66 ドS男とドⅯ女 『〇』
ダニエルが玄関を開くと、両手に買い物袋を引っ下げた熟女が現れた。
熟女は紫のレディースコートを着ており、妖艶な雰囲気を醸し出している。魔女のオーラと言うか、妖気と言うか。黒髪のロングヘアーに細い腕。全体的に太いダニエルとは対照的に、熟女は全体的に細い。法令線がくっきりと口元に入っているが、老けているという印象は受けない。気品のある出で立ちは上品な品格を思わせる。クリスタルの仮面をかけた少女に演技指導をしていそうな風貌だった。
「あら、もういらしていたのね。わたくしはダニエルの妻で……名前はヴィオラ・ディーヴァと言います。よろしくお願い致しますね」
この熟女が最初のメンズ・オークションを制した女、ヴィオラ・ディーヴァ。
ゆきひとは息を呑んだ。
「名前なんてどうでもいいんだよ、ババァ! 鍵持ってんだろうが、自分で入ってこいや!」
激高するダニエル。
緊張が走る……と思いきや、ヴィオラは微笑んでいる。
「うふふ。両手が塞がっていましたから……今から冷凍食品温めますわ」
ヴィオラはまるで堪えていない。
むしろ喜んでいた。
「ババァ! さっさとレンジでチンだっ!」
「はいはい」
ダニエルは三枚の皿と塩とケチャップとマヨネーズとコーラを用意。ゆきひとはダニエルに「グラスは自分で用意しろ」と言われたので、ジョッキのグラスを手に持った。
「お前! えーと……名前なんて言ったっけ」
「大桜ゆきひとです」
「ゆきひと、勘違いすんじゃねーぞ? ババァはドがつく「ドM」なんだ。苛めている訳じゃない。ちなみに俺様は「ドS」だ。こう見えて俺様達は相性がいい」
ヴィオラがドMなのは見ていて何となく理解出来る。嘘はついていないだろう。とどのつまり、苛めるのが好きな男と苛められるのが好きな女のカップル。
ゆきひとは真夜中の公園でSやMについて会話していたことを思い出した。ヴィーナがSじゃないなら自分がSになると。だがダニエルとヴィオラの様な関係を望んでいた訳ではなかった。
ヴィオラはご機嫌な様子で、冷凍食品のフライドポテトを次々と温めていく。数十秒で出来上がり、皿に盛り付けられたフライドポテトの山はフローリングの床に置かれた。それと同時にダニエルはケチャップとマヨネーズを自分の皿に盛りつけ、俊敏な動きで次々とポテトを口に運んでいった。歩くスピードは遅いが手の動きは早い。コントローラーをよく使うからだろうか、腕の筋肉はあるのだろう。しかしお腹は物凄い太鼓腹で贅肉の塊。ナノマシンに自己暗示を働きかければ体形の維持が可能なご時世で、相当不摂生な生活を送っているという事がよくわかる。
「俺様のことをジロジロと見て、何だよ」
「あ、いや……自分が体鍛えてるから、他人の体形も気になるというか」
「何でお前体鍛えてんの? ナルシストか?」
「ナルシストっていうか……純粋にかっこよくなりたいと言うか……」
子供の頃に読んだ漫画やゲームの主人公みたいにかっこよくなりたい。きっとそういう気持ちがどこかにあったのかもしれない。ゆきひとが本格的にトレーニングを始めてマッチョになったきっかけは、祖母の「強く生きろ」と言う言葉だったが、根底にあるのはかっこいいヒーローに対する憧れなのだ。
「それならしゃーないけど、これだけ「女」だらけの時代だったら、自分の容姿を気にする必要はなくねーか? デブでもハゲでもブサイクでも「男」ってだけで需要があんだよ。デハブ(デブハゲブサイクの略)が虐げられていたのは、個体が多かったからだ。個体が少なく希少価値が高ければ、デハブでも大事にしてくれる。この時代において男は特別なんだ。それを生かせない奴は男じゃねぇ! ……聞いてるかどうかは知らんが、俺がモデルをやっていたのは、女にモテたかったからだ。お前もそうだろ?」
ダニエルの言葉で、ゆきひとは何故自分が体を鍛えていたのかを改めて考える事に。異性にモテたいという気持ちが全くなかったと言えば嘘になるが、そこまで異性と付き合いたいと思ったことはなかった。あくまで自分が強くなる為。ゆきひとは自分を変えたかったのだ。筋肉があれば全てが変わる。筋肉があれば悩みが消える。筋肉が世界を救う。そんな言葉に踊らされて必死で体を鍛えた。そのお蔭か前向きになれたし、見える世界も変わった。
体格が変わってから、異性と何度か付き合うことはあったが、そっちはあまり長く続かなかった。いつも数か月間で別れてしまっている。彼女らはゆきひとのことを好きだと言っていた。だがそんな彼女らをゆきひとは特別扱いせずに友人感覚で接していた。ゆきひとは無意識に彼女らを試していた。時間が経って気持ちが変わるかどうかを。そんな状況を続けている内に関係が冷め、別れ話をきり出されるのだ。そしてやっぱりかと、いつも落胆してしまう。彼女達の愛は見返りを求めるもので、無償の愛ではない。本当の意味での愛はこの世に存在しない。ゆきひとは愛に否定的だった。人間は裏切るが筋肉は裏切らない。その思いは更なる筋トレに男を突き動かした。
結局の所、体を鍛えるのは自分の為。
モテたいという気持ちはかなり薄い。
「モテたいという気持ちも……あったかもしれないですけど……何て言うか答え辛いです」
正直に言ったら嫌味に聞こえる。
ゆきひとは少し内容をぼかした。
「お前、好きな奴でもいんの?」
ダニエルに言われて思い浮かぶのはヴィーナだ。
今はヴィーナによく思われたいという気持ちが働く。
これが本当に人を好きになる気持ちなのかと頭を悩ませた。
「……い、います」
ここは正直に答える。
ゆきひとはダニエルの方を見ながら、お皿のフライドポテトに爪楊枝を刺そうとする。だがしかし、皿の固いフォームに阻まれることに。もうフライドポテトはダニエル夫妻に食されていた。
「お前、食うの遅いんだよ。安心しろ、我が家は夕食第二章があるから」
「夕食第二章?」
「俺様、一日七食なんで」
会話を弾ませている男達をよそに、ヴィオラは使った食器を流し台傍の食器洗い洗浄機にかけていく。
「ゆきひと、ババァを手伝うなよ?」
「何故ですか?」
「今から、放置プレイを時間だ」
「……はあ」
ヴィオラは鼻歌を歌っている。歌詞が謎だからか、翻訳機能が機能しておらず、英語のセリフが続いている。夫婦にはわからない絆がある。ダニエルとヴィオラの関係性は、典型的ないい例(?)だった。
「おい、ゆきひと! 次は「アスリートファイターⅡ」やんぞ!」




