六条 宮須という女の子
僕の朝は早い。
朝四時に起床。それから新聞配達のアルバイトに向かう。
紫ちゃんをお嫁さん候補にすると決めてから、僕は彼女を自分好みの女の子にする代わりに、自分もそれに見合う男になろうと出来ることから始めることにした。正直、平均的な顔の僕は彼女に釣合うためには努力が必要だった。
そして最初に思いついたのはアルバイトだった。色んなバイトを経験したけど、今はなんやかんやあって新聞配達に落ち着いている。
新聞配達は学校も許可しているし、自分が比較的早起きで尚且つトレーニングにもなると思ったからだ。毎日自転車をこいでいれば自然と筋力が付くだろうという短絡的思考だったが、それでも実際にやってみると体力もついたし、体格も良くなった。
「おはようございまーす!」
「おっ、おはよう源くん」
「今日も早いわねぇ」
配達所に入ると、ここを経営している明石 靖男さん、清さん夫妻が挨拶してくれる。
ちなみに源くんとは僕の事。本名『源 光』
「靖男さん、清さん、お疲れ様です」
「今日の分、そこに置いておいたから」
「はい!」
配達所の机の上には既に梱包から外され、広告が折り込まれた新聞の束がうずたかく積まれていた。本当は広告の折り込みはバイトの仕事だが、明石夫妻はここのバイトに学生が多い事を知っているので『これくらいは自分たちでやるよ』といつもやってくれているのだ。
あまりにも悪いので何度か早く来て自分で折り込もうとしたのだが、断固として作業を譲ってくれなかった。
「本当に、敵わない」
もう親子以上に歳の離れた人達の心遣いを肌で感じながら、いつものように新聞の束を自転車の荷台にくくりつけて、またがる。
「さて、今日も行きますかー」
まだ朝日も昇りきっていない瑠璃色の空を見上げながら自転車を漕ぎ出す。同時に朝の爽やかな風が肌を撫でた。
僕が毎日配るのはおよそ百部だ。それをこの近辺に、歴史と未だに残る不思議な雰囲気に包まれた京都府京都市北区紫野の一帯に配っていく。ちなみにウチで扱っているのは朝陽新聞。一日の始まりみたいで実に素晴らしいネーミングだ。このネーミングでバイト先を決めたと言ってもいい。
「よ~お~こそ~京都へ~きよみーずから~ダイブ!」
自分で作詞し、既存のメロディにそれを乗せた『おいでませ、京都』を歌いながら鴨川沿いの道を走行する。もう五月半ばとは言え、家々のポストに丁寧に新聞を入れていく僕に吹き付ける風はまだ冷たかった。
基本的に毎日百部を配るのには一時間少々かかる。本気を出せば三十分強で終わらなくもないが、『力』はいつもいざという時の為に取っておくのが美学だ……と何かのヒーローアニメで言っていた。
「まあ便利と言えば便利なんだけど、一体何の為にあるのやら……」
僕が『力』について親父から教わったのは幼少時だ。なんでもウチのとお隣の藤壺家の家系は一般人には使えない超能力染みたものを使えるらしい。
でも僕が使える能力って『物質の潜在能力の底上げ』みたいなもので、藤壺家の長女で幼なじみの葵の能力と比べるとぶっちゃけ地味なんだけどね。大きな力を使おうと思えばそれだけ集中力を高めないと成功しないし。
だけど滅多に使える人がいないのもまた事実らしい。ので、使用する際は注意が必要。
川沿いにある主だった家への配達を終了すると、今度は少し横道に入った所にある、いわゆるお金持ちの皆様が住んでいる区域に入る。
ここまでくれば新聞の残り部数もだいぶ少なくなっている。元々この区域で配る量は少ないが、実は最近知り合いが一人ウチの新聞を取り始めたのだ。しかも、この前配達に行った時は律儀に家の前で待っていてくれた。
「もしかして、今日も待って……いやいや」
呟きながら僕は漕いでいた自転車を一旦止め、配達順を少し変える。
頭の中には一人の女の子の姿があった。
まさかとはと思いながらも、僕は周囲に人がいない事を確認してから足を通して自転車の車輪に自分の『力』を少し付与し、その回転数を上げていち早く彼女の家に向かう。すると、案の定と言うか目的地には一人の女の子が所在なさ気に立っていた。
「うぁ、まずっ! 本当に待ってたんだ。 おーい、六条さーん!」
更に自転車の回転数を上げつつ、僕はクラスメイトでもある女の子に呼びかける。
「あっ……」
女の子は僕に気付いたのかこちらに目を向けた。その表情が少し嬉しそうに見えたのは僕の勘違いなのか、はたまた……。
「遅いですわよ、源くん!」
僕が六条家の前に自転車を停めるのを確認すると、彼女は不機嫌そうに言い放った。
「ご、ごめん! まさか今日も待っているとは思わなかったからさ」
「べ、別に待っていた訳ではありません。私はただ日課の朝刊取りについ今しがた出てきただけですわ」
「あれ、でも今『遅い』って……あぁ、まあいっか」
「そ、そうです。そんな細かい事どうでもいいことなのです! そ、それよりも新聞を」
「あぁ、そうだね。ちょっと待ってね」
僕は自転車にくくりつけてある新聞を一部抜き取る。その間に六条さんは背後にある純和風木造平屋のお屋敷に何やらサインを送っていた。えーと、バント? 違う、ヒットエンドランか?
