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39 ……おおきに。

「ごめん」


 ゆきひとは分が悪そうに頭を掻いて謝った。


「わたくしの方こそ……ごめんなさい」


「でも俺のいた時代も日本製の物はあんま売ってなかったぞ」


「ま、まぁそうかもしれないけど」


 萌香は俯く。

 つい感情的になってしまい、酔いから覚めてしまっていた。


「正直、萌香との結婚生活はちょっと怖かったけど、思いのほか落ち着くっていうか……同じ日本人だからかな。……でも日本人だから結婚しようっていうのは何か違うっていうか」


「わたくしなら嬉しいです」


「……俺も嬉しいか嬉しくないかって言われたら嬉しいけど」


 萌香は備え付けの小型冷蔵庫の中から瓶のオレンジジュースを取り出した。


「開けて下さい」


 萌香はゆきひとにオレンジジュースの瓶を渡す。


「おう、いいぜ」


 ゆきひとは易々と瓶のフタを開けた。


「はい、どうぞ」


「……ありがとう」


 萌香は気が付いた。

 日本人というだけではなく、この男自身を好きになっていると。

 行動の一つ一つの仕草が気になり、言葉の一つ一つがグサグサと胸に刺さる。

 好きと言ってしまえば全てが済むかもしれないが、結果は見えている。

 酔いからは覚めてしまったが、恋からはまだ覚めたくなかった。


「萌香も自分の生き方は変えられないと思うし、俺も自分の生き方は変えられない。……萌香のことは好きだよ」


 これはloveラブではなくlikeライクの方だ。


「……でもそれは恋愛感情じゃなくて」


「言わないで! それ以上は言わなくていい」


 萌香はオレンジジュースを一気飲みした。


「ゆきひとさん。今日は添い寝して下さい」


「えっ?」


「添い寝で許してあげます。してくれるんですか? してくれないんですか?」


「別にいいですけど」


「ほらほら。寝て寝て」


 ゆきひとは布団に横になる。

 萌香も同じ布団の中に入って男にしがみついた。涙が自然と溢れてくる。男に泣き顔は見せたくない。厚い胸板に顔を埋めた。血が途絶えるのも時代の流れには逆らえない。そんなフレーズが頭に浮かぶ。日本染めの生き方は変えられない。でも男に対しては違うアプローチをすれば良かったと萌香は後悔した。

 風鈴の音が添い寝する男女を包み込む。更に重ねてひぐらしの声までする。女の胸は切なさで締め付けられていた。男は早々に眠ってしまったが、女が眠りにつくのには時間が必要だった。


 朝を迎えて萌香とヴィーナは温泉に浸かっていた。

 脱毛当日の入浴は禁止で昨晩は温泉に入れなかった。

 爽やかな空気と晴れ渡る空。色づく木々も美しい。

 萌香は顔半分まで潜り温泉を満喫していた。体はぬくぬくと温まり心も安らぎで満ちていく。不意にヴィーナの胸が視界に入った。そこには綺麗に皮のむかれたマスクメロンが二玉、ぷかぷかと湯船に浸かっていた。


「で、でけぇ」


 萌香の声はヴィーナに届いていない。

 ヴィーナは温泉の湯を静かに体にかけて雲一つない空を見上げている。萌香の視線は気にしていない。萌香とゆきひとが一つ屋根の下にいたことも、ヴィーナは嫉妬すらしていない様子だった。


「ヴィーナさん。わたくし達に何があったのか、気にはならないんですか?」


「萌香さんが楽しめたなら私は嬉しいです」


 男も男なら女も女だ。

 才色兼備のマスクメロン美女も、恋愛に関しては鈍感すぎる。

 この二人がくっつくことはあり得るのだろうか。

 萌香は辺りを見渡した。

 ゆきひとを温泉に呼んだが、なかなか来ない。

 この温泉は一行の貸し切りで混浴は問題無い。


「ゆきひとさん来ませんね」


「……すみません。彼は来ません」


「何故です?」


「粘りに粘って誘ってみたんですが、最終的に生理現象が抑えられそうにないと断られました……」


「な、何ですか生理現象って」


「答え辛いので、後で調べて頂けると助かります」


 この世の中にはまだ萌香の知らないことがあった。


 三人は京都の名所を見て回る。

 金色に輝く金閣寺。

 ひっそりと湖に佇む銀閣寺。

 そして清水寺。

 萌香は清水の舞台の手すりに掴まって青々と茂る緑林を眺めた。紅葉は十一月頃、まだ赤く染まっていない。子供の頃は十二メートルの高さが怖かったが、今は落ち着いて見ていられる。落ち着いているというよりもどこか上の空だが。

