たいめん
さくさく進みます。
案の定、私は殿下の婚約者候補に加わることになった。
まずは挨拶だ。実際に顔を見て話すのは今世では初めてだったりする。
初対面時も、私は最後まで顔を上げなかったので、彼の私への印象は皆無と言っていい。
何ごとも初めが肝心。
脅すようにして付き合っていた前世と同じではだめだ。
淑やかに、大人しく、控えめに、可憐に、不安げに、守りたくなるような可愛さで……
何度も自分に言い聞かせる。彼の好みは前世とそう変わっていないらしいことは調査済みだ。あまり色事に肯定的ではないらしいことも分かっている。積極的な姿勢は好まれない。彼の婚約者候補は積極的なものばかりらしく、そのおかげで今まで婚約者が決まっていないようなのだ。
扉が開く音がして、私はソファの横に立ち、礼をしたまま彼の到着を待つ。
こつ、こつ、と、落ち着いた足取りで気配が近づく。
心臓が痛い。大丈夫。今度こそ、絶対に、彼に好かれる。
「―――顔を上げて良いよ」
私は、ゆっくりと、少し不安げな表情を浮かべたまま、彼と目を合わせた。
―――綺麗。
前世での彼はいわゆる爽やか系のイケメンだった。黒髪をさっぱり切って、スポーツが似合う感じの。
しかし、今の彼は、イケメンというよりはむしろ美しいという形容が似合う。
さらりと指通りの良さそうな金髪。穏やかな目元。瞳の美しい青は深く落ち着いている。
それに、声。少年時代の声も涼しげで綺麗な声だったけれど、今の少し低くなった声は、穏やかなのに色気がある。これではどんな女性も耳から落ちてしまう。
演技も忘れて見惚れていると、彼は困ったように苦笑した。
「……ええと、ドレート嬢?」
「……あ、……し、失礼致しました。私はミファレン・ドレートと申します。殿下におかれましては、本日もご機嫌麗しく……」
「ああ、良い良い、そんなにかしこまらないで。ほら、とりあえず座ろう」
殿下はゆったりとした仕草で私をソファに座らせてくれる。
演技など関係なしに緊張で頭が割れそうだ。
だめだ。集中しなければ。なんとしてでも彼を手に入れないといけないのに。
彼もソファに座り、一息つく。
やがて、くすくすと笑い始めた。
私が困惑していると、彼は楽しそうに笑いながらこちらを見る。
「いや、随分緊張してるなと思って。王子と言っても、王位につくわけでもなし。普通の貴族と変わらないんだから、楽にして良いよ。それに、君は僕の婚約者なんだし」
大胆なことを言って笑う姿はとても気さくに見える。
しかし、その目はこちらを観察するように冷静だ。
私はそれに気づいて少し正気に戻る。ここが正念場だ。
「いえ、でも……私など下級貴族ですし、貴方は雲の上の方です。婚約者といっても、候補に辛うじて入っているくらいで……」
自信なさげに眉を下げる。
確か、前の彼は気弱そうに口元に手をやる仕草にぐっとくると言っていた。
やれることは全部やってしまえと、口元に手を持っていく。
「……それは過去の話だろう?今の君の家は王族にも引けを取らないともっぱらの噂だよ。すごいじゃないか、君のお父上は」
「いえ……王族の方々にだなんて、滅相もありません。父の仕事はただ、運が良かったのです。流行は一過性のもの、楽観視してばかりもいられません……」
表情を変えなかった殿下が、眉を上げてへぇという顔をする。
「君はお父上の仕事について知っているの?」
来た。国全体の気質では女が仕事に首を突っ込むことはあまり褒められないが、彼は違う。女であっても有能な方が好みであることはこっそり彼の動向を見守っていて分かっていた。彼自身は、あまり目立たないように無能に振舞っている節があるけれど。
「そこまで詳しくはありませんが……」
こくり、と頷く。
「そう。僕はあまりその辺りは分からないんだけど、どうして君のお父上は外国との商売に目をつけたのかな?」
分かってるじゃないかその質問!という突っ込みを飲み込んで、私は控えめに首を傾げながら答える。
「ええと……国内で販売しようとしていた商品があったのですが、その材料が隣国の方が豊富に取れるらしく……隣国で安く作る代わりに、その国で商品を売った利益の一部を渡すことで安く作り多くを生産できるようにしたとか……」
「……」
殿下の顔はもう、ただ穏やかなだけの笑みではなくなっていた。
値踏みをするような視線を隠さず、唇の端をつり上げて頬杖をつきながらこちらを見るその姿は、一枚の絵画のように美しい。
というか、ものすごくかっこいい。
「そっか。……ああ、そろそろ時間だ。もっと話を聞きたくて残念だけれど、僕はこれから用があるんだ」
すっと立ち上がる姿に、素で不安になる。
もしかしたら、今日で最後になるかもしれない。婚約者候補によっては一度会ったきりの者もいるらしい。
縋るように見上げると、彼はふっと優しく笑った。
私をソファから立ち上がらせて、軽く頬を撫でる。
「そんな顔しないで。……これからもよろしく」
驚く私の頬に軽く口付けると、私を侍女に引き渡してその場を去っていった。
これからもよろしく。そんな決定的な言葉を言われた婚約者候補は他にいない。
というか。口付けされた。
え?
茫然としたまま屋敷に帰り、どうなったんだという父の言葉をまるごとスルーして自室に戻る。
え?
これって……。
「成功?」
口に出して、じわじわ喜びが湧き上がる。
成功。成功だ。まさか一発でとは思わなかったけれど、これで正真正銘の婚約者だ。
殿下は無闇に期待させるようなことは言わない。調子に乗った人間の対応は面倒だからだ。ましてやキスなんて。
「ふ……ふふく、ふふふふふ!」
だめだ嬉しい。不安げな表情が効いたのだろうか、それとも仕事のこともわかってますよアピールが良かったのか。しかし今はそれよりも。
彼と会話を交わせたこと、彼が笑いかけてくれたこと、彼が私に触ってくれたこと。
その全てがどうしようもなく嬉しい。
耐えきれず足をばたばたさせて布団を転がる。嬉しい嬉しい嬉しい!!
「すき……もうすき……」
もう言質とったって言っていいよね?婚約したからには結婚確定だよね?このまま陛下と王妃様にも気に入られて彼の従者から護衛の人まで王宮中の人間を味方につけたらもう確定と言っていいよね?
とりあえずは結婚までの間に完全に逃げ出せない状態にまで追い詰めて囲い込もう。
『……ごめん。俺はお前のこと……』
もう絶対に、言わせない。