おしまい
暴走してます。
「ミファ、体調は治った?」
「ええ。ご心配いただきありがとう存じます。先日は突然帰ってしまって申し訳ありません」
「いや、それは大丈夫だけど……」
彼は頬づえをつきながら片眉を上げた。聡い彼は、雰囲気の中に何かを感じ取ったのかもしれない。
私はこれ以上彼が思考を進めないうちに、と、素早く歩み寄った。
「?ミファ……」
彼の声が、止まる。
私は彼の両手同士を自然な動作で組み合わせて、包帯を巻くような自然な仕草で縄で括り合わせた。
「……」
彼が何も言わずにいるのをいいことに、完全に固結びにすると、上げかけている腰をソファに下ろさせる。
「……ミファ」
私は黙ってその膝の上に乗った。
「……お口を開けてください」
「…………」
器用に片眉を上げたまま黙り込む彼。
まぁ、この状況で簡単に開ける彼じゃない。
私はがしっとその頬を掴んで、その唇の隙間に指を差し入れる。
彼が黙ったまま、私に問うような視線を投げかけてきた。
「え?これですか?悪いものじゃないですよ。ただ眠くなるだけのお薬です」
私は手に持った丸薬を口に含んだ。
それからひと思いに、そのきれいな唇に噛み付く。
また、だ。
結局私のやることはいつも同じ。
無理矢理、強引に彼を手に入れる。
でもこうでもしないと手に入らない。嫌われるのは嫌だけれど、私のものにならないのはもっと嫌だ。誰かのものになってしまうのはもっと。
舌で唇の裏をなぞる。
息が出来なくなったのか、思ったよりあっさりと噛み合わせられた歯が開いた。
一気にその奥に舌を忍び込ませる。
「……ん、ぐっ!?」
先に呻いたのは、私だった。
薬を押し込もうとした舌を絡め取られ、彼の舌が主導権を握る。
いつの間にか彼は、戒められた手をそのままに、腕を輪のようにして私の身体を手と自分との間に通し、逆に私を拘束していた。ゆっくりと身体を倒され、気づくとソファの上でのしかかられる体制になっている。
口の中をかき回されていることに意識を取られていた私がそのことに気づいたのは、彼が私の舌から丸薬を奪い取り、近くの地面に吐き捨てた時だった。
「……さて、説明してくれるね?」
「……」
勝てない。
私は目の前が真っ暗になった。
頭の中は口付けの気持ち良さと恐怖と絶望感でぐちゃぐちゃで、まともに考えられない。
ただ真っ暗で、目の前の彼の表情すらよくわからない。
どうしよう。
どうしたら。
もう一緒にいられない。
「……ミファ?」
「……やだ……いやだぁ……!」
「…………ミファレン」
少し強い声で呼ばれて、私は身体を跳ねさせた。
もう、取り繕う余裕がない。
「……ご、ごめんなさい……」
「謝罪じゃなくて、理由が聞きたいな。どうしてこんなことを?」
「だ、だって……離れて行っちゃう、から」
「……どうしてそんな思考に至ったのか、まぁ心当たりがないわけでもないけど……」
その言葉に、心臓が嫌な音を立てる。
やっぱり、知ってるんだ。この人は全部分かってる。
「うーん、まず、僕を眠らせたとして、それからどうするつもりだったの?その細腕じゃ、どこかに運ぶこともできないよね」
「……隠密を、忍ばせてあって、彼に、王宮の隅にある隠し通路から……私の用意した、部屋まで……運んでもらおうと」
彼が長い溜息を吐く。
「とりあえず、その子には離れてもらえないかな。今、頼める?」
「……はい……」
私はぱちんと指を鳴らした。天井付近の気配が消える。
「……全く君は王宮をなんだと……って、まぁ今はそれはいいや」
彼はいくらか呆れた目で、それでも私をまっすぐ見つめた。
「で?僕が消えた王宮は大騒ぎになるわけだけど、それは?」
「……あなたの筆で、諸国を巡る遊学の旅に出るという書き置きを……」
「あー、なるほど、僕ならやりそうだね」
もう一度ため息をついて、彼は私の肩のあたりに額をついた。
「……ね、こんなこと思いついたのは、この間のことで、気づいたからでしょう」
