180 アルデバラン 『〇』
一度、自室に戻ってみたが、窓は突き破られガラスの破片が散らばっている上に外からの凍える風でとても休める状態ではなかった。何よりあのアンドロイドが引き返してくる可能性があり、ここで休めるはずもなかった。
エーデルに肩を叩かれ「僕の部屋を使ったらどうだ?」と言われ、自分の荷物をまとめてエーデルの部屋に行った。そうだよ、京都では相部屋だったのに、何で怖い時に限って別室なんだよと思いつつ、部屋の中心部であぐらをかいた。
ドア付近でエーデルは「ちょっと待っててくれ」と言って、何処かへ行った。俺は待っている間、オーストラリアで買ったトランプを広げて、一人七並べをして時間を潰した。十五分ぐらいしても戻って来なかったので、この部屋のドアを開けて廊下を確認した。そこにはエーデルがいて、武士のような出で立ちで座っていた。
「何してるんだ? 部屋に入ればいいじゃんか」
「僕はここでいい。あのアンドロイドが戻って来るかもしれない」
「なぁ、一緒にカードゲームしないか?」
「カードゲーム?」
「カードゲームというか、トランプ。知ってるだろ?」
「知っているが……」
「ほらほら、入った入った。俺はエーデルが傍にいてくれた方が安心するんだよ」
「……わかった」
二人でトランプゲームの一種、ババ抜きをした。ババ抜きは、お互いの手札を引き合い、ペアで数字が揃ったカードは除外し、先に手札が無くなった方は勝ちになり、最後にジョーカーが残った方は負けとなるゲーム。何度か勝負をし、俺の勝率は七割ぐらいになった。
エーデルがこの手のゲームに弱いという感じはしなかった。何方かと言うと、ババ抜きに集中していない様子だった。
「ババ抜き……面白くないか?」
「いや、そういう訳じゃないんだ。色々気になってしまって」
「それは何だい?」
「気になる事……まず一つは、どうしてババ抜きはジョーカーが手札に残った方が負けになるのだろうか」
「うーん……何だろう。例えば、家族の一人が恋人を連れて来たとして、その恋人が破滅をもたらす存在で、その家系を最終的に滅茶苦茶にしたら、その恋人はジョーカーみたいな存在だったから負けって事かな?」
「ふむ……。まぁこれは、後でグーグル先生に頼るとして……」
……先生?
「あ、そうだそうだ。エーデル、大事な話というか重要な話なんだが、逃げずに聞いてほしい。これはとても深刻な悩みでもあるんだ」
「あ、あぁ」
「トイレットティーチャーって何だ?」
「そんなに気にしていたのか」
「そうだ、是非教えてくれ」
「トイレットティーチャーはグーグル先生の事だぞ」
「何故そこにトイレ?」
「トイレの隙間時間に携帯端末で調べ物をして、グーグル先生に頼る事ってあるじゃないか。それで、トイレットティーチャーだ」
「あぁ、そうか。なるほどな」
わからない事がわかるって気持ちいいな。
あああああぁぁぁ、スッキリした。
今、俺の心に富士山の天然水が染み込んだぜ。
「話、続けていいか?」
「いいぜ」
「このジョーカーに描かれている六枚羽のモンスター、これに似た怪獣が夢に出た事はあるか?」
このトランプは、ジュラシックバスターというゲームのモンスターが一枚一枚に描かれており、それぞれ個性の強い怪獣がデザインされている。ジョーカーは六枚羽のラスボスを思わせるような怪獣イラストで、一際異彩を放っていた。
「これに似た怪獣は……夢に出て来てないな」
「そうか」
エーデルのホッとした表情。
何だろう、気になるな。
「その怪獣が夢に出るとまずいのか?」
「いや……そういう訳じゃないんだ。僕の夢に出て来たのは、七色に光る怪物のような何かだった」
「その怪物に殺される夢を見たのか」
「そうだな……正夢にならないでほしい所だが」
「大丈夫だよ、実際にそんな事があったら俺が守って……それにしても、この六枚羽のモンスターかっこいいな」
「今、何で話の腰を折った」
「いや……こんな怪物から実際に襲いかかられた時、俺、ちゃんと動けるのかなって。何て言うか、このモーテルに来て自分の弱さを改めて思い知ったというか……。少し強くなったぐらいで調子に乗ってた。いつまでも初心を忘れてはいけなかった。自分の弱さ、未熟さを色々知れたという意味では、このモーテルに来て良かったと言えるのかもしれない」
「ゆきひとが自信を無くす事はないぞ。十分強いと思うし。それに僕の方こそ至らない点があった。ゆきひとは最初から食事の異変に気付いていたのに、僕が無理に勧めてしまった。フリージオに怒っておいて、人の事を言える立場にはなかった」
「あれは、単に食欲がなかっただけだぞ?」
「そんなに謙遜しなくていい」
エーデルは、俺がどんな風に見えているんだ?
