67 過ぎさりしパーストを求めない
アスリートファイターⅡ、略して「アスⅡ」。
ゲーム会社「SURECOM」の伝説的な2D格闘ゲームである。ゲーム内の主人公キャラクター「ユウ」は、このゲームをプレイしたことのない人でも、キャラクターだけは知っているというケースがあるほどに有名。筋骨隆々な肉体に道場着一枚という見た目。ゆきひとは別の格闘ゲーム「鉄鬼」世代だったが「ユウ」の存在は知っていた。格闘ゲームといえば、プレイヤースキルが重要なゲーム。初心者が上級者に勝てる要素なんてものはほとんどない。ビギナーズラックなどハエ叩きで弾かれてしまう。
ダニエルは勝ちにきている。洞察力が低いゆきひとにもそれがわかった。
食事も頂いたし、断るのが面倒だとダニエルの誘いに応じる。
ゆきひとは放置していた黒いサングラスをかける。
今度こそ、ちゃんと気合いを入れるのだ。
死体蹴りされようが最初から勝てないと手を緩めるのは相手に失礼。
ハイファミのコントローラーをしっかりと握る。
大画面にプレイキャラクター八人が映り、ゆきひとは「ユウ」を選ぶ。それ以外のキャラクターは知らなかったからだ。
「俺様は「ソード」だぜっ!」
ダニエルが選んだキャラクターは、ブロンドマッチョの「ソード」。主人公キャラクターの「ユウ」と雰囲気が似ている。「ソード」のイニシャルは「S」。ダニエルはイニシャル「S」のキャラクターに拘りがあるようだった。
「最初は技練習の為に勝たせてやるよ。さっきもわざと負けてやったしな。俺様の得意ゲームは格ゲーだ。フルボッコにしてやんよ」
舐めた真似をと思ってしまうが、現状、コンボどころか技の一つもよくわからない。「ソード」のステージ「ポートエリア」で技練習をする。
試しに有名な技「流星拳」のコマンドを打ってみる。何度も十字キーからのボタンを打つが、全く技が決まらない。横、下、斜めの十字キー操作が難しすぎたのだ。練習していると時間が過ぎて「DRAW」になってしまった。
「おいおい、こっちが棒立ちなのに引き分けとかマジかよ……。どんだけへっぽこさんだよ、お前……」
「ちゃんと入力してるんだけど」
「グ・グ・レ・カ・ス!!」
「……何ですか、その呪文」
「ネットスラングにも無頓着さんかヨォ! 仕方ねぇなぁ。十字キーの斜めは、流すんじゃなくて押し込んで止めるんだ、それで「流星拳」が撃てるはず」
「なるほど」
ダニエルに言われた通りに入力すると、画面上の「ユウ」は拳を天高く突き上げ、軽々と「流星拳」を決めた。この技を使えるようになったことで、別の技「魔道拳」や「蚊取り線香脚」も簡単に出せるようになった。練習の成果を出す為、棒立ちの「ソード」に技をかますが、ダメージが減らない。下段で攻撃しなければいけないことに気が付き、タイムアップギリギリで棒立ちの「ソード」に勝つことが出来た。
「これはやれやれさんだぜ」
「技も覚えたし、よろしくお願いします!」
次からの真剣勝負に意気込んだものの、全く「ソード」の猛攻に歯が立たない。「ソード」は次々とパーフェクトを量産していく。せっかく技を覚えたのに、戦闘中は焦ってしまい「流星拳」しかコマンドを打っていなかった。その技もガードされてゆきひとの操作キャラクター「ユウ」は「うーわっ、うーわっ、うーわっ」と、コダマが小さくなるような叫び声を上げて倒れていった。
「格闘ゲームってのは、読みが大事な訳よ」
「読み?」
「上段攻撃が当たらないなら下段攻撃。下段をガードするなら中段攻撃。突っ立っているなら投げ技……ってな感じでな。フレーム等々もあるが……今は考えなくていい。後は兎に角攻めることだ。ゆきひとには攻める熱意が足りない。受け身過ぎるんだ」
攻める熱意が足りず、受け身過ぎる。
これはゆきひとの人間関係にも当てはまっていた。
「俺様のキャラにダメージを与えた攻撃は何だ?」
「下段攻撃と、出すつもりじゃなかった投げ技です」