「……」
「……『ごめん。俺はお前のこと、好きじゃない』だっけ」
ひゅ、と息が止まる。その言葉は。
「……ぁ、へい、た……」
「あーー、やっぱり美麗か……」
疲れたような声が、耳元で響く。こんな時でさえ、その声の美しさは健在だ。
「お、願い……ごめんなさい、謝るから……だから、結婚、やめないで……もう、嫌なの。もう……」
私が駄々をこねるように首を振ると、彼は肩から顔を上げて私の顔を覗き込んでくる。その顔は思いの外情けないような、困ったような顔だった。
「……こんなことなら、あんなこと言うんじゃなかった。確か最後の方は嫌いとまで言った覚えがある」
「……」
嫌い。その言葉が、ぐさりと胸に刺さる。
思わず、唇を噛んだ。
「噛むな、傷つく」
そう呟いた彼は、そのまま私に口付けた。
「……!?」
ぽかん、と口を開けた私に、彼は苦く笑った。
「美麗。悪かったよ。別に俺は本当に嫌ってたわけじゃない。そりゃ始まりは少し強引だったけどさ」
「嫌って……ない……?」
そんなはずない。
美麗は、平太を脅して恋人になったのだ。
恋人のいるあの子に片想いしていることに気づいて、私と付き合わなければ、彼女にその気持ちをバラすと言った。
平太は優しいから、自分の気持ちを彼女に伝えるつもりも、恋人たちの仲を壊す気もなかった。だから仕方なく私の脅しを受け入れた。
本当は辛かった。悲しかった。
平太の気持ちは自分にないことが初めからわかっていたから。
でも、優しい平太はどこまでも優しかった。卑怯な美麗のことを、きちんと恋人として扱ってくれた。美麗は愚かにも勘違いをしてしまった。このまま本物の恋人になれるかもしれないと。平太はただ恋人としての役割を果たしてくれていたに過ぎないのに。
恋人期間は、卒業と同時にあっさりと終わった。平太の片想いの相手と会うこともなくなるその時点で、脅しの効力は消える。
私が往生際悪くごねるのに、平太は悲しそうな顔でああ言ったのだ。
『ごめん、俺はお前のこと、好きじゃない。……好きになれない。だから、別れてくれ』
『嫌!どうして?別に、好きにならなくてもいい。別れてなんて言わないで!他に、他に新しく、好きな女でもできたの!?やだ、いやよ、一緒にいて……!』
『美麗……ごめん』
『謝ってなんて欲しくないわよ!』
しつこく泣き叫ぶ私に、平太は辛抱強く謝って、それでも決意は変わらなかった。
『……もう諦めろよ!俺は……お前のことが嫌いなんだ!』
ついに、平太は私の手を振り払って、そして。
そして、そのまま、二度と帰ってこなかった。
なんでだろう。
なにがわるかったんだろう。
平太はわるくない。
なんにもわるいことしてないのに、どうしてなんだろう。
あのとき、わたしがものわかりよく平太の言うことをきいていれば、あんなことにはならなかったのかもしれない。
平太は…………死なずに、済んだのかもしれい。
嫌だ。嫌だ嫌だいやだいやだ。いなくならないで。もう二度といなくならないで。笑って。消えないで。
「美麗………ミファ」
涙を拭われて、私は我に帰る。
辛そうな顔で苦笑するその顔は、美しい彫刻のような顔で。
平太じゃない。
この人は……ヘミス様だ。
私は、ゆっくりと息を取り戻した。
「……済まなかった。もっと上手いやり方はいくらでもあったのに。……ミファ。僕は君が好きだよ。愛している。そして、平太も。いつからか美麗のことを好きになっていた」
「それは……うそです」
「本当だ。平太はね、美麗を嫌っていたんじゃなく、むしろ美麗に嫌いになって欲しかったんだ」
「きらい、に?」
私が目を瞬くと、ヘミス様は優しく微笑んだ。ゆっくりと指の背で頬を撫でられる。いつの間にかその両手の戒めは解かれていた。
「そう。……にわかには信じがたいだろうけど、平太は事前に自分が事故で死ぬことを予告されていた。そして、別の世界で王子となることも」
私は大きく目を見開いた。
予告されていた?王子となることまで?
