85 セラフィック・ロンリネス 『☆』
セラ。
本名、セラフィック・ストリティックエンダーロール。
彼女はフランス王室御用達の病院の人工子宮で生まれた。
何故、タイ人の彼女がフランスの病院で誕生したのか。それは一族の長だったバスタードの意向が深く関係していた。生前当時のバスタードは、コールドスリープの勧誘を必要以上に受けたことで、他国の人間の介入を酷く嫌悪するようになっていた。勧誘をしにアメリカから来た男らの「男性社会を復活させる」という理念、その事自体に文句をつけるつもりはなかったが、己の自由な生き方を阻害された事に対しての憤りは強く、彼らには情報を渡したくないという考えが次第に芽生えていったのだ。
自分の一族に「男子」が生まれたとしても、他国に絶対情報を渡さない。
その事が、一族の生まれを「タイ」から「フランス」に移すきっかけとなった。タイの病院で誕生した赤子は産声を上げると同時にアメリカ製のナノマシンが適用される。別にアメリカ製のナノマシンを使う事に問題はなかったが、ナノマシンの個人情報はアメリカ政府、企業に渡ってしまう事や、タイの病院では自由が利かない、もしくは「戸籍改ざん」がバレてしまう事などを理由に、ナノマシンの情報規制を行えるフランスのエトワール家を頼る事にしたのだ。エトワール家によるナノマシンの一族管理は表沙汰の情報ではなく、裏社会の情報。その為ストリティックエンダーロール家とエトワール家で、裏取引が行われたという事になる。その取引内容は、ストリティックエンダーロールの一族の人間が、フランス王室御用達の病院を利用出来るようにする事。仮に「男子」が生まれた場合、即座に情報規制を敷き「ナノマシン」の戸籍改ざんを行う事。つまり生まれた赤子が男の子だとしても、ナノマシンの戸籍は強制的に「女性」となる。ストリティックエンダーロール家はその見返りとして、多額の資金援助と優秀な人材の輩出を確約した。
セラはそんな一族の柵が画策する中、産声を上げたのだ。その赤子には、本来「ないもの」が「ついて」いた。出産に立ち会ったクレイは赤子を抱きながら戸惑った。その初めて見た「ついて」いるものに対して、傍にいたフリージオが事細かに説明した。
この歴史的瞬間は公には発表されず最重要極秘機密として扱われた。
バンコクに移ったセラは、物心ついた時から特別扱いを受けていた。
親戚達はセラとの接触を禁止され、内情を知っている一部人間(クレイや大叔母達)だけが、セラとの会話、接近を許された。秘密は漏らしてはいけない。バスタードの意向は絶対だった。大叔母からは体の事を話さないようきつく言い聞かされ、クレイからは口を滑らせないよう指導を受けた。何故隠さなければいけないのか。その理由を知るには、かなりの時間が必要だった。理由を並べられても、幼少期の彼女には理解出来なかったのだ。他にも、自分の事がわからなければ内情を知っている人間に尋ねた。かといって、その人間たちも知り得た情報を教えるだけで、完全に理解している訳ではない。高祖父については面会拒絶で会う事が出来ない。結局の所、詳しい事は自分で調べるしかなかった。
この違和で満ちた生活でも、女の子の格好をするのは苦痛ではなかった。自分は女の子だ、自分は女の子だと思う内に本当にそう思えてきたのだ。そして一つの目標が出来た。本物の女の子よりも可愛くなりたいと。
与えられた洋服を着こなし、鏡の前で表情を作る。
イメージトレーニングをして可愛い自分を想像する。
成長期に入れば体に大きな変化が訪れる為、それを防ぐ準備をする。
背が高くならないように。
声が低くならないように。
その努力はセラの特別待遇に対しての妬み、嫉みを見えなくするのに一役買っていた。そんな生活が十三年続き、セラは事情を知らない親戚とは口を利かなくなった。詳しい事は話せないし、上手く話を繋げるのが難しい。他人だけではなく、身内でさえまともに会話をする事が出来ない。何時の間にかネットだけが友達になっていた。時間があればVRゲームに興じたり、スマホやナノマシンでネットサーフィンをしたり。そのネットサーフィンの過程で人生を変えるイベントの存在を知る事になるのだ。
イベントの名前は「第三回メンズ・オークション」。
このイベントに参加出来れば、セラと同じ体の性、生の「男子」に会う事が出来る。セラはクレイに相談した。案の定反対されたが、バレないように気をつける、完全に女の子として振る舞うと詰め寄った。ちなみにイベントに関わることを承諾させた決め手の言葉は「人間の友達がほしい」だった。
出品される男子の世話役となったセラは、東京ヒュージホテルのインぺリアフロアで、男の到着を待った。どんな人だろうと胸をときめかせて。想像や妄想が広がるばかり。そして現れた男子はセラの想像を遥かに超えた理想の男性だった。厚い胸板や盛り上がる腹筋。これが成人男性の肉体美。思わず感動してしまった。