俺はそんな強い人間じゃないのに。
「俺は……もっと強くなりたい」
「何故、強さに拘る」
「強さは生きる為に必要だし……子供の頃ってさ、少年は強いヒーローに憧れるものじゃんか」
「そういうものなのか?」
「少年は、少年ステップ読んでると思うし、日本人は中二病とかあるし」
「十四歳頃に発症すると言われる原因不明の病か」
その言い方だと、恐ろしい病気みたいだな。
「まぁ、そういう理由もあって、俺は強くなりたいんですよ。例えば怪獣から襲われても身近な人間くらいは守れるように。あ、そうだ……!」
「ん?」
「ナノマシンのIDを交換しよう。テレパシーで会話出来たら便利じゃんか」
「……いい、のか?」
「勿論だぜ」
ナノマシンのIDを交換したいと思った要因は、決してトイレのペーパーが切れていたからではない。前から交換したかったんだ、前から。
体内のナノマシンネットワークを使い、エーデルとIDを交換した。
『エーデル聞こえるか?』
『あぁ、聞こえているぞ』
試しにナノマシン通信でエーデルと会話してみた。
この機能を使うのは、ヴィーナさんと話して以来だな。
一年以上前から体内にナノマシンが入っているのに、未来の新機能を改めて使うのに、もの凄い時間を要してしまった。もっと最先端技術を活用しないと、これからはダメな気がする。明日辺りにフリージオともID交換をして、もっとナノマシン機能に慣れておこう。
「ゆきひと、普通の会話に戻って申し訳ないが、屋上に行かないか?」
「屋上、行けるのか? 屋上で何するんだ? トランプ手裏剣か?」
「違う違う、星でも見よう。オーストラリアにいた時は、ネオンが彼方此方で輝いていて星が見えなかったから」
「そう言えば、さっきそんな事を言ってたな」
俺はトランプを片付けて、毛布を担いだエーデルの後を付いて行った。
二階に上がり、アスカの部屋を横切り奥に進むと脆そうなドアがあった。多分、さっき行った地下の研究所みたいな入口のドアの真上に位置していると思われる。
脆そうなドアを開け階段を上っていくと、二階建ての屋上から見える夜のパノラマが広がっていた。月もキッカリ見えている。深夜三時、果て無く続く風景は、身震いする程幻想的で通常の夜景ではない独特の情景を映し出していた。
外に出てからのまともな足場は無く、トタン屋根を歩かなければいけない感じのゾーンしかなかった。建物の材質はレンガに近い物質のようだから歩いても大丈夫だと思ったが、念の為、足元をツンツンして確認作業をした。
エーデルは、物怖じせずにバランスを取りながら少し傾いた屋根の上をスイスイと歩いて行った。俺もすぐ後ろを付いて歩いた。その瞬間、少し強い風が吹いた。
問いかけるような風に身を任せたくなり、両手を開いてバランスを取った。それは波打ちながら勢いよく通り過ぎ、胸元を吹き抜けて体中を開放させるような感覚を与えてくれた。心のネットにこびり付いたホコリを、しゅるりんとそぎ落として払ってくれたような感触、何て清々しいんだろうか。勢いで額の包帯を取ってしまった。当たり前のように長細い白は風に吹かれて流されていく。まるで白銀の鱗を光らせたリュウグウノツカイが深海を泳いでいったかのように、藍色の空をゆらゆらと波打って消えていった、
バランスを崩したので、咄嗟にしゃがんだ。手が額に当たったので、そのまま額の傷を確認した。鏡を見た訳ではないが、多分十字の傷が出来ている。血はもう出て無い。傷の治りが早いようだ……恐らくナノマシンの影響だろう。
「怪物、怪物って……まるで俺が怪物みたいじゃんか」
それでもいいさ。
体だけじゃない、心も怪物並に強くなれるなら。