「つまりダメージソースは下段、投げ技は読まれなかったから決まった訳だ。難しいコマンド技に固執せずにまずは下段で攻めろ!!」
ゆきひとはダニエルに言われた通り下段で攻撃するが、行動を読まれてガードされる。そこで下段ガード読みで中段攻撃をしたら、面白いほどダメージを稼げた。操作している内に「鉄鬼Ⅵ」をプレイしていた感覚が蘇り、ダニエル相手に辛くも一勝をあげることが出来た。ダニエルに「やるじゃねえか」褒められたゆきひとは、純粋に喜んでしまう。やはり勝負に勝つのは嬉しい。そのまま、十戦、二十戦と試合を重ねていく。ゆきひとの勝率は一割程度だったが、たまに勝てそうで勝てない、勝てなさそうで勝てる試合が楽しくてたまらない。男二人は格ゲー対戦に時間と心を奪われていった。
「俺様、おトイレ」
ダニエルがトイレに立って、ゆきひとは後ろを振り返る。キッチンの電気は消されており、ヴィオラはいなくなっていた。
数分の休憩、ゆきひとは体を伸ばす。
トイレから戻ったダニエルは大型冷蔵庫からコーヒー牛乳のパックを取り出し、そのまま口をつけてガブ飲みした。口を拭く姿は豪快で迫力がある。ゆきひとにはもう、ただのデブには見えていない。
「ダニエルさんもメンズ・オークションに参加したんですよね? ヴィオラさんとずっと結婚生活を?」
ゆきひとは気になることを質問してみた。
「そうだゾ。最初に選んでずっとだ。そのまま籍も入れた。お前ん時とは違うようだな」
「何で……ヴィオラさんを選んだんですか?」
「ババァの他は……アラブの男みたいな女と、自称王子の男みたいな女。消去法でババァに決めた。何より俺様は気が付いた。この中でドⅯはババァだけだと」
アラブの男みたいな女は十中八九、タンナーズ・ライオネルのこと。自称王子の男みたいな女は多分フランスで出会ったあの王子。ゆきひとの推理力が働く。ダニエルにとってビジュアルがどうこうよりも、SかMかが重要だったのだろう。
「俺様も気になってることがあるんだが、そのサングラスはなんだ」
「あ、これですか?」
ゆきひとは黒いサングラスを外す。
「これ、ヴィーナ社長に頂いたんです」
「貸してみろ」
ダニエルは黒いサングラスを回転させ、くまなくフォルムを確認する。
「これ「ジュラバス」の非売品限定アイテムのサングラスだぞ」
「な、何ですか「ジュラバス」って」
ゆきひとの質問にダニエルはご機嫌な様子で説明を始める。
「ジュラバス」はVRゲーム「ジュラシックバスター」の事で、ジャンルはハンティングゲームに分類される超大作ゲームだ。制作はSURECOMとSUNNYの共同開発。今年で五周年を迎える。SURECOMの大ヒット作「モンスターバスター」をベースに制作されており、前評判が高く、VRゲームとしては異例の全世界累計初週三百万という大ヒットとなった。現在のプレイヤー人口は一千万人を超える。
ダニエルは(制作現場見学やテストプレイなどで)制作に関わっており、限定アイテムなどにも詳しかった。このサングラスはナノマシンと連動しており、信号を送ると「ジュラバス」のメインモンスター「ティラオス」という恐竜が浮き出てくるらしい。ちなみにゲーム内で使用出来る装備アイテムのプロダクトコードもついている。
「これ。取っておいたほうがいいぞ。残念だがこの家にVRゲームやARゲーム専用の機器は置いてないから、このサングラスは利用できん。ババァが専用機持ってたかな」
「そこまでしなくていいですよ。それよりVRとARの違いって何ですか?」
「VRはバーチャルリアリティで仮想現実のゲーム。ARはオーグメンテッドリアリティで拡張現実のゲーム。他にMR、ミクストリアリティの複合現実のゲームがある。MRは、VRとARを合体したような感じだな。俺様は古き良き二次元のゲームが好きなのだが、最近はVRかARゲームが主流なんだよなー」
