95 PRACTICE
共同生活をしていると、思いもよらぬタイミングで同居人の過去を知る事がある。食事の合間の会話や掃除の合間の会話など状況は様々。ゆきひとがパステルの生い立ちを知ったのも、そんな合間の何気ない会話からだった。パステルは特に感情を込めもせず淡々と語った。
物心ついた頃から施設にいた事。小さい時からアイドルが好きだった事。動画配信でアイドルソングやアニメソングを歌いカラオケ三昧だった事。同性から好かれる為にファッションレズを装った事。アニソンカラオケバトルで優勝し、アイドルになるチャンスを掴んだ事。CM撮影でソフィアと出会った事。ボカロやヴァーチャルアイドルとのコラボで有名になったが、ソロではダメだった事。暗黒時代にLLL幹部のカーネーションからストーカー被害に遭った事。自暴自棄になりマネージャーと喧嘩別れした事。注目を浴びる為に出た第二回メンズ・オークションで出品された男性の気持ちを掴むことが出来ず、慌てた末にファッションレズを告白した事。それが原因で帰国後炎上しアイドルを解雇された事。ニートになった事。ソフィアの勧めで第三回メンズ・オークションの司会進行を引き受けた事。そしてゆきひとに出会った事。
波乱万丈な話にゆきひとは釘づけになった。明るく振る舞っていたパステルの過去。それは彼女のイメージとは正反対で厚く重いものだった。ゆきひとはローテーションマレッジ(循環結婚)を経験して、一番自分が困窮し大変なのではないかと思ってしまっていた。でも周囲の話を聞けば、全てが全てでないにしろ、皆それぞれ苦しい思いをしながらも生きているのがよくわかる。
ゆきひとパステルは共に指導受ける立場として友情の絆を深めていった。
演技指導の一週間が終わってパーティは解散。
撮影に入るまで日にちがあるらしく、それまで各々自主練習かニューヨーク観光に時間を当てていいという話になり、ゆきひとはクレイに相談。再度稽古をつけてもらう事になった。
場所はブライアン公園。遊びや寛ぎを与える目的で造られた複合施設である。冬の時期はスケートリンクの氷が張られ、スケーター達の憩いの場にもなっている。丁度クリスマスツリーの撤去中で残念な空気感もあるが、それを含めて風情を楽しめるような空間だった。
ゆきひととクレイは薄い白の芝の上で組み手を行う。本番前の役者に怪我を負わせる訳にはいかなので、クレイは攻撃せず、ゆきひとに一方的なパンチを打たせた。鋭い力押しのパンチは風を切り、両腕でガードした相手を押し倒す。タイの稽古の時よりもゆきひとの瞬発力が増していた。その変化は素人が見てもわかるほどだった。
「凄いな。去年の時とは比べ物にならない。動きのキレがいい」
クレイは地面に手をつきながら驚いていた。
「演技指導のお蔭かな」
ゆきひとはクレイに手を差し出す。
とてもじゃないが「S」を目覚めさせる指導の成果とは言えなかった。
「トニー賞女優は伊達じゃないか」
クレイはその手を掴んで立ち上がる。ピリピリとした空気はなく去年の関係性がまるで嘘のようだった。
「そう言えばトニー賞って何だ?」
クレイは少し嬉しそうな表情で解説を始めた。
「トニー賞」とはアメリカの演劇界で最も権威ある賞の一つで、映画界の「アカデミー賞」、音楽業界の「グラミー賞」、テレビ業界の「エミー賞」、文学・戯曲における「ピューリッツァー賞」と肩を並べる演劇及びミュージカルに関する賞となっている。近年映画業界の衰退により「アカデミー賞」の権威が低下傾向にある中、演劇・ミュージカルの「トニー賞」は頭一つ抜けて偉大な賞という位置付けになっている。何故かというと、演劇・ミュージカルでは、女性の役者が男性役も女性役もこなせるという利点があるから。実写映画やドラマの本数が減る中、役者は舞台へと流れていったのである。
一部例外的な映画がある。大統領のテュルーが主演した「ターミネイサン」という映画だ。この映画は主演以外全部CGという映画で、実写とCGのハイブリット作品となっている。主演に相当なカリスマ性と人気がなければ制作は成り立たず、稀にしか映画化されない。テュルーが未だに「ハリウッドスター」と呼ばれる所以でもある。
情報を纏めると、トニー賞(元)女優であり、テュルーの(役者として)先輩でもあるヴィオラは凄い人物だという事になるのだ。
「……今の女優の大半は舞台女優なんだ。舞台であれば女優が男役を演じても可笑しくはないからな」
「なるほど。宝塚とか」
「昔は宝塚に憧れたものだ」
「なればよかったじゃん」
「フッ、大根役者の私には無理な話だ」
「そっか」
笑い合う二人。
クレイは終始穏やかだった。身内の死があって無理に元気よく振る舞っているようにも見えるが、色々な事に吹っ切れたようにも見える。本来であれば妹のセラを連れて来たくはなかったはずだが、不満に思っている様子はない。
