82 光のH
クレイはゆきひとを追いかける。
ゆきひとの左手が玄関のドアにかかった瞬間、クレイはゆきひとの右腕を掴んで引き、振り向いた顔を殴り飛ばした。
「行くなと言ってるだろう!」
ゆきひとは下駄箱の壁に崩れ落ちる。男の頭上から女性用の靴が降り注ぎ、その場は散々となった。
「す、すまない……」
ゆきひとは殴られた頬を摩る。
痛みを感じていない。
もはやクレイに殴られたことなど、どうでもいいのだ。
もうヴィーナの事しか見えていない。
そんな状況の中、麗人の横を通り過ぎ、倒れた男を跳ねて飛び越え、玄関のドアを開ける人物がいた。ドアの先はひどい嵐で、雨風が室内に流れ込む。その雨はふわふわとした白い髪を激しくなびかせる。まるで天使を顕現させたかの様に。
「ほら、ドアは空いたよ。ゆきひと僕の言ったことは覚えてる?」
ゆきひとは朧げな瞳でフリージオを見る。
クレイは状況を呑み込めていない。
「フリージオ、何の真似だ」
「ゆきひと、君が大切な人を助けたいなら、僕が協力してあげるよ」
クレイの問いかけには目もくれず、フリージオはゆきひとに話し続けた。
「フリィィィィィィィィィィィィジオ!! これ以上! 事態を! ややこしくしないでくれっ!!」
思わぬ展開にクレイの声は裏返った。
「ややこしくなんかないよ。ゆきひとの意志は尊重されるべきだ。彼は行動を制限されて迫害を受けている。メンズ・オークションなんて人権侵害そのものだよ。それはクレイもわかっているよね? これからゆきひとは僕と一緒に行動した方がいい」
「もう黙ってくれ! 今はそんな理屈をこねている場合じゃない!」
「それと守るべき人の為に行動を阻害するのはいいけど、顔はダメでしょ。ゆきひとの大事な顔に傷がついたらどうするのさ。頭を冷やしなよ」
フリージオはクレイの言葉に耳を傾けずに、ゆきひとの体を起こす。
そして男の耳元で囁いた。
「ゆきひと……僕は君がしたいことを全て助けてあげられる。僕と一緒に行こう」
その小さい声はゆきひとにしか聞こえないはずだった。
しかしクレイの後にいたセラには、はっきりと伝わっていた。
このままではゆきひとが何処かに行ってしまうと。
「ゆきひとさん……行かないで下さい! ……行かないで!」
セラは痛めた喉を振り絞りながら声を出した。その反動で咳き込み、うずくまってしまう。ゲホゲホと苦しそうに。
ゆきひとは一度セラの方を見たがすぐに視線を戻した。そして立ち上がり、豪雨で何も見えない広がりを向いた。少女の悲痛な叫びは男に届かなかった。
そんな男の視界にフリージオの手が差し出される。
「さぁ行こう。君ならどこへでも行けるさ!」
フリージオはニコリと笑う。
その笑顔はゆきひとにとって希望の光に見えていた。
深い暗闇でも突き進んで行ける光。
男は光の手を握りしめた。




