った悪霊は恨めし気にこちらに視線をくれた。
『が、ぐがが。此の力、まさしく四家。だが、何故だ? 一家を潰していた故、四家の力が揃うはずは……なっ!?』
そこまで言って、鬼はまるで信じられない物を見たような顔になった。
『馬鹿な!? ……いや、だがそれなら納得がいく。ならばここで易々と討ち滅ぼされるのは訳にはいかぬな。我が主の為に』
「な、何を言っている!?」
一人訳知り顔で納得する鬼に向けて、刀を突き付けた。しかし鬼は床に手をついて反動をつけ、上半身だけで飛びかかってきた。とっさに避けようとする。が、予想外の行動に対応が半歩遅れ、頬を鬼の爪が掠めていった。
「っ!?」
痛みに思わず顔をしかめるが、直ぐに刀を正眼に構えなおす。気を抜くな。ここには女の子が四人もいる。いくら『力』があるとはいえ、武器を持っているのは僕一人なんだ。
『ほぅ。四家の血は長年で薄れたと思うておったが』
「……」
『だが、器を見つけた限りこちらも手を抜かん』
「器?」
聞き慣れない言葉に、思わず反応してしまう。
『そこまでは伝わっておらぬか。まあいい、私には関係ないこと……だっ!」
今まで自分に向けられていた殺気が、急速に移り変わるのが本能で理解できた。鬼の標的は……紫ちゃんだ。体が遅れた。だが、童子切が、刀がまるで鬼を求めるかのように僕の体を引っ張った。そして鬼の手が紫ちゃんに届く前に、一振りでその凶刃を斬り伏せた。
『ぐっ、其の刀は『安綱』!? またもやこの刀に阻まれるのか、我らの大命が』
今の一撃は確実に致命傷だった。半身を失い、手すら失ったらもう反撃の手立てが残っているとも思えない。それでも鬼の目から生気が消える事は無かった
『ふ、殺すが良い。源の者よ。だが、次は自分達の番だという事を忘れるな』
刀を突き付けられながらも鬼は何かに操られるように一歩、また一歩と上半身だけで這いずって行く。その目は僕の先に居る紫ちゃんを見ていた。
『長きに渡り夢見た主の復活の日。ようやく、千年越しに機会が巡ってくるとは』
ずり、ずり。
『器はもう既にある。後は……』
鬼が紫ちゃんにもう無いはずの手を伸ばそうとする。だが、その前に童子切が反応した。感覚的には下に落としただけで刀身は深々と鬼の頭を貫き、その姿がサラサラと砂の様に消えていく。だが、それでも尚、声だけが不気味に響く。
『天が鬼と人、どちらを選択、する、か……』
最初から最後まで鬼はこちらの事など歯牙にもかけず、意味不明なことばかりを言って消滅してしまったのだった。
「終わっ……た?」
刀を握っていた手から、力が急激に抜けていった。短時間とはいえ、こんな物騒な刀を振りまわしていたせいかも知れない。童子切は鬼に止めを刺した時のまま畳に突き刺さっていた。実際に使ってみて本当にこの刀が本当に天下五剣で妖刀の一つであると実感した。
「そうだ、葵!」
気だるげな体を跳ね起こして、彼女の寝ていた布団に駆け寄る。すると、先程まで呼吸が荒かったのに対して、今はすやすやと安らかな寝息を立てていた。
「どうやら成功したみたいですわね」
安心していると六条さんが話しかけてきた。彼女もかなり『力』を使ったのか、ひたいには玉の様な汗をかいていた。でも、それに負けず劣らず表情は晴れやかなものだった。
「一時はどうなる事かと思いましたけど」
「みんなの協力があったからこそだよ。ありがとう」
「本当、何で自分の恋敵を助ける為に必死になっているんでしょうかね?」
くすっと悪戯っぽく笑う六条さん。でも、もう否定はしない。別に葵に特別優しくしている訳じゃないけど、彼女も僕が最優先で優しくする一人であるのは間違いないから。
葵と六条さんの無事を確認すると、僕は年少組に駆け寄った。
「紫ちゃん、花ちゃん、大丈夫だった」
「あ、あぁ。特に怪我はしてないよ、先輩」
斬った直後から僕にも悪霊が見えたという事は、恐らく花ちゃんもあのおぞましい姿を目にしてしまったんだろう。平静を装っているつもりのようだが、彼女の膝は震えていた。
でも、
「どうしたですかー。おにいちゃん?」
花ちゃんよりも怖い目にあったはずの紫ちゃんがけろりとした顔でいた。
僕はその表情が一瞬信じられなかった。彼女は悪霊に迫られて一番怖い思いをしたはずだ。それなのに、こんなにも平然としていられるとは思っても見なかったから。
「紫ちゃん、大丈夫だった?」
「はい、おにーちゃんがやっつけてくれましたから」
一応尋ねてみるが、やはり普通の反応が返ってくるばかり。
何故だろうか? 本来は喜ばしい事のはずなのに、僕はどこかうすら寒いものを感じずにはいられなかった。そして、紫ちゃんにこんな感情を抱いてしまう自分が怖くなった。
「源くん、どうかしましたか?」
「……ううん。それより、あの悪霊が最後に言った言葉」
「気になりますわね。私の方で少し調べてみます」
「うん、お願いするよ」
今となっては旧家でまともに機能しているのは六条家だけ。ここは彼女に頼らざるを得ないだろう。今はただ、悪霊から解放された幼なじみが目覚めるのを待つばかりだった。
今さらながらこの作品は8年くらい前に書いたものなんですが、
なんで唐突にシリアス路線になったんだろうと投稿しながら思う次第であります。




