借金? そんなものはない
「なるほど、それで私ですか」
「うん、それも本当に一時的だけで。駄目、かな?」
「源くんの頼みを私が断れないって、知っているくせに」
僕が今回の件で重要になってくる『お金』の打診をした人物は、少し恨みがましそうな目をこちらにくれつつも要請に応じてくれた。
「それで、如何程用意すればいいんですの?」
「負債者が元々銭谷に借りていたのは五百万」
「分かりました。直ぐに手配いたします」
「ありがとう。それとごめんね、六条さん」
付属平安高校一年一組。
朝のホームルーム前のどことなくだらけたクラスの空気の中で、僕と六条さんは何ともヘビーな話題を展開していた。しかし流石というか何と言うか。五百万なんていうサラリーマンの平均年収以上の額を出しても、彼女は眉をピクリとも動かさなかった。
「本当に私が用意するのはそれだけでいいのですか?」
「うん、後はこっちで何とかする。まあ、ちょっと葵の力を借りちゃうけど」
「藤壺先輩の?」
小首を傾げる六条さんに、葵の特殊体質について少し説明する。もちろん事前に了解は取ってある。まあ、流石に二つ返事でオッケー出されるとは思ってなかったけどさ。
「そうですか。藤壺先輩にもそんな能力が……」
前に紫ちゃんの霊感を実感していたからか、予想外に驚きは少なかったみたいだ。でも六条さんの陰陽師の力といい、藤壺家の力といい、そして自身の力といい僕の周囲には不思議が溢れている。これは単なる偶然なんだろうか?
「とりあえず、一通りは分かりました。でも、もし困ったことがあったら」
「うん、遠慮なく頼らせてもらうよ。六条さんの人力車の御者さん。めちゃくちゃ強そうだもんね」
ことさら明るく笑って、僕はこの会話を終了させた。これ以上しゃべっていると、本当は頼るつもりが無いことがばれてしまいそうだったから。幸い、六条さんが僕の心の動揺に気付くことなく朝のチャイムが鳴った。後は諸々の裏を取るだけだ。
「ほいこれ、調査の結果ね」
「ありがとうございます」
紫野から少し足を伸ばした京都の中でも恐らく最も賑わいが有る街、四条河原町。祇園に続くそのメインストリートから少し横道に入った場所の雑居ビルの一室で、僕はかつての同僚からある男の資料を受け取った。
資料の見方は忘れてはいない。なんせ数カ月前までは毎日とはいかないまでも、二、三日に一度は目にしていたのだから。パラパラと渡された調査結果を流し読みする。そして、自分の予想が間違っていなかった事を確信する。
「何だ、またヤバい事にでも首突っ込んでんのか?」
僕の顔に笑みが浮かんでいたのを目ざとく見つけた元同僚が、煙草を吹かしながらニヤニヤと尋ねてくる。僕未成年なのに遠慮無いな、この人。
「その男、銭谷の一派だろ?」
流石に興信所の所員という特殊な業種に就いている為か、銭谷の悪名は最早ここで働いている全員が知っている事だろう。だから、隠しても無駄なのだ。
「ちょっと知り合いがぼられたみたいなんで、お灸据えてきます」
「おぅおぅ格好いいねぇ、青少年。惚れた女の為ならって奴か?」
「違いますよ」
懐かしいやり取りに思わず笑ってしまう。自分を磨く為に入った職場だったけど、この事務所の雰囲気は結構好きだった。
「ま、銭谷は俺達にとっても目の上のタンコブだ。居なくなってくれるのにこしたことは無い。どうやって灸据えるのかは気になるが、まあ頑張れや」
ポンっと肩を叩いて奥に引っ込んでいくかつての仲間であり先輩。僕はその背中に黙って頭を下げて、事務所を後にした。
それから数日が経った。花ちゃんはアルバイトに慣れて今やウチの配達所には欠かせない人員になり、またマスコットとして他の配達員にも大人気だった。そんな時だった、葵の力がほぼ完全になったと連絡が入ったのは。
もし、もし全てが解決したら花ちゃんはこの配達所も辞めてしまうだろう。当たり前だ。働かなくても幸せな家庭が返ってくるのだから。でも、その事実に僕は少し寂しさを感じていた。
少ない日々の中で今まで触れた事の無い彼女の表情に、驚くくらい感情を揺さぶられていたのかもしれない。でも、自分で花ちゃんに言ったんだ。「全部何とかしてあげる」と。だから、僕は考えてきた作戦を彼女に伝える。
「花ちゃん」
ちょうど夕刊配達を終え、配達所に戻ってきた花ちゃんに声をかけた。
「ん、どうしたんだ? 柄にもなく真剣な顔をして?」
花ちゃんは後ろ手に扉を締めながら、既に彼女専用になったパイプ椅子に腰を下ろした。
「実は、借金の事」
そこまで言っただけで、花ちゃんの顔色が急激に変わった。驚いて少し腰も上げたのか、ガタンという音が室内に響いた。
「な、何かあったのか!? まさか銭谷がここまで催促に来たとか……」
最悪の事態を想起したのか、彼女の体は小刻みに震えていた。それを落ち着けるように、僕はゆっくりと息を吐き出しながら言葉を紡ぎ出す。
「そうじゃないよ。借金を返せるめどが立ったんだ」
「ば、馬鹿言え。だって五百万もあるんだぞ!?」
興奮したようにまくし立てる花ちゃん。無理も無い。僕も彼女より年上とは言え、一介の高校生に過ぎない。六条さんの協力が無ければ五百万なんていう大金、とてもじゃないが用意できなかっただろう。でも、それすらただの保険。
「確かに語弊があったね。借金を返すめどが立ったんじゃない。『借金を返す必要が無かった』んだ」
「えっ、どういう、意味?」
そこで僕は彼女に元職場から手に入れてきた情報、全ての種明かしをしてあげた。
実際に借金500万とかあったら死ねる……死ねる……。
あとジャンル別日間ランキング52位になっていました!
これも読んでくださっている皆さまのおかげです、有難うございます!