ドSの割にダニエルは優しく解説をしてくれる。やはりそこはゲームディレクターだからか、プレイヤーにゲームを楽しんでほしい、知ってほしいという気持ちが働くようだ。
「ちなみに」
「……ちなみに?」
「このサングラス、元々お嬢のだと思うぞ」
「お嬢とは?」
「ソフィアお嬢のことだよ」
「な・ん・だ・と!?」
衝撃の真実。
好きな人の所持品だと思っていたら、恋敵の所持品だったのかと、ゆきひとは驚きを隠せない。ダニエルいわく、ダニエル企画の格闘ゲーム制作にソフィアが参加した祭、SUNNYの企画会議室に置いてあった「ジュラバス」の非売品限定アイテムの黒いサングラを貰っていったのだという。多分、何か目を隠す物はないかと姉のヴィーナに言われた時に、ソフィアは黒いサングラスをヴィーナに渡したのではないかというのが、ダニエルの推測。
貴重リストに分類されていたアイテムは、突如としてダークネスデンジャーアイテムと化した。ソフィアからしてみれば、黒いサングラスは大好きな姉にプレゼントしたもので、それが恋敵に渡ったとなれば発狂物である。想像しただけで末恐ろしい。今度ソフィアにどう顔を合わせればいいのかと、途方に暮れてしまう。
「お前、お嬢が怖いのか? そういえば今夫婦関係なんだっけか」
「いや……はい」
「あの子は良い子だゾ。あまのじゃくなだけで。お前は表面的なもんしか見てねーんだよ」
「表面的……ですか」
「ゆきひとはお嬢の放置プレイを受けてるんじゃねーか? 放置も愛なんだぜ」
「いや、いやいやいや」
ゆきひとにとって、到底受け入れられる話ではない。
ずっと母親からネグレクトという放置プレイを受けてきて、愛など微塵も感じたことはなかった。それはない。
「ま、他の奴らは知らんが、お嬢は単純じゃねーからな」
ダニエルの言う事を、全て否定してはいない。確かにゆきひとの母親とソフィアは違う。ソフィアはアイドルライブの時、友人の為に力を尽くしている。言葉はきついが優しい笑顔も見せる。彼女のいい所はもうわかっているのだ。
ゆきひとの心の中に、ソフィアを理解しようという気持ちが芽生えていった。
男二人の会話中にヴィオラが別の部屋から現れた。冷凍庫のレトルトハンバーグを電子レンジにかけていく。夕食第二章が始まるのだろう。さっきと同じようにフローリングの床に並べられて三人で食べる。今回は人数分あるので先に食べられるという事はない。そのままゲームはお開きとなり、ダニエルが食器を洗浄機にかけた後、SM夫婦は出かける準備を始めた。
「何処行くんですか?」
「家の風呂、俺様の体をコックピットに入れるスペックねーから、マンションの大浴場利用すんのよ。お前はここの風呂使え。空いてる部屋に泊まっていいから、ちゃんと歯を磨いて寝ろよ!」
ダニエルの口調はきつかったが、優しさも含まれていた。SM夫婦はそそくさと靴を履き、外に出て行く。ゆきひとは他人の家に一人残された。
リビングの電気を消して、脱衣所の電気を点ける。洗面台の足元の籠にはパジャマと真っ白なタオルが用意されていた。ヴィオラが用意してくれたのだろう。白いシャツを豪快に脱ぎ、青いデニムのチャックを外してすらりと下す。全裸になった所でタオルを肩にかけ浴室を覗く。クリーム色のタイルはピカピカに光り、さわると「キュ、キュ」と音がしそう。浴槽も綺麗に磨かれており、入り心地が良さそうだ。ステンレスコーナーにシャンプーとリンス。ご丁寧に入浴剤もある。
「何だこれ」
ゆきひとが手に取ったのは、SUNNYのマスコットキャラ、白いネコの「ミロ」だ。これはお風呂に浮かべる的なアレだと認識。
「ミロか……懐かしいな」
浴槽にお湯を溜めながら、シャワーで体の汚れを洗い流す。隅から隅まで。お湯が浴槽に半分溜まった所で止める。手で熱さを確認して入浴剤を投入。そして浴槽に足を入れる。ゆきひとが入ると、シックスパックの半ばぐらいまで水位が上昇した。いわゆる半身浴だ。つい「くはぁ……生きかえる」と声が出てしまう。せっかくなので「ミロ」も浴槽に浮かべる。