ゆきひとは先月のことでクレイとの距離が縮まったと感じていた。今や格闘技術を教えてくれる師匠で頼れる存在。一人の「男」として認めていた。そう、和やかに話せるようになり、距離が縮まったはずなのだが、何故か一向に思考を読み解くことが出来ない。今後何をしたいのか、どういう人生観なのか。
「私に何か言いたい事でもあるのか?」
ゆきひとはクレイに心を読まれていた。クレイの事も気になるが、ゆきひとには質問したい事が山の様にある。踏み込んだ質問は人を選ぶが、いい機会なので色々聞いてみる事にした。
まず質問したのは大統領テュルーについて。立場的に忙しいと思われるが、映画撮影に時間を使ってもいいのかという点。失礼な言い方をすれば、そんな事をしているヒマがあるのかという話。クレイの知る限りでの説明によると、アメリカの大統領は「インディペンデンス(独立)制度」が用いられ、何処の政党にも属さない。大統領候補としてエントリーした人物の中から国民投票で選ばれる。大統領に与えられた権限は議会に上げられた法案の最終的な決定権のみ。とは言え、大統領が「NO」と判断すれば法案が通る事はないので、絶大な権力を持っている事には変わりはない。大まかな政治については副大統領が行う。つまり、役者の仕事に当てれる時間は十分に取れるのだ。大統領の資質して求められるのはカリスマ性とアメリカの顔に相応しい人物といった部分。寧ろ政治的思想はない方が好まれる。元々アメリカの大統領選挙は、党の代表イコール大統領候補ではなく、別に候補を立てる仕組みであった。その更に部外者の存在になったのが、今の「アメリカ大統領」なのである。
ゆきひとは政治の話で思考がこんがらがったので別の質問に移行。次の質問は大統領の警備の薄さについて。大統領と会話をした部屋には、ボディガードが一人もいなかった。貴重な「男」とは言え、一般人のゆきひとですらクレイというボディガードがいるのに、アメリカの超重要人物にボディガードがいないのは不自然だった。それについての返答は「秘書AI」と「特注のナノマシン」があるからではないかとの事。「秘書AI」は大統領の身につけている電子機器に搭載されているらしく、周囲の敵意を感知し、敵意を持った人間に対して(任意で)体内のナノマシンにバグを混ぜて行動不能にするらしい。更に大統領の「特注ナノマシン」はレーダーの標準を合わせる事が出来ない。高性能な重火器ほど使い物にならないのだ。このシステムは重要施設などに転用されている。
続いてアンドロイドの質問。人間らしいアンドロイドと、不気味の谷現象がみられるアンドロイドがいる事について。クレイの見解は、性能差ではないかとの事。ただクレイ自身何かひっかかることがあるみたいで、考慮してみるという話になった。ちなみに大統領のテュルーはアンドロイド嫌いで有名らしい。演技力のなさで視聴率が取れない事が原因かどうかは不明だった。
推測の域を出ない話もあるが、重要と思われる話をクレイは饒舌に語った。
そんな話をしても大丈夫なのかと思う内容をペラペラと。
ゆきひとはクレイのことを無口であまり語らない性格だと思っていた。実際出会ってすぐの頃は、第二回メンズ・オークションのことなど全く教えてくれなかった。これだけ話してくれるようなったのは、打ち解けてきたからなのか、それともクレイの心境の変化なのか。
「クレイは何でも知ってるんだな」
「そんなことはないさ。多少勉強はしたが、大抵の事は調べればわかる。他に質問は?」
他に気になることを探して思い浮かぶのはローズの事。
確実に強くなってきたことをゆきひとは実感していたが、ローズに対してどこまで戦えるのか不安だった。エジプトの寝室で蝶が舞うように宙を飛んだ動きは人間離れしている。あの時の光景は暗がりの中でも目に焼きついていた。
「ローズの人間離れした動き……どうやったら、あそこまでなれるんだ?」
「それは私にもわからない。だが、あのヘッドマシーンは戦闘にデメリットとして働いているように思う」
「あの被っているのを外したら、より強くなるのか……末恐ろしいな……」
「今回は取り敢えず勝てばいい。台本は無いんだし、恐らくどっちが勝ってもいいのだろう。相手はゆきひとを見下している。そういう奴は隙を見せるはずだ。その隙を突いて足元をすくってやれ」
クレイはゆきひとに向かって拳を突き出す。
「おうよ!」
ゆきひとはクレイの拳に自分の拳を合わせた。その拳にはもやもやとした気持ちが乗っかっていた。
もうじき予測不能な撮影が始まる。念願のローズとの一騎打ち。
この為に心技体を鍛えた男は混沌とした意識を奮い立たせた。