「自分で言うのもおかしいけれど、平太は自分が美麗にとても好かれていることを自覚していたよ。それこそ、死ぬと知ったらどんなことになるかと心配するほどにね。だから、手っ取り早く距離を置こうとしたんだ」
「それで……別れるって?」
ヘミス様は苦笑して頷く。
「単純に嫌われることを狙って小さなことは色々してたんだけどね。食べ方を汚くするとか時間にルーズになるとか暴言を吐くとか……全部見抜かれていたけど」
「え……何かのゲームかと思っていました……」
「盲目なのかなんなのか……」
また小さくため息。
「仮に浮気とかしても」
「相手の女を消します」
「……でしょ。生活能力皆無でも」
「養います」
「……よね。だからさ、もう最後の方は何も思いつかなくて、焦ってたのかもしれない」
ヘミス様は、遠く過去に想いを馳せるような目をして、苦しげに眉をひそめる。
「本当は言いたくなんかなかったけれど、決定的な言葉を美麗に投げつけた。そして悪いことに……それから数日も経たない内に、美麗の目の前で、車にはねられた」
「…………」
「……知ってたのかって顔だね。分かってたよ。美麗があれからずっと平太の後をつけていたこと。だから嫌だったんだ。一番最悪のタイミングだった……君のことだから、きっと、すぐに後を追ったんだろう?」
私は、頷いた。
両頬を包み込みように手のひらを当てられ、そっと目の前の人を見上げる。
「本当に……悪かった……君を、死なせたくはなかったのに……平太はやり方を間違えたんだ」
苦しそうに眉を寄せるその顔は、それでもやっぱりどうしようもなく綺麗だ。
私は頬に当てられた手に自分の手を重ねた。
「……無駄だったんですよ」
「……?」
「……何をしても、どう頑張っても、美麗が平太を嫌うことなんてありません。だから、平太が死んでしまうことが決まっていたことなら、美麗が死ぬのももう決まったことだったんです」
「……」
「……それより、私は嬉しいんです」
ヘミス様の大きな手のひらに、頬をすり寄せる。
「私……私、嫌われていなかったんですね。ヘミス様は私のこと恨んでいないんですね」
「……ああ、勿論だよ」
ふわ、と優しく微笑まれる。その表情は間違いなく本物だ。
「好きなんです。愛しているんです、ヘミス様。初めて貴方が私の誕生日を祝ってくれた、あの日から。……私は貴方の思うような女ではありません。大人しくもないし、頭も良くありません。ただ貴方のことが好きで、私の生涯を通して、貴方を裏切ることはないということだけは誓えます。だから、私と結婚してください。どうか、他の人を選ばないで」
ぎゅう、とその手を握りしめる。
嫌われていないのなら、お願いだから側にいて欲しい。貴方のためならなんでもするから、隣にいることを許して欲しい。
そう訴える私に、ヘミス様は目を細めた。
「……ミファ。君は僕の言葉を忘れたの?他の人なんて関係ない。君が僕のために演技をしてくれていたのは気づいていたよ。婚約は、結婚するための約束だ。僕と君は結婚する、それは絶対に覆せない事実だよ」
ゆっくりとその美貌が近づいて、耳元に落ちる。
そして、ぞっとするほど色気に満ちた低い声が鼓膜を叩いた。
「…………執着が自分ばかりのものだと、思わないことだね」
もうちっとだけ続くんじゃ