はじめてのアルバイト
「靖男さん、良く考えてください。彼女まだ小学生ですよ!」
僕が初めに取った行動は、とりあえず暴れる花ちゃんをなだめて店長(靖男さん)の正気を確かめることだった。いや、この言い方では語弊がある。靖男さんは僕の知る人間の中でもかなり常識を持ち合わせた人だ。そんな人だからこそ、小学生を雇用したことに疑問を持たずにはいられなかった。
「私も何度も無理だって言ったんだけどねぇ……」
「店長は悪くない。私が無理に頼んだんだ!」
困ったように頭をかく靖男さんの隣で、花ちゃんは自分に責任があると言い続ける。うぅむ、これでは埒が明かないな。一旦話を整理しないと。
「花ちゃん、どうしてバイトを?」
「それは、お金がないからだ!」
順当な答えを、彼女は少し詰まりながら導き出した。
「お父さんやお母さんから貰えないの?」
「それは」
次の問いには答えが返って来なかった。もしかして親子喧嘩でもしたのだろうか? それにしてもバイトというのは……。
「源くん」
思案していると靖男さんが小さく首を振った。
僕は自分の過ちに気付いた。一歩踏み出し過ぎた、浅はかな質問をしてしまったという後悔が心の中を波の様に浸食していく。けど、黙っていることは余計に最低だ。
「ごめん、余計な事聞いた」
言葉は簡単だ。現に謝罪の言葉も脳が命令すればこんなにも簡単に出てくる。でも、不用意な発言もそれと同じくらい安易に発してしまう。
「いい、別に隠すことじゃないし」
だからこんな大人な対応をされてしまうと、更に惨めな気持ちになってしまう。
「ウチさ、結構……いや、かなり貧乏なんだ」
花ちゃんはうつむきながら、その小さな手をぎゅっと握り締める。
「元々貧乏だったんだけど、それでもなんとか普通に生活できてた。でもウチの両親、人が良くてさ。直ぐに他人に騙されるんだ」
花ちゃんの真っ直ぐな性格はご両親ゆずりだったのか。
「今回もお父さんが借金の連帯保証人になっちゃって。その人に逃げられて代わりにお金払う事になって。『銭谷』っていう家知ってる?」
知っている。昔からこの地域に住んでいる極道だ。あの家がある地域はこの辺りで唯一治安が悪い。いわゆる生粋のヤバい人達の住処。
「まさか、その財産取られた相手っていうのは」
「うん、元々借金してた奴がお金借りてたのが銭谷なんだ」
「なるほど」
花ちゃんの言葉に頷く。これで大体の事情は把握出来た。銭谷、借金、そして連帯保証人。これだけのワードが揃うと、ある仮定が頭の中に浮かび上がる。だが、まだ確定じゃない。調べてみる必要がある。
「花ちゃん」
僕は、普段紫ちゃんにしか見せない笑顔で花ちゃんに語りかける。
「な、何よ」
少し警戒したような反応。無理も無い。今までずっと敵視してきた人間から向けられた優しげな瞳なんて中々信じられるものじゃないだろう。でも、これだけは聞かなきゃ。
「お父さんとお母さんは、今どうしているの?」
「……ずっと働いてる。家に帰る暇も無いぐらい」
答える花ちゃんの顔には今まで隠していた濃く深い悲しみがあらわになっていた。それが聞ければ、動く理由としては十分だ。
「靖男さん」
「なんだい、源くん」
さっきから静観していた一番の年長者は、穏やかな表情で僕を見返してきた。まるで、これから僕が何を言うのか分かっているみたいだ。
「花ちゃんのこと、僕に任せてもらえませんか」
「えっ!?」
花ちゃんは僕の提案に驚きの声をあげた。対して靖男さんは静かに頷いた。
「悔しい事に、年老いた僕らより源くんの方がよっぽど頼りになるからねぇ」
「ははっ、若い分体力ありますから!」
困ったように頭をかく靖男さんに、冗談っぽく力こぶを作って見せた。
「えっ、えっ!? あの……!?」
そして笑いあう僕たち二人の間で、話の中心人物は話がどういう方向に話が転がったのか混乱している。そんな彼女に、僕はそのままの笑顔で告げる。