エーデルの方を見ると、既に定位置に着いていた。
担いでいた毛布を体にかけている。
手に持ったナノカメラを浮かせてドローンカメラにしていた。なるほど、そういう使い方も出来るのか。
俺は屈みながら急いでエーデルの元に行って、毛布に入れてもらった。
そして顔を上げた。
「凄いな……これは」
満点と輝く星々。吸い込まれそうな夜空を流れる星の運河は、現実に流れる時を忘れさせた。今までの悩みは何だったんだろう。今までの暗い気持ちは何処へ行ったのだろう。この雄大な天体群が、それらのくすんだ思考をドンドンと縮小化させて消していった。心がとても軽い。浮いちゃいそうだ。
『エーデル、誘ってくれてありがとな。気持ちが凄い楽になった』
『喜んでくれたならよかった』
『なぁ、これからは、思った事は出来るだけ話すようにしないか? 全ての事を共有したり、秘密を話したりする必要はないけど。もっとさ、俺達、仲良くなれると思うんだよね』
『そうだな』
『手始めに自白するけど……俺、このモーテルが怖すぎてビクビクしてた』
『怖い事があるのは別にいい事じゃないか。言わば防衛本能のようなものだし。僕は、そうだな……突然の腹痛、アレは嘘だ。手を繋ごうと言われた時、正直恥ずかしかった』
『悪い悪い、そりゃそうだよな』
『今更なんだが、手、繋がないか?』
『いいぜ』
暖かい手だ。
父親の手って、こんな感じなんだろうか。
『エーデルがいてくれて本当に心強かった。何時の間にか頼れる父親みたいに思っちゃってたな、俺』
『……父親?』
『嫌だったか?』
『そうゆう訳じゃない。十九歳も離れていたら……確かにそうだな。ゆきひとぐらいの息子がいても可笑しくはないか』
『これからも頼りにしていいかな』
『……構わないぞ。僕が……父親役なら、息子の恋愛は応援しないとな?』
『恋愛か……恋愛ってどうなんだろうな。今の所、単純に苦しいだけって感じがして。エーデルは今までどうゆう恋愛してた? 経験豊富そうに見えるんだけど』
『あまりいい恋愛はしてこなかったかな。本気で相手を好きになった事は、今まで無かったように思う』
『なんだよそれ。つまりずっと相手から告白されたてたって事だろ?』
『君もそうなんじゃないか?』
『俺はエーデルほどじゃないと思うぜ。そうだな……自分から相手を好きになる恋愛は初めてだと思う。この場合ってどうすればいい?』
『そんなもんは知らんよ。自分で考えるんだな』
『何だよー。じゃぁ、一緒に考えてくれよー』
『……恋愛の話をしてたら昔の事を思い出してしまった』
『エーデルの恋愛話気になるんだが。どっち……と付き合ってたの?』
『職業柄、女性としか付き合った事はない』
『女性にモテそうだよなぁ。それで……楽しかった?』
『楽しいというか……そういうのはほとんどない。相手から憎まれるような事もしてしまったから、申し訳ないと思っている』
『ほとんどないって……逆に言えば楽しい恋愛もあったって事?』
『今思えばあったのかもしれない。相手と心を分かち合う時間は、思いの外心地が良かった。それは家族にも言える事で、血の繋がりは無かったけど、疑似家族として生きたあの頃の生活も、案外嫌いではなかった』
『今話に出た人達が、エーデルにとっての大切な人達って感じなのかな。エーデルから大切に想われている人達は、相当な幸せ者だと思うぜ』
『そうだろうか……』
『さっきは俺に自信がどうとか言ってたくせに、自分は自信が無いのか?」
『自信があるかないかと言ったら、自信はないな。……今まで僕に関わってきた人間達は不幸になっていったように思う。だから、人と深く関わる事が少し怖い』