セラの見える世界が、色づき、広がり、全てが変わった瞬間だった。
世話役という仕事は慣れないことの連続だったが、幸せで満ち溢れていた。体の性が同じ人の傍にいる事で、今までにない安心感を覚えたのだ。身内といる時よりも気持ちが落ち着いていた。心も体も女の子になりきっていたセラにとっては不思議な現象だった。
だがそんな幸せな状況で恐れていた事態が訪れた。
それは変声期。
事情を説明出来ない為、風邪をひいたと誤魔化すしかなかった。
信頼している人や大切な人にも嘘をつかなければならない。
それはとても苦しい嘘だった。
苦しさは里帰りでも続き、距離感の縮まらない親戚達の視線にも心を痛めた。
更に高祖父の死。
あの時の光景にてゆきひとはクレイに自分を重ねていたが、セラは亡くなったバスタードに自分を重ねていた。初めて肉眼で見る高齢の男。顔はしわしわで、腕は骨と皮、貧弱な体。ほとんど接点のない男に対して、恐ろしいという感情しか抱けなかった。セラにとって高祖父のバスタードは、戒めの存在であり、恐怖の対象であり、将来の自分だった。
いずれは一族の人柱として、金の生る木として、無理にでも生かされる存在となる。バスタード自身にその自覚がなくとも、ここ数年は一族の養分として生かされていた。親戚達のテレビインタビューを見る限り、彼の死を本当の意味で悲しんでいた人間がどれだけいたのだろうか。高祖父と同じ道を歩むかもしれないと思うと、体が震えて押しつぶされそうになってしまう。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
そんな人生は嫌だと、心で叫んでいた。
だから世話役の終わりは受け入れられなかった。勿論反発した。男の体の悩みは、女の体のクレイにはわからないと反発した。変声期の苦しみや喉ぼとけが出るかもしれない恐怖は、男の体でなければわからない。同じトランスジェンダーでも分かり合えない。セラは心のどこかでクレイを男だと認めていなかったのだ。しかしそれはセラにも言える事。セラには生理の苦しみがわからない。答えの出ない苦悩はセラの感情をより不安定にさせた。
クレイとの口論の最中、セラの涙は止まらなくなった。
もう家を飛び出すしかなかった。
「セラちゃん!」
セラは声に驚いて振り向いた。
場所はタティアーン船着場。黒く塗りつぶされたチャオプラヤー川が見え、その奥のワット・アルンがライトアップで神々しく光っていた。
「ゆきひとさん……!」
セラはゆきひとに駆け寄り腹部にしがみついた。
少女の顔は涙でぐちゃぐちゃになる。
ゆきひとはセラを見つけたことに安堵し、落ち着いた所で近くの石畳の段差に腰かけ開いた足の間にセラを座らせた。
二人は満点の星空を見ながら話し始めた。
「……見つかってよかった」
「ごめんなさい。私……」
「具合の方は大丈夫?」
「……」
ゆきひとは恐らくまだ気付いていない。
セラの体の性が「男」だという事に。周囲から男の間違った世界人口を聞いているし、気づかないのも当然と言える。
でも気付いてほしかった。
本当の事を言えば、どれだけ気が楽になるだろう。
ゆきひとがここに来たという事は、クレイがその行動を許したという事。
話してもいいという意味を含んでいるとセラは解釈した。
もし全てを話してしまったら、今まで隠してきたクレイの努力を無駄にしてしまう。何よりその事が原因で男だという事が広まってしまったら、長の座や財産相続は全てセラに渡る事が確約され(少なくともそう認識され)、一族の憎悪を一身に受けてしまう。そう思うと体がすくむ。考えるだけでも恐ろしい。そしてゆきひと達が過去に帰ってしまったら、この地上で生きる男子(体)はセラだけになってしまう。肉親に囲まれても、同じトランスジェンダーが傍にいたとしても、セラは独りになってしまうのだ。
セラのカミングアウトは「男子」が生まれなくなった時代の常識を覆してしまう。それは世界の流れを大きく変えてしまうかもしれないのだ。
「どうした? まだ喉が痛む?」
「いえ……大きい声を出したらスッキリしました」
言えなかった。
「それならいいけど、まさかこんな形で年を越すことになるとはな」
「ごめんなさい。私のせいで……」
言うチャンスを逃してしまった。
「いや、そんなことはないよ。夜風に当たろうと思ってたし」
「……ゆきひとさんは、兄弟喧嘩をしたこととか無いんですか?」
でも。
「小さい時に兄と別れたから、あんまり記憶がないかな」
「私も普段……姉様とは喧嘩しません。姉様は強くてかっこいい姉なので」
でもいつか。
「本人に言えばいいじゃないか」
「言いませんよ」
言える時が来たら。
「まぁ、くすぐったいよな」
「……ゆきひとさん、私と友達になってくれませんか?」
友達に。
「もう友達だと思ってたけど……わかった、いいよ」
「ずっとですよ。男と女の約束です」
本当の友達に。
「……男と女の約束だ」
なれるよね?




