50 決別の時
マネージャーに相談すると言ったものの、実際に結婚宝くじが当たってからじゃないとメンズ・オークションの事を話すのが怖い。結局何も話せないまま半年がズルズルと過ぎてしまった。そんな時にソフィアからのメールが来た。結婚宝くじが当たったと。
そのメールを見たパステルは考えを整理した。
もしメンズ・オークションに出るとなると、レズビアンを装ってるのに男性と結婚するイベントに出場するのは可笑しい。リリー・レズビアン・ラインの幹部に、ファッションレズがバレるのを恐れていたが、その事でビクビクしているのに疲れている。いい機会だからファッションレズであることをメンズ・オークションでカミングアウトしよう。そして事務所はやめる。パステルの気持ちは、もう引き返せなかった。
第二回メンズ・オークションまで後四か月。
流石にマネージャーのパノラと話をしなければならない。
パステルはマネージャーの住んでいる五階建てのアパートに向かう。外階段がありエレベーターは無い。今時珍しい構造の住宅だ。家賃などを節約しているのだろう。インターホンを鳴らすとドアが開いた。
殺風景な内装の中央に置かれた四角いテーブル。
ティーカップが二つ。紅茶が淹れられている。
パステルはその紅茶を見て、カーネーションの対話を思い出し身震いした。
「話があるのよね。丁度私も話したい事があったのよ」
パノラは落ち着いている。
最近はメールのやりとりばかり。
パステルがまともにパノラと話すのは何年ぶりになるだろうか。
「マネージャーから話していいよ」
「ねぇパステル……リリー・レズビアン・ラインに移籍しない?」
「……えっ、何でそうなるの?」
その提案はパステルの望むものではなかった。
「次のソロアルバムを出したいって言ってたでしょ? 移籍すれば団体の援助でアルバムが出せるって」
「今までのやり方と同じじゃ、前回と同じで売れないよ」
「……自社買い的な事を……してくれるって言うのよ」
つまり団体の援助でアルバムを出して、団体の人間がそのアルバムを買うという事だ。
「それってサクラと同じじゃない!」
「別に珍しいことじゃないわよ。例えばクリスマスケーキやお節や恵方巻だって、自社の従業員に買わせて利益を上げたりしている所だってある訳だし」
「嫌……絶対嫌!」
「ランキングに載れば知名度も上がるし、そういった積み重ねをやっていけば、必ずまた、日の目を見る事が出来るわ」
「セイカちゃんはそんな事しない」
「貴女はセイカちゃんじゃない。今は女性アイドルの為にアルバムを百枚買ってくれる男性ファンなんていないの。時代が違うのよ」
「時代が違くたって、サクラは嫌! もういい、私事務所やめる。勿論そっちの事務所にも行かない。……この業界に引き入れてくれた事には感謝してます。後は自分の力でやっていきます。ありがとうございました」
パステルはパノラに背を向ける。
「貴女には貴女の魅力があるじゃない!」
「私の魅力って何? ……私はずっとセイカちゃんみたいになりたかった。セイカちゃんみたいなトップアイドルになりたかった。……だから私じゃダメなの! 今のままじゃダメなの! マネージャーと一緒にいたら夢を叶えられないの!」
パステルの激しい口調に、パノラは口を閉ざしてしまった。
他を寄せ付けないトップアイドルを目指すパステルと、平坦でも輝けるアイドル像をみていたパノラ。同じ女性アイドルでも志が違っていた。
本来であれば年上の女性に怒りの感情をぶつけることなどはしない。パステル自身の立場が悪くなるからだ。それでもパノラに感情をぶつけるしかなかった。彼女と決別して己の夢を叶える為に。
足早に玄関まで行って靴を履きドアを開いた。
外に出てすぐに視線を感じたパステルは左の方を見た。
「ごきげんよう」
そこにいたのはカーネーションだった。
パステルの心臓が一瞬止まる。
まさにその光景は夢に見た悪夢。
「……い、いやっ」
それは声にならない声だった。
パステルは小走りで階段を下ろうとした。
下ろうとした時、階段の角ばった所で足がもたついて仰向けで倒れかかった。
「えっ……」
ここで倒れてしまえば大怪我になる。
こんな所で全てが終わってしまうのか。そうパステルが思った瞬間、倒れる彼女の手を冷たい感触が掴む。
パステルの視線の先には、不気味に微笑むカーネーションがいた。
「いやぁぁ! 離して!」
「離してもいいのかしら? 頭から転落してしまうわよ? そうなったらまるで……貴女の人生みたいね」
ニコりと笑うカーネーションに戦慄するパステル。
今までこれほどの恐怖を味わったことはない。
カーネーションはパステルをそっと引き寄せる。そして耳元に口を当てた。
「貴女……ファッションレズでしょ」
パステルの体が凍り付く。みるみる体温が奪われていく。カーネーションの近くの気温は確実に氷点下を下回っている。そう思わせるほどの冷たいフレーズが放たれたのだ。早く氷の魔女から離れないと凍死してしまう。
パステルはゆっくりとカーネーションから離れた。
「ファッションレズの何が悪いんですか? BLだって百合だって、ぼかしてるけどゲイやレズビアンを利用して稼いでるじゃないですか」
パステルは開き直った。
「否定しないのね」
パステルは口を押える。
カーネーションの問答に乗せられたのだ。
「まぁフィフティフィフティって所かしら。ある程度は視線の動き、仕草、言葉でわかるけれど。それと、もしかしたら貴女はクエスチョニングかもしれない」
「何ですか? クエスチョニングって」
「そこまでは知らないみたいね。……ダメよ? レズビアンを演じるなら、それくらい知ってなきゃ。セクシャリティの世界は奥が深いの」
「……私がファッションレズだってバラすつもりですか?」
「そんなことはしないわ。大抵のビアンはファッションレズが嫌いだけど、リリー・レズビアン・ラインはファッションレズを歓迎致します。……だってファッションレズはレズビアンの資質があるって事ですから」
「私は、貴女の団体には入りません」
「もしファッションレズがバレても、わたくし達の所に来れば、わたくし達が守ってあげます」
そう言ってカーネーションは両手を広げる。
「さぁ……わたくし達と共に百合の華を咲かせましょう」
その耳に残る声はパステルの意志に問いかけた。確かにファッションレズがバレたらどうなるのか、予想はつかないし恐ろしくもある。
それでもカーネーションの手は借りたくなかった。
メンズ・オークションで結婚出来れば、世界の注目は不動のモノとなる。
切り札は此方にある。
もうパステルの決意は固いのだ。
「貴女の力もマネージャーの力も借りません。失礼します」
パステルは注意を払いながら、その場を去った。
児童施設の時はネコネコ生放送で有名になり施設内で天下を取った。
高校に入ってからはネコネコパーティのアニソンカラオケ大会で優勝し、芸能界入りしてトップアイドルの仲間入りを果たした。
今回だって同じだ。
メンズ・オークションで旦那を勝ち取れば、世界的に有名なアイドルになれる。
パステルはそう思っていたのだ。