『それがエーデルの怖い事か。なら心配する必要はないぞ。だって俺、今この瞬間幸せだもん。何なら、昔よりもエーデルと出会ってからの方が幸せを実感してる。もっと早く出会いたかったな』
『それは……』
『それは?』
『同感だ』
『本当かー? その同感は、同感じゃない感じだぞ』
『おじさんをおちょくるんじゃない』
『何だよおじさん。嬉しそうじゃんか』
『嬉しいのかもな』
『なぁ、これからどうなるかわからないけど、お互いに幸せを掴もうぜ?』
『どうゆう意味だ?』
『俺は絶対に幸せになるし、エーデルも幸せになる。お互いに納得のいく人生を歩もうって話だ。そうしたら、他人を不幸にするとかいうエーデルの恐怖は無くなるだろ? 俺がその恐怖を無くしてやるよ』
『ゆきひとの、ホラー嫌いは僕が何とかすればいいのか?』
『それは自力で克服するよ。俺の提案どうだ?』
『善処しよう』
『素直じゃないな』
『それも……善処しよう。しかし、他人を不幸にしてきた僕が幸せを掴んでもいいのだろうか……』
『俺が言えた事じゃないけど、ずっと苦しんできたんだろ? 何年も精神病院で落ち込んで、罰みたいなものも受けたんじゃないか? もう昔の事より、前を向いて生きて行こうぜ? だから俺達、絶対に幸せになるぞ。約束だからな。そうだ、指切りをしよう。約束を破ったら腹筋千回という事で』
『それはゆきひとが、いつもやってる事じゃないのか? 指切りの効力が意味をなしてないぞ』
『確かにそうだな』
『指を切る必要は無いさ。手は繋いでいればいい。約束はいらない』
『じゃぁ、星に願うか?』
『星に願いをという曲、子供の頃好きだったな。オズの魔法使いに流れていた曲に雰囲気が似ていたから』
『そうなんだ。生憎、お星さん……流れる気配ないけど』
『流れなくたっていいじゃないか、こういうのはノリだ』
『あの一番輝いている星はなんだろう』
『あれは……アルデバランだ』
一際明るく、仄かに赤い光を放っている星。
目が離せない、釘付けになってしまうあの星の名前はアルデバラン。
『アルデバランって、何かの星座の一部だっけ?』
『おうし座だな』
『あ、俺、数日前に赤い目をしたミノタウロスのイメージが湧いたんだよ。何だ、この事だったのか。全然怖くないじゃん。……その前に羊の群れとか走ってたんだけど、あれも何か繋がりがあるのかな』
『おひつじ座の次がおうし座だから、羊と牛は繋がっているぞ』
『なるほど、おうし座って何月だっけ?』
『おうし座は四月下旬から五月下旬までだな。僕的には五月星座のイメージが強い』
『サツキとメイ!』
『何だ急に』
『日本語でサツキは五月の意味があるし、メイは英語のMeyで五月の意味がある』
『それぐらい、僕も知っているぞ』
『なぁバス停に、何か謎の牛いなかったか?』
『いたな、牛』
『全て繋がっていたんだな』
『よくわからんが、そんな偶然もあるさ』
『エーデル、俺達幸せになろうな』
『そう……だな』
『絶対だぞ。絶対俺達は幸せになるんだ』
『あぁ、幸せになろう』
点と点だった星々が星座として繋がるように、意味がないと思っていた現象の一つ一つが瞬いて光り繋がっていった。
わからなかった事がわかるようになる時の神経が紡がれる気持ちいい瞬間や、人と人との心が重なるようにして合わさる心地いい時間、こうした何気ない瞬間や時間が一種の幸せと言えるのかもしれない。
だとしたら、もう幸せの欠片を手にしてしまったのかもしれないけど、もっと、もっと継続して、続いて途切れないような幸せを掴んでいきたい。
お後がよろしいようで。