「大丈夫、全部なんとかしてあげるから」
「ぅ……ぅん」
小さく答える花ちゃんは、ちょっと不満そうだったけどちゃんと頷いてくれた。
「花ちゃん、自転車補助輪無くても乗れる?」
「バカにするな、大人用にだって乗れるぞ!」
そう言って花ちゃんは慎ましやかな胸をえへんと張った。
「じゃあ、花ちゃん用にサドル下げるからちょっと待ってね」
配達所の横にある駐輪場で、一揃いの工具を引っさげて自転車を花ちゃん用にカスタマイズする。とは言っても彼女の運動神経を考えると本当に大人用にも乗ってしまいそうだ。
「はい、完成」
スタンドを立てて、自転車を花ちゃんの前に持っていく。彼女は無言で自転車にまたがると、配達所の前の道を器用に二、三周走行した。そして、僕の前に停車する。まさか本当に大人用に乗ってしまうとは、たまげたなぁ。
「ほら、これで文句ないだろ!」
「うん、じゃあ、ちょっと遅くなったけど夕刊配達行こっか」
自分用の自転車を取り出し、そこに夕刊を積みこむ。
「おい、どうしてオマエの方に積む。これはアタシのバイトなんだからアタシの方に積め」
「じゃあ花ちゃん、地図見ないで配る場所分かる?」
「うっ。そ、それは……」
困ったように黙り込む花ちゃん。両親の為に自分まで働きに出ようとする強い子だ。責任感の強さもきっと小学生の枠に当てはまらないほど強いだろう。でも、
「別に甘やかそうって訳じゃないよ。ここのバイトは最初に地図覚えるところから始めるんだ。だから、今日の花ちゃんの仕事はそれ」
「ぁ、うん……」
消え入りそうな声で答えた花ちゃんは、そのまま自転車を漕ぎ出した。
暮れなずむ春の空の下、二台の自転車が鴨川沿いを並走する。川の水面は夕日の陽光を受けてキラキラと輝いている。でも、花ちゃんの顔はまだ冴えない。
「ねぇ、花ちゃん」
「何だ?」
相変わらずぶっきらぼうな、それでもいつも話す時より随分と険の取れた声。
「もし良かったらさ、今日紫ちゃんの家に泊らない?」
「えっ?」
前を向いていた目がこちらに向けられる。それでもちゃんと真っ直ぐ自転車を走らせているのはさすが。幼き日の僕に見習わせてやりたい。
「お父さんとお母さん、きっと夜も忙しくて帰って来られるか分からないでしょ?」
「……ぅ」
「ならさ、友達の家にお泊りってことにしてさ。どうかな?」
「……」
前に向き直り、花ちゃんは僕が言った事を考えているようだった。そして、彼女が漕いでいた自転車がきぃと音を立てて止まる。
「花ちゃん?」
「ここ、配る所だろ?」
「あっ!?」
夕刊配達なんて滅多にしないからすっかり忘れていた。もう一年もやっている僕に、アルバイト初日の花ちゃんが的確に指摘を飛ばす。自分からナビゲート役を買って出たのに、これでは面目丸つぶれだな。
「しっかりしてくれよ、先輩」
そういう花ちゃんは笑っていた。恐らく僕は出会ってから初めて彼女に代名詞以外で呼ばれたんじゃないだろうか? うーん、顔がニヤニヤしてくる。
「ははは、参ったなぁ」
顔に嬉しさ成分を多分に含ませ、僕は花ちゃんに新聞の入れ方をレクチャーしていく。彼女はそれを的確にこなしながらも、ふとこちらに顔を向けた。
「先輩」
「何?」
「今日は友達の家に泊まるって配達所に帰ったら連絡する。バイトの事もちゃんと言う。だから……」
そうだね、だから。
「先輩が何でゆかちゃんの家に勝手に人を泊める権利を持っているのかきっちり説明してもらうか・ら・な?」
彼女が再び敵意を向けてくれる事を喜べばいいのか、悲しめばいいのか分からないんだな、僕は。
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ところで皆さまの初めてのバイトは何だったでしょうか? ちなみに私はマクドナルドです(すごくどうでもいい情報)