他人の家の風呂場を借りて浴槽に浸かる。電気が点いているのはこの部屋だけ。孤独感はなく、友人の家に遊びに来たというか、友人に取り残されたというか、ゆきひとを不思議な気分にさせた。
筋肉隆々のゆきひとにとって小さめの浴槽は狭かったが、入浴剤や浴槽に浮かべるおもちゃの「ミロ」に癒されて満足度は高かった。
半身浴より全身浴の方がいいという情報もあったが、ゆきひとは(一度全身浴を試したっきり)半身浴を貫いた。汗の流れる範囲は広い上、水道代も節約出来る。何が体にいいとかいう情報は時代と共に変わり、それを見た人間は情報に躍らせれ混乱する。何が正しくて何が間違っているのか、突き詰める所までいかないと実際の所わからない。それだったら自分に合うやりかたの方がいい。少なくとも自分が満足すれば、脳や肉体に良い影響を与える。子供の頃は生活費や健康の事なんて何も考えずに生きていたのに、大人になってからは色々な事を考えるようになってしまった。電気を点けっぱなしにして寝たりして電気代を無駄に使ったことにショックを受けたり、食費を抑える為に外食は価格の安いランチタイムで食べて、仕事帰りはスーパーの夕刻割引商品を狙うかとか。子供と大人の明確なボーダーラインはわからないが、生活環境は確実に変わった。
ボーっと浴槽に浸かっていると、意識がまっさらになって思考が止まらなくなる。だが煩悩の深みにはまったのは入浴だけが原因ではない。十一月に入って、ゆきひとの環境に懐かしい出来事が次から次へと押し寄せた。その現象も煩悩に拍車をかけていた。
幼少期に意味も無く遊んだブランコに乗り、少年時代に夢中になった漫画をひたすら読み、学生時代に寝る間を惜しんでプレイしていたゲームを楽しむ。過去を思い出すと懐かしさと切なさが合わさり心苦しくなる。全ていい思い出だった訳ではない。祖母との二人暮らしで孤独な時間が多かった。それでも過去は良く見えるのだ。そういえばコンビニエンスストアの「ファミリー」ハートや、ゲーム機のハイパー「ファミリア」の「ファミリー(家族)」という言葉が嫌いな時代もあった。くだらないことを思い出してゆきひとは笑ってしまう。
しかし不思議とゆきひとの心の中に元の時代へ帰りたいという気持ちは沸き上がらない。昔は懐かしいが過去に戻りたいかと言われると、そうゆう訳でもない。過去へ戻りたいという気持ちが湧くということは今の現状に満足していないということ。自分が積み上げてきたものや経験を否定することになる。つまりゆきひとにとって、この結婚生活の連続が割と充実していたのだ。
この結婚生活は何時まで続くのだろうか。
結婚生活が終わったら、元に時代に帰る流れになるのだろうか。
でも帰って何をする?
何かしらの役目を終えればダニエルのように自由になれるはずだ。
この時代にいれば体形の維持も容易で、筋肉量を更に増やすことも可能。
公園の遊具で遊びたければ人目を気にせず遊んでいられる。
漫画を読みたければ完結した漫画を好きなだけ読んでいられる。
ゲームをしたければずっとプレイ出来る。
ダニエルの言う通り、この時代の「男」は特別でちやほやされて大事にしてくれるのだ。
過去に戻れば仕事に大部分の時間を奪われて遊ぶ時間などはほとんどない。
収入から支出を考え、生活費をやりくりしなければならない。
嫌な家庭環境も思い出してしまうだろう。
そして何より元いた時代にはヴィーナがいない。
ヴィーナのイメージが浮かんだ瞬間、ゆきひとは「んぐっ」っと、声を出して自分の大胸筋を押さえた。時間が経てば経つほど、想えば想うほど、胸の苦しみでたまらなくなる。京都で萌香のメールを受け取って以来、ヴィーナに対する意識が変わってしまった。一度ヴィーナのことを想うと頭から離れなくなる。
この気持ちを伝えたい。
抱きしめたいとさえ思ってしまう。
「ヴィーナさん……くっ……」
ゆきひとは浴槽のお湯を両手で汲み取り顔を擦った。




