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74 レインラン   『〇』

 二八二五年十一月二十四日。

 夕暮れ時の曇天の空に綻びの光が差して、天気雨が通りすぎたり戻って来たりしている。新宿の天候は不安定で、その混沌とした空の下、レインウェアを着た二人は走り続けていた。

 堤防沿いの濁った川は、雨の影響で少し水嵩が増しているが、二人はそんな状況を気にせずに走っていた。彼らの意識は上の空で、目が曇り始めていたのだ。それにはそれぞれ理由があった。

 屈強な体をした男、大桜ゆきひとは、二日前に誕生日を迎え二十六歳になっていた。祝いの席で暴飲暴食をしてしまい、体を動かさないと気持ちが悪いといった具合でひたすら走り続けていた。ナノマシンによる自己暗示で体形を維持出来るとはいっても、食べたら体を動かすといった習慣を中々変えることが出来なかった。悩みの種は様々だが、その中の一つに、過去に戻る為のタイムマシンが完成するかもしれないという話を聞いてしまった一件があった。情報をもたらした人物は、現結婚相手のソフィア。ゆきひとの感情を代弁すれば、今更過去に戻ってどうするのかといった具合で、もはや戻りたいという気持ちは無いに等しかった。タイムトラベルを題材にしたRPGをプレイしたら考えが変わるかもしれないと思いつつも、今まで出会った人達への愛着が増すばかりで、日に日に過去の事を遠ざけている自分がいるのだった。

 そんな屈強な男と共にボディガードのクレイも走っていた。

 クレイも屈強な男と同様、心ここにあらずの状態だった。

 一か月後に高祖父の誕生会がある。毎年欠かさず参加していたが、今年は大事なボジションに就いている為、欠席しようと思っていた。しかし第三回メンズ・オークションのお祝いメッセージに出演していた高祖父の様子が元気の無い様に思えたのだ。十二歳の時にバンコクを出てから十六年、高祖父との会話はほとんど無くなっていた。フランスの王族と親しい関係になったクレイは、一族の中でも一目置かれる存在となり次の長の責任を担う候補となっていた。それを面白くないと思う人間が出て来るのは自然な流れで、いらぬ揉め事を起こさぬよう一族の長の高祖父と距離を置いていたのだ。


 そんな悩める二人の前に、一人の美青年が立ちはだかる。

 ランナー達は、見覚えのある顔だと足を止める。

 青いコートの美青年は静かに佇んでいた。


挿絵(By みてみん)

 

 細い首元には赤と黒と白の交差するチェック柄のマフラー。神秘的な雰囲気は彼が天候を操っているのではないかと錯覚させるほど。現に彼に頭上は光の道が伸び、その場だけ雨粒が落ちていなかった。


「やぁ、ゆきひと君。僕のことを覚えているかい?」


 目を擦るゆきひとは頭を触り情報を捻り出す。


「確か……フランスの裁判に協力してくれた……何とか王子の……」


「……フリージオ。日本に来てたのか」

 

 クレイは驚いた様な声を出した。

 それに対してフリージオはにこやかに笑っている。


「もう一度改めて自己紹介するね。僕の名前はフリージオ・エトワール。職業は王子さ」


「フリージオさん、あの時はどうもありがとうございました」


「敬語はやめてほしいな。なんなら王子でもいいけど」


「……王子、何か俺に用でも?」


「まぁ二人にだね。クレイ……僕との賭けは覚えているかい?」

 

 クレイは少し考えた後に頷く。


「あぁ」


「ゆきひと君がメンズ・オークションの入札者三人の中で、誰を最初の結婚相手に選ぶのか……そういう賭けだったね。僕はフランスのオネットに賭けたけどクレイは誰も選ばないと賭けたね?」

 

 ゆきひとは自分が賭けの対象にされていたことに驚き、フリージオとクレイの顔をキョロキョロと交互に見た。


「確かにそうだったな。私は賭けに負けた」


「賭けに負けた方が勝った方の言う事を聞く。……そういう話だったね?」


「認知しているが、何が言いたいんだ?」


「SWHには話してあるけど、ゆきひと君の次の結婚相手はクレイだからねっ!」

 

 ゆきひとはクレイの様子を見てたじろいだ。

 この世の終わりと言わんばかりの表情をしている。

 今まで見せたことのない絶望感。

 クレイが暫くその場を動かなかったのは言うまでもない。

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