「六条さん、これ今日の新聞ね」
「え、えぇ、どうもありがとう」
受け取りながらも、六条さんは空いた手でそのウェービーヘアをくるくるといじりながら何かを待っている様子だ。あ、これはもしかして……。
「み、源くん! もう少し時間はおありかしら?」
「うん、大丈夫だよ。六時までに全部配り終えたらいいから、別に焦ってないし」
必死になって時間を気にしている六条さんに、出来るだけ自然に笑いかける。
ウチの配達所は六時までに配り終えたら別にどのような配分で配達しようと構わないのだ。極論を言えば五時五十九分に来ても、一分で配り終えたら問題無い。まあ、僕は『力』を使ったとしてもそこまで超人にはなれないけど。
一分くらいして、屋敷の中から僕達と歳の変わらないくらいの女の子が一人出てきた。彼女は六条さんに一礼し、おぼんに乗った湯飲みをうやうやしく渡した。そして、それはそのまま僕の前に差し出された。
「ご、五月とはいえ朝方は寒いですから」
言葉は少なかったが、彼女が何を言いたいのかは理解できた。
「いつもありがとう。頂くね」
僕は湯飲みを受け取り、頂くことにする。いつもながら僕の舌に合った適温だ。中身はほうじ茶で、少し冷えた肌にぐっとしみこむ感じがした。少し時間をかけて飲み干し、湯飲みを六条さんに返す。
「ありがとう。これさ、本当に有難いんだ」
「そ、そうですか。まあ、気にしないでください。ついでの様なものです」
彼女はそう言うが、僕は六条さんが毎回意図してこれを用意してくれているのを知っている。本人は決して認めようとしないだろうけど。
「本当に、いつまでもあの時のことなんか気にしなくていいのに」
「な、『なんか』ではありません! 私にとっては大切な事です!」
六条さんの剣幕に、僕は少し苦笑してしまった。
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高校に入学した頃、クラスで一人浮いている女の子がいた。
それが『六条 宮須』という女の子だった。
僕の席の隣に座っていて、いつも一人でいる。
最初は別に気にしなかった。
その時には、僕はもう大きい女の子を苦手としていたから。
でも、次第に彼女の行動が目に付くようになった。
彼女は何事においても一生懸命だった。
授業を受けるのも、ご飯を食べるのも、掃除をするのも、委員会活動も。
次第に、「あぁ、大きい女の子でもこんなに純粋な子がいるのか」と思い始めた。
クラスメイトのみんなも気付いていたと思う。
でも、彼女はどうやら人との接し方をあまり知らないようだった。
だから、ほんの少しクラスに溶け込めるようにきっかけを作ってあげた。
その日から、彼女は僕に恩を感じてくれたらしく、色々優しくしてくれるようになった。
まあ、ただそれだけのこと。
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「六条さんはおおげさだなぁ」
「おおげさではありません。これは正当な恩返しです!」
まあ、そんな一生懸命なところが彼女らしいと言えばらしいと思う。
「でも僕はまだ大した人間じゃないよ。少なくとも、六条さんとじゃ釣り合わない」
「それを決めるのは私です」
「はは……じゃあ、そろそろ僕は行くよ」
手詰まりになると逃げるのが僕の悪い癖だ。気付いていて直せないのだからたちが悪い。
「もう、行かれるのですか?」
「数時間後には学校で会えるしさ」
「そうですね。私の私情で源くんを縛りたくないですし……」
言いつつも、六条さんは捨てられた子犬みたいな目をしている。
「じゃ、じゃあまた学校で」
彼女の方を出来るだけ見ないようにしつつ、自転車にまたがる。
「あ、そういえば……」
すると六条さんが何か思い出したように声を発する。やばい、この流れはきっとやばい。早く逃げなければ。僕は急ぎ自転車のスタンドを蹴る。
「も、ももも、もしかして今日も藤壺先輩と登校しますの?」
「あ、あはは」
とりあえず自転車を漕ぎ出しながら曖昧に笑った。正確には藤壺(葵)先輩はおまけで、藤壺(紫)ちゃんと登校するんだけどね!
「ちょ、ちょっと、答えてください! 源くううぅぅーーん!?」
背後で恐ろしい六条さんの声が聞こえたのは、気のせいにしたい。気のせいにしとこう。