 ゆきひととヴィーナも景色を楽しんでいた。萌香は数歩下がり二人の様子を眺めた。二人は自然に言葉を交わしていた。ただ見ていると本当にお似合いのカップルの様に見える。


「……敵わないな、これは」


 萌香は両手でカメラを撮るポーズをした。案外、心に喪失感はなくこの状況を仄かに楽しんでいる自分がいた。添い寝の効果だろうか。「この二人だったら応援してあげてもいいかな」と思えるくらい、心にゆとりがあった。それでも気を抜くと目頭が熱くなった。

 萌香は静かに手を下した。二人とその奥の景色を見ながら疾風に吹かれていた。

 

 葉月の終わりの日。

 夏の日差しも力を弱め、残暑のわびしさが空気に滲んでいる

 今日の予定は京都タワー観光。

 萌香は準備があると言って、ゆきひととヴィーナを先に行かせた。

 

 萌香は京都紅葉堂を出て玄関口を眺める。長年京都に住んでいて、このような旅館があることを萌香は知らなかった。またここに来ようと思いを巡らせた。

 時間を気にせず、ゆっくりと待ち合わせの場所まで足を運ばせる。

 セミの声は鳴りを潜め、ひぐらしの声が紅葉浴衣を迎い入れた。

 京都タワー行きのバスに乗り、萌香はゆきひとに送るメールをスマホに打ち込む。まず「社長には見せないで下さい」という件名。社長とはヴィーナのこと。


『ゆきひとさん、ごきげんよう。わたくし達の結婚生活は予定半分の二週間で終わりにしようと思います。だって貴方は別の女性に恋をしていますね?』


 そこで送信。

 少し経って男からの返信が来る。

 

『そんなことはないです。ヴィーナさんも萌香さんのことを待っています』


 このニブ男はやはりだめだ。女性相手に慣れているのは受け答えから見て取れる。異性と付き合ったことは何度かあったのだろう。しかし童貞。深い関係にならなかったのは明白。萌香と添い寝したにも関わらず、ゆきひとは襲わなかった。堅実と言えば聞こえはいいが積極的ではない。

 きっとこの先、彼を好きになる女は鈍感な男に傷つけらていくのだろう。

 敵に塩を送る訳ではない。

 この男自身の気持ちをわからせなければならない。

 萌香は目を拭ってメールの続きを打った。


『私が何も見ていないとでも思いましたか? お見合いの席でも彼女を目で追っていましたね。わたくしはこの二週間の間お二人と共に行動し、とても有意義な時間を送れました。もう満足です。わたくしは元夫になる相手の見送りをするつもりはありません。残りの時間はお二人でお過ごし下さい。どうか正直に、そして健康を大切になさって下さい。ほなさいなら』

 

 紅葉浴衣の女は京都タワーの近くまで来ていた。

 二回目のメールに返信は無い。

 建物の陰に隠れてタワーの入り口を見る。青い浴衣を着ている筋骨隆々の日本男児と、髪の色がオレンジベージュの和風美人はまだ入り口前にいた。

 本当にどうしようもないなと、紅葉浴衣の女はやれやれといった表情で笑った。自分と同じく恋に苦しめばいい。永遠の愛を信じない男がどういう恋の末路を迎えるのか見物だ。そういった黒い感情が心の片隅にあることを女自身も自覚していた。その気持ちとは裏腹に、男が壁にぶち当たったら助けてあげたいし、二人の恋が実れば祝福したいという感情もあった。

 

「はぁ。わたくし自身面倒くさい」


 この気持ちは一言で表せない。


「男装ホストクラブにでも行こうかなっ」


 紅葉浴衣の女は背伸びをする。そして待ちぼうけている二人を見て、「わたくしは待っていても行きまへん。後はせいぜい頑張りや」という気持ちを込めて……「……おおきに」と呟いた。

 

 メンズ・オークションでの出来事はもうふっきれていた。

 新たな感情に気付いてしまったが、片思いでいるのも悪くない。この胸の高まりが永遠に続くのだから。

 二人の恋が実ればそれで良し。

 でももしチャンスがあるのなら、その時は。

 紅葉浴衣の女は足取り軽く歓楽街へと向かう。

 童が遊ぶかの様なけんけんぱで草鞋を乱し跳ねていった。

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