92 レッスンRスタディー 『〇』
Aセクシャル(無性愛者)の大統領テュルーが結婚依頼を出した理由、それは単純明快で映画出演させる為に長期拘束する必要があったから。そこは普通に映画出演を依頼しても良かったのかもしれないが、「Show」的な意味合いで盛り上げる意図もあったのだろう。七回目の結婚に夫婦愛などは微塵も無く、今までの中で一番恋愛とほど遠い結婚生活になりそうだった。ゆきひととパステルはSWH本社ビルの客間で一泊。二人共寝ぼけながら支度をして、指定のレッスンルームに向かった。気になる事や聞きたい事が山のようにあった二人だったが、現時点の状況に切羽詰まってる状態でそれ所ではなかった。
時間が停止してしまったのではないかと思うほどのボロボロのレッスンルームに入室したゆきひととパステルは、一瞬怯んでしまった。足元は年季の入った木造の床。近場に散乱している小道具。棚の抜けたアンティーク家具。不気味な光を反射している壁一面ガラス。独特な雰囲気に呑まれそうになる空間だった。
紫の衣装を身に包んだヴィオラは既に待機。
そして壁際に見慣れない男がいた。その男はグレーのシャツにダメージデニム。ネイビーのキャップを逆向きに被っており、少し伸びた茶色い癖っ毛がキャップからはみ出していた。アンドロイドだと思われ、三十代ぐらいの見た目だった。
「彼はアンドロイドのマーティン。撮影スタッフのカメラマンですわね。演技指導の様子も映像に収めたいとの事なので」
「よろしくっス」
マーティンの軽めの会釈。
それが終わってからすぐにドタバタと足音が近づいてきた。
「はぁー間に合ったー!」
飛び込んで入室した女性は、身につけている白いワンピースをパタパタと叩いて身嗜みを整えた。全体的に白を基調とした見た目で「LLL」の関係者だと思われる服装。ゆきひとは白の女性をじーっと見つめた。何処かで見た顔だったが、雰囲気が当時とまるで違う。本人かどうかわからないので、声をかけようか迷っていた……が、自然と名前が声に出てしまった。
「アンサリー……さん?」
「……! 私のこと覚えててくれてたんですか? 嬉しいです! フランスでの裁判以来になりますね!」
彼女の名前はアンサリー。自分の創作したキャラクターと不倫をした、あのアンサリーである。
「あら、お知り合いでしたのね」
「アンサリーさん……何でここに?」
ゆきひとが疑問に思うのは当然である。
「私……あの一件で業界を干されまして……裁判が一段落してから、LLLのリーダーであらせられるリリー様に拾って頂きました。私はビアンではないですが、ストレートの人も入っていいそうです。普段はLLLの広告キャラクターを描いていますが、今回メイクスタッフとして同行致します。それと当時の名前はアンサリー・ブラックでしたが、リリー様からアンサリー・ホワイトの名前を頂きましたので、これからは其方の名前でお呼び下さいね! キラッ!」
アンサリー・ブラック改めアンサリー・ホワイトは、ヴァーチャルダーリン不倫裁判以降消息を絶っていたが、リリーのスカウトによりLLLに入団していた。元々リリーは、裁判長のマリー・トコトコネットをスカウトする予定だったが、勧誘出来なかった為、標的を変えていたのだ。
そしてゆきひとは思った。
アンサリーはリリーの影響を受けて毒されていると。
「とのことですので」
「今回リリー様の許可を頂き見学に参りました。皆様よろしくお願いします!」
一通りの挨拶が終わった。
「全員揃いましたわね。それではレッスンを開始致します!」




